そのペンで花丸つけて!
「5教科100点だったら彼氏になって♡」って言ってきた後輩に、(ありえんし、やる気出すなら)で「ええよ。」って適当に答える北さん。
本気で勉強して満点取ってきたので、腹括って恋人になって一緒に過ごすうちに本気で好きになっちゃうけど、逆に後輩は「そろそろ申し訳ないな」ってすれ違う話。
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この世で間違いなんて起こしたことありせん、みたいな顔をしている人が、間違いを起こした時の顔をしている。
「見て、北さんこれ。」
「いかさましたんか。」
「できるわけないでしょ!」
ツッコミを入れて、5枚テストを並べた。いずれも100点である。
それから頬杖をついてニヤニヤした顔で北さんを見つめて「取りましたよ、100点」と言った。
「‥‥おかしいやろ。」
「え、おかしくないですよー!しぬほど勉強したんだから!」
「『わたしが赤点なのは問題文が関西弁だからだ〜!』とか言うてたやつが満点‥‥?」
あかん熱かも、と言って額を押さえた北さんに「北さんほど体調管理の鬼は見たことないんで、それはないと思います。」と言えば溜息をつかれた。
「ねぇ、北さん覚えてますよね?」
ふっふふふ、と笑って「思い出せ〜アブラカタブラ〜」と言ったら、アホを見る目線を寄越された。
でもそのアホは満点取りましたよ!
北さんは少し目線を逸らして、それから観念したように「覚えとるわ。」と呟いた。
1ヶ月前のことだ。
「救いようがない。」
「あまりにも直球ストレートで泣きそうです!」
「正論やろ。」
「うぅ‥‥。」
見事にバツで埋まってる問題用紙に頭を抱える。
もはや北さんほど真面目な人じゃなければ、とっくにわたしのことを見切っているだろう。
それくらいわたしは残念なほど頭が悪いのだ。とっっっっても。
父親の仕事の都合で東京から大阪から高校受験を機にやってきた。そこまでは良い。
そこで運動がそれなりにできたので稲荷崎の推薦が貰えた。それもまだ良い。
問題は、稲荷崎高校は運動能力だけじゃどうにかならないくらい勉強も必要だったのだ!
おかげで赤点連発。
高1から高2はなんとかやれた。ただ高2からは地獄。
このままでは進級が危ういですよ〜なんて言われて。
いや、ヤバいだろ。
そう思った両親は、父親の知り合いであるおばあさんの孫が稲荷崎高校で賢かったことを思い出し家庭教師につけた。そう、それが北さん!
初めて会った時「エッッッッなにこの、イケメン。やっば〜〜〜!マジ好き!」のノリで「北さん、勉強終わったらデートしましょうよ」って言ったら「終わるわけないやろ。」とピシャリ。
しぬほどスパルタだったのである。マジで容赦ない。
それでもあまり成績が伸びないわたしに北さんは投げ出すことなく今日に至るまで勉強を見てくれていた。おばあちゃんの力、強い。
「あかん、侑より頭悪いかもしれん。将来生活できんよ。」
「高校卒業したら北さんのお嫁さんになるから大丈夫‥‥。」
「せんわ。」
元々バレー部で忙しい北さんが勉強を見てくれるのは、試験1週間前の部活がない期間。しかも、隣のクラスの侑くんの勉強を見ない日のみ。
つまり、かなり限られた時間である。
だけど北さんは必ず時間を作ってくれたし、わたしはその時間が堪らなくすきだった。
北さん、ほんとにかっこいい。だいすき。
乙女みたいにジッと見つめてると「おれを見る前に参考書見いや。」と、全くかっこ良くもないおじさんの写真を見せられた。
歴史の教科書に載ってる人なんて皆おんなじ顔だよ‥‥って前に呟いたら怒られたけど、やっぱり同じ顔だ。
「もう勉強やだーー!」
「あほ、集中し。」
「むりぃ‥‥。」
ペタリ、と机に頬をつける。
「気張り。」
「むり‥‥。」
「なんでや、こことかできるようになったろ。」
「できてない‥‥。」
「見てないのに言うな。」
きゅ、きゅ、と北さんがわたしのノートに丸をつけたりバツをつける音がする。それをBGMに目を閉じてると、頭にぽん、と手が乗っかった。
「進級するんやろ」
「する‥‥かもしれない。」
「するって言い。」
そのまま頭を撫でられて、少しだけ心がじんわりと温かくなる。
こういう所が好きになる理由なのに、無意識でやるとか、人たらしだ。
「やる気がでなーーい!」
「いつもないやろ。」
「むり、北さんがチューしてくれるならやる気出るかも‥‥」
「出ない可能性もあるからせんわ。」
「え、じゃあ結果が出た後ならしてくれる!?」
バッと身体を起こせば「急になんやねん」と北さんがびっくりしたようにこちらを見る。
「頑張ったらなんかご褒美くれますか!?」
「褒美?」
「はい!5教科全部満点で付き合ってください!」
「夢の話しとるんか。」
「違います!ご褒美の話です!わたしが5教科100点取ったら彼氏になってくれるなら頑張る!!!」
そうやって言えば、「ほんまにアホなん‥‥?」という表情でこちらを見てくる北さん。残念ながら本気だ。
「ええよ。」
「本当に!?」
「おん。」
なんて。この時は北さんは「5教科満点なんて間違ってもありえん」なんて思っていたと思う。だってわたしも難しいと思ってたから。
だけど恋の力は偉大だった。
それはもう親も教師も心配するくらい、わたしは勉強したのである。
テストが終わって思ったのは「やばい、今のテストわたし満点かもしれない。」だ。
そしてそれが5回続いた結果がこの手元である。
「やればできる子でしょ、わたし。」
ふふふ、と笑って北さんを見る。
部活前にも関わらずちゃんと時間をとってくれた北さんは、肩にかかってるジャージが少しズリ下がってることに気がつかないくらいテストをガン見していた。
「出来すぎや。」
どこにそんな力隠してたん?と言った北さんがわたしを見る。
それから小さく笑って「ほな、付き合おうか。」と言ってきたから「えっっ!?!?」と叫んでしまった。
「なんで驚いてるん?」
「ほんとに!?」
「言うたのおまえやろ。」
「後からやっぱ無しはダメですよ!」
「そんなこと言うタイプやないやん、おれ。」
それは確かにそうだ。
取れるんじゃないか、ってくらい頷いて「よっしゃー!」と叫ぶ。
どう考えても真面目すぎる北さんが約束を守るためにお情けで付き合ってくれるってことは、わかっていたけど。
それでもめちゃくちゃ嬉しかった。
「そんなに嬉しいん?」
「嬉しい!だって北さんのこと本当に好きなんだもん。」
「好きな人とかおったことないからようわからんわ。」
そう言った北さんが「まぁよろしく。」なんて言って。
「ふっふっふ。じゃあ恋愛に関してはわたしの方が先輩ですね!わたし元彼いるんで!」
「何を張り合っとるん。」
「沢山教えてあげますよ〜!あ、でもそしたら ちゅ〜はしない方がいいか。いつかの北さんの初恋のために‥‥」
って、うぅ‥。
自分で言ってて苦しくなってきた。むり、北さんが誰かにキスしてんのなんて想像しただけでしぬ。
だけど、流石にお情けの付き合いだからこそ線引きは必要だ。
「ハグまではオッケーにしてください‥‥」
「なんでもええけど。」
「あとデートもしたい‥‥」
「部活がない日ならええけど。」
とまぁこんな感じで。
わたしが一方的に好きで付き合っているのだが‥‥。
.
「いや、もう流石にやばいでしょ‥‥。」
「なにが。」
わたしの隣でレポートをやっていたりんちゃんこと角名倫太郎がニヤニヤしながらこちらを見てくる。
人が悩んでるところを楽しんでるだろ!
「もう早くバレー行きなよ。今日EJPの人が視察に来るんでしょ?」
「もう少ししたら行くって。」
そんな風に答えながらもスマホをいじって手元にあるおしゃれなジュースをりんちゃんは口にしていた。
「どうせ北さんでしょ。遠距離になって寂しい〜〜!って?」
「北さんだけど、むしろ遠距離になって目が覚めたというか‥‥。」
いやだって、やばいでしょ。
お情けで付き合ってくれてるとはいえ、もう大3だ。
なんと、別れていない。付き合っている。おかしいでしょ、どう考えても!
わたしは北さんのことが好きだから別れる理由がない。別れるとしたら、北さんが切り出すしか方法がないのに言ってこないのだ。
気がついたら北さんの隣で恋人として過ごすことに慣れてしまった高校時代。
そして地元の農業大学に進学した北さんと、たまたま稲荷崎のチーム標準語で仲良くなった角名倫太郎と同じ名古屋の大学に進んだわたし。
最初は北さんが卒業の時、フラれると思った。キリが良いから。
次はわたしが卒業の時、フラれると思った。遠距離になる人キリが良いから。
なのに結果は、まさかのどっちも空振り!
フラれることなく、今に至るのだけど‥‥。
ちょうどさっき、後ろに座ってた女の子たちが喋ってたのだ。
「今の彼氏と別れたいんだよねー。あんま好きじゃなくて。」「えっじゃあ別れなよ!」「それがさ、なんて言えばいいかわかんなくて。」
これだ!!
多分、これ!北さん、わからないんだ別れ方!
そんなのに気が付かず付き合わせるなんて、なにが恋愛に関しては先生だよ‥‥。全然相手の気持ち理解してあげてないじゃん。
と、自己嫌悪に陥ってたのである。
「流石にヤバいでしょ‥‥。」
「ほんとあんた、北さんのこと大好きだよね」
「好きになりすぎて怖いくらい好き‥‥。」
そうやって言えば、りんちゃんは「ウケる」って言いながら笑う。
失礼な、こっちは真剣なのに!
「ほんとね、最近もっと好きになってんの。」
「へ〜なんで?」
「なんか最近、北さんが甘くてさ。」
遠距離になったからだろうか?
自立のため一人暮らしを始めた北さんと、一人暮らししか手段がなかったわたしは休みが被ればお互いの家を行き来していた。
とはいえ、バイト代も限られてるので会える回数は月に1回や2回。
北さんの方が来てくれる回数が多くて、申し訳なく思ってたけれど「おまえ意外に金使うもんがない」と涼しい顔して会いに来てくれるのだ。
会った時に大切にされてるのがわかるくらい甘やかされて。
もちろん高校の時も北さんはわたしのことを大切にしてきてくれたけど、比じゃない。
本当にわたしのことが好きなんじゃないかと錯覚してしまうくらい、甘いのだ。
あと、よく笑う。
無理して会いに来なくていいよ、って言っても「おれが会いたいから来てん。」って言って頭撫でてくれるし。
テレビ見ようとしたら、腕伸ばしてきてそのまま後ろから抱きしめられて気がついたら腕の中で見てるし。
そのまま寝落ちしたら、ベットに移動して一緒に眠ってくれる。
そんなの好きなのをやめる方が無理だろう。だけど、
北さんは、来年社会人だ。
今よりももっと広い世界で、仕事を通じてだったり知り合いの紹介だったり。
とにかく色んな人に沢山出会う。
その中でもし、北さんが初めて恋をしたら?
その時に別れ方をしらないあまり、わたしと別れられなかったら?
なんなら、今だってありえる。実は大学で初恋を見つけてるのかもしれない。
なんで突然あんな甘ったるい視線寄越すようになったのだろう。
もしかして、わたしと別れられないから仕方なくわたしに好きな人を重ねてるとか?
恋愛の勉強してるだけとか?
どれもありえる。
だとしたらわたしって邪魔じゃん。
もし、北さんに今そういう人がいないとしても、いつかどっかのタイミングで恋をする可能性は十分にある。
それなら、わたしが切り出さないと。
付き合った時は、わたしの方から別れるなんて考えられなかった。だけど、そうじゃないと終わらないから。
「なんかしょげてる。」
「うるさいなぁ‥‥って、なんで撮ってんのー!」
「いつもうるさい人が静かすぎて。」
わたしにカメラを向けていたりんちゃんが「ストーリー載せとくね。」と言ってSNSに勝手にアップする。
「そういうのは事務所通してもらわないと。」
「どこの事務所だよ」
「ギャラ貰うよ。」
「えーいくら?」
「イケメン紹介して‥‥。」
そうやって言えばりんちゃんは「おれがキレられるから無理。それもマジなやつ。」と眉を顰めて言う。
誰に怒られるって言うんだ。そう聞こうととかしたけれど。
「お、観覧ついた。」
「なに?」
「北さん。」
ほい、と画面を見せてきたりんちゃん。
「多分治が先に見てるから、一緒にいたかなんかで教えたんだろうね。」
治くんと北さんは系列の大学と専門学校で同じ敷地内にあるので今でもよく一緒にお昼を食べてるとは聞いている。
確かに画面にはアイコン未設定の北さんのアカウントだけでなく、オサムくんのおにぎりのアイコンもあった。
遠距離になって、すぐのこと。
わたしが北さんにもたれながらりんちゃんの投稿を笑いながら見てたら、「おれもそれ始めようかな」と言った時にはすごく驚いた。
「なんで!?」
「離れてても何してるかわかるんやろ。」
ええやん、と言った北さんが「登録したい」と言うから登録して。
何も投稿はしてないけど、北さんのアイコンは観覧者の中に現れるのだ。
「あーヤバ。」
「なにが!?」
「あんたと仲良くしてんのバレちゃうじゃん。」
そう言ったりんちゃんが携帯をポケットにしまう。
えぇ‥‥北さん、自分の後輩にわたしが絡むの好きじゃないのかな。
「文句言ったりわかりやすい牽制してこないから余計に怖い。何も言わないくせに1番圧あるんだよ。」
りんちゃんはそう言うと「逃げとこ〜」って呟きながら急いでサークルに向かった。
.
「週末そっち行ってもええか」と北さんから連絡があったのは次の日のことだった。
「えーー!この前もその前も来てもらっちゃったんで、わたしが行きますよ!」
「金曜日も月曜日も休講やからおれがそっち行った方が長く一緒にいれるやろ。」
「えー‥」
「なんか予定あるなら今度にするけど。」
予定なんてないけど。
ただ会って、北さんにちゃんとお別れを言える自信がまだなくて。
言い淀んでると「‥‥あかん?」という声。
「あかんくないです‥。」
無理だ、こんなの。
好きな人をフる方法なんて、習ったことがないからわからない。
好きな人だから普通に会いたい、断る理由がない。
「ん、そしたら会いに行ってええ?」
「ええです‥‥。」
「さっきからなんで微妙に関西弁なん?」
ふふ、と笑った北さん。
そのまま「かわええな。」なんて電話越しに言われて、その日は無事にしんだ。
そして金曜日。
「角名にも会いたいし迎えに行きたい」という北さんの要望もあり、昼食をりんちゃんと摂っていると、昼過ぎに着く宣言通りに北さんはやって来た。
「北さんついたって!」
「お、本当?」
「迎えに行ってくるからりんちゃん荷物見てて!」
そう言って学食を出てすぐの学門に行って______
うわ、声掛けられてる。
そりゃそうだよね。北さんかっこいいから一目惚れしちゃうのもわかる。
しかも関西弁だもんね、もう全部キュンポイントだよね。
やっぱり北さんの周りには、恋愛に繋がる要素が沢山散らばってるなぁ。
そんな風に思いながら眺めていると、北さんと目が合った。
北さんは女の子達に軽く会釈をするとこちらにやって来る。
「ここの学生と間違われてん。」
「うちの?なんで?」
「ミスターコン出ませんか?やって。そんなんあるんか、ここは。」
そう言った北さんが、わたしに「迎えありがとなあ。」と続けて頭を撫でる。
2週間前にも会ったけど、やっぱり大好きな人に会えたのは嬉しくて「お久しぶりじゃないけど久しぶりです‥‥」と言った。
「久しぶり言わなあかんくらいの期間やないやん」
「え?」
「久しぶりはいややねん。おれが我慢できん。会いたかってん。」
なんてご機嫌な北さんに返されてしまう。
「あ、えっと、りんちゃんのところ、行きましょ」
なんだか恥ずかしくて。嬉しいと思ってしまって。
だけどきっと恋愛的な意味じゃないだろうし勘違いしちゃいけない。
急いでりんちゃんの所に誘うも北さんは「別に急がんでええやろ」なんて呑気で。
だけど2人っきりでいたら、もうなんか好きが両手から溢れちゃいそうだったから食堂へと向かう。
「あ、北さん。お久しぶりです。こんにちは。」
食堂に入ると、席を立ったりんちゃんが北さんに頭を下げる。
ただでさえ大きい上に学内で有名なりんちゃんがいるのに、そこに謎の美イケメンが現れたもんだから学食にいる生徒は皆気にしないふりしてチラチラ2人を見ていた。
「角名、久しぶり。いつも世話になっとるわ。」
「その言い方怖いっす。北さんなんか食べます?」
「新幹線で食って来たから平気。」
「え、じゃあ急いで食べます!」
「別に急がんでええよ。食ってる所見たいねん。」
そう言った北さんが頬杖をついてこちらをジッと見てくる。
恥ずかしくて「なんでですか‥」と言うと「大学生のおまえを隣で見れないからな。」なんて言われた。
北さんはわたしのことを孫か何かかと思っているのだろうか。
そんな風に考えてたら「ナチュラルにイチャつきますね」とりんちゃんが目を細めていってきた。
これのどこがイチャついてるように見えるのだろうか。
それなのに北さんは「おん。あつあつやねん。」なんて口角を片方上げて言い始める。
「そんなに熱々なんですか?」
「おん。角名の投稿見て来ちゃうくらいにはな。でも会うたび触れたくて触れたくて堪らんねん。」
うわ、絶対別れ話のことじゃん‥‥。本当は別れ話に触れたいのに、言えないんだもんね。
心がきゅう、と痛くなって慌ててかき消すようにご飯を詰め込むと「そんな焦って食べなくてええよ。」なんて優しい声。
りんちゃんはそんなわたし達を見て笑ってる。
許さん。そう思って肘で突くと、逆に顔を寄せて来たりんちゃんが「ゾッコンじゃん」とわたしに言う。
「わたしだけ、ね。」
「ん?」
りんちゃんが首を傾げた途端北さんが「近ない?」とわたし達に問いかける。
「いつもこんな感じですよ?」
「そんな近くなくてもええやろ。」
「見てて暑苦しいですかね?」
距離感気をつけないとなぁ、って思いながら姿勢を直してると「やっぱゾッコンなのは、あんたがじゃないよ。」なんてりんちゃんが呟いた。
.
午後から全休ということもあり、りんちゃんとお別れして北さんとわたしの家に向かう。
どうしよう、いつ切り出す?
え、家帰ってから?それとも今?
「なんかあったんか。」
「え?」
「いつもなら嬉しそうにするのに今回あんま元気ないやん。」
隣で歩幅を合わせて歩いてくれていた北さんが伺うようにわたしを見つめる。
ああ、そうじゃん。
せっかく来てくれたのに悩んでばっかりで失礼だなぁ、わたし。別れ話、するなら最後がいいか。
「いや、めっちゃ嬉しいですよ!」
「ほんま?」
「ほんま〜」
「なんやその関西弁。」
ふっ、と笑った北さんに心臓がキュンと音を立てる。やっぱり、好きだなぁ。
それならこの最後の日々は大事な思い出になるから大切にしないと、なんて思って。
「なんやねん。」
「くっつきたいだけです。」
「歩きづらいわ。」
なんて。
そんなこと言いながらも、勝手に腕にまとわりついたわたしを振り払おうともせず優しい声で「転ばんように歩き。」なんて言って。
「北さん、会いたかった。」
「遠距離寂しいなあ。」
笑ってそう言った北さんとわたしの家に帰る。
手を洗って、それからいつも通りテレビの前のミニソファーに座った北さんに捕まって。
りんちゃんや侑くん達といるところを見て来たから北さんは小さく思われがちだけど、ちゃんと大きいと思う。
隣に座ろうとしたわたしを「なんでや。こっち座り。」って甘ったるい声で呼んで。
腰に手を回してそのまま引き寄せられて。最初は恥ずかしくて逃げようとしていだけど、今ではすっかり北さんの膝の上に座って大きい腕の中に閉じ込められることに慣れてしまった。
北さんはわたしの首に顔を埋めると「シャンプー変えたん?」と呟く。
「え、よくわかりましたね。」
「匂いちゃうもん。」
「そんなに違うかなー?」
自分の髪の毛の香りを嗅いでみたけどよくわかんない。
北さんは「どっちもええな。」と言いながら、髪を指先にくるくると巻きつけて笑う。うう、ずるい。その笑顔がかっこいいんだよ。
そのまま北さんはわたしの頭を撫でると「ちゃんと食っとる?」と尋ねときた。
「食べてますよ。」
「インスタントとか外食じゃないやつ食っとるんか?」
「‥‥半々くらい?」
「半分以上っていう感じの言い方やな。」
少し咎めるように言った北さん。
この人ほんとにエスパーなの?って思いながら「すみません‥‥」と言えば「身体大切にせんと。」と言って、北さんが少し体を離してわたしと目を合わせる。
それから頬に手を添えると「離れてるからそこまで面倒見れんから。しっかりし。」と言うので「はーい。」と返事。
「‥あかん、ほんまおまえには甘いな。」
「え?」
「角名やったらもっと言っとる。」
北さんはそう言って、親指でわたしの頬をスリ‥と撫でる。
それから困ったように笑うと「甘やかすことの心地よさに慣れすぎてもうた。おまえのせいや。」と続けた。
「わたしのせい?」
「おん。おまえ以外甘やかしとらんもん。」
「なにそれお爺ちゃんみたい。」
孫によく言うやつじゃん、って笑いながら今度はわたしが北さんの首に腕を回す。
そのままギュウ、と抱きついて、息を深く吸い込めば大好きな北さんの香り。
「‥‥ねえ、北さん。」
「ん?」
って。
甘くて優しい声がして、そのまま頭を撫でられて。
「もう少しわがまま言ったら怒りますか?」
「言うてみ。」
どうせこの週末で終わりなのだ。なんならこれを断られたらそのまま別れたっていい。
北さんの服の胸元を握る。目は合わせられなかった。
「‥キス、したいです」
あ、やば。
めっちゃ声震えた。ってか、小さすぎたか?聞こえたか?
北さんから反応ないし。もしかして聞こえなかった?
そう思って表情を伺おうとゆっくり顔を上げて______あ、すごい目がまん丸。聞こえてるね、これ。
驚いたようにこちらを見る北さん。それもそうか。
お付き合いを始めるときに、わたしからハグまでって言って、それをこの5年間ずっと守ってきたのに。
突然キスしたいなんて言われたらそうなるだろう。
「あ、えっと、」
ごめんなさい、冗談。そう言おうとしたけれど。
頬にあった手が、そのまま後ろに回ってわたしの頸に添えられる。
気がついた時には、唇に想像以上に柔らかくて薄い同じものが重なっていた。
あ、やばい。目すら瞑れなかった。
そんな風に思ってると、唇を離した北さんが真剣な顔してこちらを見る。
視線を逸らさずにいると、額をコツンとぶつけられて。
「‥‥あかん。」
「え?」
「もっかい、」
その言葉と共に、再度重なる口。ふわふわとした気持ち、だけどそれと同時に泣きたくなる。
自分からねだっておいて、その感覚と気持ちよさを知ってしまって。
だけどそれを手放さないといけないことも、北さんにキスをさせてしまっていることも申し訳なくて。
「あ、えっと‥もう、大丈夫」
です、なんて言葉が小さくなった。それ以上にドキドキが伝わってしまわないか心配で。
だけど
「‥もうちょいしたい。」
そう言った北さんが再びわたしの唇を奪う。
キスという行為が北さんのお気に召したのか、それからはことあるごとに北さんはわたしに触れてきた。
例えば紅茶を淹れてる時。後ろから伸ばされた指先が、わたしの顎を掴んでそのまま口付けて。
眠る時も、いつもは抱きしめられるだけだけど今日はキスがついてきた。
テレビを見てる時も、ふとした時に覗き込んだ北さんが軽々と唇を奪う。
それから幸せそうな顔して笑って「ええな、これ」なんて言うのだ。
ずるい、やめてほしい。そんな顔しないで、なんて。
だってどうやって北さんに言えばいいのかわかんなくなっちゃう。
だけど、言わないと。
北さんをわたしのわがままで付き合わせることはこれ以上できないから。
最後の最後に北さんとキスもできて、これ以上ない思い出ができたのだ。
だから______
「どうしたん?」
玄関で靴を履く北さん。
その服の裾をキュッと握れば、穏やかな声でこちらを振り返る。
「またすぐ会いにくるからええ子で待ってて。」
ぽんぽん、と撫でてくれる手。
あぁ、これが最後の頭を撫でてくれる機会かもしれない、と思うと我慢したかったのに涙が込み上げまできて、そのままこぼれて。
「ほんまにどうしたん?」
少し屈んでくれた北さんが、わたしの顔を覗き込む。
それから手を伸ばして涙を拭ってくれた。
「明日の講義出席足りてるやつやから、残ろうか。」
そう言ってくれた北さんに首を横にふる。
「‥‥き、たさん。」
「なんや。」
優しく言った北さん。その言葉を聞いてから「‥‥あの、最後に、もう一個わがまま、」って伝えて。
「ええよ。言うてみ。」
甘い声をくれた北さんの胸板を押して距離を取る。
それから息を吸い込んで、
「今日で、終わりです。別れ、ます。」
.
ぱっ、と目の前にあったテキストが消えた。顔を上げると、ストローを噛んでるりんちゃんが険しい顔をしてわたしを見下ろしていた。
「‥もうりんちゃんは何も言わないで。」
「おれまだ何も言ってないけど。」
立ち上がってりんちゃんの手にあるテキストに手を伸ばしたけど身長の高い彼がそれをヒョイと腕を上げてしまえば届くわけもなく。
「返して。」
「ちょっと話させて。」
「する話ないもん。」
「‥‥地面がひっくり返っても勉強しないあんたがこんなの読んでる時点でおかしいだろ。」
行くよ、と言ったりんちゃんがテキストをカバンに突っ込むと、わたしの腕を引いて学食へ向かう。
それからいつもは奢ってくれることなんてないくせに、自販機で飲み物を買ってくるとわたしの前に置いた。
「なに、北さんと別れたって。」
単刀直入、というか。
割とその辺はりんちゃんはストレートなタイプだ。
切れ長の瞳がジッとわたしを見つめてくるから少し逃げるように逸らして「言葉の通りですけど」と答える。
「おかしいでしょ。北さん大好きファンクラブ終身名誉会長みたいなあんたが。」
「そんなファンクラブ解散しちゃえ。」
「ほら、そう言うくらい独り占めしたい人が別れる必要ってなに?」
なに、って。
別れる必要があったから別れた、ただそれだけのことである。
「‥わたしが、色々と考えた結果別れようって言ったの。」
「だからぶっ飛びすぎだって。そんな状態になるくらいなのに何で別れるの。」
「そんな状態?」
「誰がどう見たって弱ってるよ、あんた。」
首を傾げると、ため息をついたりんちゃんがペットボトルの蓋を開けて、わたしの前に1つ置いてくれる。
「弱ってる?」
「うんとても。マジでさ、そこまで弱ってる姿見せられたら多分漬け込んでくる男いるよ。」
「‥‥それでもいいかも。」
「おれが良くない。稲荷崎の平和のために。」
「はあ?」
意味わかんないこと言ってんなぁと思いつつ目を閉じる。
最近は1人になると北さんのことを考えてしまって。
身体中に北さんの感覚がまだ散らばってるのだ。
だから夜は眠れないし、空き時間は興味のないテキストに目を通してとにかく北さんのことを考えないように。
こうやって他人といて、ようやく眠気がやってくるのである。
目を閉じると瞼の裏に浮かぶのは、2週間前のあの日のこと。
「別れます」と言ったわたしに、北さんは言葉を咀嚼できないみたいに固まった。
「‥別れる?」
「はい、もう終わりにします。」
そう言って一歩後ろに下がって、北さんに手が届かない位置に。
靴を脱いで上がろうとした北さんに「だめ、」と端的に拒絶の言葉を伝えれば、その動きも止まる。
「おれが、なんかしたんか。」
「‥何もしてないですけど。」
「なんかのドッキリか。」
「北さん、恋人との別れってこんなもんですよ。意外と呆気ないんです。」
そう言って笑う。
それから用意していた紙袋を渡せば、その中身を見た北さんが固まった。
「北さんの家にあるわたしの物は捨てていいんでこれは持って行ってください。」
北さんはちゃんと物を大切にするひとだから。そう思って用意していた北さんの私物を手渡せばこちらを見てきた北さん。
いつだって正しくて、絶対に間違いなんて起こさないこのひとを。
少しだけなら間違った世界に連れ込んでも良いと、幼い時のわたしは思っていた。
だけどもう、そんな言葉で赦されるような年齢ではないから。
北さんだって、いつかは本当に好きな人と出会って、結婚だってして。
社会に出ればその選択肢は増えるのだから、タイミングは今しかないのだ。
「北さん、今まで付き合ってくれてありがとうございました。」
そう言って頭を下げれば、北さんは「‥なんでなん。」と呟く。
その声は震えていて、顔を上げれば北さんの瞳は揺れていて。
このひともこんな顔するんだ。まるで他人事のようにそう思った。
多分、感情がメーターを振り切って逆に冷静な自分がいて「恋愛ってほんと、そういうもんなんです。」と続けた。
「北さんが教えてくれた勉強と違って、教科書がないんです。」
「‥‥。」
「片方がダメだと思ったらもうダメなんですよ。‥あのね、北さんはちゃんとしてる人だからこそちゃんとした恋にいつか出会えるから、」
だから、わたしとはもうこれで終わりです。
そう続ければ視線を落とした北さんが小さく息を吐く。
「別に出会わんくてええ。おまえが決めることちゃうやろ。」
「わたしは北さん以外にも恋愛してます。北さんはわたしとしかしてないからそう思っちゃうだけなんですよ。」
ああ、なんて言ったっけ。
北さんが高校時代教えてくれた、そう。
「井の中の蛙大海を知らず、ですよ。」
そう言ってから、えへへと笑う。
懐かしい、高校の試験期間。国語がダメダメなわたしに「せめて暗記系やれ。」と試験に出そうなことわざをピックアップしてくれたのを思い出す。
「‥知らん。」
「嘘だぁ。北さんがことわざ教えてくれたじゃないですか。あとあれ、英語のことわざなんだっけ。」
「‥‥。」
「『別れることがなければ、めぐり逢うこともできない。』ですよね。」
「‥そんなもんは覚えとらんでええ。」
「テスト期間は覚えろって言ったくせに。」
ふふ、と笑う。北さんは笑ってなかったけど。
大丈夫、笑顔でお別れできそうだ。
「北さん、本当にありがとうございます。わたしのわがままで長いこと付き合わさせちゃってすみませんでした。」
「‥‥。」
「その‥幸せになってください。」
「‥‥。」
よかった。この人が恋愛に関してはわたしよりも知識がなくて。
きっとあったら、わたしの気持ちなんて見抜かれてしまうから。
だから、これでいい。これで北さんを解放してあげられる、本気でそう思ってたのに。
「へ‥‥?」
それは、想定外だった。
ぽろり、と北さんの頬に涙が伝う。
見間違いだと思った。いや、見間違いならばそれでよかったのに。
北さんは間違いを起こさない。わたしだけでなく誰もがそう思っていて。
だからわたしとの関係はどう考えても間違いだったと思ってたのに。
まるでそれを、正しい選択肢だったかのように、そしてそれ故に別れることを惜しむように北さんの瞳から溢れた一粒の涙が主張してきて。
「き、たさ、」
「‥‥知りたなかったわ。」
「え‥‥?」
ぽろ、ぽろ、と北さんの瞳から涙が溢れ出して。
泣く時さえ静かな北さんだったけど、その瞳は息を呑むくらい沢山の感情が混ざっていた。
ゆっくりと手を伸ばした北さん。
だけどその手は、わたしに届くことなく宙を切る。
それから北さんは、ほんの少しだけ口角を上げる。
その顔があまりにも痛々しくて「きたさ、ん」と思わず名前を呼んでしまって。
「‥‥おまえのこと沢山知って、自分の気づかなかった内側まで知ってもうてん。」
知りたなかった、と繰り返した北さんの声は震えていて。
一度長い瞬きをした北さん。その睫毛は震えていて。
「‥別れるなら教えて欲しかったわ。心のやわこい部分はこれから誰に見せればええのかわからんわ。」
ふふ、と呆れるように笑った北さんがリュックを背負い直してドアノブに手をかける。
この人の背中はこんなにも小さかったのか。
誰かに尋ねたくなるくらいそのくらい小さく見えたその背中が、瞬きをした次の途端ただのドアの表面になっていて。
ふ、と力が抜けて玄関なのにしゃがみ込んでしまった。
自分勝手に付き合って別れたくせに一生分泣いた、と言ってもおかしくないくらい泣いて。
だけど全部北さんがいつか本当の恋をした時のためだと思えば、好きなひとの幸せを優先したら正しい選択肢だと胸をはって言えるけれど。
「わたしが次の恋に進めないんだよ。」
「進まなくていいよ。」
「合コン行ってもさぁ」
「そんなの行ってんの!?」
焦ったようにこちらを見てくるりんちゃんに「だって恋愛を忘れるには恋愛が早いって前に聞いたし。」と言えば「行かないでいい。」と真顔で言われた。
「そんなの行ったって、北さん以上の男なんているわけないでしょ。」
「そんなのわたしが1番よくわかってまーす。別に北さん以上じゃなくていいの。」
ただ恋愛してくれる、そんな人に出会えれば良いだけだし。
りんちゃんはため息をついて頭を抱える。‥‥ってか、まって。
「なんでりんちゃんが別れたの知ってんの。」
「治から聞いたんだよ。」
「ええ?」
わたしから別れたことは発信してないし、北さんだって自分のことをペラペラ話す人間じゃないから言うとは思えない。
そう思って首を傾げると、りんちゃんに伝わったのか「様子がおかしいから治が聞いたんだって。」と言う。
「様子がおかしい?風邪?」
「違うでしょ。」
「新しい恋?」
「うちの大将がそんな切り替えてすぐ新しい女作るような人だと思ってんの?」
それは‥違うかもだけど。
わたしが黙ったのをみたりんちゃんは「北さんがね、あんま喋んなくなったんだって。」と続ける。
「喋んなくなった?」
「あー、普通の話はするよ?あと治の話に相槌とか。」
「どういうこと?」
「あのね、北さんがいつも治に話してんのって大体あんたのことなの。」
「意味わかんないんだけど。」
そうやって言えりんちゃんは小さくため息をつく。それから、わたしの目の前にあったペットボトルを掴むと掲げてきた。
「たとえばこのジュース。」
「うん。」
「期間限定でめちゃくちゃ美味しかったら、あんたはどうする?」
「どうするって‥」
自分でまた買うとか。あとは
「‥‥‥ひとに教える、とか。」
「そういうこと。あのひと純粋だから、治と過ごしてても『これあいつに教えてやりたいなぁ』とかぽろぽろ溢して喋ってたみたいだよ。」
そう言ったりんちゃんが、わたしの目の前にジュースを戻す。
それをぼうっと見つめて、だけどそれが波打って見えて。ようやく自分がそこで目に涙が溜まってることに気がついた。
「ほら、弱ってる。」
りんちゃんはため息をつくと、自分の被ってたキャップをわたしに被せてくれた。
「あのね、第一今のこの世の中恋愛なんてしなくたって幸せになれるし満たされた生活送れるじゃん。」
ぽん、とキャップの上からりんちゃんはわたしの頭に手を乗せる。
北さんとは違ったそれだけど懐かしいその行為に、涙が机にぽたりとこぼれた。
「そんなことわかりきってるのに、わざわざ北さんがあんたとの恋愛関係続けるのって、自分の発言に責任持ってるだけじゃないと思うけど。」
おれが言えるのはここまで、と続いて。
それからキャップのツバを叩くと「それ貸してあげる。今のあんたの泣き顔、多分ほっとかないやつが多いから。」と続ける。
「‥タオル貸してよ、ばか。」
「そんなもん持ってるわけないでしょ。」
北さんじゃないんだから、笑いながら言ったりんちゃんはわたしが泣き止むまでずっと待ってくれた。
.
とはいえ、大学ではずっとりんちゃんといるわけではなく。
「最近元気ないね。」
どうしたの、と尋ねてきた同じゼミの友人に「まぁ、ぼちぼち」と答えれば「適当かよ」と笑われた。
北さんと別れてもうすぐ1ヶ月経とうとしている。
女の失恋は吹っ切れるのが早い、というけれど。わたしは全く吹っ切れていなかった。
「なぁ、週末暇?」
「なんで?」
「いやぁ実はさ、紹介したい奴いるんだよね。」
どういうことだ?そう思ってると「この前同窓会でゼミの写真見せたらおまえに興味持ったやつがいてさ」と続けられる。
「えーいま恋愛とかいいや。」
最初は恋愛は恋愛で上書きしようとしていたけど、この前りんちゃんと話してからは自分の意思で乗り越えようと。
そう思って答えたけれど、同期は「マジで頼むよー!そいつに借りがある!」と手を合わせてくる。
「わたし関係ないじゃん!」
「ゼミ室掃除代わるって言っても?」
「えー‥」
「ついでに飯代も出すから。」
な、頼む!と両手を合わせてきた同期。別に悪い奴じゃないし、なんかあまりにも必死で「まぁ、ご飯だけなら‥‥」と言えば、顔を明るくして「絶対な!?」と言う。
「その子とそういう関係にならない可能性のほうが高いからね?」
「いやいい!全然友達からでもいいから!土曜日な!店連絡する!」
そう言って喜ぶ同期を見て、まぁ確かに恋愛とは関係なしに交友関係を広げてみるのも良いかもしれないなんて考えて。
久しぶりにりんちゃん以外の他人と過ごすことが少し楽しみで、帰りに洋服ショッピングなんてしちゃって。
るんるんで帰って、ちょっと買いすぎたちゃったかな〜?なんて両手で持つショッパーに苦笑い。
そういえば、買い物は基本北さんとデートでしてたから両手いっぱいで持つことは少なかった。
少しでも北さんに可愛いって思われたくて「どっちの方が好き!?」とか聞いてたなぁ、なんて。
優しい北さんはそういうのにも付き合ってくれたし、重たい物はパッと受け取って持ってくれていた。
ダメだなぁ、すぐ北さんのこと考えちゃう。
そんな自分に呆れつつ、ショッパーを持ち直してアパートの共用玄関のポストを覗いた時だった。
「ん‥‥?」
片方の手にあったショッパーを地面に置いてポストを開く。郵便だ。
今時封筒なんて珍しい。おばあちゃんかな?
そう思って手に取った瞬間息を呑む。ひっくり返して差し出し人を見なくたってわかる。
文字を見るだけで思わず背筋が伸びる。そんな文字を書く人、わたしの知ってる中では1人しかいないから。
裏面に書かれていた名前はやはり北さんで。
早い心拍数を落ち着かせるように酸素を取り込み、それからショッパーを持って急いで部屋に入る。
玄関に全てを放置して、急いで封を切った。
「へ‥‥?」
出てきたのは1枚の小さなメモと、それから______
.
「いやぁ、ほんと気になってたんですよ」
目の前でワインを飲み少し顔が赤い男性に「ありがとうございます」と伝える。
同期はいつの間にか消えていて、マジであの野郎‥と頭の隅で考える。
「今日来てくれると思いませんでした。また今度会ってください。」
そうやって言う男性に「時間が合えば、ぜひ。」と言うと嬉しそうな顔をされた。
ちらり、と時計を見る。
「あ‥‥。」
「ん?どうかしました?」
「あ、いえ。」
どうしても頭の中に居座ってる物をかき消すように、そう答えて。
流れ的にもお開きになったので2人で駅へと向かう。
「‥‥。」
隣で色々と話してくれるけど、頭の中はいっぱいいっぱいな理由があった。
【おれから行ったら無理矢理になるから。もしおまえがおれの話を聞いてくれるなら、1つ教えなあかんことがある。】
綺麗に書かれた文字と共に、入っていたのは兵庫行きの土曜日の切符だった。
ぐらり、と自分の中で決心が揺らぐ。北さんに会いたい気持ちが大きくて、堪らなくて。
だけどきっと、一度会ったらまだ全然好きなのが全部バレてしまうと思ったから。
だからわざと行けないように、ちょうど決まっていた土曜日の予定を遅い時間にした。
そしてちょうどさっき、最終の新幹線が出たのだ。
「‥ですか?」
「え?」
なにか質問投げかけられて、慌てて隣を向く。
わたしの答えを待ってるような瞳に「あ、はい‥‥」と適当に返事をする。
「じゃあ、遠慮なく。」
その言葉と共に手を取られた。
びっくりしてると、指を一本ずつ絡め取られてそれからまた歩き出す。
「手繋ぐの断られると思いました。正直手応えなかったんで。」
「え、あっ‥えっと、」
全く聞いてなかった。そんなことの許可を求められていたのか。
繋いだ手から熱い温度が伝わってきて、あまりにも慣れすぎた少し低い体温が堪らなく恋しくて。
稲荷崎のバレー部では小さく見えた北さんも、2人きりの時は全然身長も手も大きくて、いつだって優しい力で包み込んでくれた。
その指先が、最後宙を切ってそれから寂しそうに落ちていったのが鮮明に焼き付いていて。
「‥‥‥ごめんなさい。」
ぱっ、と手を離す。
びっくりしたようにこちらを見てきた男性に「わたし、予定があるんでした。」と続ける。
「こんな夜遅くに?」
「‥はい。とっても大事な予定が。」
行かなくちゃ、唐突にそう思った。
たかが手を繋いだくらいだ。
それだけなのに、わたしがこんなにも求めてるのは北さんってことが痛いくらいわかって。
心も身体もこんなに北さんに堪らなく会いたくて、あっちも来ていいよって言ってくれてるのだ。
北さんにとってわたしと少しでも一緒にいたことが間違いだってもう気がついてるかもしれない。
だけどわたしにとっては北さんと恋人になれたことは間違いではなかった。
北さんが誰かと恋に落ちたなら諦めるべきだけど。
でも北さんを思って手放した後も、こうやって呼んでくれて会える機会を作ってくれたなら、それを我慢するのは間違ってると思ったから。
ただの感情で動いてるようなもんだってわかってる。いつも北さんには『ちゃんと考えて行動し』って言われてたけど。でも、人間がコンピューターより優れているのは感情があるからで。
「え!?ちょっと!」
なにか色々言われてるけど、近くにいたタクシーに飛び乗り名古屋駅へと向かう。
新幹線はとっくに終わっているのはわかっていた。だけど、行かなきゃいけないから。
携帯で高速バスの予約を即決済し、駅前のバスに飛び乗る。これで早朝には着く。
バスの中では全然寝れず、ただただ過ぎゆく暗闇を眺めていた。
到着してもまだ朝4時半ということもあり真っ暗で。
まだ始発も動いていないから北さんの家の最寄り駅までは行けず。
仕方なく歩くこと30分。5時が近いのにまだ暗いから冬は嫌だ。
「えーっと‥」
北さんのアパートの自転車置き場の石段に腰掛ける。流石にこの時間にピンポンするのは失礼すぎるから。
スマホを取り出し、もう長いこと連絡を取ってないから下の方にいってしまった初期設定のままのアイコンをタップする。
【おはようございます。昨日中に来れず遅くなりすみません。今駐輪場にいるので起きたら連絡ください。】
簡潔にメッセージを送って、息を吐く。あとは北さんが起きるのを待つだけだ。
なんだか昨日からまともに休めてなくて。
ようやく襲ってきた眠気でついコクコクと船を漕いでしまう。
あー‥やばいな、これ。10分だけ目を閉じよう。
そう思って目を閉じて______
次に意識が浮上したのは、ガチャッ!という音と割と響きやすい階段の音が急いでるのかカンカンッという大きな音が響いた時だ。
うるさいなぁ、と思ってうっすら目を開けると、もう空が明るくて。
え?いま何時?
意識が急浮上した、その瞬間だった。
「アホか、ほんまに。」
後ろから聞こえた声にビクッと身体が揺れる。
振り返ると、そこには険しい顔してこっちを見ている北さん。
名前を呼ぼうとした、だけど。
「なんでピンポンして起こさなかったん?夜のうちにバス乗ったこと連絡しなかったん?」
1ヶ月ぶりなのに、見たことないくらい怒ってる北さんに言葉を失う。
いつもわたしには本気で怒んなかった。だけど今の北さんは本当に怒ってる。
「すみません。お話、昨日限定でしたか?」
今日来たら迷惑だったのか。そう思って言うと、目の前に腕が勢いよく伸びてくる。
え、マジ!?ギュッと目を閉じて衝撃を待つけれど。
「‥‥誰かに声掛けられんかった?冷たなっとるし。」
優しい手つきでわたしの頬に触れた北さん。懐かしい温度が嬉しくて、心地よくて、安心できて。
だけど北さんは「ほんまに無事でよかった‥‥。」と呟く。
「別に外で待つくらい、」
大丈夫、そう言いかけて口を噤んだ。だって北さんが親指でそっと頬を撫できたから。
その行為が大切なものに触れるみたいに優しくて、私を見つめる視線が甘くて。
「おまえになんかあったら、おれが大丈夫じゃないねん。」
そう言った北さんをよく見ると、いつもなら絶対ありえないパジャマ姿のままだし、髪の毛は少し後ろの方が跳ねていて。
急いで出てきてくれたんだ、そうやって気がついて心臓が期待するみたいに音を立てる。
北さんはわたしの腕を引いて立ち上がると、自分の部屋へと歩き出す。
「あの、北さん話って、」
「ちゃんとするけど、まずはこれ以上おまえのこと冷やしてられんから。」
おれの部屋やけど我慢し、と言った北さんが部屋のドアを開ける。
こんな簡単に元彼の家って来るものなのか?
そう思って玄関で立ち尽くしていると、ぱたぱたと北さんは動き回って最後にはタオルを持ってこちらにやってきた。
「風呂、入り。」
「え?」
「今半分くらい溜まっとるから、先身体洗ってその後ゆっくり浸かり。」
「いや、それはさすがに申し訳ないというか‥それに服ないですし。」
だから大丈夫です、と言おうとしたけれど。
「あるわ、たくさん。」
「え?」
そう言った北さんが、わたしが北さんの家にたくさん置かせてもらっていたスウェットをわたしの手に乗せる。間には下着も入っていて、文句なしのお風呂セットだった。
「な、んで?捨ててってわたし言いましたよね‥‥?」
「‥捨てられるわけないやろ。」
北さんはそう言うと、わたしの背中を押し「風呂、行ってこい」と続ける。
ここまでしてもらって入らない、というわけにも行かなかったし、なによりも昨日外食をしてそのまま夜行バスに飛び乗ったこともあるので
「‥お借りします。」
大人しく借りることにした。
慣れたようにカゴに服を入れようとして、その手を止める。
もうここには余程のことがない限り浴室なんてこないだろうし、入れる必要ないよね?
そう思って綺麗に畳んで床に置いておいて。
それからお風呂に入ると、相変わらず綺麗で清潔を保たれてる洗い場。
その一角に、わたしが置かせてもらってたシャンプーもまだあってびっくりする。
もったいないからかな?
そんな風に思いながら風呂を出て。
ドア越しに「北さん、ドライヤー借ります」とだけ声をかけてスイッチを入れて‥‥ん?
「なんで‥‥?」
ご丁寧に洗濯機で回されてる服にびっくりする。確かにここに私服は置いてるから着替えはあるけれど。
わざわざ洗う必要ないのに。わたしが家で洗うのに。
そんなこと思いながらドライヤーして、恐る恐る部屋を出ると座椅子に座って本を読んでいた北さんがこちらを見る。
「あの、お風呂ありがとうございました‥。」
「おん。」
ぱたり、と本を閉じた北さん。
それからわたしに「座り。」と隣をぽんぽんと叩く。ご丁寧に置かれていたコップはわたしがよく好んで北さんにおねだりしていたフルーツティーが入っていた。
「ありがとうございます。」
そう言ってさりげなく座椅子を北さんから離してから座ると、チラリと見られる。その視線に耐えきれられなくて逸らせば、北さんは「あー‥」と珍しく何かを言い淀んでいるようだった。
「‥‥まずは来てくれてありがとな。‥やけど、あの待たれ方あかん。おれが起きんかったらどうするつもりなん?ちゃんと言ってくれたら迎えに行くから。」
「‥別にもう会う機会ないじゃないですか。」
「‥‥」
「‥教えなきゃいけないことって、なんですか。」
正論から逃れるべく本題を切り出せば北さんは「急いでるんか。」と聞いてきた。
「‥‥急いでるとかじゃなくて、元カレの家に長居するの悪いから。」
「‥‥元カレ。」
北さんが繰り返すように呟く。その声色は、いつもみたいに凛としたものではなく、どこか迷子の子どものような声だった。
「そうですよ、元彼です。北さん、元恋人同士って普通家に入れたりシャワー貸したりしないんですよ。」
恋愛について知らないみたいだから、そういう思いを込めて伝えると北さんは「‥なあ。」と呟く。
「なんですか?」
「おまえは確かにおれよりも恋愛の経験が多いし詳しいかもしれへんけど。」
ぱち、と大きな瞳が瞬きをしてわたしをジッと見つめる。
「恋愛って周りが決めた『こうだからこう』ってもんやなくて当事者同士でのものやないんか。」
「え?」
「大体おかしない?恋人って関係になる時はお互いの合意を得て恋人になるのに、別れる時は合意を得ず勝手に別れられるのって。」
「‥‥。」
「なんでおまえだけで決めるん?おれと恋愛してたやん。おまえの価値観で恋愛の定義決めるのおかしいやろ。」
そう言い切った北さん。
あぁ、ダメだ。この人の正論に何も言い返せない。
「‥‥別にわたしだけで恋愛してるわけじゃないですけど、その北さんとの恋愛は完結したというか。」
「完結?」
「わたし今、わたしのこと気になるって言ってくれてる人がいるんです。手も繋ぎました。」
「‥‥。
「だから、その人と恋愛したいなぁって。そうすると合意とか関係なく北さんとは恋愛できないんです。」
そんなことないけれど。
せっかく手を振り払ってここまで来たのに、どうして目の前にすると素直に本当は諦められなくて会いに来たと、言えないのだろう。
北さんは少し黙った後「‥そうか。」と呟く。
気まずくって様子を伺うように北さんを見れば、また大きな瞳と目があった。
「‥もうそいつとは恋愛してるんか。」
「してない、ですけど。」
「ならええわ。」
「え?」
「なら、まだおれとも恋愛できるかもしれへんやろ。」
「‥何言ってるんですか。もうテストのことならいいですよ。」
そう言って笑って、ようやくカップに手をつける。その指先は少し震えていた。
「‥その、北さんは寂しいだけなんですよ。今までわたしが隣にいたから急に会いたのが寂しい的な。それで恋愛がしたいだけなんです。」
「‥‥。」
「恋愛っていうのは、本当に好きな人としないといけないんです。もうすっかり誰とでも付き合っても良いみたいな時期は終わっちゃいましたよ」
そう言ってカップに口付けて。口に含んだそれはやっぱり甘くて。
ゆっくりと唇を離せば、北さんと目が合った。
「‥なんですかさっきから。」
「なにがや。」
「え、だってずっと見てくるじゃん‥。」
あんまりにもずっと見てくるからついツッコミを入れると「おん。」と北さんにしては適当な返事。こっちは真剣な話ししてるのに、と思ってたのに。
「かわええから。」
「は?」
「触れたくて堪らんとか、喋ってる姿見てたいとか、全部かわええって思うのも、おまえの言う寂しいからそう思うんか。」
北さんが少し身を乗り出して。距離が詰まる。
その空気感に思わず息を呑んだ。
「‥教えたいことある言うたやん。」
「は、い‥‥。」
「最後に会っておまえが別れ話した時、おれのこと『井の中の蛙大海を知らず』だ、って言うたの覚えとる?」
「覚え、てますけど‥‥。」
少し乾いた声で返事をすれば「ならええわ。」と言う北さん。
わたしとしか恋愛してなかったから、外の世界もあるって伝えたくて言ったし。なにより、高校時代北さんが勉強で教えてくれた言葉だし。
そう思っていると「続きがあんねん。諸説やけど。」と北さんが呟いた。
「教えたいことってそれですか?」
「おん。高校ん時はそこまで言わんかったからな。」
どこまでも真面目な人だ。教えた知識をわたしが使った途端、足りない部分の補完を大人になってでもするなんて。
だけどそういうところが好きだなぁ、と思いつつ。
この前の別れ方はお互いボロボロだったので、勉強で始まった関係が勉強で終わるなら良い書き換えだと思う。良い終わり方だ。
そう思って「なんですか?教えてください。」と続けた。
「井の中の蛙大海を知らず。」
「はい。」
「されど空の青さを知る。」
「はい?」
首を傾げた。
北さんはそんなわたしに穏やかに言葉を並べる。
「海を知らん狭い井戸の中やったけど毎日空を眺めてるからこそ、誰よりも空について知ってて青の深さを感じることができんねん。」
「‥‥。」
北さんは、なあ、と呟く。
「おれは別に恋愛の海を知らんでもええねん。」
「な、んで?」
「野暮やな。恋愛の海は知らんくてもおまえの青を知ってるからや。」
「は‥‥?」
「おまえだけでええわ。」
そう言い切った北さんがわたしに指先を伸ばす。
この前、宙を切った手は今度はわたしの頬にしっかりと触れて、それから包み込んでくれて。
「おまえの言うとおり、おれは井の中の蛙やわ。やけど空の青さを知ってんねん。それだけで充分。」
北さんの親指がわたしの頬を優しく撫でる。それから「おまえは高校時代あんなにも簡単に言うてたのにな。」と呟いて。
「すきやねん。周りの恋愛はどんな感じとかどうでもええから、おれと2人で恋愛してくれへん?」
発された言葉を最初は脳が咀嚼してくれなくて。どう考えたって都合が良すぎるとか、そんなことばっか思ってしまって。
だけど今目の前でわたしを見つめる甘い瞳も、優しく頬を撫でる手も現実で。
「起きた時に腕の中におる寝顔も、朝ごはんわがまましてくるのも、勝手に引っ付いてくるのも全部かわええ思ってん。やけど、今も癖で紅茶は2人分用意してまうし、テレビ見る時にも腕ん中におらんのもいやや。」
「き、たさん‥。」
「おれの知らんところで見たことのないかわええ服着てるし、他の男に手繋がれるのもしぬほどいややねん。」
ペラペラと話し始めた北さん。だけどわたしは心臓がバクバクと音を立てていて。
嘘だ、とか、そんなの責任感じてじゃん、とか。
そんなこと一切思わせないくらい本気で好きだと目で訴えられて、というか北さんをよく知っているからこそ口から出まかせでそんなことを言わないって知ってるし。
目に熱いものが込み上げてきて、早くわたしも好きだと言いたいのに。泣いてしまう、こんなの、幸せすぎて。わたしを好きでいてくれることが嬉しくて。
「ずっと、会ってから触りたくて堪らんのに距離取られるし。」
北さんはそう言って頬に触れていた手をそった後頭部に回すと「今すぐ引き寄せて抱きしめてたいねん。」と続ける。
「な、ええ?」
そうやって言う北さんの声が甘くて、たまらなく優しくて。ぼろぼろと涙が溢れて止まらない中搾り出した言葉は「‥もう、そんなことしたらわたし諦めきれなくなっちゃいますよ。」だった。
「勝手に諦めたらあかんやろ。」
「だっ、って、き、きたさん、無理に付き合わせてたし‥‥!」
「最初は確かにそうやったけどなぁ。」
そう呟いた北さんが「あかん、我慢できんわ。」と続けて。そのままグッとわたしを引き寄せるといつもよりほんの少し強い力で抱きしめてきた。
懐かしい温度が与えられて、それから大好きな香りが鼻をくすぐって。
それだけで堪らなく嬉しいこの空間が愛おしくて。
北さんの腕に閉じ込められる、この瞬間が好きだった。
「ほんと、北さんバカですよ‥‥。」
「そうやな。角名の投稿見て隣におれるのが羨ましくて嫉妬して会いに行くくらいおばかやねん、おれ。」
「北さんなんて間違い起こさないじゃないですか、なんで、わたしなんかを好きになっちゃうんですか!」
「おれの好きな子の悪口言わんといて。」
ムッと少し怒ったように言った北さんが少しだけ身体を離す。それから目を合わせると「ずっとしたかってん。」と呟いた。
「な、にをですか?」
「キスに決まってるやろ。」
「は!?キ‥‥っ!?‥えっとそれは、キスが好きってことですか?」
「あほなん?おまえ限定や。」
「な‥‥っ!?でもこの前までそんなそぶりなかったじゃないですか!」
「だっておまえが付き合う時に、手を繋ぐのとハグだけにしましょうとか言うたやろ。」
それは!!
北さんの大切ないつかの初恋を守る為であった、わたしは全然キスとか、それ以上とか、あぁ、もう何考えてるんだ!
「そ、そもそも北さんキス知ってたんですか!?」
「知っとるわ。」
「嘘!?」
「おまえ、おれのことなんやと思ってんの。」
目を細めてこちらを見てきた北さんに「いや、まぁその、なんだ?恋愛初心者‥‥?」と言えば「それはそうやけど。」続けられた。
「それでも知っとるわ。」
「な、にが!?」
「キスのやり方も好きな女の抱き方も。」
「なんで!?」
「‥元男子高校生やからな。」
全く回答になってない言葉を吐いた北さん。それからわたしの腰に腕を回すと、いきなり抱き上げてきたので「うわ!」なんて変な声を出して捕まった。
「まってまって!?なに!?」
「そんなに恋愛について詳しいなら教えてもらおうと思ってな。」
「なにを!?詳しくない!恋愛なんて詳しくない!」
「おれの知らんところで他の男と手ぇ繋いでたのに?」
「それはっ!」
反論しようにも、北さんが優しい動きでわたしをベットに降ろす。
それから顔をジッと見てくると「合ってるかわからんから丸つけてや。恋愛について教えてくれるんやろ。」なんて続ける。
「い、いやえっと、えーっと今日のところは帰ろうかなぁ‥‥?」
「服、洗濯中や。他のもんは隠した。」
「なんでですか!そもそも北のサイズのその、そういう時に必要なものないし。」
「なんでおまえが用意すんねん。そんくらいもっとるわ。」
「は!?」
わたしがびっくりしてる間、北さんはそっと肩を押して普通に押し倒してくる。
そのままベットサイドにあったリモコンで電気を消して、わたしの額にキスを落とした。一瞬唇が触れただけのことなのに、それだけで熱くなって思わず両手で額を押さえると北さんは小さく笑った。
いやいや、全然知ってるじゃん。恋愛について知ってるじゃん!
そうだよ、この人勉強がわたしよりもうんとできるのだ。どう考えたってそういう知識だって覚えたら忘れないし、相手の立場に立てるから女の子の気持ちだってきっとわかってる。
だからきっと、わたしがいま死ぬほどドキドキしてることもわかってる、のに。
「な、そんなんやとキスしたら、心臓止まらん?平気なん?」
「いやもう本当に今しにそうだから!」
わかってるくせに聞くな!
そう思って北さんを見上げると、少し楽しそうに笑っていて。出た、北さんの意地悪だ。
「うーん、しなれるのは困るわ。これからおれ達ちゅう以上のことするのに。」
「いや本当にしぬから!死因がときめきの致死量とかイヤだ!」
「最後まではせんよ。」
「‥え?」
「いきなりは色々キツイって聞いた。」
侑に、と続けた北さん。あ、意外と侑くんってそういうの優しいんだな、なんて考えてたら「嫉妬しやすい言うたやろ。」と言う言葉と共に塞がれた唇。
「ん‥‥っ。」
そのまま顎を固定していた手が上に上って、髪を一度撫でていった。その手の感触とか大きさとか、やっぱり少し冷たい温度に身体がビクッと動いてしまう。
「久々のちゅうは優しくスマートにするつもりだったんやけど。」
「‥‥っ。」
「これやと恋愛についてはおれより先生なおまえに花丸貰えそうにないわ。。」
再び北さんの顔が近づいてきて、唇が重なる。
「‥っ、ふ。」
最初は重ねるだけだったのが段々角度が変わってきて、それから
「‥ふ、あっ‥‥!」
優しく上唇を啄まれて、思わず声が出てしまう。その口が開いた一瞬の隙に、北さんの体温にも似た少し生暖かい舌が入ってきた。
「ん‥‥っ、あ‥っんっ!」
逃げても舌はゆっくりと絡め取られて、それだけでもう心臓が尋常じゃない速さで動いて涙が溢れそうになる。
「‥っはっ‥‥。あっついわぁ。子ども体温?」
「北さんが体温低いの!」
「うん。おれ平熱低いねん。だから体温わけて。」
「ぁ‥っ、」
目に溜まった涙を拭われた直後、チュッと首に唇を落とされて思わず仰け反りそうになる。
そしてそれは段々と鎖骨へと下がりはじめた。
「‥触るから痛かったら言うて。」
「‥っあ、‥待ってっ‥‥。」
「あかん、待てんわ。」
する、とTシャツの裾から低い温度の手が侵入してきて思わず身体が反応する。その手はゆっくりと上ってきて、心臓へと近づいてきて。
そのまま後ろに回って、ぱちん、と留め具が外された。
.
「いやその、本当にごめん。」
「大丈夫やけど‥その、最後に一目会いたいって。」
りんちゃんと学食でご飯を食べていると、やってきたのはゼミの同期と先日紹介された方だった。
察しの良いりんちゃんはそれを見て「あ、勝ち目のない戦い挑んだんだ」なんて聞こえないように呟く。
同期に背中を押されて前に出てきたその男性に「この前は突然帰っちゃってすみませんでした。」と謝る。
「あの、それは大丈夫なんですけど、その、」
「はい?」
言い淀んでるのを何かと思って首を傾げて待ってると「やめときなよ。」とりんちゃんが声を発した。
「このひとの復縁した彼氏、しんじられないくらい怖いし容赦ないから。」
「な‥‥っ!」
りんちゃんを見ると「事実じゃん。今日もこの後迎えに来るんでしょ?」と続ける。
確かに明日かは暫く休講だから北さんと一緒に過ごすけれど!
そんな風に思ってるとタイミング良くなったメッセージの通知音。
見ると、北さんからで【表口ついた。】というものだった。
「ほら、行きなよ。食器は片しとく。」
「え!いいよ!片付ける!」
「いや違う。このまま北さんがこっちに来たら、それこそ一緒にいるのを見られて無言の圧かけられるから。」
行った行った、と手で追い払ってくるりんちゃんに「今度ジュース奢るね!」と言って席を立つ。
それからすぐ、正面に繋がる玄関に行こうとしたけれど。
「ま、まって!」
食堂を出たところでかけられた声。
びっくりして振り返るとさっきの男性で。
「その、無理だってわかってるけど言わせてください。初めてお写真見た時からすごい気になってて、」
喋り出したところで、あっ、と気づく。
確かに恋の終わりは綺麗なものじゃないと、人間上手く切り替えて次には進めない。
それを知っているからこそ、ちゃんと聞かないといけない。
「だからほとんど一目惚れだったんですけど、あの、あなたのことが」
と、そこまで言った時だった。
遮るようにこちらに届いたわたしの名前を呼ぶ声。すぐに振り返ると、奥から歩いてきた北さんで。
「北さん!」
思わず声を出せば近づいてきた北さんが片手を上げる。それからわたしの頭をぽんぽん、と2回撫でてから、チラリとその男性を見て。
「こんにちは。」
その一言だけで、なんとなく北さんがどれだけちゃんとして、自分じゃ敵わない相手だとわかるには充分だった。
だってわたしですら背筋が伸びたくらい。
それからぺこりと小さく会釈すると「はよ行くで。」と言って、わたしの手を取り指先を絡めて歩き出す。
少し離れてからわたしがもう一度振り返ると、隣には同期とりんちゃんがいて、りんちゃんが片手をあげてくれた。これはジュースだけでなく学食も奢ることになりそうだ。
「さっきの男やろ。おまえが手ぇ繋いだ相手。」
「え!なんでわかるんですか!」
「かまかけただけや。ほんまにそうやったんか。」
「うっ。」
思わず目を逸らすと「わかりやすいねん、おまえ。」と続けられる。
「北さん、すごいですね。隠し事なんてできないや。」
「せんでええわ。」
「サプライズとかできないじゃないですか!」
そうやって言えば楽しそうに笑う北さん。それから「そうやな、大好きやからずっと見てまうねん。」と呟く。
「いやですよ、見過ぎで飽きたとかってなったら。」
「ならんわ。おれカエルやから。」
「‥‥空の青さを知る、ですね。」
「よう覚えとるな。花丸や。」
北さんが手を繋いでない方の手でOKマークを作る。なんだかそれが面白くて「はい、先生。」と答えた。
「先生ちゃう。恋人や。」
「それは確かにそうですね。」
「やけど恋愛についてはおまえの方が先生やから色々教えてもらわんとあかんな。」
「‥‥‥もう北さんの方が色々知ってるくせに。」
今ではとっくに全部北さんが主導権握ってるというのに。
楽しそうに笑った北さんが「そんなことないで。いまも勉強中やねん。」と続けるから「何を。」と食い気味に尋ねた。
そうすれば、わたしより半歩前を歩いていた北さんが振り返って。
その背景がわたしまで空の青さを知ってしまうくらい、綺麗な青で。思わず息を呑んで。
ふわり、と優しく笑った北さんがイタズラな声色を出した。
「好きな女の子と苗字お揃いにする方法を勉強中や。」
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【そのペンで花丸つけて!】
お読みくださりありがとうございました。色々あって久々の一本なのでご満足いただけるのを書けたのか不安ですが、本当にお読みいただけたこと光栄です。
後日の2人をもっと書きたかったんですけど、あまりにも長くなるのでそれは春コミの新刊にそっと入れます...