【連載】「いるものの呼吸」 #14 ほんの少し死ぬこと
幽霊、場所、まだ生まれていないもの――。目に見えない、声を持たないものたちの呼吸に耳を澄まし、その存在に目を凝らす。わたしたちの「外部」とともに生きるために。
『眠る虫』(2020年)、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(2023年)など、特異な視点と表現による作品で注目を集める映画監督・金子由里奈さんの不定期連載エッセイ。
第14回は、ベトナム戦争に反対して独自の市民運動を展開した金子さんの祖父・金子徳好さんについて。
「アメリカはベトナムから手をひけ」と書かれたゼッケンを胸につけ通勤する運動を8年間続けた祖父の言葉と姿から、「ほんの少し死ぬこと」としての市民運動と、それを通じて「いまは知らない平和」の空気を呼吸することを模索します。
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死者とは話せない。というのは本当か。
この問いの意味は、すごい速度で変わり続けている。現代では死者があちこちで忙しい。松田優作が新規CMに起用されたり、AI故人という言葉もあるらしい。もちろん松田優作が直接、依頼の電話を取ったわけじゃない。
いくら思考や声音が「死者」と似ていても、「死者」は「死者」としての存在を絶対にやめることはない。というのが、私にとってひそかな信仰のようで、祈りに似た安心をくれる。
私にとっての「死者」。今回は祖父・金子徳好と話をしたいと思う。祖父はもう18年前に死んだ。いま、電話に出ることはないし、生きてる時だって電話をしたことはほとんどない。私にとって、話をするというのは、誤読をすることに近い。言葉を紡いで、眉をひそめて、声を振りまいて、わからなくなって、わからなさの中にたまに生えてくるひらめきを見逃さず摘み取る。そういう時間が話をするという営みだと思っている。
祖父の記憶はほとんどない。三鷹の小さな都営住宅。独特の湿り気の匂いに、いつも少し緊張していた。家に行くのは月2回。祖師谷から三鷹まで行く道の途中に大きなドラックストアがあり、そこに寄るのが楽しみだった。幼い私は「三鷹」がずっと言いづらくよく、「みかた」と言っていた。
祖父はひとりだけ少し大きな誕生日席のシングルソファに座っていた。溢れそうな透明なものは日本酒だったといまわかる。こんばんは、と挨拶して家に入る頃には、祖父はもう赤らんでいた。奥には寝室があって、囲碁が置かれている。祖父は兄とたまに囲碁を打っていたが、私はまるでルールが分からなかった。囲碁盤の重たさや手触りに憧れ、碁がみっしり入った入れ物に小さな手を入れたりして、吸い付く冷たさに心地を運んでいた。
祖父は、ほんとうに孫に興味のない人だった。記憶している限り、何かプレゼントを渡してもらったこともない。家に行く日も、父と話せることを楽しみにしていることが孫の私にも丸わかり。ただ、ほんとうにやさしそうに笑う笑顔だけは覚えている。
そんな祖父は「アメリカはベトナムから手をひけ」と書かれたゼッケンを胸につけ、通勤をした。1日や2日の話ではなく、8年間も。当時、アメリカは北ベトナムへの大規模爆撃(北爆)を始め、軍事施設だけでなく農地や学校などにも被害が広がり、多くの民間人や子どもたちが命を落としていた。この破壊と犠牲は、いまのガザの状況とも重なる。日本でも反戦デモが盛んになるなか、祖父は職場へ向かう日常に「反戦」を着た。もし、今、祖父が生きていたら、老人ホームで「民族浄化をやめろ。パレスチナ解放」と書かれたゼッケンを着て、ラジオ体操とかしてると思う。
そして、いまなら私とも話すことがたくさんあるだろう。ラジオ体操で血流が促進されたところで孫登場。デモだけではない、わたしも市民運動のあり方を模索するひとりだ。視線がざわめいて背中を刺す中、「国葬反対」と書かれた紙を貼って電車に乗ったこともある。祖父を特別な存在だと意識したことはなかった。ただ、「ひとりで浮く」という技術が祖父の日常からポケットの底のメモ書き程度に、受け渡されていたのだと思う。
祖父はそもそもなぜこの運動をはじめたのか。祖父が書いた『ゼッケン8年』という本を片手に尋ねてみる(ちなみに、『ゼッケン8年』を読み進めていると時々垣間見えるミソジニーに結構びっくりするけど、その話はまた今度にしようと思う)。
きっかけは金曜日の夜、もう今はない居酒屋でのことだ。祖父は仲間たちと、煙たい居酒屋で「北爆が二ヶ月も続いている」ことをめぐって議論をしていた。やがて隣のサラリーマンの愚痴より大きな声で、居酒屋の喧騒を割っていく。
「じゃあ、何をやったらいいんだ。何かやらなくてはならないんだ、おれたちは。宣戦布告もせず、他民族国家を無差別爆撃することを、黙ってみていることができるのか」
(中略)
「金子さん。これは、いいだしっぺというものですね。まず、事務局長が先頭を切るべきですよ。何ごとも、陣頭指揮っていいますから」
(中略)
「ようし、強き者、ただひとりの時、もっとも強しだ。おれはやるぞ!」
祖父はこの時、かなり酔っ払っていた。酔いに任せての宣言で、ゼッケンをつける羽目になるのである。
絶対に忘れてはいけない存在がいる。このゼッケンが本当に動き出したのは、妻・金子静枝の静かな圧力が決め手だった。帰路につくとともに 酔いも気持ちも冷めていった祖父は、家に帰り止めてもらうつもりで祖母に言った。「ゼッケンをつけることになるが、まさか君は止めはしないだろうね」彼女は、絵を描きながら冷静に言う。「あなたミシン使えないもんね。わたしが作ってあげるわよ。北爆はなんとかしないといけないからね」男性権威がいまよりも深く蔓延していたこの時代、居酒屋で声を大きく荒げられたのは祖父が男性だったからだろう。この運動のエンジンは金子静枝の踏み込むミシンだった。
こうして始まったゼッケン通勤。毎朝合わす顔が挨拶をしてくれなくなった。電車に座っても周りは誰も座らない。全員の視線が祖父の胸に集中しているが、ひとりも悪意を感じていないこと がわかったという 。怖かっただろう。長かっただろう。輪郭が硬直している祖父の姿が浮かぶ。警察に尋問されたり、ゼッケンをネタに漫才をされたり、「日本で反戦デモなんて。それよりも経済を」なんていう、今でも飛び交ってきそうな言葉をひたすら浴びせられたり、罵倒されたりもした。二人組から、「ゼッケンを外せ! おっさん!」と怒鳴られたとき、彼は黙って外し、その二人を見送ってから、またつけた。半年も経つと、精神的に疲れが出てきて動悸が起き、しばらく休んだりもした。でもまたつけた。北爆が終わらないからである。やがて、新聞は彼を無視できなくなり、声をかけられることも増えた。だけど、その光景が当たり前になると、次第にご苦労さんも言われなくなる。それでも、辞めない。ゼッケン運動はぽつぽつと広がった。
2年経つと、彼には2年もこのゼッケンをつけなければいけない悲しみが襲った。北爆も、ガザも、状況は悪化するばかり。ひとりでゼッケンをつけたところで効果がなかったと、祖父は思った。でも、そんなこと最初からわかっていた。それでも、そうせざるを得ないことを祖父は「いのり」と言った。
そんな祖父の活動は、8年が経ったのち、ベトナム和平協定とともにいったん終わることになる。ゼッケンとともにぶら下げた募金箱での、ベトナムへの支援金も100万円を超え、ベトナムのホーチミン市の戦跡博物館の入口には今も祖父のゼッケンがある。そのニュースが流れた日には、電話がひっきりなしに鳴り、ご苦労さんとたくさんの人に言われたようだ。ゼッケンを外す会には60人以上が集まった。そして、1981年からは核廃絶を訴えてまたゼッケン通勤をした。
彼の生き様そのものがいのりのように思う。ゼッケンデモの一歩一歩に、映画の中に、電車の中の1秒1秒に、文章の中に、いのりを込めたい。キーボードを鳴らすたび、祖父の緊張は流れ込んでくる。何が市民運動の効果が現れる時なのかわからない。恒久な平和が訪れたときかもしれない。でもそれは、たった一つの運動の効果じゃない。数多の、ひとりの、緊張して立った存在が声を作り、民意を作り、国を揺らしていく。
由比忠之進が北爆を支持した佐藤栄作政権に対する抗議で焼身自殺をしたとき、祖父の線路上に、焼身死と言う言葉が浮かんだ。でも、祖父は「死ねない」と思った。「そのかわり、毎日、すこしずつ、身を焼く思いを続けます」。
死ぬ必要は絶対にないと私は言いたい。こういう運動は、ほんの少し死ぬことだと思う。日常の安全圏や安定を手放し、倫理や行動と真正面から向き合うこと。それはつまり、自分にとって安全な場所から一歩踏み出すことだ。恐怖や緊張、周囲の視線にさらされる。でも、その恐怖や緊張の奥底に、少しだけ自由な瞬間が生まれる。いのりは、いまは知らない平和との通路で、その世界の空気が吸える瞬間でもある。人が人を殺さない、絶対にそれだけが守られている世界の空気。
祖父のゼッケン8年も、祖母のミシンも。「死なないための死」だったのだろう。少しずつ身を焼きながら、少しずつ自由になる。その積み重ねが、世の中を揺らし続けることを、祖父は今、わたしの文章を読んで気づいている。
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著者:金子由里奈(かねこ・ゆりな)
東京都出身。立命館大学映像学部在学中に映画制作を開始。山戶結希 企画・プロデュース『21 世紀の女の子』(2018年)公募枠に約200名の中から選出され、伊藤沙莉を主演に迎えて『projection』を監督。また、自主映画『散歩する植物』(2019年)が PFF アワード 2019に入選し、ドイツ・ニッポンコネクション、ソウル国際女性映画祭、香港フレッシュ・ウェーブ短編映画祭でも上映される。初⻑編作品『眠る虫』(2020年)は、MOOSIC LAB2019においてグランプリに輝き、自主配給ながら各地での劇場公開を果たした。初商業作品『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(2023年)は、大阪アジアン映画祭、上海国際映画祭で上映されるほか、第15回TAMA映画賞最優秀新進監督賞を受賞した。
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