<連載⑤1996年4月12日 普天間返還合意>
1996年4月12日午後7時ごろ。95年の米兵の少女暴行事件で沖縄県民の反基地感情が高まる中、首相の橋本龍太郎は、基地問題で米駐日大使のモンデールとの会談直後、首相官邸の執務室から知事の大田昌秀に電話して「普天間基地は全面返還をする」と合意の内容を伝えた。
◆日米合意から26年、今も飛び交う米軍機
翌日の本紙朝刊は1面で「普天間 五~七年内に返還」と、宜野湾市の中心街に位置して「世界一危険」とされる米軍基地の閉鎖決定を大々的に報道。モンデールと共同記者会見した橋本が笑顔でジョークを飛ばす様子を捉えた写真からは高揚感がうかがえる。
そんな日米両政府の歴史的な合意から26年。普天間飛行場では今日も昼夜を問わず米軍機が飛び交い、住民は騒音被害に苦しみ、事故の危険にさらされている。垂直離着陸輸送機オスプレイが新たに配備されるなど、基地機能は逆に強化されている。
いまだに返還が進まないのは「沖縄県内の既存の米軍基地に新たにヘリポートを新設する」などの条件が付けられたからだ。政府は97年11月、名護市辺野古の米軍基地「キャンプ・シュワブ」沖への「海上ヘリポート案」を提示。市では12月、建設の是非を問う市民投票が実施され、投票率は82・45%で「条件付き反対」を含め「反対」の総計が投票者総数の約53%を占めた。
◆政府のたらい回し方針に県民は反対
政府方針と市民投票で板挟みとなった名護市長の比嘉鉄也は投票の3日後に上京。普天間の危険性除去の必要性を重視し、地元の振興策を条件に受け入れる意向を橋本に示した。自らの辞任と引き換えに、市民投票とは逆の結論を出す苦渋の決断だった。
橋本の政務秘書官だった立憲民主党衆院議員の江田憲司(66)によると、比嘉は「私は移設を容認する。普天間の苦しみに応えたい。その代わり、私は腹を切る。遺言状は県北部やんばるの末広がりの発展だ」と訴え、橋本はすっと立ち上がって最敬礼したという。
だが、基地負担を沖縄でたらい回しにする政府方針に県民が反対するのは当...
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