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栗田善成さん死因は老衰、博多ぶらぶらがラジオへの転機

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栗田善成さんが8月5日未明、老衰のため87歳で死去した。

栗田さんは1971年から2021年まで約 50年 にわたり、ラジオで活動した。

その前には、CMプロデューサー(CMの企画・制作をまとめる仕事)やコピーライター(広告の言葉やキャッチコピーを作る仕事)として働いていた。

CMを作る側だった栗田善成さんは、なぜラジオで話す側へ移ったのか。

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栗田善成さん死因は老衰、博多ぶらぶらがラジオへの転機

栗田善成さんの死因は老衰、87歳

所属事務所BIGMOUTH の発表で、 87歳という年齢も明らかになっている

所属事務所BIGMOUTHが訃報を発表したのは8月12日だ。

通夜と葬儀は近親者のみですでに執り行われた。

訃報の先にある栗田さんの歩みをたどると、ラジオだけでは収まらない仕事歴が浮かぶ。

ラジオに入る以前の仕事から、その経歴をたどる。


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CM制作から1969年に福岡へ

ラジオ以前の仕事は、CMの企画・制作だった

栗田さんは1938年に満州で生まれ、その後は秋田県で育った。

日本大学卒業後はCM制作の仕事に入り、コピーライターとしても活動している。

その後、1969年に福岡へ移った。
BIGMOUTH によると、福岡ではCM制作のほか、企業のブランド作りやラジオ番組の脚本など、言葉に関わる仕事を手がけた。

実は、長い放送人生の前には、CMを作る側として働いた時間があった。

マイクの前に立つより先に、栗田善成さんには広告の言葉を作る仕事の時間があったのである。


CMを作る側
福岡移住後の仕事
マイクの前へ
のちの放送活動

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では、CMを作る側から話す側へ変わった具体的な接点は何だったのか。

CM制作の仕事を経て、1969年の福岡移住から放送へ経歴が進んだ。(出典: 株式会社BIGMOUTH)
CM制作の仕事を経て、1969年の福岡移住から放送へ経歴が進んだ。(出典: 株式会社BIGMOUTH)(※イメージ図)

「博多ぶらぶら」がラジオへの接点

転機になったCMが「博多ぶらぶら」だった

栗田さんは、このローカルCMを共同でプロデュースした。

しかも制作するだけではない。

歌も自ら担当していた。

BIGMOUTH によると、その歌声と話術に放送局のプロデューサーが注目した。

そして声をかけられたことから、1971年にラジオパーソナリティーとして本格的な活動を始めた。


1 「博多ぶらぶら」を共同でプロデュースし、自ら歌も担当した。
2 歌声と話術に放送局のプロデューサーが注目し、声をかけた。
3 1971年からラジオパーソナリティーとして本格的に活動した。

ここが栗田さんの経歴で大きな転換となる。

「博多ぶらぶら」はCM制作の実績として残っただけではない。

そこで自ら歌い、話したことが、ラジオで活動する入口にもなったのである。

CMを作る側と、ラジオで話す側。

その二つの仕事は 「博多ぶらぶら」でつながっていた

この転機から始まったラジオ活動は、どれほど長く続いたのか。


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「博多ぶらぶら」での歌声と話術への注目が1971年のラジオ活動につながった。(出典: 株式会社BIGMOUTH)
「博多ぶらぶら」での歌声と話術への注目が1971年のラジオ活動につながった。(出典: 株式会社BIGMOUTH)(※イメージ図)

KBCラジオで約50年、番組は約21年

ラジオ活動は1971年から 約50年 続いた。

1975年にはKBCラジオで「栗田善成のまずはラジオでおつかれさん」が始まった。
KBC によると、栗田さんは番組で世相を独自の視点から扱い、リスナーが参加する「艶だし川柳」も生み出した。

BIGMOUTH によると、この番組は通算 約21年 に及んだ。

栗田さんはその後もラジオで活動を続け、2021年までマイクの前に立った。

「博多ぶらぶら」で生まれた放送との接点は、一時の転身ではなく半世紀規模の仕事へ続いた


1971年
ラジオ活動
ラジオパーソナリティーとして本格的に活動を始めた。
 
1975年
ラジオ活動
KBCラジオの夕方ワイド番組が始まった。
 
2021年
ラジオ活動
約50年にわたったマイク人生を終えた。
 

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2021年にマイクを離れた後、栗田さんの日常に残っていたものがある。

1971年から2021年まで約50年、代表番組は通算約21年に及んだ。(出典: 株式会社BIGMOUTH)
1971年から2021年まで約50年、代表番組は通算約21年に及んだ。(出典: 株式会社BIGMOUTH)(※イメージ図)

2021年引退後も新聞と時事に関心

2021年3月、50年のマイク人生を終えた

栗田さんは芸能界を引退した。

だが、所属事務所の発表には、放送を離れた後の姿につながる具体的な記述がある。

BIGMOUTH によると、最期まで新聞を購読し、時事問題への関心を持っていたという。

世相を扱うラジオ番組で長くマイクに向かった栗田さんが、引退後も新聞を読み続けていたことになる。

CMを作り、広告の言葉を書く仕事をした経験が、後のラジオでの話術にも寄与した可能性がある。

栗田善成さんの足跡で際立つのは、 「博多ぶらぶら」を境にCMの仕事と約50年のラジオ人生がつながっている点 である。

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あなたが福岡で長く耳にしてきた名前やCMを振り返るとき、「博多ぶらぶら」は栗田さんの歌声だけでなく、放送人生への入口としても位置づけられる。

訃報や経歴を確かめる際には、所属事務所やKBCが公表している記録から、その歩みをたどれる。

放送活動を終えた後も、最期まで新聞と時事への関心は続いた。(出典: 株式会社BIGMOUTH)
放送活動を終えた後も、最期まで新聞と時事への関心は続いた。(出典: 株式会社BIGMOUTH)(※イメージ図)

まとめ

  • 栗田善成さんの歩みはCM制作から福岡へ続き、「博多ぶらぶら」で自ら歌い話した経験がラジオへの接点になった。
  • 「博多ぶらぶら」から始まった放送とのつながりは、1971年から2021年まで約50年続くラジオ活動へ伸びていった。
  • 約50年の放送人生を終えた後も、栗田さんは最期まで新聞を購読し、時事問題への関心を持ち続けていた。

CMを作る側とマイクで話す側をつないだ具体的な地点が、「博多ぶらぶら」だった。

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リアルタイムニュースNAVI 編集部

reaitimenews.com

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