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第90回帝国議会 衆議院 帝国憲法改正案委員会 第2号 昭和21年7月1日


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      付託議案  帝國憲法改正案(政府提出) ————————————————————— 昭和二十一年七月一日(月曜日)午後一時四十四分開議  出席委員   委員長 芦田均君    理事 江藤夏雄君 理事 廿日出厖君    理事 吉田安君 理事 鈴木義男君    理事 田中久雄君 理事 高橋泰雄君    理事 長井源君 理事 菊地養之輔君    理事 林平馬君 理事 大島多藏君       大久保留次郎君  加藤宗平君       上林山榮吉君  神田博君       木村公平君  木村義雄君       北れい吉君  北浦圭太郎君       小島徹三君  高橋英吉君       武田キヨ君  武田信之助君       塚田十一郎君  本田英作君       三浦寅之助君  山本正一君       青木泰助君  犬養健君       荊木一久君  椎熊三郎君       關谷勝利君  林連君       原健三郎君  原夫次郎君       保利茂君  星一君       森山ヨネ君  山崎岩男君       井伊誠一君  石川金次郎君       及川規君  加藤シヅエ君       黒田壽男君  杉本勝次君       田原春次君  棚橋小虎君       西尾末廣君  原彪之助君       松澤兼人君  森三樹二君       森戸辰男君  井上徳命君       石原登君  大橋喜美君       越原はる君  酒井俊雄君       橋本二郎君  大石ヨシエ君       大谷瑩潤君  穗積七郎君       早川崇君  藤田榮君       赤澤正道君  秋田大助君       野坂參三君 同日委員宇田國榮君辭任に付其の補缺として石原登君を議長に於て選定した 同日理事宇田國榮君の補缺として林平馬君が理事に當選した  出席國務大臣    内閣總理大臣兼外務大臣   吉田茂君    國務大臣 男爵 幣原喜重郎君    司法大臣   木村篤太郎者    内務大臣   大村清一君    文部大臣   田中耕太郎君    農林大臣   和田博雄君    國務大臣   齋藤隆夫君    厚生大臣   河合良成君    國務大臣   植原悦二郎君    運輸大臣   平塚常次郎君    大藏大臣   石橋湛山君    國務大臣   金森徳次郎君  出席政府委員      法制局長官 入江俊郎君      法制局次長 佐藤達夫君      復員事務官 遠藤武勝君      復員事務官 山本丑之助君     外務政務次官 益谷秀次君      外務事務官 岡崎勝男君      外務事務官 萩原徹君      外務事務官 山中徳二君      終戰連絡中央事務局次長  白洲次郎君      外務事務官 木村四郎七君      法政務次官 古島義英君      司法參與官 中村又一君      司法事務官 佐藤藤佐君      司法事務官 奧野健一君      司法事務官 加嶋五郎君      司法事務官 石田富平君     文部政務次官 長野長廣君      文部參與官 花村四郎君      文部事務官 伊藤日出登君      文部事務官 柴沼直君      厚生事務官 勝俣稔君      厚生事務官 葛西嘉資君      厚生事務官 木村忠二郎君      醫療局長官 塩田廣重君    引揚援護院長官 齋藤惣一君       農林次官 楠見義男君      農林事務官 笹山茂太郎君      農林事務官 遠藤三郎君      商工參與官 小此木歌治君      石炭廳次長 岡松成太郎君      商工事務官 長谷川輝彦君     運輸政務次官 松田正一君 本日の會議に付した議案  帝國憲法改正案(政府提出)     ━━━━━━━━━━━━━    午後一時四十四分開議

  • 001 芦田均

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    ○芦田委員長 會議を開きます、此の際御諮り致すことがあります、理事宇田國榮君が委員を辭任せられました、就きましては、其の補缺理事は先例に依り委員長に於て指名するに御異議ありませぬか。   〔異議なしと呼ぶ者あり〕

  • 002 芦田均

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    ○芦田委員長 御異議がなければ林平馬君を理事に指名致します(拍手)  去る六月二十八日本院に付託せられました帝國憲法改正案を議題に供します、先づ政府の説明を求めます──内閣總理大臣

  • 003 吉田茂

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    ○吉田國務大臣 憲法改正案の精神及び其の内容に付きましては、先日來本會議に於て一應説明を申した次第であります、尚ほ此の機會に其の内容其の他の詳細に亙りまして、金森國務大臣より説明を申述べる筈でございます、何卒宜しく御審議を願ひます

  • 004 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 憲法の改正案に付きまして内容を申上げたいと思ひまするが、豫め御許しを得て置きたいことが一つあるのであります、それは私共の考へまする所に依りますれば、憲法の改正案を議會に付議致しますることは、憲法改正案其のものを御判斷を願ふのであつて、憲法改正案の由つて生ずる基本、學理的なる考へ方は、直接には議會の御審議に屬するものではないと思つて居ります、隨て本會議に於きましては、憲法の表に現はれて居りまする條項の趣旨を辨明するに止めたのでありまする、さうして其の背景に存在して居りまする幾多の基本的なものの考へ方に付きましては、是は憲法其のものの直接の内容でない爲に、遠慮を致して居ります、併し斯くの如き種類の重大なる法案でありまして、尚ほ其の條文が個々の要點を示すのみであつて、其の根本に存在致しまする組立て方を直接に明かにして居りませぬ爲に、何等かの御説明を申上げることが適當なやうに思つて居るのであります、併し其の内容は實は御審議の客體にならない、寧ろ學問上の判斷でありますけれども、若し御許しを得まするならば、其の基礎に考へて居ります一つの説明方法、即ち私の考へまする所の學理的なる──學理的と申しましても深い所を言ふのではありませぬが、一渡り考へ方を──本當を云へば委員會でも申上ぐる範圍の外になるかも知れませぬけれども、御許しを得まするならば、それを申上げたいと思ひます  先づ内容に付て申上げて行きまするが、此の草案は御覽になりますると直ぐに分りまするやうに、前文の外十一の章に分れて居るのでありまして、略略必要なる規定を網羅して居ると考へて居ります、其の中先づ前文に於きましては、今囘の憲法改正の目的、又改正憲法の拠つて立つ根本精神を最も力強く且つ詳細に述べてあると考へて居ります、即ち其の前文の最初に於きまして、日本國民は外に向つては、諸國民との間に平和的なる協力を成立させ、内に於ては我が國の全土に亙つて自由の福祉を確保し、又政府の行爲に依つて再び戰爭の慘禍が發生しないやうにすることを決意しまして、ここに國民の總意が至高なるものであることを明かに宣言を致しました、又此の趣旨に依つて現在存在して居りまする所の憲法を改正すると云ふ風に述べられてあるのであります  次に又やはり前文の一部でありまするが、此の憲法は人類普遍の原理である所の民主主義の精神に立脚するものである、斯う云ふことを示しました、更に又其の民主主義の原理自體は、要するに國の政治の終局の權威が國民に由來致しまして、又國の政治を拠つて行ふ所の權力は國民の代表者が之を行ふのであります、又國の政治に依つて生じまする其の結果たる所の幸福は、或は利益は、國民が之を受けると云ふことにあることを明かに示して居ります  更に又前文の中に於きましては、日本國民は徹底せる平和主義を以て、其の下に於て我が國民の安全と生存とを擧げて平和愛好諸國民の公正と信義に委ねる決意を有すると云ふことを宣言し、同時に又今後再び國際社會に連なつて、其の一員として名譽ある地位を占める日の早からんことを熱望すると云ふ趣旨を述べて居る譯であります  尚ほ此の前文に於きましては、何れの國家も自國のことのみに専一であつてはならない、隨て其の結果として他國を無視してはならぬと云ふ趣旨を示し、政治、道徳の原則は何れの國家にも共通致しまする所の普遍的行亙つたものであると云ふことを強調致しまして、此の法則に從ふことは各國の責務であると云ふ信念を述べまして、所謂國際社會に於きましての道義的鎖國方針と云ふものを退け、我が國將來の覺悟を明々白々と示して居る譯でございます  更に又此の前文の一番終ひの一節に於きましては、日本國民は國家の名譽に懸け、此の高遠なる主義と目的の達成の爲に全力を捧げるものであると云ふことを誓つて居るのであります、言葉は極めて平易なる寧ろ常識的なる言葉の羅列ではありまするけれども、其の内容に盛込まれて居りまする所は、改正憲法の精神とする所を遺憾なく示して居ると考へて居ります  更に前文を離れまして、此の憲法の各個の條項に規定する所を見ますると、何等かの關係に於て此の前文の趣旨と一脈相聯なつて居り、相互ひに照應して居るものでありまして、此の前文の精神の下に各個の規定が理解せられ、且つ運用せらるべきものとする趣旨に基いて居ります  そこで内容に入るのでありまするが、第一に此の改正憲法に於ける天皇の御地位のことでありますが、是は本會議に於て種々なる角度から御質疑になり、又御説明申上げました通りでございまするが、後に至りまして、それを私の心の中に考へて居りまする一つの理論構成を以て更に御説明申上げたいと考へて居ります  次に此の皇室典範に關する規定であります、皇位は世襲のものとし、其の繼承に付きましては皇室典範の定むる所に依ると致しまして、更に又其の皇室典範は從來の考へ方と違つた法的性格のもの、即ち國會の議決を要するものと致して居りまするが、御承知の如く皇室典範は、從來は國會の議決の外に置かれて居つたものであります、改正案の規定する所は、それは國會の議決の下に置いたのであります、重要なる國法としてのあるべき體系に之を置いたと云ふことになります  次に天皇は此の憲法の定むる國務のみを行はせられまして、政治に關する權能は之を有せられざることと致しまして、且又天皇の國務に關する一切の行爲には、内閣の助言と承認を必要とし、之に付て内閣が全責任を負ふものと致したのであります、是は要するに日本の重大なる根幹を成して居りまする所の天皇制を、最も妥當なる形に於て此の憲法に規定せんとする趣旨である譯であります  次に天皇の行はせられまする國務の範圍は、例へば内閣總理大臣を任命せらるること憲法改正、法律、政令及び條約の公布其の他列記してある通りでございまするが、是等は何れも天皇が國の象徴であり、國民統合の象徴である御地位に相應しき範圍に於て、多からず少なからざる範圍に於て適切なる限界に眼目としたのであります  尚ほ皇室の財産關係に於きましては、從來の日本の考へ方と稍稍異なる原則が示されて居りまして、皇室に財産を讓り渡し、又は皇室が財産を讓り受け、若しくは賜與せらるることは、國會の議決に基くことを要するものと定められて居ります、言葉を換へて申しますれば、皇室と皇室の外との間に於きまして、財産を移動致しまする爲には、國會の議決を基礎と致しますることが必要であると云ふことを根幹とするのであります、是は國家及び國民統合の象徴であらせられる最も公平であり、無色無私なるべき天皇の御本質に鑑みまして、皇室外部と皇室内部との相互の間に於きまして財産を移動することに付ては、最も其の道行きが公明であると云ふことを確保致さんとするものである譯であります  次に第二章に於て、戰爭抛棄に關しまする規定が設けられて居りまして、條文としては僅か一箇條、項目として二つに過ぎないのでありますが、是こそ我が國自ら捨身の態勢に立つて、全世界の平和愛好諸國の先頭に立たんとする趣旨を明かに致しまして、恆久平和を希求する我が大理想を力強く宣言したのであります、蓋し是は輕い意味を以て考ふべきものでなく、過去の何千年の歴史を通しての今日の我が國民が、はつきり世界に向つて根本の精神の存する所を以て、謂はば呼掛けると云ふ態度である譯でありますが、趣旨に付きましては先般總理大臣より説明がありました通りでございます  次の言論、集會及び思想の自由、基本的人權尊重の確立と云ふ點に付きましては、是は「ポツダム」宣言の中に書いてあります主たる項目でありますけれども、元來基本的人權を徹底的に保障致しますることが、民主主議的政治を確立します上に於て絶對的な必要なる根本條件である譯であります、隨て此の憲法改正案の中に於きましては、各般の角度から色々の段階に、又色々の項目に於きまして必要なる規定を設けまして、日本が過去に於て此の種の問題を繞つて、種々なる弊害を巻き起したと云ふ嫌ひのあります刑事訴追の關係などに付きましても、有效適切なる規定を設けて居る譯であります、現行憲法に於きましても、固より國民の權利義務に付きましては相當の項目を擧げて之を保障して居るのでありますが、極めて稀なる例外を除きましては、それは唯法律の枠の中の自由であります、言換へますれば、法律を以てすれば其の自由を可なりの程度まで、或は絶對的にまで變更し得る趣旨であるのであります、併しそれでは國民の權利は完全に保障せられるとは言へませぬ、改正案に於きましては、其の保障の範圍に於きまして、總ての基本的人權に及ぶと云ふ其の範圍を決めました外に、其の保障の形と致しまして、憲法自ら直接に權利を保障する原則を採用して居る譯であります、更に此の人權の保障に付きましては、憲法が國民に保障する自由と權利と云ふものは、國民の不斷の努力に依つて之を保持しなければならぬものと致しますると共に、國民は之を濫用すべからざるものと致しまして、常に公共の福祉の爲に之を利用する責任を負擔すべきことを規定致しました、換言すれば、自由は我儘と云ふことではなく、又自由及び權利に伴つて當然之を活用し、又適當な範圍を守るべき義務を有する旨を包括的に明かに致しました、各個の國民の個人的自由を尊重すると共に、公共の福祉を維持増進すると云ふことを考へ、個人の自由と公共の福祉とは表裏一體、融合調和して進むべき趣旨を明かに致しまして、ここに民主主義的國政運營の眼目を示して居る譯であります  尚ほ又本案は國權發動の主なる機關と致しまして、國會と内閣と裁判所と云ふ三つを設けて居るのでありますが、其の中に於きましても、國會と云ふものに特にはつきりした規定を加へまして、是が國權の最高機關であり、且つ之を國の唯一の立法機關たらしむるものと致して居ります、國會は兩院制度であります、衆議院と參議院とを以て之を構成し、仍て以て國事審議の愼重を期して居ると云ふことは、既に本會議に於ても申上げました所であるのでありまして、是等の諸點及び兩院の相互の關係に付きましては、色々申上げたいことはありまするけれども、各個の條文に付て適當な機會に申上げる方が、寧ろ適切であらうと考へますから省略致します  尚ほ之に關聯をして申上げたいのは、國家の緊急の場合、普通の政治の形式を以てしては切拔け難き場面が想像出來るのでありまして、萬一にも斯樣な場合が起りましたならば如何にするかと云ふ疑問があります、是は憲法發達の諸國の例を求めて行きまするならば、多くの場合に斯くの如き非常の場合は非常の措置として、謂はば規定なき所に政治の運用があつたのであります、我が國の現行憲法は其の非常な場合を特に周密に豫め規定を設けまして、緊急勅令であるとか、財政上の緊急處分であるとか、其の外直接間接に是等の緊急の場合に處する途が設けられてあつたのであります、改正案に於きましては如何なる態度を執つたかと申しますると、從來の即ち現行の憲法は餘りにも此の緊急の措置を講ずるに當局者に便宜過ぎるのであります、それが爲に民主主義政治の運用の上に遺憾なる結果を生じたやうに思ふのであります、故に民主政治を徹底する見地と致しまして、此の緊急措置に關しまする規定は、憲法の中には多くは設けられて居りませぬ、併しながら特に考へまするのは、衆議院が解散せられ、未だ其の内容が充實しませぬ爲に、急に議會を開くことが出來ないと云ふ特殊の場合に於きまして、詰り解散後暫くの間他に方法がない場合に於きましてはどうするかと云ふ所を、特別な規定を以て補充を致しまして、參議院の緊急集會と云ふ方法を以て、豫測すべからざる緊急の事態に對し暫定の措置を執り得る方途を規定したのでありますが、固より是は暫定の措置でありまして、決して此の民主政治の本筋に微動だも生ずる所のものではないのであります、さう云ふ特殊の場合を除きましては、臨時に必要が起れば其の都度議會の臨時會を召集して、立憲的に萬事を措置することが妥當であり、其の方針を基礎として憲法の規定が設けられて居るのであります  尚ほ次に内閣の制度に付きましては、根本の原則と致しまして國の政治の中から立法を除き、司法を除きました其の殘る所の廣く言はれて居ります行政と云ふ範圍に屬しまする權能は、内閣に屬すると云ふことを明かにして居ります、此の行政權と申しまする事項の範圍は極く狹い行政と云ふ範圍とは異なりまして、謂はば執行權とも言ふべき廣い範圍を包容致して居る譯であります、さうして其の行政權を行ふ所の内閣は、其の組織全體を法律を以て定めまして、即ち、現在の如く勅令を以て定むる趣旨とは全然方向を異にして居るのであります、其の法律で定まる内閣は、首長に内閣總理大臣を置き、其の外に國務大臣を置きまして組織すると云ふ建前でありまするが、其の詳細は又別に出來まする所の謂はば内閣法の中に詳しく規定する考へであります、更に内閣總理大臣はどうして任命するかと言へば、國會の指名に基き、天皇が之を任命せられるのであります、他の國務大臣はどうして任命せられるかと言へば、それは國會の承認を得て、内閣總理大臣が任命するのであります、而も又内閣總理大臣は任意に各個の國務大臣を罷免し得るのであります、是等のことは何を意味するかと申しますると、内閣は國會を基礎として動くものであると云ふことを明かに致しますると共に、内閣の内部に於きましては、内閣總理大臣が重き地位を有することを明かにしたのであります、現行の秩序に於きましては、事實は斯くの如き方法に向つて居るに拘らず、規定としては徹底を缺いて居るのであります、尚ほ此の内閣は今述べました趣旨の延長と致しまして、國會に對して各大臣合同致しまして責任を負ふのが當然でありまするが故に、衆議院に於て不信任の議決を致しました場合に於きましては、衆議院の解散が行はれざる限り内閣議員は總辭職をしなければならぬと云ふことに致しまして、議員内閣制度の主義を何等の遺憾を生ずる餘地のないやうに採用して居るのであります  更に司法權の範圍に付て申上げまするが、此の司法權に付きましては、現行の日本の司法權と稍稍異なる顯著なる特色を認めて居ります、其の一つは行政裁判所が現在ありまするが、之を一般の司法裁判所と同じ系統の裁判所の權能に移したと云ふことであります、特別裁判所は固より設置をすることは得ない風に定まつて居ります、御承知の如く特別裁判所と云ふのは、單に權限が特別であると云ふに止まらずして、沿革的に非常な特別な構成或は作用を備居りまして、國民の權利の保障の上に遺憾を生じたる歴史を持つて居る制度であります、更に此の裁判所の中に、最高裁判所は一切の法令又は處分、特に法律が憲法に適合するや否やを裁判し得ることとして居ります、御承知の如く日本の現行制度の下に於きましては、裁判所は議會と略略平等の立場に考へられて居り、而も議會は立法の府とされて居りまするが故に、若しも議會が定めましたる法律が憲法違反であると云ふ疑ひがありましても、裁判所は之を批評し得ない、憲法違反の法律でも有效な法律として認めなければならないと云ふ風に、少くとも大多數の考へ方は答へて居ります、併しながら今囘の改正案に於きましては、若しも憲法違反の法律があるならば、最高裁判所は之を明かに判斷して、裁判の適用上斯の如き法律が起れば、それを無效なものとして處置し得ると云ふ機能を存することにして居ります、唯付言致しまするが、是は法律其のものを凡ゆる意味に於て無效とする譯ではありませぬ、裁判に必要なる範圍内に於て無效とすると云ふ趣旨であります、尚ほ最高裁判所の裁判官の任命には國民審査と云ふ途を考へ、其の外普通の裁判所に付きましても、其の裁判官の任用に付きまして特殊の考慮を致しまして、裁判官が嚴正中立であると同時に、國家諸般の政務の運行上最も適切なる役割を務むるやうに意圖せられて居ります  財政の方面に付きましては、國の財政を處理致しまする權限は、總て國會の議決に基いて之を行使すべきものであると云ふ原則を掲げまして、之を基本として必要なる諸規定を設けますると共に、皇室の財産の關係に於きましては、從來にない所の規定を設けまして、世襲財産以外の皇室財産は總て國に屬するものと致しました、又皇室財産より生ずる收益は總て國庫の收入とすると共に、法律の定むる皇室の諸支出は、豫算に計上して國會の議決を經なければならぬ現在の制度と違ふ特色を規定して居る譯であります  次に地方自治の問題でありますが、是は現行憲法に於きましては、地方自治に關しまして何等の規定を設けてはなかつたのであります、併し地方自治は國家の政治と相伴ふものでありまして、共同して全般の國の政治が動いて行く譯でありまするが故に、之を憲法の中に取入れて基本原則を設くることが必要と考へます、そこで其の規定を設くると共に、内容に於きましては民主主義的なる原理を根本に置きまして、地方公共團體の各長、其の他の職員の或るものに付きまして直接公選と云ふ途を考へ、更に又或る一つの地方公共團體のみに適用ある特別法に付きましては、是は公平を圖る爲に、其の當該公共團體の住民投票の制度を設けたのであります、謂はば國民各自の自由を保障すると共に、或る限定に於て公共團體の自由を保障したと云ふことに歸着致します  次に憲法改正の手續に付きましては、國家の基本の考へ方に國民の總意を至高とすると云ふ原理を取つて居りまするが故に、國の根本法たる憲法の改正案と致しましては、最後には國民に提案して其の承認を得るの途を設けて居ります  其の外種々なる規定はありまするが、一應之を省略致しまして、此の憲法は最後に公布の日から起算して六箇月を經過した日から施行すると云ふ旨を定めて居る譯であります、大體大筋を述べますれば左樣な風でありまするが、曩に述べました所に依りまして、一、二の此の憲法に附隨して考ふべき私の所見を述べたいと思ふ譯であります  第一の問題は、此の憲法が國際的にどう云ふ意義を持つて居るかと云ふことに付ての私の所見であります、御承知の如く此の憲法改正の動機となりましたものは、國際的には「ポツダム」宣言であります、國内的には日本が經驗し又考察する所の諸般の缺點を補正することであります、其の中國際的な方面に付て申しますれば、それは直接的には「ポツダム」宣言より生じ來りて居りますけれども「ポツダム」宣言の言葉は頗る簡單であり、又婉曲でありまするが故に、廣き視野を取つて十分檢討しなければならぬのでありまするが、要するに「ポツダム」宣言が日本に對して憲法に關する三つの要請を示して居るものと思はれます、一つは民主政治の權利を復活し強化すると云ふことであります、第二には國民の基本的自由權を確實に保障すると云ふことであります、第三には國民の自由なる意思決定に基いて政治機構の根本を定め、責任政府を樹立すべしと云ふことであります、此の三つの條項は言葉は簡單でありまするが、其の含蓄する所は相當に深いものでありまして、日本の現在に至る道行きを批判すると云ふ意味を含み、又之を非難すると云ふ意味合を含み、更に將來に向つて世界に對する疑惑を日本が解くべき旨の希望を含んで居るもののやうに思はれます、其の言葉を一つ一つ唯文字的意味に解してはならないのであります、其の全體を考察し、更に日本自らが要請して居る諸要素を組合せまする時に、我々は深刻なる考慮を以て之に臨まなければならないのでありまして、日本人各自色々な希望を持つて居るに相違はありませぬが、各各の希望を盛り込むより先に是等の諸點に先づ重點を置かなければならない、それを考へ、世界の大勢の行く所を精密に判斷することに努めまして、其の結果生れ出でたるものが此の憲法の草案でありまして、或は一つ一つの規定に付て御議論の多い點もあらうと思ひまするが、手取り早く結論を御付けにならないで、當局者の考へて居る所を十分御參考に御用ひになつた後に御結論を願ひたいと存じて居ります  第二に日本の主權は何處にあるかと云ふ問題に付ての私自らの思想を統一して居る考へ方を申上げたいと思ふのであります、是は先にも申上げました通り、皆樣方が自らの判斷に依り、自己の世界觀に依つて御結論になるべき所のものであり、私の申上げますることは、唯其の一つの小さな參考資料に過ぎないのであります、私は本會議に於きまして、國家の行動の原動力ともなるべき意思の現實の源が何處にあるかと云ふことを言表はす意味に於て、主權と云ふ言葉を用ひるならば、それは國民の全體にある、其の國民の全體の中には天皇が含まれて居ると云ふことを申上げました、是は實は十分の意を盡さないのでありますが、併し私が寸毫も之に曖昧なる點もなく、私自らの所信と反する所もないと信じて居ります、併しそれ以上に踏込みますることは、謂はば一種の學説の問題となるのであります、私が考へて居りますのは、國家の意思の源泉と云ふものは、一人一人の人間の其の考へ其のものではない、日本國民何千萬ある其の一人一人の考へが直ちに國家の主權となると云ふ風にはどうしても考へられませぬ、國民が各自統合する、一つの聯結をする、其の聯結をする中に纏まつて來る所の考へが日本の國家の意思になるのであります、隨て主權の本體は國民の組織して居る全體にある、天皇を含みたる其の國民の組織して居る全體にあるのであります、是が先づ第一段の考へであります、併し國民の組織して居る全體に國家の活動の力の源があると申しましても、其の國民の組織して居るものの更に源は何處にあるかと云へば、それは全國民の心と繋がつて居ると云ふことを言はざるを得ないと思ひます、個々の人間の心と繋がつて國家の働きとなつて行くものと思はれます、此の二樣の意味、即ち若し新しき言葉をここに一つ入れることを許されまするならば、國家の意思はよく學者の申しまする國民の協同體と云ふやうなものにあるのだと云ふこと、是が第一點、而も其の協同體の意思と云ふものは、「ヒットラー」現はれ來つて、我こそは此の協同體の意思である、斯う言つても、それは承知しない、國民各自の心と繋がつて此の全體の協同體の意思が出來て居るのだ、斯う云ふ風に考へます、そこで日本の主權と云ふものは何處にあるか、國民の全體にあり、其の國民全體の中には天皇も固より含まれて居る、斯う云ふ風に言葉を用ひた譯であります  次に第二の點と致しまして、國體と云ふことに如何なる考へを持つて居るか、私は本會議に於て國體は變更せられて居ないと申しました、明かに左樣に申上げたのでありまするが、併し是は國體とは何であるかと云ふことを言はない限り、極めて明白を缺くものと言はなければなりませぬ、そこで國體と云ふことは、國民の心の奧深く根を張つて居る所の天皇との繋がりに於て國民が統合し、謂はば憧れの中心として天皇を考へ、其の上に國家が存在するのであります、此の國の特色を我々は國體と言つた譯であります、此の憧れの中心として來たと云ふ考へに於きましては、我々が正確に把握し得る過去の歴史を遡り、又現在の國民の意識を繹ねて見ましても、殆ど全部が──稀有なる例外がないと云ふことは私には斷言は出來ませぬけれども、其の稀有なる例外は別として、大體に於て承認せられて宜いと思ふのであります(「ひやひや」)我々が國體と申しまする時に、此の天皇に關する制度を考へずして國體と云ふ言葉は使つて居りませぬ、併し同時に過去に於て憲法學者が多く國體とは何であるかと言つて居つた其の説明に於て、我々は必ずしも國體を考へて居る譯ではないであります  次に斯樣に申しますと、從來國體と云ふことに付て種々なる説明があつた、其の中の大乘的な説明が世間に於て顯著に唱へられた、又議會の壇上に於て政府から答辨したこともある、それとの關係はどう云ふことになるかと云ふことを一應申上げなければ、御疑念は晴れないと思ふのであります、從來日本の憲法學説に於きまして、國體と云ふ觀念を認めない學者も若干あつたのであります、而して國體を認める學者も相當に多かつたのであります、認めない方は論議の外に置きまして、國體と云ふ觀念を認める人はどう云ふ見解を取つたかと言へば、それは現行憲法の第一條又は第四條を基礎と致しまして、天皇が日本國を統治せらるる、或は天皇が日本國の統治權の總攬者であると云ふことを以て國體の内容と致しまして、此の國體の内容たる規定は不可變の規定である、憲法の存する限り變るものにあらずと唱ふる者も若干あつたのであります、此の改正案はそれ等の規定を含んでは居りませぬ、寧ろ是と異なる所の規定が存在して居ります、隨て、國體が變更されたのではない、此の憲法を提出しつつ國體の變更なしと云ふことは甚だ了解に苦しむのであると云ふやうな御疑念が、或は起るかも知れぬと思ふ譯であります、一體國體と云ふ考へは色々な意味に用ひられて居りまして、一人一人の學説を取つて論議致しましたならば、涯しもないことであります、前にも申しましたやうに、天皇に關する秩序と併せ考へまして、日本國家の基本の特色と云ふ意味に國體を考へますならば、繰返して恐縮ではありまするが、過去を通じ現在の人々の心を繹ねて、天皇を以て憧れの中心とすると云ふ點に於て、古今東西に稀有なる例外しかないと云ふ風に結論出來ると思ふのであります、それでは從來の憲法學者の國體と言つて居つたものは一體それは何であるかと言へば、其の時其の時の制度、詰り明治二十二年に憲法が出來、二十三年から現行憲法が施行されたのでありまするが、さう云ふ憲法に現はれて居る現實の制度を本に致しまして、さうして略略此の邊が國體であらうと思つて定義を致したのであります、それは現實制度に囚はるるの餘り、寧ろ表面的な所に重點を置いて國體の判斷をしたのであります、私共はそれ等の表面的な規定のもう一つ底に存在する所に着眼して國體の觀念を見定める、見極めることが寧ろ古今を通じての正しい考へであります、寧ろ一般の學説は行き過ぎであつたと云ふ風に考へて居る次第であります、隨て尚ほ言ひ得ますることは、謂はば法律學者的國體規定、私の目から見れば本當の國體ではない、謂はば政體的規定と云ふ範圍に於きましては、大幅に變更があつた、三月の初めに此の憲法の要綱が世間に發表せられました時に、現實の政治家が驚いた、學者も亦驚いた、斯う云ふ言葉を以て二、三質問に現はれて居りまするが、其のやうに大幅に此の政治的意味に於ける基本の原則は變更せられて居ります、併し是と本當の意味の國體とを混同してはならないと云ふことであります  尚ほ次に此の天皇の御地位に付ての問題でありますが、是は前にも申しましたやうに、天皇は我々の憧れの中心であり、心の奧深く根を張つて居る所の繋りの中心である、斯う云ふ風に考へました時に、此の基礎的な事實は、日本國民の意識の存する限り變るべきものではないのでありまして、此の心あればこそ、我々は天皇を見る時、ここに國家を見るのであり、天皇を見る時、ここに國民統合の姿を見るのであります(拍手)新憲法は斯樣な心を裏付けとして、其の上に國民の總意を基として築き上げられたる規定である譯であります  大體本質的なことは是で終つたと思ひますから、私の説明を終りまして、尚ほ御質問に應じて御答へ申上げたいと思ひます

  • 005 芦田均

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    ○芦田委員長 是より質疑に入ります──北れい吉君

  • 006 北れい吉

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    ○北(れい)委員 本會議に於きまする質問應答で、政府の憲法改正草案提出に關する御考へは可なり明瞭に分りました、殊に本日の委員會に於きまして、金森國務大臣より詳細懇切なる説明を戴きまして、我々が此の草案を審議する上に於て多大の便宜を受けたことを多とするものであります、併しながら御承知の如く現行憲法は、今日の時勢に於て種々の缺陷を示して居るとは云へ、畏くも明治大帝が御心を寄せられて明君賢相相俟ちて不磨の大典として御制定になつたのであります、私共不學浅才の者が集まりまして、ここに改正草案を審議すると云ふことに付きましては、責任の重大を痛感するのであります、私共は現在國内に於てのみならず、國際間に於ても、此の憲法審議の經過竝に結果が重大なる關心を持たれて居ると考へますので、此の草案を完璧ならしめる爲に概括的の質問を二、三試みたいと思ひます  先程國務大臣から御述べになられたやうに、此の憲法草案の審議に於きましては、主權の概念を根本的に明かにすべきではない、場所柄ではない、是は私も一應は尤もと存じます、宗教哲學に於て神とは何ぞやと云ふ概念の規定が一番困難である如く、國家學に於て國家の本質如何と云ふことを論定することは非常に困難であります、全國の一流宗教家を集めて數箇月に亙つて論戰を交しても、恐らくは神の概念に一定の歸結を與へることは出來ないと同樣に、主權の概念にも此の限りは歸結を與へることは出來ない、私は人類の進化すると共に神の概念も色々進化し、我々の解釋 主權の概念も進化せざるを得ないものだと考へます(拍手)唯私共少し學問をやつた者の立場から考へますれば、國家哲學は國家の目的、價値、國家是認の根拠、價値論を中心にして開展されるものであり、國家學は國家の本質、主權の本質に關するものであり、憲法學は主權の所在竝に主權の活動形式、即ち所謂機關の性質竝に其の關係等を中心とすべきものであると思ひます、私共は此處では主權の所在を主なる問題とせなければならぬのでありまするが、神は何處に存するやと云ふ問題は、神の本質論、神の概念論が密接なる關係を持つて居る意味に於て、我々は主權の所在を確定せんとするに當つて、主權の意義、概念に多少觸れざるを得ないのであります、私は自分の説を長々しく述べる代りに、金森國務大臣の只今の説明に即して御伺ひ致しますが、只今の御説明では、主權とは國家意思の淵源である、私も大體さう云ふ考へを持つて居りますが、是は國家人格實在論の立場と解釋して宜しいか、私共も國家は權利の主體であり、又利益の歸屬する主體であると云ふ意味に於て一種の人格體であると考へて居ります、國務大臣の之に對する御意見を──一問一答的に御伺ひしますから、御伺ひ致したいと思ひます

  • 007 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 只今北さんからの御尋ねは、非常に私としては御答へしにくい立場にあるのであります、私個人としては御説の通り考へて居ります、併し此の憲法を説明致しまする上には、二種の考へ方が前提として豫想し得るのではないか、一つは今御話になりましたやうに、國家と云ふものは一つの活動體である、隨てそれ自身が自らの力に依つて動く單一體である、斯う云ふ風に説明が出來るかと思ひます、併しながら他の一つの考へに依りますれば、慥か本會議で鈴木君が御質疑の中に述べられたかと思ひまするが、さうは考へないで、多數の人間が何等かの方法に依つて組合はされて、結果に於て一つの統一的な働きをして行く、それを國家と言ふのだ、斯う云ふ風にも考へられるのであります、さう云ふ點に付きまして、個人としての意見は別でありますが、政府としては若し御許しを願へれば答へないで過して戴きたいと思ふのであります

  • 008 北れい吉

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    ○北(れい)委員 只今の御説明で大部分明かになりましたが、近來の新聞を見ましても、色々主權論が論ぜられ、主權論を繞つて保守陣營と民主陣營とが對立して居るとか、殊に甚だしきは土曜日の午前七時、私が「ラジオ」を聽きますと、「ラジオ」ではやはり保守陣營と民主陣營の對立が甚だしい、保守陣營は自由黨も進歩黨も悉く君主主權論を取つて居ると、とんでもない放送をして居ります、さう云ふ誤解もありますから、私は之に關聯致しまして、もう少し御尋ね致さなけれけばならぬと思ふのであります、勿論鈴木君の先達ての御意見の中には色々近代的の主權觀が現はれて居りました、例へて見れば「ケルゼン」の法の體系を主權とする、「サブスタンス」實在と云ふ概念を棄てて考へる、勿論是は新しい考へ方の一つでありまして、英國の勞働黨の首領の「ラスキー」なども多元的國家觀を取つて居るが、此の説に相當共鳴して「フランス」の有名な考古學者「デューイ」の學説を盛んに引用して居り、一九一四年の次期の政府と國家と云ふ名著を飜譯して「ハーヴァード」大學の雜誌にも出して居る位の有力なる學説であると思ひます、のみならず此の憲法の前文にも多少此の思想の現はれが出て居ります、御承知の如く國家は政治道徳の普遍的な法則に從はなければならぬ、昔は國家の主權は絶對不可分、讓渡すべからざるものであると云ふやうな考へが支配的であつた時代があります、今日では主權の國内的にも或は教會の力に制御され、或は勞働組合の力、政黨の力に制御されて絶對的のものでない、國際的にも國際聯盟規約てあるとか、國際法の色々の規約に制限されて絶對性がないと云ふやうな思想が起きて來て居ります、私等も専門的とは言ひませぬが、國家人格説、國家法人説と違つた特色ある一學説であると考へて居りますが、此の前文には法の體系が主權を制限する優越の性質を持つて居ると云ふ近代的の考へが出て居るものと解釋して宜しうございませうか、如何でございますか、國務大臣に御尋ねします

  • 009 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 御答へ致しますが、此の前文はそんなに學問的には出來て居りませぬ、それに關しまする點は寧ろ言葉の外に殘しまして、此の集團的なる意思が國民の代表に依つて行はれると云ふ所に止めて居りまして、根本となりまする所の國民集團は、直接には其の組立て方を明かにして居ないと云ふ建前になつて居ります、御尋ねの趣旨がはつきり酌み取れなかつたのでありまするが、それと同時に國際正義を尊重する、今までのやうな頑なる國家道義に心を限らないで、廣く世界に心を廣めると云ふ趣旨を含んで居りまして、別に主權に依つてどうせらるると云ふやうなことは規定して居ない積りであります

  • 010 北れい吉

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    ○北(れい)委員 次に第二の問題に移つて參りますが、此の前本會議の質疑應答の際、共産黨の野坂君から現行憲法は民主主義の所が少しもないと言つた所が、金森國務大臣は五箇條の御誓文を現代的に現はしたもので、既に民主主義と云ふものは日本に於ては實在して居つたと云ふやうな御答辨がありましたが、私は此の憲法を一層民主化すると云ふ立場からして、それは言過ぎでなからうかと思ふのであります、勿論「ポツダム」宣言の中には日本に於ける民主的傾向の復活強化と云ふことがあります、復活と云ふ以上は元あつたものを復活することであるから、民主的傾向が或る程度まで日本に存在して居つたと云ふことは、是は認めなければならぬ、又國際的にも認められて居るものと思はれます、それを強化する、そこで私共の考へから言へば、野坂君が廣く會議を起し萬機公論に決すべしと云ふ所の廣く會議は、あれは近代的の民主主義の意味でなくて、地方長官會議ではないか、斯う云ふ事實を指摘したのでありますが、私は國務大臣はそれは必ずしも否定するに及ばないと思ふ、あの當時明治匆々の際に、全國民に普通選擧權を與へて議會を作つて相談すると云ふことは技術上不可能でありますが、あれが一つの段階になつて、民主主義の傾向に一歩一歩進んで來たものである、斯う解釋したらどうかと思ふ、さうしないと、現行憲法には民主的方面は大いに現はれて居りますが、後から指摘しますやうに、非民主主義的な所が相當ある、此の戰爭に敗けやうが、勝つまいが、どうしても現在の要求として自發的に改正しなければならぬ要素も相當あつたと思ふ、丁度幕末に於て政治が行詰つて内部的にも革新しなければならぬ時に、偶偶黒船がやつて來て、外部から革新の契機が與へられて急速に革新したのでありまして、私共も今度は戰爭に敗けて「ポツダム」宣言を受諾したと云ふことは、黒船が來た以上の驚異であります、外部的の誘因は非常に大きいけれども、内部的にも改正すべきものが相當あつたのではないか、内外相呼應して日本は民主化の傾向に進みつつある、斯う解釋する方が全國民に對しても、是は敗戰の結果外部から已むを得ず強制されたかの如く考へられることは、私は非常に遺憾であります、勿論民主主義的傾向をずつと遠く遡れば、聖徳太子の十七條憲法の中にも、「大事は之を獨り斷ずべからず必ず衆と共に之を宜しく論ふ」とあります、五箇條の御誓文よりもずつと先に衆議を盡すと云ふ思想が出て居ります、けれども私共は今日では詔勅でも批判をすべき時代になつて居ります、天皇制すら批判の對象となり、此の議會に於ても天皇制を如何なる形に置くかと云ふことが問題になつて居りますから、詔勅に付ても我々は思ひ切つた批判──外のものを批判すると云ふ意味でなく、我々が自己批判、自己反省をすると云ふ意味に於ての批判であります、さうすれば五箇條の御誓文の萬機公論に決すると云ふのは少數の者でなく、今までより非常に民主主義的である、過去に於ては衆議を盡して、結局は公議を審議すると云ふことに終つて居る、要するに國家道徳、國民道徳で終つて居る、是が現在は世界の平和を促進しなければならぬ、世界人類の福祉に貢獻しなければならぬ、世界の文化を昂揚することに一歩を染めなければならぬ、國内的道徳だけではもう不十分である、十分に私は批判して宜しいと思ふ、日本が躍進する時であります、又畏多いことでありますが、教育の御勅語でも「一旦緩急あれは義勇公に奉し以て天壤無窮の皇運を扶翼すへし」とあつて、皇運が扶翼されてから後に何をするかと云ふことを一言も述べて居ない、私は此の前の議會で自由黨代表の質問演説の時にも文部大臣に對して質問した、頭を切替へるならそこまで切替へてやらなければならぬ、天壌無窮の皇運を扶翼するなら、進んで世界の文化に貢獻し、人類の福祉に寄與すると云ふ所まで行きたい、支那では御承知の如く、修身齋家治國とあつて、其の次に平天下がある、日本の極端なる國家主義、所謂拜外的の國家主義、國家獨善主義と云ふものは、どちらかと云ふと國民道徳のみを最高として、國際道徳を考へなかつたことがある(拍手)そこで我々は頭を切替へて、明治の初めに完全なる民主主義、完全なる國際道徳が現はれたと云ふやうな考へは止めまして、まだ日本は國際の經驗が浅くてさう云ふ點が足らなかつた、西洋の民主主義的傾向は一、二の人々には入つたけれども、十分に入らなかつた、あれは前進の第一歩であると見まして、是からの國民にも一層の希望を與へたらどうかと思ふのであります、あの五箇條の御誓文はよく引用されますが、是は藩閥、軍閥、其の他の特權階級が特權を濫用して、一般國民の政治力を奪はんとすることに對抗するには勿論便利が宜いのでありますが、此の改正憲法の御説明に當つて、あれで以て十分なる民主主義の理想が現はれて居つたと解釋するのは強引附會のやうに思ふのであります、失禮ながら御意見を伺ひたい

  • 011 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 御答へを致しますが、御説の通りと申上げて宜いやうに考へて居ります、歴史は固より一足飛びをするものでなく、過去を踏臺として漸次進展して參りまするからして、或る時期に於て民主主義の姿がありましても、それがそれ自身で完成するのでなく、漸次發達して今日に至り、更に將來に進んで行くと云ふ意味であつて、總理大臣が五箇條の御誓文を仰せられましたのは、さう云ふ發達の基本となる姿が彼處にあつたのだ、さう云ふ御趣旨と私は思つて居ります

  • 012 北れい吉

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    ○北(れい)委員 國務大臣は大體御諒解下すつたやうでありまするが、私は此の憲法審議も必要であるが、現行憲法に於ては不滿足の所が澤山あることをもつと露骨に言うて、國民の前に之を明かにして、さうして漸進すれば國民は一層納得するのではないかと思ふ、其の點に付て今日から見ての現行憲法の缺陷を二、三指摘致しまして御意見を承りたいと思ふ、例へば「大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治す」何人も之を疑はなかつた、松本國務相が初め松本案を作つた時に之を其の儘置かうとした、實は是も解釋のしやうに依れば餘程現在に適しない條項であります、私は個人としては實は二十位の時から批判を持つて居りましたが、誤解されて困りますから沈默をして居つた譯であります、是は私の兄が二十三歳の時に書いて、之を中心に論じて國體論及び人生社會史と云ふものを日露戰爭當時出して直ちに發賣禁止された、私も色々相談に乘りました、其の中で憲法第一條を攻撃して居る、是は宗教哲學の方から言ふと、超越神論の思想が出て居る、神が宇宙を統一して居ると云ふ形で、統治の主體が天皇である、統治の客體が國家と云ふ形になつて居る、是は國家と云ふものを通俗的に言へば、土地と統治者、人民、國家其のものは統治の客體になれるものでない、統治の客體になれるものは土地と人民で、「ザイデル」の所謂土地と人民を國家と云ふ時代の思想ならば、是で宜しい、家長國時代の、土地と人民に對して生殺與奪の權を持つて居る時代に於ては斯う云ふ形も宜しい、自分の氣に入つた妾があれば土地と農奴を附けて呉れることも出來る、臣下に美人があれば寄越せと云つて取つたこともあります、世界各國に其の例がある統治の國土と人民に對しては生殺與奪の權を完全に持つて居つた「ヨーロッパ」邊りでは、國を三つに分けて子供に呉れたり色々あります、さう云ふ時代の思想であつて、國體の精華を發揮したものでも何でもない、又此の現在の規定は露骨に言へば、憲法第四條、第五條と矛盾する、憲法第四條には「天皇は國の元首にして統治權を總攬し」とあるが、今度は國の一部になつて居る、是なども實は矛盾と言へば矛盾で、天皇主權論者は多く第一條から失敗して居る、それから天皇機關論者は第四條、殊に第五條から失敗したことは御存知の通りであります、現に副島博士の如きは、憲法第四條に「天皇は國の元首にして統治權を總攬し」そこで天皇は最高機關であるとした、所が元首と云ふことを神祕的に解釋した井上密博士は、國家神意識の宿る所と言つて居る、けれども是は批評すれば國家有機體説の遺物で、天皇統治とあり、軍人を股肱の如く讃へ──憲法義解も此處に持つて參りましたが、憲法義解でも伊藤博文さんの偉い聰明を以てしても、當時の國家有機體説の影響を受けて居ります、此の思想が出て居つて、さうして第一條と多少矛盾する所がある、殊に第五條を今度指摘しますれば、天皇は帝國議會の協贊を經て立法權を行ふ、天皇は完全なる立法者たり得ない、議會も完全なる立法機關ではない、要するに天皇と議會と相俟つて立法の機能を完全に果すのでありますから、立法權に關する限りは天皇最高機關と云ふことすら既に疑問がある、然るに美濃部博士の如きあの進歩的な頭腦を以てすら、天皇最高機關、副島博士も最高機關と言つて居ります、私は第五條に關する限りは最高機關とは言へぬと思ふ、そこで私は今度の機會で、二十代に讀んだ色々な書物を繰返して讀んで見ましたが、私は穗積八束、井上密さん、それから一木喜徳郎さん、美濃部さん、上杉愼吉さん、それから有賀長雄さんなどの色々の憲法論を讀んで、昔の記憶を呼起しましたが、やはりあの時分の思想が澤山入つて居る、今日の我々多少新しい本を讀んだ者から見ると、支離滅裂な、人の前に出せないやうな憲法論ばかりです、一番進歩的な美濃部博士にしてすら、此處に一々指摘する必要はありませぬが、我々から言ふと保守的な解釋が多い、立法權に關する限りは天皇は最高機關ぢやない、最高とか最低とか比較するのは間違ひである、さう云ふ色々の缺陷がある、其の外、統帥權の獨立の問題、殊に憲法十二條の兵力量の決定、即ち作戰用兵以外の軍の事項、是なども濱口内閣の時に政府の所管事項であると言ひ、それから軍令部では軍令部の所管事項であると言つて、非常に問題を起した、さう云ふやうな疑義が澤山あるので、憲法は現在的の頭で條文にこだはらずして解釋しなければ生きた運用も出來なかつた、現に美濃部博士は、憲法學の最大の任務は此の現行憲法の精神と條文とを矛盾なく解釋することに依つて得られるものである、斯う言つて居る、矛盾なく解釋するには、そこから歸納的に國家觀が出て來るものではない、一定の確乎たる國家觀を持つて居つて、何處が惡い、何處が宜いと云ふ批判の標準があつて、初めて現行憲法の批判が出來る、所が今までの憲法學者は、失禮乍ら大抵通俗國體論と云ふものに盛られたる國體觀に頭が摩痺して居る、それから日本獨得のものであるのを世界第一と考へ「ユニーク」と云ふことと世界第一と云ふことの區別が付かない、思想的には實に低級であつて、今度の戰爭の思想的根拠は團匪事件のやうな感じが私はするのです、まあ批判すれば幾らでもあります、さうして戰爭になりますると、今度は官吏は陛下の官吏である、それは警察部長の手先でないとか、知事の手先でないとか云ふ意味に用ひれば宜いが、貴樣等人民共と身分が違ふ、或る官吏の如きは、代議士は選良なんと言つて居るが、我々は陛下から特別の任命を受けて居る、我々が選良であると言つたことが、埼玉縣の選擧の時の演説集に載つて居る、軍人は日露戰爭までは國軍と言つて居たが、此の頃は皇軍と言つて居る、陛下の皇軍に何を言ふ……天皇と云ふものは直屬の臣と陪臣の如くに二つに分けないのを、我々は陪臣の如く、彼等は直屬の臣の如く、此の現行憲法を惡用して居る、是は思想が出來て居らなかつた、そこで私は現行憲法を改正すると云ふ場合に於ては、徹底的にそれをやらなければならぬ、尾崎行雄先生は、今度の戰爭に於て君の爲に死ぬなど、まるで禽獣のやうな思想であると言はれて居る、日露戰爭の時には我々も記憶がありますが、君國の爲めと言つた、君國で結構です、君民一體です、わざわざ君の爲めと言ふのは、公民國時代の思想を壓迫して昔の家長國時代に還つたやうな感じがする、そこで私は憲法改正を條文の上に於て思切つてやらなければならぬ、と云ふ信念を政府が持つて居るならば、現行憲法に付て忌憚なき批判をやる、さうして現行憲法に對して強引附會の説明をして曲學阿世、世の中を渡つて來た憲法學者に鐵鎚を下すのが、金森國務大臣の任務であると思ふ、あなたも斯う云ふ間違つた學説の犧牲者となられたお氣の毒な戰爭犧牲者である、然るにどうも今までのものも宜かつたのだ、是からは益益宜くするのだと云ふやうな、遠慮がましく言はず、もう少し現行憲法と照らして、此處はどうするのだ、例へば元首と云ふやうなのは中世的の感じがすると云ふだけではいかぬ、若しもそれを拝撃するならば、是は堂々たる見地で「プリミチヴ」時代の生物學的國家有機體説の遺物であると、斯うやつたら、もう少し國民が納得する、元首問題の點は各國に相當の影響を與へると思ふ、もう少し批判的態度で御答辨あつてはどうかと思つて、現行憲法に對しての御考へを伺ひたい

  • 013 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 洵に御意見の通りでありまして、特に此の案を立てまする上に付て、内輪では現行憲法の各條項別に相當嚴密なる批判を加へた積りで居ります、今御指摘になりました第一條と第四條との關係、統治すと云ふことと統治權を總攬すと云ふことの關係などは、實際今御指摘になりましたやうに、非常に晦渋なものでありまして、晦渋であるだけに、試驗の時には學生をそれを以ていぢめると云ふやうな一種の惡い實例を生じましたけれども、さう云ふ缺點を極度に取除くと云ふ考へを以て、固より人間のやることですから理想的でないかも知れませぬが、今囘は注意深くやつた積りであります

  • 014 北れい吉

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    ○北(れい)委員 次に國民と云ふことに付て、まだ一般に徹底して居りませぬから、掘下げて御伺ひ致したいと思ひます、私も金森國務大臣の御答辨のやうに、國民と云ふ中に天皇を入れて考へて差支へない場合と、天皇を拔きにして考へなければならぬ場合と、兩方あると確信するものであります、それでなければ此の憲法の正確な意味が取れない、是は餘程はつきりしなければならぬ、先づ私の所見を述べる前に、國家意思の決定に付て、所謂天皇を括めた國民がなすことであるが、天皇は國家意思の決定に關係ありや否や、此の前金森大臣の御答辨に依ると、裁可では意思決定が現はれる、認證だと完成したものを認證することになる、斯う云ふ御答辨があつた、其の點から言ふと、國家意思の作成決定は天皇を括めた全國民がやると云ふことと、少しく矛盾する所があるやうに思ひますが、如何でございますか

  • 015 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 國家意思の決定に關係をすると云ふ言葉を使ひましても、それは場合々々に依つて考へて居る深さが違ふのではないかと考へて居ります、一番根本に於て當初に國家の意思を決定するものは何であるかと云ふと、此の憲法の前文にありまするやうに、至高なる國民の總意が前文に示してありまする代表者を通じて之を決定するのであります、其の意味に於きまして謂はば根本的なる決定と云ふことが出來ると思ひます、其の決定に基きまして憲法各條が定まりまして、其の各條の定むる所に依りまして天皇が裁可權を御持ちになる、或は認證權を御持ちになるのでありまして、それは此の憲法に基いて生じたる段階に於ての國家意思の決定である譯であります、だから一番根源的に決定するのは、國民の至高なる意思であります、それに基いて憲法に依り決定せらるるのが、各個の條文に定める所であると考へて居ります

  • 016 北れい吉

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    ○北(れい)委員 私は今の説明を諒と致します、唯もう少し此の問題に付て詳しく申上げたいのは、世間に、國民の總意で此の憲法が出來ると云ふので、人民主權だと騒いで居るものが澤山ありまするから、私は自分の立場を少し明かにして當局の御意見を承りたい、此の日本の國民と云ふ言葉は、實際日本に用ひるのは一寸面倒です、適當な言葉がない、民と云ふ文字を支那の説文に依つて説明して見ても、是は人君があつて人民があるのですから非常に面倒です、併し假に「ドイツ」語の「フォルク」とか英語の「ピープル」と云ふものに代へて概念を此方に利用するとすれば、曾て不戰條約の際「人民の名に於て」と云ふのが問題になりました、私は此の際色々の人と議論を鬪はして餘程研究致しましたが、人民と譯したから問題を起したので、あれは各國人全體であるから各國人と譯したら一番問題にならなかつたのです、其の時私の調べた結果に依りますと、元來「ピープル」と云ふものは主權者が或は統合者が、通俗の言葉で言ふと、君主が「アワー・ピープル」と云うて對する時には對立的になるのです、けれども外國などに對して「ザ・ジャパニーズ・ピープル」と云ふ時には「ジャパニーズ・ネーション」と同じ意味で、あの時美濃部博士はさう解釋しました、其の根拠は古典の一つになつて居る「ルソー」の「コントラート・ソシアル」普通民約論と譯して居るものの中に斯う云ふことがある、「ピープル」と云ふのは總合的に述べたものである、それから個別的に主權を分有して居ると云ふ意味の時は「シティズン」市民とか、公民、それから「スペリオー」に對して言ふ時には「サブジェクト」はつきりした定義がある、そこで「ピープル」と云ふものの元來の意味は、大統領であらうが、君主であらうが入れて差支ない、もう一つの例はここに有名な「ローマ」法の古典的の學者の「サヴィニー」の例を見ると、「フォルク」を四つに分けて居る、第一の意味は國家が現實に發生して來る土臺となる自然的の人類の集團、第二は或る一定時に於て國家に住んで居る總ての個人の總括、國民をばらばらに見た時の意味、第三は政府竝に一般の爲政者を拔きにして爲政者と對立する意味の「フォルク」、國民、人民と云ふのは此の意味を持つて居る、そこで私は共産黨の諸君は此處に少いから困るのですが、申上げたい、共産黨がわざわざ國民と云ふ言葉を避けて人民々々と云ふ憲法にない言葉を──人民と云ふのは政府竝に爲政者と對立する意味の、單なる被治者を「フォルク」と云ふ、それを人民と普通譯する、それを持つて來て人民に主權を與へろと云ふ、是は掘下げて見ると、私が言ふと是は階級鬪爭、階級支配の思想が根底にあると思ふ、何が故かとならば、天皇を入れた國民と云ふ言葉を用ひずに、強ひて人民と云ふ、現に「スペイン」でも「ドイツ」でも國民戰線と人民戰線とは對立する言葉です、人民戰線と云ふと所謂全國民ではない、所謂被治者、併し資本家、地主、支配階級全部除いたもので、それに主權を與へると云ふ學説であるから、私は金森國務大臣は此の國民と云ふものを説明するに當つて、人民と云ふものとは概念上違ふのだと云ふことを、もう少しはつきり説明しないと、あなたは天皇を含めた國民の中に主權があると云ふことになると、共産黨の主義主張に共鳴したかの印象を與へるから、所謂人民主權と爲にする所あつて力説して居るのと、あなたの立場と違ふと云ふことをはつきり述べて貰はなければならぬ、是は第三にさう云ふ意味である、第四には他國に對して一國内の個人を總括して言ふ場合、「サヴィニー」と云ふ有名な「ローマ」法の大家が、國民と云ふものを四つの意味に解釋して居る、そこで私は社會黨の代表者の鈴木君の質問演説に於ても、是がはつきりしないやうな所があつたと思ふ、「ケルゼン」の法の體系に主權があつて、主權の實體觀を拜斥すると云ふやうな所もあれば、天皇を含めた國民の協同體に主權があると言つて見たり、又人民主權と言ふのは、言葉だけは共産黨の諸君に一寸「サーヴィス」をして居るやうに見える、主權在民と言ふ時に一寸「サーヴィス」して居るやうな所もあつて何だか捉へ難かつた、「ドイツ」の學者でも、「フランス」の「ルソー」あたりでも、國民と云ふことには二樣の意味を用ひて居る、所謂「ピープル」、「フォルク」、日本でもそれは幾らでも用ひられると思ふ、例へば「ファミリー」と云ふことでも、私と私の家族と言ふ時には私と「ファミリー」と對立します、私の「ファミリー」は五人から出來て居ると言ふ時には、五人の中に自分は入るのです、日本の先例も幾らもあります、所謂一君萬民と云ふのは相對した場合です、此の頃の當局は何時も一如々々と言ふが、一如ばかりではない、君臣と云ふ對立する時もある、さうかと云へば君民一如とか君民一體──辨護士協會のあの序文にも盛んに出て居ります、それは私が家族の一員だと云ふ意味になる、更にそれを註釋的に述べれば、一君萬民と云ふのは義は君臣と云ふのに當る、君臣一如とか君民一體と言ふ時には、義は君臣にして情は父子、御承知の如く支那に於て大義名分の論が行はれ、殊に朱子學派に於ては是が中心思想でありました、あすこはやはり易姓革命をやつて居るが爲に情誼と云ふことは言はれない、大義名分、義は君臣だけです、日本は昔から義は君臣情は父子と言つて居る、對立の場合もある、區別した場合もあれば一如一體と云ふ場合もある、そこで此の「ピープル」の中に天皇が御入りになる、「アメリカ」にしても「ザ・フォーレスト・シティズン」になつて、「シティズン」であつても「フォーレスト・シティズン」です、所謂「シンボル」です、何等かの特權がある、是は歴史的の良い意味の伝統が效いて居ると思ふ、入つた場合はさうなる、又區別された場合があつても差支へないと思ふ、そこをもう少し國民主權を唱へるに當つては明かにして貰ひたい、それから之を明かにすれば、前文に出て居る所の國民は天皇を含めたる意味だと云ふことを主張することが出來ます、それから各章に入つても、第三章は元の臣民と云ふのを除いて國民と言つて居る、臣民と云ふと如何にも封建的色彩があるから、是は大いに心を使はれて近代化してわざわざ國民と云ふ言葉を用ひられたのでありませう、此處には入つて居らぬと云ふことになれば、納税の義務だとか選擧權、被選擧權だとか云ふ共産黨や何か、或は細迫君あたりの質問でしたか、さう云ふものに對する快刀亂麻を斷つが如き答辨が出來ると思ふ、選擧したらどうか、宜いか惡いかと云ふやうなことも全部説明出來るのでありますから、そこで當局の解する國民とは何ぞや、狹い意味もあれば廣い意味もあると云ふことを此の機會にはつきりして貰はぬと、此の憲法の性格が分りませぬ、之をはつきりした後に私は之に關聯して、此の國權と云ふ問題、國の主權の發動と云ふ問題と關聯して御伺ひしたいと思ひます

  • 017 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 國民の意味に付きまして、例へば「サヴィニー」の「フォルク」等の説明を伺ふことが出來まして大いに意を強う致しました、實情を申しますると、此の憲法の草案を起草致しまする時に、日本國の人間の全體を含むのにどう云ふ言葉を用ひたならば宜からうかと云ふことを考へて、色々文字を探したのです、所が不幸にして過去の日本の情勢、天皇をも含めたり人民全般を一つの言葉で言表はすやうな事例が一般的には見付からなかつたのです、隨て君民一體である所の全體の人を指しまするのに非常に不自由を感じた譯です、外國の言葉でありますれば「フォルク」と言つても、「ネーション」と言つても、「ピープル」と言ひましても、又自らそれに適當な意義がありまするけれども、どうも宜い言葉がありませぬ、隨てどうしたら宜いかと云ふ時に先づ起りました一つの考へは、天皇と人民とを竝べて出す、日本國民と言ふ代りに二つの言葉を竝べて「及び」と云ふやうな言葉で繋いで書く、是が一つの考へでありました、けれども是は折角今までの考への方向を變へて、君民一如の實體を言葉の上で明かにしようと云ふ時に、どうしても竝べて書くと云ふことは忍びなかつた次第であります、それではもつと他に一字で宜い言葉はないであらうかと云ふ時に、一つ考へられましたのは、國人と云ふ言葉でありますけれども、私共の見解が狹い爲めでありますか、日本に今まで現はれて居りました融通性のある文書の中で、國人と云ふ言葉は慣用的にはまだ使はれて居ないらしいのであります、或る人が私の著書にさう云ふ言葉が使つてあると云ふことを教へて呉れましたが、どうも自分の著書でそれを主張する譯にも行きませぬし、それから古い言葉で、同じ言葉でありますけれども國人(くにびと)と云ふ言葉があります、之に對して外國人(とつくにびと)と云ふ言葉があります、是も色色調べて見ますと、特別の意味がありまして、地方に土著して居る人と云ふやうな意味がありまして、どうも適切でないのであります、斯う云ふのは思想の變り目と言ひますか、本當に思想が變つた譯ではありませぬけれども、今までぼんやり君と民とを區別して書いて居つたのを、今度は國家の構成者であると云ふ一つの思想に纏めて行かうと云ふ新發見、所謂國民の心の中の新發見の段階に於きましては、無理にでも一つの言葉を使つた方が宜いのではないかと云ふ風に色々選擇の結果國民と云ふ言葉を以て君と民とを含めた用語としようとした譯であります、念の爲に例へば康煕字典など調べて見ますと、民と云ふ言葉は必ずしも人民を指すのではない、人全體を指すと云ふ風な意味になつて居ります、それを引きましても別に草案の原稿の強味にはならぬかも知れませぬけれども、幾分は心の休まる原因ともなつた譯であります、そこで國民と云ふ一つの言葉を用ひました、之を前後の關係に於てどうしても天皇を含んだものとして讀むのでなれければ讀めないやうな形に於て、先づ讀む人が之を得心して下さるであらう、斯う云ふ考への下に前文及び第一章に於きましては左樣な考へを以て進みました、所が今少しく御疑問を下さいました第三章の國民の所でありまするが、此處も色々迷つたのでありますが、やはり天皇も此の第三章の意味に於ても國民の中に入れて考へる方が漏れなく規定を盡すことになるのではないか、若し第三章の國民の中に天皇が御入りにならぬとすれば、色々な基本の權利、自由が天皇に付ては存在しない、天皇御一人の私的生活に於きましても、それは當嵌らぬと云ふことになりまして面白くないと云ふ考へを持ちました、そこで又解釋上第三章の國民の中にも、特別な場合は別でありませうが、原則としては天皇が含まれるのである、但し是は先程御話になりました「ファミリー」と云ふ言葉に戸主が入るかと云ふ話と同じやうに、解釋の上には大いに意を用ひねばなりませぬ、國の象徴たる天皇の御地位と相伴はざる範圍に於きましては、假令言葉の中には入つて居りましても規定の實質の中には入らない、斯う云ふ風な解釋を以て進みまして一應此の憲法の中に用ひて居りまする國民と云ふ言葉の中に、前後の關係に於て特に別に考へなければならない場合があるとすればそれを除き天皇御一人たる立場も此の中に入り得るものとして考へて居る譯であります、さうして其の趣旨を成べくはつきりと御審議を下さる皆樣方に申上げたいと思つて居りましたけれども、中々質問が鋭くなつて要點に猪突されました爲に、それを申上げて居る適當な餘裕が出なかつたのでありますが、惡しからず御諒承を願ひます

  • 018 北れい吉

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    ○北(れい)委員 私は基本的の一番大切な問題に付て伺ひまして、細目は他の諸君に讓ることに致しますが、ここに國民の總意と云ふことがありますが、是はどう解釋して宜しいかと云ふことであります、御承知でもありませうが、「ルソー」のに總ての人の意思と云ふことと、一般意思と云ふこととを區別してあります、「フランス」語では「ヴォロンテ・トウ」と「ヴォロンテ・ゼネラール」、是は餘程近代國家學では重大な點で、現實の個々の人々を集めて一致した意思、「ゼネラール・ウイルテ」又は普偏的意思と云ふのは實は「ルソー」として用ひ方は下手だが、後の「ドイツ」の哲學者に依つて發展させられて「ナショナル・ウイルツ」、總ての人の意思、現實的意思は「リアル・ウイルツ」、「リアル・ウイルツ」と「ナショナル・ウイルツ」の對立でなければならぬと云ふ所まで發展して來ました、それから後には近代學者に於ては所謂合理的意思、一般的意思は規範意思でなければならぬ、斯くなければならぬ意思、日本國民としては斯く持たなければならぬ意思と云ふ意味である、私共は日本國民の總意と云ふのは、現在現實的に存在して居る日本國民が唯多數決で決めた、全部贊成しても所謂個々の人間の總計的の意思と云ふ意味よりも、もつと深い日本國民として當然持たなければならぬ合理的の意思と云ふ意味を加へたものである、さうすれば日本の今までの伝統、意思、我々の將來の子孫のことをも考へることになつて「ナショナル・ウイル」、一歩進めて規範的の意思、近來の主權論に於ては規範的法則が主權である、現行の既成法律は全部規範的の斯くあらざるべからざる理想法に論理的に支配されて居る、そこに主權があると云ふ説まである位でありますが、私共はどうも多數決を神聖だと云ふ根拠も、多數決其のものは別に神聖である譯ぢやないと思ふ、一人でも間違のないことを言つて、大勢が間違つたことをやる、東條さん専制時代には全國民は東條さんに皆追從したのです、けれども心から本當に追從したかと云ふと、現實的の利害の關係で追從した者が多い、本當の規範的の意識から來たならば、ああ云ふ追從は出來なかつたと思ふのです、そこで私共は此の憲法の如きものを制定し、天皇の位置を定めるに當つて、單なる斑氣の氣分の總意と云ふのでなくて、斯くあらざるべからざる意思、合理的規範意思と云ふものを含めて考へたいのですが如何ですか、さうしないと「基く」と云ふこともはつきりしない、基いて維持されるのか、今日ここに天皇の位置は基いて作るのか、昔からあつたものを基いて承認するのか、それが能く分りにくい是は大切なことだと思ひます、御返事を願ひたい

  • 019 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 總意と云ふ言葉は學問的に扱ひますれば、今御話になりましたやうに、色々な哲學的判斷が出來ると思ひます、併しここでは其の點は學問に任せまして、國民が心を洗ひ清めて其の心を統合致しまするならば得らるるであらう所の意思、斯う云ふ風に根本を考へまして、それが現實世界に現はれて來まする具體的の姿は、此の草案の前文の中にありまするやうに「正當に選擧された代表者を通じて」出ると云ふことになつて居ります、是は現はれる姿が其の方法に依るより外に發見の途がないのであります、唯根本として抱いて居りまするのは、もう少し深みのあるものを豫想して居りますけれども、唯之をはつきり學術的に言表はすことが困難でありまして、まあ以心伝心で解釋をして戴きたい、斯う云ふ氣持で言つて居ります

  • 020 北れい吉

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    ○北(れい)委員 此處はもう少し掘下げないと、例へばあの「萬機公論に決す」でも、あれは衆論ではない、私の心を捨てて公の論を述べて、さうしてそこに一致點を見出すと云ふ所になくちやならぬ、さうすれば各人が自分の階級の立場や、今までの行掛りや、今までの面目などに囚はれて勝手な議論をやつて、さうして辛じて得た多數などに依つて天皇の位置が決まるやうでは困る、日本國民須らく日本の伝統に徹して、惡い所は惜氣もなく現行憲法の規定の如きはもう棄ててしまつて、さうして善い所を採つて現實的な多數意思ではなくて、ここだけは合理的意思、斯くあるべき意思と解釋したい、さうせぬと維新の際の五箇條の御誓文の公論にも及ばないで、是は萬機國民の衆論に決せよと云ふやうな考へ方になるんではないか、私はどうしてもさう思へてならない、一部の人はどうも現在の人間が集まつて天子樣の地位を決める、今作るのか將來長く之を維持して行くのか、そこまではつきりしない、單に「基く」と云ふだけではぼんやりして居る、もつとはつきりして貰ひたい、「基く」と云ふ意味も一つ述べて貰ひたい

  • 021 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 此の點は氣持の上では今御話になつたと同じ氣持で、多分北君の御考へと私の考へとは同じでないかと思つて居ります、併し非常に正確にお互ひに意見を述べにくい種類のものでありまして、ここの規定の趣旨からしてそれを稍稍具體化させて御答へをするの外はないと思ひますが、例へば憲法の將來の改正の場合に於きましても、いきなり國民の總意に掛けると云ふのではなくて、衆議院、參議院に於て三分の二以上の論議を別々に鬪はせて色々の道順を經て、然る後に國民の表決に問ふと云ふやうな趣旨は、やはり國民統合が正しく行はれ、其の纏まつた意思を以て總意とすると云ふ考へであります、そこの見解をはつきり憲法自體で決めると云ふことの定義を付けると云ふことも出來ませぬ、其の邊の所はぼんやりと文字に現はれて居る次第であります

  • 022 北れい吉

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    ○北(れい)委員 「基く」と云ふ所を…

  • 023 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 「基く」と申しまするのは、やはり此の憲法第一條が示しまするが如く、此の第一條の規定に依つて憲法上正確に天皇が此の地位を御持ちになる、國民總意を基礎にして正確に天皇が此の地位を御持ちになる、唯それだけの意味でありまして、それ以前にはどう云ふ考へがありましても、それは憲法上の考へではありませぬ、憲法が決定せられますれば、第一條の效果として、はつきり憲法の世界に於て天皇の御地位がここに決まる、斯う云ふ趣旨であります、御質問の趣旨を或は履違へて居るかも知れませぬが、それだけ申上げます

  • 024 北れい吉

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    ○北(れい)委員 「基く」と云ふ所をもう少しはつきり述べて貰はぬと、今まであつたものを國民の總意で認定すると云ふ意味か、此の「ルソー」の社會契約説のやうに、澤山の人間を集めて契約的に社會を作つたと云ふ説の如く、契約的に各個人が絶對の自由な意思を以て、さうして天皇制と云ふものを維持することに是からすると云ふ意味に解釋するか、是は餘程重大なる問題ぢやないかと思ひます、それをはつきりせぬと、今度は又大勢人民が集まつて天皇の地位に付て色々論議をすることがあるかも知れぬから、此の點はもう少し明かにしたらどうですか、即ち現實或は歴史的事實としてあるものを認定するのであるか、或は社會契約説的に天皇を是から作つて行くやうな形になるか、其の點をもう少しはつきりして貰ひたい

  • 025 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 天皇が日本國民の憧れの中心であると前に申しました、其の考へに基きまして、又從來の憲法の秩序──日本は今度初めて憲法が出來る譯ではありませぬ、從來存する所の憲法の秩序に從つて天皇の御地位、或る程度まで──或る程度と云ふ言葉は甚だ不確實ではありまするけれども、國民の大多數の、非常なる例外を除いた、大多數の心に依つて天皇の御地位があることは、是は一點の疑ひはないと思ひます、併し之をはつきり憲法の世界に移し來つて、此の規定に基くと云ふことになりますれば、今までは非常な例外的な考へを持つて居つた人でも、今度は此の憲法の下に絶對に法律的秩序として服從しなければならぬ、斯う云ふことになると思ひます

  • 026 北れい吉

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    ○北(れい)委員 御答辨はどうも私は十分に分らぬのであります、聊かまだ腑に落ちぬ所もありますけれども、他の諸君の質問を害してはいけませぬから、もう一つ二つだけ聽かして戴きたい、ここに此の「國民の至高の總意に基く」と云ふ言葉があり、前文にも亦「國民の總意が至高なものであることを宣言し」とありますが、是と第九條の「國の主權の發動たる戰爭」とある、此の「國の主權」と云ふ意味の關係です、即ち是は國民主權と國家主權のやうな區別があるやうです、大體似たものでありますが、其の關係、それからもう一つ三十七條「國會は、國權の最高機關であつて、」此の國權と云ふ意味はどう云ふ意味であるか、國權と云ふ固定的な權力を何に認めるか、國民の總意と云ふこととどう云ふ關係があるか、總意と云ふと多少動搖するやうな感じを抱きますし、國權と云ふと固定的な感じがします、靜的と動的の差別がどうしてもあります、此の三つの關係を明かにして戴きたい、さうすれば國民主權と國家主權との關係も明かになりますし、殊に第三十七條を一つ掘下げて行けば、主權と最高機關、主權と主權發動の形式たる機關との關係も多少明かになつて來ますから、此の點を御説明願ひたい

  • 027 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 前文等にありまする總意と云ふのは、前から申しまするやうに、國家の統一したる意思が由つて起つて來る自然意思と申しますか、人間の意思、斯う云ふ意味であります、それから第二章に掲げてありまする國の主權と云ふのは、國を單一體として見まして、其の意思と云ふ意味でありまして、關係はありまするけれども實は違つたものであります、そこで九條で主權と云つたが故に外の所では、今の國家意思の源泉と云ふ場合には主權と云ふ言葉を使はない方が適切であらうと云ふので、其の言葉を使はないで、至高であるとか、至高の意思とか云ふ風に文字を變へた譯であります、それで大抵お分りのことと想像致しますが、三十七條の國權と申しますのは、是は國家の意思の源泉たる意思を指すのではなくて、國家其のものが働いて行く場合を規定して居るのでありまして、而も權と云ふ字を使ひましたのは國家の意思が強く權威を以て働いて行くと云ふ方面に着眼をして言つたのであります、結局國家意思と云ふことと同じでありますけれども、唯働きに着眼した爲に權と言つたのであります

  • 028 北れい吉

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    ○北(れい)委員 第十四條には「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、國民固有の權利である。」、之を此の儘に讀んで見ると如何にも一般投票、「レフエレンダム」でも規定してあるやうに見えるのですが、國務大臣、裁判官は内閣が任命する、總理大臣は國會が指名して天皇が任命することになつて居りますが、是との根本理念はどう云ふ關係がありますか、どうも文字通りに讀んで見ると「レフエレンダム」を標榜して居るやうに見えるのですが、さうでないでせうか

  • 029 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 十四條の國民固有の權利と云ふことは、公務員選定及び罷免の理論的根拠をここに宣言したのでありまして、例へば官吏は行政部の從屬員である、斯う云ふやうな考へが從來ありまして、多くの弊害を生じて居ります、今度はさうではない、國家全體の力に依つて抑へられて居るものである、もつと遡れば國民全體が其の身分を持つて居る理論的のものであると云ふ一番根源の姿をここに「固有の權利」と書いて、世の中に今まで存在して居りまする種々なる誤解──誤解と申しまするのは、官吏其の他公務員側の動もすれば陷り易い誤解を是ではつきり解かう、斯う云ふ譯です、併し其の國民固有の權利が現實に現はれまする時は、此の憲法の規定に從ひまして、或る場合には總理大臣、或る場合には本屬長官、其の外人民、選擧、種々なる形を以て出現して來るのでありまして、それは此の憲法自體の各個の條文其の他之に基く法律等に依つて判斷するの外はないのであります、「レフエレンダム」をすることも固より趣旨として此の國民固有の權利と矛盾は致しませぬけれども、さう云ふことをやる積りを以て此の規定が出來て居る譯ではございませぬ

  • 030 北れい吉

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    ○北(れい)委員 私の質問は是で打切ります

  • 031 芦田均

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    ○芦田委員長 吉田安君

  • 032 吉田安

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    ○吉田(安)委員 第二席は長井君が承ることになつて居りましたが、差支へが出來ました爲に私から極く簡單に數點に亙りまして御尋ねを致して置きます、何と申しましても國家百年の大計を立てます、基本的憲法でありますから、將來此の憲法の解釋に當りまして色々間違ひの生じないやうに、論義すべき所は努めて明かにして置く必要があると思ふのであります、現に明治憲法の如きは餘りにも其の憲法章典なるものが簡潔でありました爲に、後年色色の解釋を生じまして、遂には今次の大戰爭までも將來したと云ふ結果を生じたのであります、併し今囘の憲法は御承知の通りに、どの條文を讀んでみましても、幾ら之を論議を盡して置きましても、將來解釋論と致しまして色々の議論は盡きないではないかと、今日から尚ほ心配し憂慮して居るのでありますが、其の中で特に憂慮致しますのは、前本會議から各黨各派で議論を盡して居ります主權の在り方であります、此の主權の在り方は大體本會議來、金森國務大臣の懇切なる御説明に依りまして、私共略略其の了解を得て居るのでありまするが、何かしらまだ奧齒に衣が被つて居るやうな感じがあるのでありまして、本日北さんから詳細なる御質問がありまして尚ほはつきり致しましたことは幸ひでありますが、私の解釋し得ましたことを其の儘申上げまして、それで差支へないかどうかと云ふことを、金森國務大臣に重ねて御尋ねを致して置きたいと思ふのであります  第一は此の國體觀念であります、色色諸外國の學者の説もあるでありませうが、先づ日本の國體は日本獨特の特徴のある國體である筈です「あめりか」には「あめりか」の國柄があります、「いぎりす」には「いぎりす」の國柄があるし、「いたりあ」「どいつ」「ろしや」「いんど」悉く其の國國の健國以來の國の姿がある筈なんです、殊に日本は、是は特に特に世界に異なつた國柄が存在してあると存じます、それで其の異なつた特徴のある日本の國柄を解釋するに當りまして、國柄の異なつた「あめりか」の國體、國柄を持つて來て之を論じて見た所で、或は又「いぎりす」「ふらんす」其の他の國柄を對象として研究した人の、學者の説を其の儘特つて來た所で、私は其處に、學説としては兎も角でありまするが、日本の國柄、國體を其の儘に解釋すると云ふことは、先づ困難であるとの前提を持つて居ります、其の前提の上に立ちまして主權の問題も國體も、私の考へで之を更に間違ひがあるかないかと云ふことを金森國務大臣に依つて御教へを願つて置きたいと思ふのであります、是は餘程大事なことではないかと思ひます、御承知の如くに「あめりか」の一例を申しましても「あめりか」は「あめりか」の建國以來、是はもう人民、國民、人、是より外には天皇もなければ何もない筈です、ここに持つて來て天皇制を論じて來た所で、是は絶對相容れない、「あめりか」の建國は御承知の通りでありまするから、あの國を開き、あの國を建國した人々が、是が其の國の主體であり、是が「あめりか」の國の姿でなくちやならぬと、斯う思ひます、所が日本建國は神武建國以來、問違つて居るならば兎も角と致しまして、さうでない、歴史の示す所では、是は國民と天皇と此の兩者相合致した所に、日本の國體は淵源を發して居なければならない、是は私の信念であります、是も亦歴史を繙けば分ることでありまするが、隨て日本を論じまする時に、其の國柄を考へます時に、想像致します時に、天皇を除いて日本國體の姿は目に浮んで參りませぬ、同時に國民を除いた天皇樣ばかりでも、日本の國體は想像が付かないのであります、此の二つが渾然融合一體、もう一つの言葉で申しますならば、君民不可分的な此の境地の姿、是が私は日本の本當の姿でなくてはならぬと、斯う思ふのであります(拍手)之を先づ偖て措いて、さうして此の憲法改正に當りまして、諸國の問題を持つて來て當嵌めようとしても、それは自ら無理であり、不可能なことであります、此の點如何でありますか、先づ第一點として御尋ねを致して見たいと思ひます  それから國體の變革と云ふことになりますが、今申しました此の國柄と云ふことは、是は政體の建前とは又自ら違つて居る筈であります、此の點を金森國務大臣も先刻北さんの御質疑に對して御答へになつて居つたやうであります、學者往々此の國體を論ずる時に、學術的に論ずるのは今私が申上げましたやうな、此の國體觀念の所まで、至らない程度に、今申しました國體觀念と政體との間のやうな所に彷徨して居るのが、從來の學者の國體論ではないかと、斯う云ふ風に解釋を致して居ります、それで日本の政治向きは一體民主主義的な政治向きであるか、或は又此の頃まで非常に喧しく言はれて居る天皇神格説と申しまするか、君主的と申しまするか、斯う云ふ政治向きであるかどうかと云ふことになりますると、是が政體論とも申すでせうが、そこに私は日本の政治向きは民主主義的な政治向きが昔から流れて居るのだと、斯う解釋を致して居りまするが、是が間違ひであるかどうかを御尋ね致したいと思ふのであります  第三には日本の國體を左樣に見てみますと、昔から今日まで日本は政治的には色々な變化がありましたけれども、其の變化は政治向きの動きであり、移行であり、動搖であつて、其の下を流れて居りまする日本の國體には何等影響はなかつたのだ、色々昔から横著無禮なる者が出まして、皇位を私せんとするやうな者も出ましたけれどもが、時に天皇が島流しに御遭ひなさつたやうなこともあつたのでありまするけれども、是は唯政治形態の動きであつて、左樣なことがあつたからとて、日本の眞の姿である所の國體と云ふものには微動だも生じなかつたのだ、斯う思ふのであります、今囘此の戰ひに日本は無殘なる敗け方を致したのであります、無殘な敗け方を致したのでありまして、今度其の爲に憲法の改正が行はれる、さうして其の憲法の改正草案を讀んで見ますと、從來の君主政治、主權在君と申しますか、其の主權の在り方が變り、主權在民になつたと云ふやうに考へられまして、ここに數日に亙つて凡ゆる議論が繰返へされ、展開されて居りまするが、私を以てすれば結局聊かも變つたことはない、斯樣に存ずるのであります、先般來五箇條の御誓文を以て、今日も北さんの野坂君の御話に對する非難の一端にもなつて居つたのでありますが、あの五箇條の御誓文は、私は是は所謂日本の本當の國體から放出する所の實際の民主主義的政治の在り方の一端でなければならないと、斯う思ふのであります、之を何故か共産黨の諸君の如きは、あれは一體地方長官を集めて、地方長官に對する訓示だ、あれは主權在君説を振廻すのに國民の氣持を和げる爲に作つたものであるとか、斯う云ふことを言うて非難攻撃さるるのでありますが、是が私は日本の君民一點の政治向きの表現である、日本の國體觀念からそこに出て來て居るのではないかと、斯う思ふのであります、之を反對する人は寧ろ反對せんが爲の反對である、十七條憲法のあの御言葉の中にもありまする「大事は獨斷すべからず、必ず衆と共に宜しく論ふべし」と云ふ御言葉、あれも何も其の當時の國民を斯瞞する爲の教へではなかつた、あれは本當に國民に示されたる時の、私は民主主義的な在り方であると、斯う思うて居るのであります、それで問題が多少横に入つたやうでありまするが、今申しました國體觀念に對する御意見を承り、それから主權の問題でありまするが、所謂主權と云ふものは何處にあるか、何處から出るかと申しますると、是も金森國務大臣の仰しやつて居る通り、私は是はやはり君民一體の、階級のない、區別のない一體境から、主權と云ふものは淵源するものでなくちやならない、是は觀念論でありますが、さう見るべきものであると思ふのです、前囘の本會議の時にも申上げ御尋ね致しました通りに、此の國體に主權と云ふものは淵源を發し、源泉して居ります、併し其の時までの其の主權は、觀念的に申しますると云ふと、是は靜的に其の儘ここにある、是が動的に作用する時に其の主權がどのやうな方面に現はれて來るかと云ふことが一つの問題でなくちやならない、本當に掘下げますと、主權は君民一體の其の姿の上にある、それが動的作用を起しました時に天皇に在り、或は國民に在りと云ふことになるかも知れぬのでありまするが、主權本來の存在はそこになくちやならないと斯う思ひます、其の點は金森國務大臣は前から水は流れて川は流れずと云ふ禅味を帶びたる御答辨でありまするが、全く私は其の通りである、ここに國體あり、ここに主權の觀念が彷彿として現はれて居ると斯う存ずるのであります、それで主權は今私が考へまするやうな所にあるかどうかと云ふことを重ねて御尋ね致して置きます  さうすると今度は此の憲法改正案の條文中、殊に前文の問題でありまするが、此の前文を讀みますと、前文は明かに主權在民と見ることが至當でありませう、どの文句を見ましても是は主權在民です、それでありまするから、之を非常に憤り憤慨する一派の人達は、是は怪しからぬ、日本の主權は天子樣にあつたのが今度國民に行つてしまつたぢやないか、是は怪しからぬぢやないかと云ふ議論も出るのでありまするが、是は一應今までの在り方と致しますれば已むを得ない議論でありませうけれども、ここに日本國民と申しまするのも、或は我等はと言うて居りまするのも、是は政府當局の御意見から申しますると、天皇を入れたる國民だと云ふ御言葉である、それを何故にか金森國務大臣はさう仰しやつて居つた言葉を、聊か用語を御變へになりまして、天皇を中心とする國民と云ふやうに仰しやつて居るやうでありまするが、是は結局どつちにしたつて私は同じことであつて、此の國民と云ふものの中には、劈頭に申しました國體觀念論から考へて見ますると云ふと、やはり此の國民の中にありまするのは、天皇を入れました所の國民であると、斯う見ることが至當であると思ふ、是はまだ今から制定せんとする日本の憲法草案でありまするから、現行憲法、明治憲法から考へるならば、さう云ふことは到底常識上考へは付きませぬ、けれども將來此の憲法を解釋し之を創定せんとするに當りましては、此の前書から見ますると、さう解釋せらるべきものであり、又國體觀念から言つてもさうではないかと思ひますると同時に、畏多いことでありまするが、天皇樣御自身が既に從來の明治憲法に現はれて居りました所の天皇神格説でありますとか、或は天皇神祕説であるとか、色々の神憑り的な言葉と云ふやうなことに雲が霞んだ如くにして包まれてござつたのを、陛下樣は一たび之をかなぐり捨てになつてしまひまして、畏多くも人間天皇と御自ら御名乘りになつて居る、人間天皇と自ら御名乘りになりました今日から、將來の此の憲法を創定決定せんとする時に當りまして、私は何もそこに遠慮することなく、天皇も亦此の國民の中に御入りになつて居るものだと申上げ、さう致すことが適當だと考へます、さうしますると天皇と所謂今までの國民、人間と申しましても同じでありまするが、之を含めたものが所謂國民でありまするならば、本會議にも申上げました通りに、之ふ讀むと、どの點から讀みましても、是は結局主權在民と云ふ風になつて居りまするが、其の主權在民の民と云ふ字は國民でありまするから、是は主權が天皇に在ると言うても主權が人民に在ると解釋しても、私は其の點聊かも不都合はないと斯う存ずるのであります、主權在民の憲法の如く見えて居る、間違ひはありませぬが、之を又主權在君と申上げても、今のやうな天皇を含んだ國民と云ふことになれば、何等此處に無理はないと斯樣に考へるのでありまするが、此の點も御尋ね致したいのであります  尚ほ憲法第一條に、天皇は日本國の象徴であると言うて居ります、其の象徴は日本國民統合の象徴であると斯う言うて居るのであります、此の象徴と云ふ言葉に付きましても、凡ゆる面から色々議論が行はれまして、之に對して繰返し繰返し御答辨になつて居るのでありまして、分つて居るのでありまするが、要するに象徴と云ふのは所謂形なんだ、姿なんだ、象しなんだ、印である、此の天皇と云ふものは日本國、所謂國民と天皇を統合して、さうして其の總合した姿が是が天皇だ、斯う見るのであります、所謂此の點から關係を辿つて行つて見ましても、私は一向矛盾はないと、斯樣に存ずるのでありまするが、此の點も御尋ねを致したいと思ふのであります  是で大體私の申上げますことを打切りまして、更にそれに對して都合に依りましては一問一答で御願ひ致したいと考へます、大體今申上げた點に付きまして引括めた御答辨を御願ひ致します

  • 033 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 只今場合を擧げて色色な點に付て御質疑になりましたが、大體御示しになりました考へ方は、私が從來下手な言葉で申上げたのを比較的分り易い平明な言葉で更に明かにして戴いたと云ふやうな氣持がする譯であります、私の考へて居りました基本の思想は、今も仰せになりましたやうに、今囘の憲法の改正は、或る見方をすれば現行憲法に對して非常に大幅な變化があると云ふことは、もう一點の疑ひのない明白なことであります、又是あるが故に「ポツダム」宣言の實體を滿たすと云ふことに適する意味も出て來る次第でございます、併しながら其の骨子を成しまするのは、謂はば我々の先輩とも言ふべき過去の人々、又比較的近い頃に於きまして、我々の仲間が、どうも現象的なものに囚はれ過ぎて事物を正しく見なかつた、殊に又歴史的の移り變りに依りまして物事が非常に妙な角度から觀察されて居つた、それを一切の神祕的な衣を取去り、本質を的確に見渡しますと、根本の思想は今囘の改正憲法と同じ所まで到達する、斯う云ふことでありまして、場合を分けて御説明になりましたけれども、一言にして申しますれば、其の精神に於きまして新しい言葉で御解釋下すつたことを私共深く感謝する次第でございます

  • 034 吉田安

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    ○吉田(安)委員 是は一點で宜しうございますが、今私の申上げましたことを全面的に御承認を願へたと思はれるのでありますが、今の主權在民と云ふことと、私が考へて居りますことは、結局主權在民と言うても主權在君と言うても、それは言葉の差異であつて、日本の國體觀念を今申しましたやうに解釋致しましたならば、殊に天皇を入れたる國民を以て國民とすることになれば、それはどうでせうか、そこまで行つてはいかぬでせうか、やはり主權在民主義、斯う解釋しなければならぬでせうか、其の點をはつきりと御答へ願ひます

  • 035 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 仰せになりましたのは君民一體であり、其の君民一體に主權が在りとするならば、主權在君と言ふのも主權在民と云ふもの同じことに歸着するのではないか、斯う云ふ御趣旨であらうと思ひます、言葉の上に於きましては可なりの違ひがありますけれども、實質に於きましては同じことになるのではないか、斯う云う御尋ねと思ひますが、御質問者のやうに能く御分りになつて居れば、そこに何等の不思議はありませぬけれども、卒然として聞きますると、少しくそこに世間の疑惑を導き易い、主權在君「イクォール」主權在民と云ふことは、或る原理を當嵌めて分解致しますれば、其の公式は明瞭に解けますけれども、それだけで持出しても世間が得心しないのではないか、斯う云ふ氣がする譯でありまして、私共強ひてそれに説明を加へますれば、主權在君と云ふのは、其の君の中に民も一體として含んで居る、斯う云ふ風に説明をすべきであらうと思ひます、御趣旨に一つも反對はありませぬけども、言葉を使ふ時には成べく天皇を含みたる國民に在り、斯う云ふ考へ方が一番間違ひないと思つて居ります

  • 036 吉田安

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    ○吉田(安)委員 妙に是は詭辨のやうにも世の中では思はれるかも知れませぬが、今の御答辨で私諒承致しましたが、天皇を入れたる國民と云ふことになりますると、今此の第一條は天皇は日本國の象徴であると、斯うなつて居りまするから、天皇と云ふ文字を使ひまする以上は、主權在君と云ふのがどうも今仰しやいましたやうに誤解を招く虞がある、又一般的にはぴんと來ない、私もさう思うて其の點は心配致しまするが、それでは是は妙な質問ですが、天皇と云ふことと在君の君ですね、是はどう云ふ風に違つて解釋すれば宜いのでありますか、私は是は主權在君と云ふことが誤解があるやうであつたならば、日本國民統合の象徴であるのが天皇なんだから、其の天皇と云ふことを使つて、主權が天皇に在ると云ふことになれば、さす結論をして行けるやうな氣が致します、其の點天皇と君と云ふことも區別が付きますならば、はつきり區別を御願ひ致したい

  • 037 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 天皇と君と云ふのは、此の場合には區別し得る觀念ではないと思つて居ります、問題は象徴と云ふ言葉と主權と云ふ言葉が同じであるかどうかと云ふことでありまして、若し象徴と云ふ言葉が主權と云ふことと同じでありまするならば、主權は君主に在りと云ふことが何等の制限的な言葉なくはつきり言へると思ひます、併し象徴と申しますることは、それを通して歴々と國家を認め、國民統合を認め得ると云ふ意味でありまして、力の拠つて生ずる源泉と云ふこととは違ひまして、別なことでありまする爲に、第一條を基にして直ちに主權在君と云ふ言葉を使ひますることは、先程も御答へ申しましたやうに、今仰しやつたやうな多くの説明を加へて御話になる分には趣旨は十分貫くと思ひますけれども、單純にさう言はれますると、甚だ誤解を生じ易いと思ひます

  • 038 吉田安

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    ○吉田(安)委員 私の大體の質問は是で打切りまして、他の機會に同僚から又質問致します

  • 039 芦田均

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    ○芦田委員長 高橋英吉君

  • 040 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 先輩の驥尾に附して成べく簡單に質問を致します、本質問に入るに先だちまして、私共憲法を議します者に於きまして、一つの心構へをしたいと思ひますのは、直接憲法草案には關係ありませぬけれども、一、二質問させて戴きます、即ち第一に日本は獨立國であるかどうかと云ふ問題、是は先日の本會議場に於てどなたの質問でありましたか、吉田首相は獨立國であると答辨されたやうに記憶して居ります、所が昨年の十二月でしたか、臨時議會でしたか、本議會でしたか、あの議會では當時の吉田外務大臣は明かに日本は獨立國でないと、斯樣に答辨されて居つたと記憶して居ります、昨年の議會の答辨が本當であるか、先日の議會の答辨が本當であるか、是は我々日本國民としては、實際上の問題に付きましても、法律上の問題に付きましても、非常に大きな關心を持たなければならないと考へて居ります、之に付て當局の御答辨を煩はします  それから第二に日本は絶對無條件降伏をしたものであるか、條件附の降伏をしたものであるかどうか、即ち「ポツダム」宣言を受諾したと云ふことは條件附の降伏ではないか、此の點に付て御答へを願ひたい、隨て若し「ポツダム」宣言が條件であると致しますならば、「ポツダム」宣言に違反して日本の武裝兵が武裝解除せられた後に、あの「ポツダム」條件にあるやうに、家郷に歸して貰はずに、何處かに拉致、抑留されて居る實情が若しありとしますならば、それは「ポツダム」宣言、即ち日本の降伏條件に違反して居るのではないかどうか、斯う云ふ點に付て御答へを煩はしたいと思ふのであります、先づ是だけ先に願ひます

  • 041 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 只今の御尋ねの二つの點に付きまして、第一の日本は獨立國なりや否やと云ふことは、先日總理大臣から答へられましたやうに、獨立國であると考へて居ります、併しながら御説のやうに昨年吉田外務大臣が議場に於て言はれたこととの關係の點に付きましては、私は了知致しませぬから、當時の外務大臣の方に申上げて、然るべき機會に御返事を或は願はうかと考へて居ります  第二の條件附降伏か否かと云ふ點に付きましては、私共の今までの研究の道行きは、條件附の降伏ではないと云ふ考へ、即ち無條件の降伏であると云ふ風にして扱つて考へて居ります

  • 042 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 それでは「ポツダム」宣言を受諾したと云ふことは條件にならないのですか、「ポツダム」宣言を受諾したと云ふ關係は、降伏關係に於て條件でなければどう云ふ關係になるのですか

  • 043 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 少しく私が自分の現實に仕事を所管して居ります範圍より外に出る處がありまするので、其の御質問は尚ほ詳しくは所管の大臣から御答へを願つた方が適切かと思つて居ります

  • 044 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 それでは後日答辨して戴くことに致しまして、其の節此の點に付て又御伺ひしなければならないかと思ひます、主權の在り方に付ては、もう既に論じ盡されて居りますから、私から申上げるのもどうかと思ひまするけれども、從來の論議の中心は主權が君主に在るか國民に在るかの論議に盡されて居つたかのやうに思はれます、唯鈴木代議士に於て國家主權説に付て少しく言及されたやうでありますけれども、此の國家主權説に對しては、未だ深く論議が費されて居りませぬ、而も此の國家主權説こそ、憲法實施以來明治、大正、昭和を通じて最も中正穩健なる主權説として我々學んで居つたものであります、又爾く確信して居つた、神憑りの主權在君説が流行して居りました軍國時代に於きましても、戰爭時代に於きましても、我々は堅く美濃部博士同樣に國家主權説を執つて居つた、而も此の國家主權説こそ洵に自然であり、擬制的なものではないと云ふ風に確信を私共は持つて居る、此の國家主權説は最も中正穩健なる學者に依つて唱道せられ、是こそ「デモクラシー」の大道であり、本道であると稱せられ、民主主義の時代になりましては、はつきりと自由黨に於ても政綱にそれを掲げて居る、社會黨に於ても之を政綱に掲げられて居ると私は記憶して居る、然るに先日鈴木代議士は之に反するが如き主權在君説を盛に唱へられて居つた、私は議席から餘り弥次を飛ばさぬ方でありますけれども、どうもをかしいから社會黨の國家主權説はどうなつたのであるかと云ふ風に一言批判したのでありますけれども、要するに此の國家主權説なるものが餘り論議されて居ない、最も模範的な主權説であると稱せられた此の國家主權説が、なぜ積極的に、合理的に説明されず、支持されて居ないのであるか、此の點に付て私少し言つて見たいと思ふのであります、即ち、鈴木代議士を度々出して甚だ御迷惑を掛けますけれども、鈴木代議士は國家法人説は一種の擬制であつて、國家が法人であると云ふことを認めない者があれば、認めないと言へばそれまでではないかと云ふ御説があつたやうでありますけれども、國家決して私は擬制ではないと思つて居る、國家は實在して居る、儼乎として現在實在して居ると思ふのであります、國際間に於ても權利義務の主體であり、國内間に於ても權立義務の主體であり、現に國家なるものがここに儼乎として實在して居る、是が何で擬制であるか、何も是は人爲的に拵へたものではない、苟くも人類の集團生活があります以上、そこに國家があり、社會がある、即ち是は實在であると思ふ、却て實在がないものこそ私は主權在民説であると思ふ、國民と云ふものは成程實在して居るのであります、人民も實在して居る、併し權利の主體としての、總合體としての、組識體としての國民なり人民なりと云ふものが果してあるでありませうか、大體憲法なり國家の主權なるものが何れの意思から淵源して來たかと云ふことと、其の由つて來つた所に出來上つた所の主權と云ふもの、統治權と云ふものが何人に屬して居るかと云ふこと、何者に屬して居るかと云ふこと、是は別問題だと思ふのであります、成程此の憲法に依つても、天皇を含めた國民の總意に依つて此の主權なるもの、其の統治權なるものは由來することになりませう、源泉なるもの、淵源なるものは天皇を含めた國民の協同體になりませう、併し一旦それが一つの總合的意思となつて國家が形成されると云ひまするか、國民と一つになつてしまつた時には、そこに既に源泉とは離れた、由來とは離れた所の國家に歸屬する所の統治權なるものがあると見なければならない、統治權が即ち國家固有のものでなければならない、國家が主權を持つて居つて、そこに其の統治權の客體として人民があり、土地があり、それぞれの他の物體があると云ふことになるのが自然ではないでせうか、之を單に由來する所のものが人であるから、其の人にやはり主權があるのだと云ふ風な見方は、それは却て不自然になるのではないか、國民全體、天皇を含めた國民全體が主權者ならば、何人が統治權の客體になるのであるか、國民自體が主體者であり、又客體者であると云ふことになるのであるか、若し天皇や國民を含んだものが主體であり主權者であるならば、單に土地とか其の他の物體しか統治權の客體になり得ないと云ふことになるのではないか、さう云ふ風な理論の構成こそ私は不自然だと思ふのであります、是こそ擬制であると思ふのであります、國民の總意と言ひましても、結局是は色々な手續に依つて一つの纏まつたものにならなければ本當の國民の總意と云ふものは現はれて來ない、國民の總意なるものこそ即ち何日何時何分の總意を是れ國民の總意と言ふか、國民の總意なるものこそ、法の上では總意と言ふことは出來ますけれども、是は一つの形を取らなければ是こそばらばらになつたものであり、是こそ擬制であると私は思ふ、是こそ不自然なものであると私は思ふ、國家の權力の主體と云ふことは決して不自然ではないと私共は思つて居ります、國家が色々なる權利義務の主體になつて居りながら、統治權が獨り主體となり得ないと云ふ道理がないと思ふ、國家に固有の統治權があつて、そこに諸々の作用が起つで來ると云ふことこそ、私は自然であると思ふのであります、先程北さんから指摘されて居つた憲法の九條にしましても、三十七條にしましても、不用意の問でありまするか、用意周到に作られたのでありまするか、自然にそこに國權なり國家が主權者かの如き言葉が出て居る、是こそ自然ではないでせうか、國家が權力の主體である、是は國民の意志から憲法が出來ましたにしましても、結局出來上つてしまつてから國家に歸屬する、是は欽定憲法が明治大帝の御意思に依つて御制定になつたものであつたとしましても、決して欽定憲法であるが故に、明治大帝の御意思に依つて作られたものであるが故に新權が天皇に在ると云ふこと、申されないと同じやうに、其の淵源と由來と又最後の統治權の形となつて現はれた時とは、全然私は違つたものではないかと思ふのであります、淵源、由來と統治權の主體と云ふもの、是は全然別個のものであると見なければならない、隨て今囘の憲法が、統治權なるものが國民の總合意思、國民の總意に基くもの、斯かる由來するものを淵源とするものであるかも知りませぬ、あるでありませう、それは當然でありまするが、結局統治權となつてから後は國家が其の統治權の主體になるのであると解釋することこそ私は自然であると思ふのであります、此の最も穩健中正であると稱せられて居つた所の、此の國家主權説が何故捨て、顧みられずに、今度の論議の中心にならないのであるか、金森國務相も此の説を御唱へになつて居つたと思ひまするし、自由黨も然り、社會黨も然りであつたやうに思ふのであります、是こそ君民一體の日本國家の最も穩當なる解釋の歸結になるべきぢやないか、斯樣に信じて居ります、私共は曾て天皇主權説が盛んでありました時も、やはり國家主權説を取つて居つた、今日尚ほ國家主權説こそ眞理であると思つて居ります、國家は實在して居り、決して擬制ではない、斯樣に考へて居る次第であります、此の點に對する御意見は如何でありませうか、御答辨を煩はしたいと思ひます

  • 045 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 御尋ねになりました第九條、それから前文の終ひから四行目位「自國の主權を維持し」と云ふ場合の主權は、國家が持つて居る主權、斯う云ふ意味に取つて居りまして、此の主權の本體は國家であると云ふ風に了解して居ります、唯本義場に於て御尋ねになりました主權と云ふ言葉が、概ねそれよりも以前、何處から如何なる人間の意思から此の力が出て來るかと云ふ源泉の所在に付て御尋ねになりましたから、主權と云ふ言葉に特別な定議を加へまして、さう云ふものは國民に在ると斯う申上げたのであります、今御尋ねになりましたやうな趣旨は、此の憲法の文字を使ふ上の前提として居る所でございます

  • 046 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 さうしますと今の三十七條のみならず、主權と云ふのは國家が持つて居るものだと解釋して宜しいのでありますか

  • 047 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 其の通りでございます

  • 048 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 天皇の地位、其の他に付て御答辨を煩はしたいと思ひます、天皇の大權事項、天皇の權能に付て現憲法にしましても、憲法草案にしましても、色々規定してあるのであります、併し私共は日本古來の天皇の在り方は、結局何時の時代でも、天皇は君臨すれども統治せずと云ふことにあつたのではないでせうか、天皇の御血統の中に、代々日本民族の中の最優秀なる方が御生れになると云ふことに決まつて居りますならば、是は御親政でも差支へありますまい、併し是は私が説明するまでもない、さう云ふ風なことにはならないのでありますから、天皇は君臨すれども統治せずと云ふのが古來の日本の姿であつたのでないのでせうか、それは其の時々の段階に依つて藤原氏が或は政權を専らにしましたが爲に弊害もあつたでありませうけれども、あの時代にはあの段階でああ云ふ形となつて現はれる、其の後色々な日本の歴史の段階がありまするけれども、其の段階毎にやはり天皇は君臨すれども統治せずと云ふ形が現はれて居つたのではないでせうか、是こそ本當に天皇と國民とが共に、日本民族一體としての幸福を招來する所以であつたのでないでせうか、斯樣に信じて居るのであります、さう云ふ觀點から言ひますと、現在の憲法でも今度の草案でも、餘りに天皇の權能とか、權限とか云ふものが具體的に書かれ過ぎる、天皇が國民の象徴であり日本國の象徴であり國民統合の象徴であると致しますれば、斯樣な區々たると言ひますか、金森國務相の言葉を藉りて言ふと多からず少からずと云ふ權限のやうに思ふのでありますけれども、私共はあれを區々たる權限のやうに考へて居ります、斯う云ふ區々たる權限は今から規定する必要はないのではないか、もつと天皇は君臨すれども統治せずと云ふ風な意味に、即ち天皇は統治權の行使者であるけれども、總て實際に於ては代行者を御拵へになつて自らは政治に御關與にならない、絶對に政治には御關りにならないと云ふやうに、抽象的な慨括的な大きな規定に依つて日本國の象徴をより尊嚴ならしむる方法を執る何等かの行き方はないでありませうか、現在の憲法では餘りに權限が私は少いと思ふ、此の位殘された所で是は問題はないと思ふ、而も實際に於て斯う云ふ權限其の他の權限に付ても何等御關與にならない、此の殘された權限にしましても我々國民から考へますと、助言はいいでありませうけれども、内閣の承認が必要だと云ふ風なことになつて居る、又社會黨の主張のやうに拒否權がないと云ふやうなことが露骨に條文の上に現はれますると云ふことは、我々日本國民の天皇に對する崇拝と云ひまするか、さう云ふ心情に非常に悲しむべき印象を與へられる嫌ひがあるのであります、天皇が人民と共にあられると云ふ御宣言にはなつて居られまするけれども、それにしても餘りに人間になり過ぎられたやうな形に私共は思はれるのでありまして、此の點、日本國の象徴であると云ふ言葉と首尾相應じた所の、政治に御關與にはならないけれども、統治權の總攬者と云ひまするか、行使者と云ひまするか、兎に角さう云ふ風な御地位の人であつて、君臨せられるけれども統治せられないのだと云ふ意味で此の天皇の地位を決定されると云ふ風な考へ方はないでありませうか、其の點に付て御答辨を煩はします

  • 049 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 天皇は君臨すれども統治せずと云ふ原理は、恐らく日本の歴史の多くの期間に亙つて實際的に尊重せられたものであらうと思ひます、併しながら君臨すれども統治せずと云ふことは、政治の關係に於て何等の働きを御行ひにならぬと云ふことではなからうと思ひます、國の象徴であり國民統合の象徴である限り、之に伴つて必要缺くべからざる天皇の作用がありませぬければ、象徴たるの實質を十分滿し得ないのであらうと考ふるのであります、一例を擧げますれば、外國の使臣を取扱ふと云ふ上に於きまして、何等かの形に於て天皇が是と密接なる接觸を御持ちになると云ふことが、國の象徴たる實體を滿す上に於て、妥當なやうに思はるるのであります、大體此の種の問題即ち象徴たる天皇が如何なる事柄を行はせらるるかと云ふ點に付きましての考へ方は、原則的には論定出來ないのでありまして、一つ一つの作用を見て、其の作用がどうしても之を象徴たる天皇に結び付けることが諸般の觀點から妥當かどうであるかと云ふ風に見て行かなければならぬと思ひます、此の憲法が定めました諸種の權能は一々具體的に之を考へまして、其の限度に於て權能を御持ちになることが、所謂統治して治せずの本當の趣旨に合ふと考へた次第であります、先程、内閣の助言と承認が天皇の行爲の上に必要であると云ふ點に付きまして、何となく承認と云ふ言葉が面白くないと云ふやうな語氣を御洩らしになりましたが、此の承認と云ふ言葉は、内閣が全責任を帶びると云ふ強い氣持を的確に表現致しまする爲に、文字を工夫してここに編込んだ譯でございます

  • 050 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 今の承認の御言葉に付きましては、成程さう云ふ深い御考慮もあつたかとも思ひまするけれども、其の深い御心遣ひよりも、却て國民の心情に及ぼす所の天皇の尊嚴に對する惡影響の方が、よりひどいのではないかと私は思ふのでありまして、此の點に付て御考慮を煩はしたいと思ふのです  それから、君臨すれども統治せずと云ひ、御親政にならない方が宜いのだと申しましても成程御説のやうに天皇でなければ御執りになれないやうな御仕事、使命と云ふものが澤山あると思ふのであります、さう云ふものに付きましては、私は適當な方法で規定が出來ると思ふ、斯う云ふ風な規定でなくして、もつと適當な方法で出來るのであつて、それは技術的の方面でありますから、根本問題に付ての私の説に御同意下されば、さう云ふ技術的の方面に付て、天皇に色々御働きをして戴くと云ふことに付ては、是は十分過ちのないことが出來るだらうと思ふのであります、唯天皇を統治權の行使者とか總攬者とか云ふ意味に申上げますると、野坂氏が本會議で申して居つたやうでありまするけれども、或は將來反動勢力の拠り所になるのではないか、反動勢力が之を惡用するのではないかと云ふ風な憂慮せられた言葉もあつたやうでありますけれども、是は私は一片の杞憂に過ぎないと思ふ、若しさう云ふ風な字句に拘泥して、反動勢力が將來此の憲法を覆へす、日本の政體なり國體なり、日本と云ふものを違つた方向へ引摺つて行く程の勢力が出來る時代が來ますならば、何も此の憲法の字句の片々たる──片々たると言ふと語幣がありますが、一言一句なんか問題ぢやない、憲法全體が變つて來る、世の中全體が變つて來るのであります、一言一句でも憲法の章句を變へるだけの反動勢力が將來勃興しますならば是は問題ぢやない、總てが御破算でありますから、さう云ふ御心配は私はないと思ふ、隨て私は、天皇の尊嚴を維持すると云ふ意味で、實際の政治に御關りにならないと云ふ意味で、君臨して統治せずと云ふやうなさう云ふ風な概括的な規定で天皇の地位を御定めするのが至當ぢやないかと思ふのでありますが、それは今の御答辨に依つて一應了承致しますが、野坂氏が申しました如く、假にさう云ふ風な規定になつても、將來それが反動勢力の惡用する所になると云ふ風なことに付て、さう云ふ風に御考へになるかならぬかと云ふことに付て、一言御序での時に御答辨願ひたいと思ひます  それから若し私の説が容れられないとしますならば、やはり此の憲法草案に基いて我々の氣持を反映させなければならないと思ひますが、第四條の後段に、天皇は憲法の定むる國務のみを行ひ、政治に關する權能を有しないと云ふことになつて居りますが、此の權能を有しないと云ふ言葉は避けることは出來ないのでありませうか、政治に關與することが出來ないとか、權能を有しないとか、權能とか權力とかさう云ふ言葉を使はずに、何とか適當に天皇の地位を御定めする方法はないでありませうか、其の點に付て御質問します

  • 051 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 初めの御質疑の、天皇に若干の權能が附與せられて居りますならば、此の附與の規定を利用して反動勢力が作用を起すやうなことはないであらうかと云ふ點であります、是は結局國民を如何なる程度に信頼するかと云ふ點と、又憲法の規定の工合が注意深く出來て居るかどうかと云ふ二點に依つて解決せられると思ひます、國民が民主政治の線に沿つて十分其の良き性能を發揮致しますならば、正直に言つて憲法の細かい規定は如何樣であつても、良き民主政治は行はれると思ひます、併しながら時代を經過するに從ひまして多少の波瀾を起す虞なしとしないのでありますが故に、他の一面に於きまして憲法上の諸種の規定に十分なる注意を加へまして、絶對に禍ひの起らないやうに用意することが必要であると思ひます、隨て今囘の憲法改正案に於きましては、第一條の天皇の御權能を狹い範圍だけに限定を致しまして、而も内閣の助言と承認に依ると云ふ風になつて居ります、多くの場合に認證する、即ち客觀的事實の存在を認めると云ふ方面に重點を置きました爲に、容易に此の角度から反動勢力が利用を企てると云ふことはなからうと思ひます、  次に權能を有しないと云ふ言葉を何か外の言葉にすることは出來ないかと云ふ御尋ねでありましたが、何分にも事柄が事柄でありまして、他の言葉を用ひましても容易に適切な表現は出來なからうと思ひまするし、事の性質が此の文字の表はす通りのことでありまするので、どうも致し方がないやうに考へて居ります、それに此の言葉が特に國民の神經に障るかどうかと云ふ點でありまするが、能く國民が諒解致しますれば、左程神經に障るものではないのでありまして、寧ろ是あるが故に天皇は一般政治の上に超越せられ、種々の紛糺の渦中に御入りにならぬと云ふことが明かになるやうに思はれます、

  • 052 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 私は象徴などと云ふ非常に複雜微妙な含蓄の多い言葉を御創作になる内閣諸公でありまするから、權能を有しないとか承認云々などと云ふ、何となしに妙な感じを起さすやうな斯う云ふ言葉も何とかならぬものかと思つて居りまするが、是は逐條審議の時に私共の意見を申述べたいと思ひます  更に國會のことに付て一、二御質問致します、即ち國會の解散は現憲法でも同じでありまするが、今度の憲法草案でも無制限に幾度も解散出來ることになつて居る、併し各國の立法例を見ましても、同一事項に基く再解散と云ふことは禁止して居る所が相當あります、又日本の從來の政黨發達史、議會の發達史を顧みますると、此の再解散の威嚇の爲に如何に議員が堕落し、政黨が骨拔きになつて官僚と苟合し、民主主義の發達を妨げて來たかと云ふことは、論ずるまでもないことであります、解散の威嚇だけでも相當なものでありまするが、再解散の威嚇こそ非常に重大なる民主主義の發達を妨げたもの、即ち議員の勇氣を挫いたものでありまして、議員が所信に忠實でない、所信を斷行し得なかつたと云ふ憾みがありましたのも、要するに其の威嚇に依つて皆骨拔きになつたと云ふやうな状態、是が非常に從來の立憲政治の發達に禍ひして居るものと思ひます、此の再解散の禁止の規定は是非設けて貰ひたいと思ひますが、御意見は如何でありますか

  • 053 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 御説の通り再解散を致しますることは、民主政治の實行の上に餘程注意をしなければならぬことと思つて居ります、所が解散を致しますれば、起るものは新たなる衆議院議員の總選擧であります、新たに衆議院議員が總選擧になりますと、其の後初めて開かるる國會の召集の時に、此の草案の六十六條に依りまして内閣は總辭職をしなければならぬのでありまするから、刀を一遍拔けば結局自分が總辭職をしなければならぬことになりまして、それが再び又國家の指名等に依つて内閣を作るかどうか、それは其の時の情勢に依りまするが、實質に於て再解散は出來ないと云ふことになつて居ります

  • 054 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 それは議會が開かれまして不信任の決議がありました場合に、初めてさう云ふ事象が起るのでありまするが、形勢不利と見て議會を開かずして再解散すると云ふのが從來の建前であります、議會に不信任の決議が通過致しまして解散する、解散した結果が、不信任案を支持する議員が多數選出された時に、又それは國民の總意を反映して居るものでないとか何とか難癖を付けて、開會するまでに解散と云ふことが出來るのでありますか、出來ませぬか

  • 055 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 六十六條は一寸見た時に文字の上で氣が付かぬ可能性はありますけれども、苟くも國會が開かれますれば内閣は總辭職をしなければなりませぬから、口實を何處に構へると云ふことは全く出來ないことになつて居ります

  • 056 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 其の點研究不足でありましたので尚ほ一應研究しましてから伺ひます  それから第二點として國務大臣は議員より選任すると云ふ規定を設けて貰ひたい、是も再解散の威嚇と同樣で、國務大臣が議員から選任せられると云ふ立憲政治の本則が確立されて居ない爲に、所謂議會中心政治と云ふものが確立出來なかつた、人材が日本の政治界の實際情勢に於て割合集まることが出來ない、假に立候補しても當選の可能性が少いと云ふやうな色々な事情の爲に、人材が比較的議會に集中しなかつたと云ふ事實が、議會中心政治、立憲政治の發達を阻碍して來たと思ふのであります、之を規定しなかつたならば、結局現在の内閣は果して理想的な政黨内閣であり、民主主議内閣であるかどうかと云ふことに付て色々議論もあるやうでありまするが、非難の餘地があるだけ現在の内閣の如きも所謂代議士でない人、議院に席を置かない人が大臣になつて居る、是が果して民主主義的な内閣であるかないかは別問題でありまするが、さう云ふ非難を許す餘地が出來て居る、將來と雖も又斯樣な非難を許す内閣が再び三度出來上らないとは限らないのであります、本則として議員の中より大臣を選ぶと云ふことに致しますならば色々な條件上、どうしても日本全體の人材が議會を中心に集まつて來る、即ちそこに民主主義の確立、議會政治の確立が出來ると思ふのであります、其の規定を御挿入になる氣持はありませぬか

  • 057 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 議員内閣の制度が漸次高度に發達致しますれば、實質に於て今御主張になりましたやうに、大臣は國會の議員からして選ばれると云ふやうに、恐らくは自然に向つて行くことと思つて居ります、併し世の中には色色の特殊の事情の起り得ないとも斷定出來ませぬので、此の憲法自身は、意思は議員の意思を尊重するけれども、大臣の人を何處に求むるかは廣き場面から求め得ると云ふことになつて居りまして、大體是で中庸を得るのではなからうかと云ふ風に考へて居ります

  • 058 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 今の問題は議會の現状、議員の現状から言ひますれば、必ずしも妥當な規定ではないと考へられますけれども、憲法が一國の理想を描くものであり、其の憲法に依つて民主主義を發達せしめなければならないと云ふことになりますれば、今のやうな規定こそ、私は最も必要になるのではないかと云ふ意見を持つて居ります、併し是は又何れ逐條審議の時に色々申上げたいと思ひます  更に第三點として、社會黨の方からも議論が出たやうでありますが、議會は年中無休にしてはどうか、議會が國家の最高機關であると云ふ風に規定して居るのは、立法例から見ますと、日本だけのやうに思はれるのであります、民主主義日本に取つて最高の國家機關である議會こそ、最も責務が大であると思ふし、又それだけの仕事が伴つて來るものと考へられます、此の年中無休に付てどう云ふ御意見を持つて居られまするか、此の點に付て御答辨を願ひます

  • 059 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 年中無休と云ふことは、民主政治を發展せしむる上に一つの理由ある御主張であるかと考へて居りまするが、他の一面に於きまして、政府は現實の政務の遂行をしなければなりませぬので、それにも相當の時間が掛る譯であります、だから議會の働きも十分にし、政府の働きも十分にすると云ふことになりますと、結局政治の上に於ける能率問題と云ふことが強く現はれて來るのでありまして、單に或る一つの議論のみで答へとするのには不適當であると思ひます、そこで此の憲法は理想を議會常設に置き、現實を會期制度に置きまして、必要があれば議會を召集する、又議會の側に於て必要を感ぜられますれば、一定數の議員から要求されれば、それに基いて政府は議會を召集しなければならぬ、又各個の會期の制度に付きましても、此の憲法には直接書いてありませぬけれども、國會の諸般の制度を決めまする法律中のに、議會の會期に付て、實質上議會が十分な働きが出來るやうな周到な規定を設けようと考へて居ります

  • 060 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 成べく簡單にやらうと思つて居りますが、今の問題は私は逆に考へて居るのでありまして、理想を無休に置いて戴ければ無休と云ふことにし、實際上の運營に於て期間を定めることこそ、憲法の理想的な規定ではないかと思ふのであります、此の點に付て今少し御研究を願ひたいと思ひます、更に之に關聯しまして、議員より國會の開會の要求をした場合に應じなければいけないと云ふことになつて居る、一定の條件がありますが、應じなかつた場合にどうなるかと云ふ疑問も起つて來ますが、之に付ても一つ御檢討を願ひたい、それから同樣な妙な問題で、實際に於ては斯う云ふことはあり得べからざることと思ひますけれども、條文の規定の體裁上疑問が起りますことは、議會に於て不信任の決議をした時には、内閣が總辭職をしなければならないと云ふことになつて居りますが、所が是が心臓の強い總理大臣が居つて、應じなかつたらどうなるのであるか、十日以内に總辭職をしなければいけないと云ふことになつて居りますが、總辭職しなかつたら誰が辭めさすか、當然議會の決議に依つて總辭職と云ふことになるのであるか、十日經過すれば、自然に總理大臣なり大臣たる地位が喪失するのであるかどうか、此の點が憲法の條文だけからははつきりしないと思ふのです、所謂國内規定から云へば制裁規定がない、止めを刺す規定がないやうに思ひますが、斯う云ふ場合はどうか、議員より開會の要求があつた場合に應じなかつたとか、或は不信任の決議があつた場合に總辭職しないとか、斯う云ふ場合にはどう云ふ風な結末を取られることになつて居りますか、それから是は現行憲法に同樣になつて居りますけれども、議會で定足數を決めてありますが、毎日々々定足數を缺いたら毎日々々議會が休會になつて議案の審議が出來ないのであります、さう云ふ場合に於て、市町村制なんかにあるやうに、一定の條件に依つて兩度の召集みたいなものに依つて、定足數を缺いて居つても、急施を要する所の議案の審議が出來ると云ふやうな方法を執るのが必要ではないか、是は實際の運營に於ては斯う云ふ虞はないと思ひますけれども、憲法の規定の體裁上、一應此の點を御伺ひ致したいと思ひます

  • 061 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 國家の重要なる機關、例へば内閣を構成し、或は議會を構成して居る人々が、職務遂行の上に十分を期さないやうな、非難を受くべきやうな行爲をせられた時に、どうするかと云ふ、一貫した御質問と思ひますが、直接の規定と致しましては、憲法の第九十五條に國務大臣、國會議員は此の憲法を尊重し、擁護する義務を負ふと云ふことになつて居りまして、兎に角第九十五條の違反になると云ふことまでは確かでございます、併しそれ以上に如何なる強制手段を以て、例へば出席をここに強制するかと云ふやうな問題になりますと、それは他の法律と違ひまして、憲法は國の中心的規定であり、一國の政治の根源規定でありまして、大體此の中に動く人々は政治道徳の模範ともなるべき人々であらうと思ひまするが故に、そこまで細かく制裁規定などを置くことは、寧ろ體裁を得ないのではないかと考へて居ります

  • 062 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 私は制裁規定と言つたのは、一つの例を言つたので、制裁規定ではない、例へば不信任決議をして、十日以内に總辭職の手續を執らなかつたならば、當然總理大臣としての地位は喪失するのだと云ふ風な規定、さう云ふものが必要ではないか、果して不信任があつたのであるか、なかつたのであるか、それは最高裁判所に掛けなければ分らないと云ふやうなことにもなる虞があるのではないか、さう云ふ點に付て此の憲法は重大な所に規定の何があるので、恐らくありはしまいと思ひまするけれども、憲法としてはやはりさう云ふ締括りを付けて置く必要があるのではないか、單に政治道徳に任すと、憲法違反をしたらどうだと云つた所が、それは止めが刺せないと云ふことになつて居るのでありますから、是は當然議會で不信任決議をなせば、十日以内に手續をしなかつたならば、其の地位は喪失するものだと云ふ風な規定が必要ではないかと思ふのでありますが、此の點に付ても御檢討を煩はしたいと思ふのであります  それから立法發案權の問題でありますが、立法權は議會にあることは申すまでもない、國の唯一の立法機關だと云ふことになつて居りまするが、發案權は内閣にあるのであるか、議會にあるのであるか、現憲法に於ては内閣、議會共に之を有して居ると云ふ風に明記してありますが、國の唯一の立法機關であると云ふことのみに依つて、議會に發案權があると云ふ風にも明確に思はれない節があるのでありますが、此の點如何でありませうか  それからもう一つ、國會關係で、所屬政黨の變更の場合に、國民に彈劾權を持たすと云ふ風な規定、斯う云ふものも私は議會政治を發達せしむる上に、民主政治を發達せしむる上に於て、最も重要な事項だらうと思ふのでありまするが、さう云ふ風な規定も挿入する御意思がありまするか、どうでありまするか、此の點に付ても御尋ね致したい

  • 063 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 議會が法律案に付て發案權を持ちますることは、立法權を持つて居ると云ふ規定の當然の結果であらうと思ひます、而して内閣が斯樣な議案を出し得るかと云ふ點に付きましては、第六十八條に「内閣總理大臣は、内閣を代表して議案を國會に提出し、」と云ふ其の規定に依つて、稍稍廣く規定せられて居るのでありまして、之に依りまして十分趣旨を達し得ると思ひます  次に代議士を彈劾する權能は、全然考へられない趣旨のものではありませぬ、「ヨーロッパ」に於きましても「アメリカ」に於きましても、小さい所にはさう云ふやうな規定がありまして、詰り國民投票に依つて其の問題を解決しようと云ふことはありますけれども、どうも制度の運用に於きまして左程業績を擧げて居ると云ふことも聞いて居りませぬ、大體衆目の視る所國會議員の行動は明かになつて居るのであり、自然の調節に依つて政治的な解決が起ることと考へて居りまして、此の憲法は此の規定を設けて居りませぬ

  • 064 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 今の内閣に立法議案の提出權があると云ふのが、單に「議案を國會に提出し」と云ふ所から發するのだと云ふことでしたら、是は非常に曖昧だと思ふ、第六十九條に「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。」と云ふので、當然一般行政事務の外に左の事務があることになるのでありまして、そこに列擧されて居るのであります、行政事務でありますから、法律案を議會に出すと云ふことも、行政事務の中に入るのでありませうか、是はやはり立法權の一部を成して居るものであると思ふのでありまして、此の點をいま少し明確にされなければ──同僚に私共此の點を質した所が、それは議會に法律の發案權があるのであつて、内閣にはなからうぢやないかと云ふ誤解と云ふか、今の金森國務相の御答辨から行きますと誤解になるのでありますが、さう云ふ誤解をして居る者も相當あるのであります、隨て此の點に付て議會の法律發案權も明確にするし、内閣の發案權も亦明確にする必要があらうと思ふのですが、此の點も尚ほ御研究願ひたいと思ふのであります  それから國民の權利義務と云ふ所に參りたいと思ふのですが、是は先日本會議で申されたやうでありまするが、無罪者に對する國家の賠償制度の規定がない、從來憲法でなくて、補償法みたいなものがありましたが、是も非常に制限された補償法であつて、非常に制限された條件の下に、僅かに一日五圓以内と云ふ補償金が拂はれて居るのでありまするけれども、未決拘留せられて刑餘の人みたやうなことになつて、而もそれが最後に無罪の判決を受けました所で、其の物心兩面に於ける痛苦がどの位ひどいものであるか、社會的の地位が高ければ高い程其の痛苦がひどい、又社會的の地位も低く其の他色々な條件が惡い人には、より一層其の痛苦と云ふものが痛切に響く譯なんでありまして、一日五圓以内の補償の如きでは、到底國家が賠償すると云ふ趣旨には適せぬと思ふのであります、隨て此の國家賠償と云ふものは、徹底的に遺憾のない方法を執らなければならないのでありまして、是も外の人權擁護規定と共に、憲法に嚴乎として規定する必要があると思ふのでありますが、當局の御意見はどうでありませうか  更に官吏の違法行爲に因る損害、是も從來は國家も之を補償しませぬ、又個人關係に於ても、公法行爲に基くものであるから、故意にやつた場合に於ては、それは無論損害賠償とか、其の外それぞれの法條に該當して色々な方法を執らなければならないのでありますたれども、併し故意でなかつたならば、過失でも賠償の責任がないと云ふ風なことになつて居りますが、此の官吏の違法行爲に付きましても、同じく國家が責任を負ふと云ふ規定、之を掲げて戴きたいと思ふのであります、當局の御所見は如何でありませうか、

  • 065 金森徳次郎

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    ○金森國務大臣 第三章の範圍に考へられます權利は、特に重要なる國民の權利義務を考へて居る譯であります、併し世の中に規定することを好ましとする國民の權利義務は數多くあるのでありまして、それを何處まで憲法に採入れるか、或は之を一般の法律に任すか、其の限界をはつきり決めることは困難でありますけれども、凡そ憲法の建前からして其の重要さを檢討致しまして、主なるものをここに第三章中に取入れた譯であります、隨て今御話になりました無罪者の賠償とか、或は官吏の違法行爲に基く賠償の如きは、之を法律事項、立法問題として研究する方が、此の憲法の體裁に副ふのではないかと考へて居ります

  • 066 高橋英吉

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    ○高橋(英)委員 私どちらかと云ふと性急な方で、まだあと相當と云ひますか、少々質問することになつて居りますけれども、時間が迫りますと勢ひ尋ねますことも十分尋ね得ないと云ふ嫌ひがありますので、私の質問は此の程度で打切らして戴いて、明日繼續さして戴きたいと思ひます

  • 067 芦田均

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    ○芦田委員長 明日は午前十時より開會致します、本日は是にて散會致します    午後五時二十分散會