フェミニズムに救われた——そうした経験を持つ女性は少なくないだろう。新著『ヒヤマケンタロウの妊娠 育児編』を上梓した漫画家の坂井恵理さんが自身の経験を振り返る。
初めて痴漢に遭った時のこと
中学生の頃、初めて痴漢に遭った。放課後、ひとりで犬の散歩中、車が入れない細い路地で、自転車に乗った男から追い越しざまにやられた。私はそれまで、痴漢という存在は知っていたが、おしりをちょっとなでるくらいなのだろうと思っていた。しかしそうではなかった。もっと奥の方へ手を突っ込んできたのだ。
私は瞬時に痴漢の目的を理解し、触られたことに怒り、痴漢の着ていたトレーナーを力いっぱいつかんだ。ビリっと、トレーナーが破れる音がした。痴漢は私に向かって「バーカ!」と叫んで、自転車で逃げて行った。高校生くらいの男だった。
体を触られたこと、私は悪くないのに「バカ」と言われたことがショックで悔しかった。その夜、風呂の中で一人で泣いた。
次の日、母親に「犬の散歩に行きたくない」と申し出た。母は散歩を代わってくれたが、後日、親戚の前で「恵理ったら痴漢に遭うから犬の散歩に行かないなんて言うのよ」と、笑い話にした。
父親は、子どもが殺されるような事件があると「お父さんは恵理に何かあったら絶対犯人を殺す」と言うような人だった。
しかし父は別の日、自分には裁判傍聴が趣味の友人がいて、レイプ裁判が一番面白いらしい、どんな風に襲われたか詳細に語られるからなのだと、娘の私に向かって笑いながら話すのだった。父も、私が痴漢に遭ったことは母から聞いていたはずだが、犯人を探し出して殺してはくれなかった。
中学生の私には、これらの出来事についてのモヤモヤとした感情がなんなのか、説明できる言葉がなかった。
「性」について語れなかった
同じころ、私はマスターベーションを覚えた。一応断っておくが、痴漢被害がきっかけではない。
教室で男子の会話を聞いたり、青年誌の漫画を読んだりしていたから、男はみんなマスターベーションをするものらしいということはわかった。しかし女はどうなんだろう? 他にも私のようにマスターベーションをする子はいるのだろうか。同級生に、Hな体験談が載った「エルティーン」などの女性誌や、男性向けエロ漫画を貸してくれる女友達はいた。でもそれが何のために必要なのか、私たちが語り合うことはなかった。
高校生になり、電車通学をするようになると毎日のように痴漢に遭うようになった。
高校では漫画部に入った。漫画部では、やおい(今のBL)の同人誌を読んだり描いたりしている友達がいた。しかし、女子校で男の目がなくても、マスターベーションの話などはできなかった。
同じころ、岡崎京子さんや内田春菊さんの漫画もよく読んだ。女性作家が女性の性を赤裸々に描いていて、とても憧れたが、私は漫画の登場人物のような「カッコいいヤリマン」にはなれそうもなかった。
大学生になると初めて恋人ができた。当時はうまく言葉にできなかったが、そこでもいくつかの女性ゆえの違和感に出会った。
彼氏に家に招かれた時、突然「ご飯作って」と言われた。当時私は家事のすべてを母任せにしていたので、料理などひとつもできなかった。彼は、女であれば料理ができるものだと思っているらしかった。
彼が他愛もない嘘をつき、それに私が引っかかると彼は私を「かわいい」と言った。なぜ騙される私が「かわいい」のだろうか。
ある本との出会い
大学を卒業する前にバブルが崩壊した。就職氷河期で女子学生にまともな就職先はなかった。
私は大学3年生で漫画家デビューをはたし、アシスタントもしていたので、就職はあきらめたが、自分の漫画は年に数本読み切りが載る程度だった。
まもなく、母親が乳がんに罹った。母が入退院を繰り返す中、何の相談もなく、家事のほとんどは私の役目になった。父と弟は手伝う程度。母が通いで抗がん剤治療をするため、病院への車での送り迎えも私がしなければならなかった。
当時、私に漫画家としての覚悟が足りなかったのは認める。しかし、慣れない家事で自由時間は細切れにしかなく、私は漫画が描けなくなった。
そんな時に、書店で北原みのりさんの『はちみつバイブレーション』という本を見つけた。初版が1998年。すでに絶版で、電子版もないようなので目次をいくつか抜粋する。
「おまんこ!」と言えますか?
「恋愛の強迫観念」をいつまで抱えるの…
男性よ!あなたの乳首をもっと活用しよう!
そろそろ「男組織」から「女組織」へ移行しない?
田嶋陽子が吉永小百合だったら…
大切な大切なマスターベーション
目次をざっと読んだだけで、私はこれを買わねば! と思った。正直なことを言えば、当時の私は、フェミニズムに対する偏見を持っていたと思う。「怒るほどのことでもないことに怒る、うるさくて怖い女」といった、ステレオタイプなものだ。
北原さんの本は、帯の推薦文が田嶋陽子さんだったから、フェミニズムの本だということは明らかだった。でもそうだとわかった上でレジへ向かった。直感で、ここには私にとって大切なことが書かれている気がした。
モヤモヤにどんどん言葉が与えられた
その予想は当たり、本を読みながら、これまでの私のモヤモヤが解消していくのがわかった。北原さんは、「こうするべきああするべき」といった口調ではなく、自身も迷いながら、こちらに疑問を投げかけ、語りかけてくれているように感じた。そうだよね、そうだよねと思いながら一気に読んだ。
モヤモヤにはどんどん言葉が与えられた。いくつかを挙げるとこんな感じだ。
女のマスターベーションが男向けのポルノとして消費されるのはムカつく!
男向けのポルノばかりが誰にでも目に付くところに置かれてるのはおかしいよね?
女が主体的に性を語ることがよくないとされているのは、男の支配欲や征服欲が脅かされるからだったのか!
痴漢に遭った時、そして性犯罪を笑い話にした両親に、私はもっと怒ってよかったんだ!
私の性欲を表に出しにくいこと、彼氏に感じていたモヤモヤ、女子にまともな就職先がないこと、私だけが家事をやらされること、すべて、すべて繋がっていたんだ!
フェミニズムとは「女らしさ」や「男らしさ」などの「らしさ」からの解放だ!
中でも私が心打たれたのは、女にも性欲があるということを、はっきりと明言してくれていたことだった。女が性について語ることは、当時も今も、男向けのポルノとして消費されるリスクがある。それでも、性に対する主導権を、他人である男に渡さないために、女が、女自身の言葉で性を語ることの必要性を、この本は教えてくれた。
読み終わるとすぐに北原さんに感想メールを送った。北原さんからもすぐに返信が来て、同じような女たちと語り合いたいので集まりましょう!と誘ってくれた。
集まった女たちは、高学歴の人が多かったが、それ以外は、容姿も、ファッションも、性的嗜好も、バラバラだった。声が大きくよくしゃべる人もいれば、そうでない人もいた。そこで私は、生まれて初めて女同士でマスターベーションの話をした。理想の女性向け風俗を考えたりもした。
また、私たちはこの男社会でおかしいと思うことをそれぞれ吐き出し、たくさん怒り、たくさん笑った。ミニコミも作った。SNSもなかったあの頃、そこはとても貴重な場所だった。
フェミニズムは「ポルノ」を憎むのか
ここまで読んでくれた方は、フェミニズムは性欲を肯定してくれるものであり、必ずしも性的なものや猥褻なもの、ポルノを否定しているわけではないことをわかってくれたと思う。
しかしSNS(主にツイッター)では、「フェミニスト」といえばポルノを憎み、そういう表現を規制したがる人たちのことだろうと、信じて疑わない人がまだまだたくさんいる。
私はフェミニストだが、ポルノはなくならないで欲しいし、表現規制を望んでいるわけでもない。そして、それに賛同してくれるフェミニストは少なくないと思う。
私は漫画家なので、性描写について、編集部から描き方に条件を付けられることがある。青少年に「悪影響」を与える性表現への注意を促す都条例(東京都青少年の健全な育成に関する条例)を気にしての自主規制なのかもしれないが、私は行政による表現への介入には反対の立場だ。
公権力が「気に入らない表現」を決めて、規制したり圧力をかけたりするのは、性描写に限らずとても危険なことだ。そもそも憲法で保障されている「表現の自由」とは「公権力から検閲されない自由」を意味しているはずである。
性描写を「猥褻かどうか」にこだわって問題視し、法規制を求めているのは、フェミニスト団体というよりは、性教育を「寝た子を起こすな」などといって反対する保守勢力のほうなのだが、ここを混同している人もいまだに多い。
では、多くのフェミニストは何に怒っているのか。それはポルノではなく、性差別である。ポルノ=性差別ではないが、日本のポルノ表現において、男性に女性が隷属するような性差別的なものが目立つ、というのは事実だと思う。性差別的なポルノがあれば、それを批判するフェミニストもいるだろう。
こうした批判が出ると、すぐに「表現規制だ」という反応が出がちだが、批判することと、公権力による表現規制を求めることは全くの別物であるということも指摘しておく。
また、実際に出演者が怪我をするようなアダルトビデオや、子どもの人権をないがしろにするようなものの場合、批判だけで済まないのは当然のことだ。
「女の子のキャラはバカっぽくしてください」
性差別的なものの見方や考え方は、注意していないと安易に表現の中に滑り込んでくる。そのことを私は漫画家として、ポルノとは別の場面でも感じてきた。
私は、性描写についての禁止事項以上に嫌なことがあった。それは、青年誌の編集者から「女の子のキャラは明るく、バカっぽくしてください」と言われることだ。
もちろん強制ではない。漫画家としてふがいない私に、売れ線を描かせるためのアドバイスだったのだろう。しかし、私はかわいい女の子の裸を描くのは好きだったが、精神的に幼く、また自分の性欲や性的魅力に鈍感な(であるがゆえにセクハラも受け入れる)美少女を読者にウケるように描くことができず、しだいにフィールドを女性向け漫画に移していった。
男性向け漫画の一部には、男性向けであるがゆえに「リアルな男性像」として弱い主人公が描かれているものがある。個人的には、露骨に性差別的な「俺様男」が登場する作品よりもこうした作品の方が好きだ。しかしそのヒロイン役が「明るい、バカ」だったりすると、私はとたんに物語に入り込めなくなってしまう。
俺様男ではないタイプの男性も、結局は女と対等でいる気なんてなく、セクハラを受け流すようなのがいい女だと思ってるんだ、ということがわかってしまうからだ。こんなふうに、一見そうとは見えなくても、いろんなところに性差別的な表現は隠れている。
もちろん、「女をステレオタイプにバカっぽく描く」こうした表現については、たとえ性差別的に感じられ嫌だと思っても、「猥褻」ではないのだから一律の「表現規制」なんてできるわけがない。それは当たり前だ。嫌なものだから何でも規制できる、規制しろと言っているのではない。
私の過去の作品でも、今読み返すと微妙なものはある。社会の写し鏡である創作物に、作者自身も無自覚なまま、差別的な表現が入り込むのはよくあることだ。だからこそ、私はそこから目をそらしたくないし、公的な機関がそうした表現に安易にお墨付きを与えることは問題だと思う。
女性向けエロ漫画で、女性作家がレイプ物を描き、それを女性読者が楽しんでいるのだから、フェミニストの主張は見当違いだという人もいる。たしかに、女性向けのエロ漫画にレイプまがいのものが少ないわけではない。女性も、男性向けの「痴女」ものと同様に、ファンタジーの中でくらい、誰にも奉仕せず受け身でラクしたいという側面もあるだろう。
しかし、セックスシーンに至るまでの恋愛パートや、一般向けの少女漫画でも、女性に対して偉そうで強引な「俺様男」が人気なのは、本当にそれが女の揺るがしがたい欲望だからなのだろうか。そうではなく、女が恋愛やセックスに対して積極的なのはよくないこととされる社会であるため、女が受け身に描かれがちという解釈もできるはずだ。
必要なのは、男社会のあり方や価値観を当然のものとしている女性が、作家側にも読者側にもいることの意味を考えることではないのだろうか。エロ漫画や萌え絵を描く女性作家が多いからと言って、性差別は正当化されるわけではない。
私は世の中にはあらゆる物語が存在して欲しい。強い女も弱い女も賢い女もバカな女も、様々な容姿の女もいて欲しい。だからその中におバカでエロい美少女を愛でるものがあるのもいい。ただ、そういうものばかりが売れ、公の機関までがそれをもてはやす社会とは、どんな社会なのか。男が女に、自分よりバカでいてほしいというのはどういう欲望なのか。そこに目を向けずに「売れるものが正義!」と言っていてよいのだろうか。
しかし最近はSNSのおかげで、女性が性的な話をできる場も増えてきた。俺様男も、昔ほどは人気がないようだ。女性作家だけでなく、男性作家が描くものもだいぶ変わってきているように思う。私はそこに希望を見ている。
溢れ出す怒り
最後にもう一度言う。フェミニストは、ポルノに怒るのではない。性差別に怒るのだ。
男女の賃金格差や入試差別に怒り、家父長制を引きずる戸籍制度に怒り、女の政治家が少なすぎることに怒り、女の家事育児負担が多すぎることに怒り、家事育児の軽視に怒り、DVに怒り、性暴力に怒り、性犯罪が無罪になることに怒り、セカンドレイプに怒り、性暴力をセクハラと言い換えるメディアに怒り、セクハラに怒り、マタハラに怒り、「慰安婦」問題に怒り、セクシャルマイノリティ差別に怒り、セックスワーカー差別に怒り、学校でまともな性教育をしないことに怒り、ダサピンクに怒り、ハイヒール強要に怒り、AV強要に怒り、チャイルドポルノに怒り、女は若くてバカがいいという男に怒る。
だからこそ、女を存在しないかのように透明化し、一部の男性にしか意識を向けず、公共の広告として、幼く、エロい女の子を使うことに怒るのだ。
もちろん、フェミニストもいろいろだ。私とは違う考えを持ったフェミニストもいるだろう。それでも私はフェミニズムに救われたし、「私はフェミニストじゃないんだけど…」を枕詞に、彼女たちが戦って獲得してきた女性の権利だけをかすめ取るようなことはしたくないと思っている。