第四話 雨が降れども地固まらず

第四話 雨が降れども地固まらず


 幾ばくかの時が流れた。禰涅ねくろの足は全快とまではいかずとも、それなりに動くようになっている。

 若干、筋が引きれるような嫌な痛みは残るが、これも次第に良くなるだろう。禰涅は矢傷を受けるのは初めてではないから、よく知っていた。

 いつまでもこの庵室――の作業小屋――にいるわけにはいかない。

 ここにいると骨が抜かれていく気がする。自分がどんどん、妖として甘くなっていく気がしてならない。

 泰平の世ならいいことだろう。他者に親切にされ、必要とされ、いずれ愛し合う。禰涅はそういう「ひと並の心」を殺しきれぬから、にはなれなかった。

(これ以上甘くなったら、仕事に障る)

 禰涅は懐に手を突っ込んだ。胸乳に隠している金を十枚取り出す。

 ぬくい。それは、己の血の巡りで熱せられているからだ。

 間違っても、慈愛などではない。


「世話になった」

 誰ともなく言って、禰涅は庵室を去ることにした。

 まだ夜半である。

 愛用の三味線を背負い、なつめのお古だという作業用の野良着を着込んで、小屋にあった笠と蓑を拝借した。

 外は雨だった。どうにも自分は雨と縁がある。とはいえ霧雨程度である。


 庵室の外には式神の獣狩犬がいた。ここの家族が城太郎と呼んでいる犬である。

 禰涅を見ても視線を向けるだけ。出ていく分には吠える様子がない。

「お前が羨ましい」

 小声を口の中に転がした。

 歩き出す。行く先は決めていないが、さっさとこの国から出ていくつもりだ。

 正体不明の依頼人は、すでに闇討ちの失敗を悟っているだろうし、なにより自分はここで人を一人殺している。恨みという因縁が生起しているのだ。


(私はあの連中を己の因果に巻き込みたくなかった?)

 己に問う。

 答えは出てこない――否、だせなかった。

 禰涅は反射的に顔をそらしていた。矢が、頬の一寸外側をすっ飛んでいく。

「ち」


 武器は作業小屋から拝借してきた草刈り鎌。そこにものを吊り下げるための鎖を繋いで、先端には秤に使う分銅を結んでいた。即席で作った鎖鎌だ。

 鎌の刃はよく研いである。充分であった。

「来い。肩慣らしに遊んでやる」


 前方に見える弓使いは二人。

 おそらく、脇には至近距離で刺してくる手合い化半弓持ちがいるだろう。

(毒矢を警戒しておくべきであろう)

 相手が自分の同業、忍びであれ、外道の仕置人(殺し屋)であれ、矢毒を用いているはず。トリカブトか毒ガエル、毒グモのものか。


 迫る矢を、禰涅はさっと鎌で払い、二射目を屈んで避ける。

 すると、右手から手突槍という四尺ほどの全長の、非常に短い槍を持った男が飛び出してきた。

 禰涅は左で常に回していた鎖分銅を噴射し、そいつの鼻から上をえぐり飛ばす。

 そして鎌の先で襟首を掴んで抱き寄せるようにして、左側の茂みへと遺体をほうり飛ばした。同じくして左から飛んできた半弓の矢が、宙をまろびつつある骸に刺さり、禰涅を守る。


 さらに、その死骸の陰で禰涅は体をたわめて駆け出していた。敵からすれば、見えないところで禰涅が全霊の力をためていたことになる。

 半弓がつがえる音が、確かに聞こえた。霧雨のさーっという音の中でも、彼女の猫耳は、弦音をしっかり捉えていた。

 駆け出しつつ上へ身を投げた。

 天地がくるりと反転する中、禰涅は茂みの刺客へ鎖分銅を飛ばして、確実に息の根を止めるべく頭蓋と脳を粉砕。

 着地と同時に、べっとりと赤黒い肉片のこびりつく分銅を回収。

 道の先で弓矢を構えていた男らが、弓を捨てて小刀を抜くのが見えた。


「矢遊びは終わりか、存外、飽き性なのだな」

 禰涅は冷笑した。二人して弓を捨てるとは。仲間への誤射が怖かったのか? 仕置人にしてはずいぶんな人情家だ。

 仲間を犠牲に刺し違えてでも仕留めるという覚悟はないらしい。人としては美しい心意気だが、修羅の世界に住まう禰涅にしてみれば、甘すぎて、吐き気を催すほどだった。


 一人が鞘を払った小刀を構える。いわゆる鎧通し。右腰に差し、右手で抜くその用途から、馬手刺めてざしし(右手刺し)ともいわれるものだ。

 刀というよりは円錐形の錐のようで、鎧の隙間に通し、確実に息の根を止める。当世具足やらで武装した足軽、あるいは大将格まで殺れる。剣術や刀技よりもより実戦的な介者剣術、組み討ちが重んじられている戦国乱世では最強最悪の武器だ。

(あれを獲物に選ぶ以上素人ではあるまい)


 禰涅は分銅を射出した。

 ぐわん、と唸りを上げて龍のようにせまる分銅を、一人目はうまく木を遮蔽に躱した。

 過ぎ去った分銅を、もう一人が腕にまきつけて掴み取る。

「捕まえたぞ、やれ、兄者!」

「無論っ!」


 兄弟――。

 禰涅の手が緩む。

 鎖鎌を放り捨てた。拮抗すれば己の寿命を縮めるだけだ。こういうとき、未練がましいと死ぬ。

 禰涅もまた同じく、こぶりな獲物を抜いていた。苦無くないである。

 壁に刺したりして足場とする用途、暗殺用(いわば忍び版馬手刺し)、投げつけて目眩ましにするなど――菱形の刃に短い柄のついたものだ。

 至近距離で火花が散った。

 兄のほうが切り結んでくる。一合二合、合わせて十ほど切り結んだか。

 禰涅に傷はないが、相手側には、細かな傷がいくつも走っている。


「手を抜くなくノ一!」

「忍びだ。私はくノ一の術で仕立てられた誰かの手先などではない」


 くノ一とは本来女忍ではない。くノ一の術、という術法、忍術の一つである。

 女をその気にさせて間者に仕立て上げ、敵大名に色仕掛けをしたり、あるいは女子衆おなごしに紛れさせて情報を抜くのが、「くノ一という術」の全容である。

 が、禰涅はれっきとした忍び。

 技量は恐ろしいほどで、すでに加勢している弟も含めて二対一のフリであるのにもかかわらず、柳のように小刀を捌いている。


「気まぐれに言うが、見逃してやらんでもない。音頭取りは誰だ? 言ってみよ」

「誰が言うかッ!」

 弟のほうが吠えた。禰涅はそいつの顎に左手で掌底を見舞い、脳を撹拌かくはん。四肢から力を奪い姿勢を崩させると、下唇を噛みつつ、兄の方の膝頭を踵で蹴り砕いた。


「言え。話さねば片腕ずつ落とす。片輪では仕置人などできまい?」

「言わぬ」

「馬鹿な野郎だ」

 禰涅は冷淡に言い、兄の喉笛を苦無で掻き切った。弟が悲痛な叫びを上げる。

「すまん、間違えた。書き切るのは腕であったか」

 禰涅は己に残虐性という本性が帰ってくるのを感じていた。冷酷無動、残虐非道。この双子の姉妹とも言うべき性質は、己にとっては比翼であった。


「言え。次はお前だ」

「言わぬ。殺せっ、気狂いめ!」

「よくいう。同じ穴の狢であろうが」


 禰涅が苦無を握り直したときであった。

 どっと、足元に矢が刺さった。

 つと目を矢の飛んできた方へと向ける。そこには、霧雨に濡れる玄慈が弓を構えて立っていた。

 右手はえびらからつまみ出し手挟んだ征矢が新たに握られている。


「若造、誰に矢を向けている」

「もうよせ、禰涅」

「よさぬ。恨みは絶たねばならぬと教わらなんだか」

「そんな非道を教える親ならばとうに縁を切っている! おろせ、それを!」


 玄慈は見たところ親子仲が良さそうだった。

 彼は親に恵まれたのだろう。それが強烈に癇に障る。

 禰涅は弟の方の顎を蹴り飛ばして意識を奪うと、玄慈の下へ歩んでいく。

 玄慈は禰涅が殺しをやめたことに安堵したのか、矢をおろした。

 つくづく甘い。


「がっ――」

 禰涅は玄慈の下腹に拳をねじ込んだ。

「風邪を引かぬように。さらばだ。玄慈」


 そう言って、禰涅は一人、去っていった。

 己とこの善良な男の住む世界は違いすぎる。

 これ以上は、決して、関わるべきではない――。




✧✧✧

 ストックを作成するため数日更新が空くかもしれません。現状、四話の初稿ストックがありますが、もう少し余裕を持っておきたいため、安心感を持って連載を維持するための措置です。

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