2026-08-15

子どもには「勉強しろ」と言っているけど、勉強した先に何があるのか分からなくなった

子どもには勉強しろと言っている。

宿題やったのか。

本読んだのか。

漢字覚えたのか。

計算練習したのか。

ゲームばっかりやるな。

YouTubeばっかり見るな。

自分でも完全に親みたいなことを言ってるなと思う。

でも最近

「なんで勉強しなきゃいけないの?」

と聞かれて、少し困った。

昔なら簡単だった。

いい学校に入るため。

いい大学に入るため。

いい会社に入るため。

そうすれば安定した生活ができる。

自身、だいたいそのルートで来た。

小学生の頃から

勉強しておいた方がいいと言われた。

中学で成績を取って、

高校受験して、

大学受験して、

就活して、

会社に入った。

そして働き始めて20年くらい経った。

振り返ると、

かに勉強しておいてよかったと思う。

選択肢は増えた。

仕事にも就けた。

給料もそこそこもらえている。

から子どもにも、

勉強しておけば将来困らないよ」

と言いたい。

でも、その言葉を口にしようとすると、

最近ちょっと引っかかる。

本当にそうなのか。

子ども社会に出るのは、

まだ十数年先だ。

2030年代後半とか2040年代になる。

その頃、

今ある仕事がどれくらい残っているのか、

俺には全然からない。

最近AIを見ていると余計にそう思う。

文章を書く。

翻訳する。

プログラムを書く。

資料を作る。

調べ物をする。

計算する。

絵を描く。

動画を作る。

昔なら、

ちゃん勉強して専門知識を身につけた人がやる仕事

だと思っていたことを、

AIがどんどんやり始めている。

しかもまだ始まったばかりだ。

じゃあ俺は、

子どもに何を目指して勉強しろと言っているんだろう。

いい大学

その頃にも学歴は今と同じ意味を持っているのか。

大企業

その大企業は、

今と同じ人数を雇っているのか。

資格

資格証明するような知識こそ、

AIが一番得意だったりしないか

プログラミング

少し前までなら、

子どもにはプログラミングを覚えさせた方がいいと思っていた。

今でも無駄だとは思わない。

でもAI普通にコードを書くようになって、

「将来食えるからプログラミングをやれ」

とは、もう言い切れない。

英語もそうだ。

英語はできた方がいい。

絶対できた方がいい。

でも機械翻訳がここまで進んで、

リアルタイム通訳まで普通になっていったら、

俺たちの世代が苦労して覚えた英語力と、

子ども世代英語力は、

同じ価値ではないかもしれない。

なんだか、

子どもに渡そうとしていた攻略本が、

急に旧バージョンになってしまった感じがする。

俺たちの世代はまだ分かりやすかった。

勉強する。

偏差値を上げる。

大学に入る。

就職する。

会社出世する。

途中で脱落する人もいるし、

そのルート幸せとは限らない。

それでも、

「とりあえずこっちに進めば大事故にはなりにくい」

という道はあった。

の子どもに、

同じ道を示していいんだろうか。

この前、子どもに、

勉強できると何になれるの?」

と聞かれた。

医者とか、

研究者とか、

エンジニアとか、

いろいろあるよと答えた。

すると、

「じゃあAIより勉強できればいいの?」

と言われた。

答えられなかった。

たぶん、もうそういう勝負じゃない。

人間AIより物知りになるなんて無理だ。

計算も負ける。

暗記も負ける。

文章を作る速度も負ける。

これからもっと負ける。

なのに学校では、

相変わらず正しい答えを早く出す練習をたくさんする。

もちろん基礎学力必要なのは分かる。

九九を知らなくていいとは思わない。

漢字を読めなくていいとも思わない。

歴史科学も、

知識がなければ考えることすらできない。

でも、

知識をたくさん持っている人ほど価値が高い」

という世界は、

かなり怪しくなってきた。

じゃあ何を身につければいいんだろう。

好奇心

コミュニケーション能力

創造性?

問題発見能力

主体性

よく聞く言葉はいっぱいある。

でも、どれも急にフワッとする。

主体性を身につけろ」

なんて、

小学一年生にどう教えればいいんだ。

AIにできないことをやれ」

というのも無責任だと思う。

だって自身

AIに何ができなくなるのか分かってない。

しろ毎年、

「そこまでできるようになったの?」

と言っている。

それなのに子どもには、

AIに負けない能力を身につけろ」

と言う。

無茶苦茶だ。

最近は、

勉強しろと言いながら、

自分の中で意味が少し変わってきた。

昔は、

勉強する

いい学校に入る

いい会社に入る

幸せになる

だと思っていた。

今は、

勉強する

世界について少し分かる

知らないことを自分で調べられる

何かが変わったときに学び直せる

くらいしか言えない。

たぶん、

子ども大人になる頃には、

一度覚えた知識で40年食っていくなんて無理なんだと思う。

何を覚えたかより、

知らないものが出てきたときに、

怖がらず触って、

理解して、

使えるようになること。

そっちの方が大事なのかもしれない。

そう考えると、

勉強意味はなくなるどころか、

しろ重くなっている気もする。

ただし、

「この問題の答えを覚えなさい」

ではなく、

「分からないものを分かるようにする練習をしなさい」

という意味で。

でも、そんな理屈子どもに話しても当然伝わらない。

から今日も、

宿題やったの?」

と言う。

子どもは嫌そうな顔をする。

俺も昔、

親に同じ顔をしていた。

あの頃の親は、

少なくとも勉強した先に何があるのか、

今の俺よりは信じていた気がする。

俺にはそれがない。

子どもには勉強しろと言っている。

でも本当は、

何を勉強すれば正解なのか、

俺の方が教えてほしい。

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