樹洞の神

三河筆刀齋(三河蕾花)

序章 樹洞の子

第一話 獣狩、和真

第一話 獣狩、和真


 陽も高くなりつつある、よき秋晴れのことであった。


 ぴぃぃいい、ととんびが甲高く鳴いて、山の間をすり抜けて飛んでいく。

 入り乱れる枝葉を巧みに掻い潜る様はさすが天地をる禽獣というべきか、まるで迷いがない。己の手足が如く風を掴み、気の流れを読んで、中空を舞うかのごとく踊る。

 梢の幕を抜けた先、見えてきたのは壮麗な山々。

 常に青々茂る木々が多い中、ところどころ、黄色や朱色に萌える。まばらな紅葉が美しく、澄んだ空気が、鳥の身でありながらも美味に思えた。

 雲間を行き交う天狗たちが、雲気を視て天気を占い、細かく鳴き交わしながら互いに連絡を取る。ガ、ガ、と短く泣いたり、ガア、と長く鳴く。その組み合わせを彼らは言語としているようだった。我らのように。


 一人の天狗が鳶に気づき、新鮮な山ネズミの肉を放った。鳶がそれに空中で喰らいつき、飲み込んだ。鳶はゆっくりと顎先を下げ、ある山へと降りていく。


 山河を通る。村を、里を。


 若い雀天狗が背負子に積んだ物品を広げて商い、声を張り上げている。とれたての川魚に、海の国から仕入れた塩、干しあわび

 千疋狼の親分と子分が、大槌と向う槌を振るってかねを鍛える。鍛え歌という、節のついた歌声に合わせて、ガン、ガン、ガァンと鉄を叩いていた。火花が散り、朱と金色のそれらが、焦げた匂いを発していた。

 河童の大男が土木工事に汗を流し、山人が丸太を担いで老姥の家を修繕していた。餅を美味そうに食べる化け狸の女童がいて――。


 鳶はその様子を尻目に飛沫が舞う滝壺へ接近。激突する刹那、垂直に、駆け登るかのごとく上昇。気流を掴んだ鳶はついと嘴をあげて、上空へと躍り出た。


 鳶色の目が、眼下、無数の山々からなる豊かなる、霊験な国を見下ろす。

 山岳郷さんがくごう天嵐国てんらんのくに

 龍神、豊穣神、荒天神、地母神――様々言われる、五神子いつつのかむのみこが一柱、天慈颶雅毘売あまじくがのびめ様のお膝元。


 思えばそれが、物語の始まりであった――ときにはそれが、一つの時代を築く産声であった。


 鳶が見下ろす先、たち枯れた巨桜おおざくら樹洞うろ

 そこに、翡翠ひすいの灯火が揺れる――。




 玄法げんほう十二年九月二十五日――中秋。


 天嵐国てんらんのくにの南西側に、桜之丞岳らくらのじょうだけという山がある。

 その山の一隅、わずか一町(百九メートル)四方ばかり切り開かれた土地があった。

 まず、河から引いてきた灌漑水路がある。それは畑に流れ込むもの、庵室へ引かれるもの、作業小屋へ引っ張られているものと、そしてかわやに引き込まれるものとある。

 畑には悪天候や冷害に強い品種のオニガライモが植えられており、今まさに収穫時であった。

 そのうち、半分よりやや多めに採ってあった。多くは干し芋にするべく干されており、ほかは仲間に分けていた。残りは間々採って食べるくらい。食べきれない分は、どうせ追い払ったって、狐や狸が勝手に取っていくのでそのままであった。

 山の獣は賢いので、どのような罠でも掻い潜る術を身につける。なら、いっそほうっておくのが良いというのが、天嵐民の共通した考えであった。山という自然を相手に喧嘩をしたって、勝てるわけがないと、彼らは知っていた。


 そう、山との喧嘩で勝てるやつなんぞ、いない。無駄骨を折るか草臥儲くたびれもうけが関の山だろう。

 神でさえ、大自然には敵わないのだ。

 だが、山の恵みを貰い受ける、分けてもらうという方法はいくつかあった。

 それが畑作であり、商いであり、

 ――そして、狩り、であった。


獣狩ししがり」という者たちがいる。


 主に天嵐国てんらんのくにの猟師を指す言葉であり、凍北地域の叉鬼またぎ、――そして祖先と言われる、恵みの大地イオルモシㇼに住まう恵みの地の狩人イオルマタンキ――に並ぶ、「狩人」の一派である。

 ときに獣狩の多くは弓と縄を相棒とし、山河さんが本貫ほんがんとし、鳥獣ちょうじゅうを狩ることで日々の糧とする連中れんじゅうであった。


 雲気を読み、河の流れを読み、空気の重みや湿り気、ときには味さえみて、機をうかがう。

 大物を狙うともなれば三日三晩飲まず食わずの待ち合わせも普通であり、並大抵の精神力では務まらない。

 ゆえに、獣狩にとっての狩りは、日々の暮らしの生真面目さ、鍛錬、山を知ることから始まり――なによりも弓矢の手入れで獲物の大小が決まると言われていた。


 その日、弓張子ゆみはりのこの梟福殿弦蔵和真きょうふくでんげんぞうかずま(以降、和真)は、晴れ渡った秋空のもと、頑健な弓に弦を張っていた。

 つい五日前、大物を仕留めた。本来ならば解体作業はまだ続いているのだが、如何せん、量が多すぎた。山の仲間に売り、米やら干菜、干し茸と交換してもらった。

 とはいえ、これから狩りが厳しい時期である。

 蔵を満たしておきたかった――なんせ、子も生まれる。


 和真の弓張りは、大仕事であった。水車みずぐるま式のカラクリを使っての作業である。

 巻き上げ機を使って弓をしならせ、和真が特別性の――山崩猪ヤマクズシという大猪の筋繊維から手に入れた弦を取り付けていく。

 一歩間違えれば跳ね返った弦で大怪我。和真は「鬼」だからまだ「痛い」で済むが、か細い人間ならば、腕の一本二本は弾け飛ぶだけの張力がある。


「和真、狩りなら昨日も行ったじゃない」

 声をかけてきたのは、上背、ゆうに六尺五寸(百九十五センチ)はあろう、細く引き締まった体躯の女天狗。

 フクロウを思わせる大きな翼、足腰は猛禽のそれであり、山仕事に適した裁付袴から鈎爪のついた足が覗いている。

「昨日は狩りじゃなくて山菜採りだ。いや……立派な山菜〝狩り〟ではあるんだが」

「ほら。無駄な命は獲らないのが獣狩の心得じゃあなかったかしら」

「そりゃあな。狩りと殺しを履き違えたら、獣狩はおしまいだ。けど、俺となつめの間に我が子が生まれるんだ。飢えちまうわけにはいかんだろう」


 なつめと呼ばれたフクロウ女天狗が微笑んだ。生真面目な旦那がときたまこねくり回す屁理屈(?)を聞くのは、彼女にとっては愉快だった。旅芸人の伝承を聞くのと同じくらいに面白いことである。

 なつめの髪は色づく山を思わせるような山吹色やまぶきいろで、淨眼じょうがんとも呼ばれるその目は、瑠璃色のきらめきを宿している。

 おおよそ、黒い髪に黒い目が平常の和人とは思えぬが、妖怪であれば、むしろ普通ではない毛色こそが、あたりまえであった。

 梟福殿きょうふくでんなつめ。宵張子よいっぱりのこの梟福殿なつめ梟子きょうこという、和真の愛妻だ。ちなみに和真は女婿じょせいである。


 二人の間にできた子――その子は、今彼女の肚の中にいる。

 ここ最近……卵が生まれないという怪現象がなつめの身に起きていた。女の天狗ならば、卵くらい生まれる。ときになつめ、実は生娘であった。ゆえにここいらの事情にはとんと疎い。加えて和真もまたこうした話題に疎く、右往左往するばかりだ。

 つわり、妙に酸っぱいものが欲しくなるなどということが起きて――いよいよ不安にかられた二人は、麓の村でこの手の事情に詳しい老婆に診てもらった。

 曰く、なつめの肚が「子種を宿した」のだという。ゆえに卵を作る力を、赤子の生育にまわしているらしい。

 つまり、卵で生まれるのはあくまで無精卵であり、子どもは胎児として育まれるのだ、ということ。


「あまり無理をするな」

「あなたに子ども扱いされたくはないけれど?」

「あのな、俺はもう立派な獣狩だ。いつかの、どこぞの恐ろしい天狗に鍛えられてた餓鬼じゃない」

 なつめはふふ、と笑った。「そんな事もあったわね」


 彼女は洗濯物を板でこすり合わせながら汚れを落としている。口元は笑っており、山の下の、大半の国々で起きている戦乱は、ここでは遠く聞こえるくらいだ。

 一度ならず、泰平の時代はあった。武天期以降に百八十年ほど続いた恵戸えど期である。

 しかし、いまは戦灰せんかい期。戦乱の時代であった。


 ちなみにこの時代、科学洗剤は存在しない。

 代わりに、コメの研ぎ汁やら、囲炉裏にくべた、布の切れ端の慣れはて――灰を洗剤代わりにしていた。


 戦など、やりたいやつが勝手にやって、勝手に死んでいれば良い――と和真は思っている。

 無責任と言われようが、根本的に人妖同士の殺し合いにはとんと興味を持てない性質なのだ。

 責任があれば人を殺してよい、という、意味のわからぬ道理。武士道というおおよそ理解不能な美徳の精神。

 そんなものがまかり通る下天で暮らす気はないし、介入してまで変えようとも思わない。

 父はそういう和真の日和った性格を唾棄し、御家から放逐したわけだが――。


(くだらん。他人を殺して名を挙げるだと? なんとも馬鹿げたことだ)

 和真は弓弦を張ったそれを背負い、征矢そやが十二本収められたえびらを腰に提げる。

 装いは獣狩装束――己の手で討ち狩った獣たちの素材で作られた、特別な和装である。

「もうじき冬だ。今のうちに狩りためて備えておきたい。蔵をある程度満たしておけば、麓や獣狩仲間が食い詰めたときに助けられる」

「そうね。飢え死になんて、御免だわ」


 和真は三十二歳。人間じんかん五十年と言われるこの時代であるから、――まあ、当世の感覚で言えば立派な初老か。人間であれば脂が乗り始めて頃合い。しかし、妖怪であることを考えれば、まだまだ尻の青い餓鬼である。

 しかしこの和真、獣狩としての暮らしを始めて。素人というなかれ、立派な玄人であった。

 それゆえ、冬を越せない家がどうなるのかは、痛いほど知っている。


「お弁当、できてるわ。そこの木樽の上においてある」

「すまん。昼過ぎには戻る予定だ。まあ、飯は先に食っててくれ。肚の子を労って待て」

「うん。そうする」


 翼を畳んでいる彼女は、それでもずいぶん大きく見えた。母は強し。そういう理由もあろうが、翼を広げれば、その幅は十七尺(五・一メートル)。それを知る和真の先入観もあろう。

 ちなみに天狗には生まれながらの妖力があるため、筋力による飛行能力はいらない。ただ、上昇気流を掴んだり、姿勢の維持、制御をするためにはどうしても翼がいる。


 和真は弁当の入った竹の皮の包を打飼袋に入れ、肩がけに腹に巻いた。

 この打飼袋というのは細長い筒状の袋のことで、腹や腰に巻き付けて使う。現代で言うウェストポーチとかボディバッグのご先祖様である。


 庵室を周囲ぐるりと囲っている堀と土塁がある。これは長い間をかけて、和真なつめ夫妻、あるいは同業に手伝ってもらいながら作ったものだった。

 その「環濠」の東側に勝手口となる簡素な門があり、和真はそこから外に出た。

 門番役の式神である、番犬「城太郎」も万全の状態である。彼はなつめが連れている式神で、いわゆる狼犬である。天嵐国てんらんのくにではもっぱら、「獣狩犬ししがりけん」などとも言われていた。

「頼むぞ、城太郎」

「ゔぉふ」


 城太郎は太く吠えると、忠犬此処にありと言わんばかりに、その場でどっしりとおすわりをした。

 あいつなら大丈夫だ。並みの獣は恐れて遠ざかり、それどころかお侍ですらケツを噛まれるとへっぴり腰。そもそも、この山の侍はここには近づかない。


 和真は頬を一度ぴしゃりと打ち、家を出た。

 今日は何が穫れるか――まあ、行けばわかる。

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