蔵内勇夫・福岡県議会議長、議員辞職表明の前夜「限界だろう」…落選からスタートした「県議会のドン」失墜
福岡県議会の蔵内勇夫議長(72)の突然の議員辞職表明で、福岡県政界に衝撃が走った。1強体制の弊害を探り、今後を展望する。 【動画】長渕剛さん、熊本市に1000万円寄付…前日は「一日も早い復旧・復興への願いを胸に」コンサート
たった数日で方針転換
「俺は、議員を辞めようと思う」
22日、福岡県議会の蔵内議長は自民党県議団の秋田章二幹事長(76)を電話で呼び出し、こう切り出した。突然で驚いた秋田氏は慰留したが、蔵内氏は無言を通したという。「吹っ切れた表情だった」。秋田氏は振り返った。
23日夜、蔵内氏に近い関係者にも連絡があった。「(一連の報道で)県議としての活動ができない。限界だろう」と語ったという。24日午前8時過ぎ、自民県議団の連絡網で議員辞職を表明すると報告があり、同9時過ぎ、3行のコメントが報道各社に発表された。
19日の段階では、蔵内氏は議長を辞めると明言する一方、議員辞職は「(金銭授受疑惑に関する)第三者委員会の調査に県会議員として答える」と否定していた。たった数日での方針転換。ある自民議員は「9月定例会で(蔵内氏の)議員の辞職勧告決議案が出たら、もたないという話もあった。本人にも伝わっていたと思う」と明かした。
「県議会のドン」の失墜。服部誠太郎知事は「重く、大きな決断をされたと思う。ただ、これで幕引きではない」と話した。
「目がギラギラしていて野心家に見えた」
蔵内氏は県立八女高から日大農獣医学部の獣医学科に進学。卒業の約1年後の1980年、地元の衆院議員の秘書となり、83年に無所属で県議選(筑後市)に出馬。その時は落選した。
当時は20歳代後半。蔵内氏と会ったという男性は「目がギラギラしていて野心家に見えた」と話す。87年には現職を破って初当選。県南部・筑後地方の重鎮、古賀誠・元自民幹事長(86)とも関係を築き、自民県議団入りした。
蔵内氏が徐々に頭角を現す中、県議団内は主流派と非主流派の対立が激しくなり、分裂。蔵内氏は2003年、主流派の県議団会長に就任し、「融和」を図った。懇親会やゴルフ会では蔵内氏も積極的に金を出したという。「議会の懇親、融和のためにはお金はかかる」。周囲にそう説くこともあった。