「シス」という言葉の由来
「シス女性/トランス女性」と並べて書く――いまや当たり前のようになったこの表記には、ひとつの仕掛けが組み込まれている。「シス(cis)」という接頭辞は、中立な記述語の顔をしながら、「女性」という語が指す範囲そのものを静かに書き換えている。その仕組みを、言葉の出所までさかのぼって確認しておきたい。
「シス」とは「トランスではない」という意味でしかない
「シス」は、独立した内実を持つ概念ではない。ラテン語の接頭辞 cis-(「こちら側の」)を、trans-(「越えて/向こう側の」)の反対語として置いただけのものだ。化学の cis-/trans- 異性体、ローマ史の「内ガリア(Cisalpine Gaul)」、地理の「シスヨルダン」と同じ造語法である。
要するに「シス」は、最初から最後まで「トランスではない人」を指すための対義語であって、それ以上の意味を持たない。
科学的発見ではなく、ネット発の造語である
この語が「学問的に確立した用語」であるかのように扱われることがあるが、来歴を見るとそうではない。
1991
性科学者フォルクマー・ジグーシュがドイツ語で zissexuell(cissexual)を使用
1994
大学院生ダナ・デフォスが掲示板 alt.transgendered に書き込み(英語圏の最初期の記録)
1995
カール・バウスが「自分が作った」と主張(独立に発生)
2007
ジュリア・セラーノの著書『Whipping Girl』以降、学術・運動の場へ拡散 |
歴史家の調査によれば、この語は当時の紙の資料――雑誌・会報・会議録――にはほとんど登場せず、事実上ネット上(ユーズネット)だけで使われていた。
しかも一部の熱心な投稿者が繰り返し用いたために、実際の普及度より大きく見えていたという指摘もある。
研究によって発見された概念ではなく、「トランスを他者化しない中立な対義語が欲しい」という動機から意図的に作られた新語なのだ。
なぜ「女性」にまで接頭辞をつけるのか
ここで言語学の「有標/無標(markedness)」が効いてくる。
ふつう「女性」と言えば、暗黙に生物学的な女性を指す。これが無標(デフォルト)である。
そこに「トランス女性」を並べると、トランスのほうだけが「印のついた例外」「本来の女性からの逸脱」のように見えてしまう。
この非対称を消すために、「女性」の側にも cis という印をつけて「シス女性」と呼ぶ。両方が等しく有標になれば、トランスだけが特別扱いされなくなる――提唱者たちが明示的に語ってきた理屈は、ここにある。
「印」は対称ではない
しかし、この「両方に印をつける」操作は、見かけほど対等ではない。
「シス女性」と言った瞬間、「女性」という語は〈シス女性とトランス女性を束ねる上位カテゴリー〉として再定義されている。
つまり接頭辞を並べる作業は、表面上は対等化でありながら、実質は「女性=生物学的な女性」という日常的な定義を、「女性という大きな傘の中の一種類(シス)」へと格下げする操作なのだ。
化学の cis/trans が観測可能な分子の幾何構造に基づくのに対し、ジェンダーの cis/trans は「内的な性同一性(実感する性別)が万人にあり、それがセックス(生物学的性)と一致するか否かで二分できる」という、まさに争点になっている命題を、当然の前提として言葉の中に畳み込んでいる。
おわりに
「シスをつけるかどうか」は、単なる呼び方の問題ではない。
それは「女性」という語が指す範囲そのものを書き換える前提を、言葉の側からあらかじめ呑ませる仕掛けである。
「右利き/左利き」のような中立な属性ラベルのつもりで「シス女性」と書いたとき、私たちは争いのある枠組みを、気づかぬうちに前提として受け入れている。
批判として最も効くのは、語源の俗っぽさではない。この「前提の押し付け」の部分である。


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