新作能『オッペンハイマー』――原作者が語った、不動明王と百丈野狐
「今や私たち一人ひとりが、自らの方法で広島と長崎の惨禍を再びどこでも繰り返させないために努める責任があります。
その意味において、オッペンハイマーは今、私たちすべてのために舞っているのです。」
――A・マレット
アラン・マレット氏は能『オッペンハイマー』の原作者。シドニー大学名誉教授です。
もともとは雅楽の研究者でしたが、1972年に宝生能楽堂で観た能に魅了され、それ以来、能の研究を続けてこられました。また、禅の法名を授かり、地元アデレードでは禅の指導にも当たっておられます。
昨年、英語能として上演された『オッペンハイマー』。
今年はいよいよ日本語で上演されます。
どうも私香です。
昨夜はA・マレット氏の講演会に行ってきました。
昨年、『巣鴨塚 ハルの便り』を観た時のことを思い出しました。
シテが登場した瞬間、地震が起きました。
シテは東京裁判のA級戦犯・板垣征四郎。獄中で詠まれた百行にも及ぶ漢詩をもとにした作品でした。
もちろん地震は偶然でしょう。
けれど、その場にいた多くの人が
「板垣が降りてきたのかもしれない」
と感じたのではないでしょうか。
その日、たまたま会場で会った友人と「このまま帰れる気分じゃないね」と食事をし(私は下戸ですが)、興奮を分かち合って帰りました。
地震は偶然。
でもあの日、板垣はそこにいたのだろうと今も思っています。
さて、新作能『オッペンハイマー』の物語を少し紹介します。
この作品は、禅の公案「百丈野狐」をもとにしています。
では、禅の公案「百丈野狐」とは何か。
マレット氏曰く、因果の条理だと。
修行僧に誤った答えを与えたことで、百丈(寺の住持)は狐に堕ち、五百回もの生死を繰り返し、苦しんでいます。
しかし、自らの過ちを認め、それを引き受けることで救済される。
簡単すぎる要約ですがこんな感じです。
以下は、能『オッペンハイマー』の物語として語られる百丈野狐を、当日配布されたプログラムをもとに要約したものです。
能『オッペンハイマー』
一人の巡礼が百丈ゆかりの狐の石仏を見つけます。
そこで僧に出会い、百丈野狐の話を聞き、
さらに「同じように苦しみ続けている者としてオッペンハイマーがいる」と告げられます。
そして、その僧自身がオッペンハイマーの亡霊であることを明かし、姿を消します。
巡礼の弔いによって、オッペンハイマーは自ら生み出した災禍の苦しみを受け入れ、地獄の炎へ身を投じようとします。
その時、不動明王が現れ、「苦しみの中にあるすべての人々を救え」と諭します。
こうしてオッペンハイマーは衆生救済の勤めを担い、巡礼もまた不動明王の教えを悟って去っていきます。
僧がシテ、巡礼がワキです。
"ワキ僧"に慣れているので、少しややこしい。
この日の講演タイトルは、
「不動明王、百丈野狐、そして能『オッペンハイマー』」
というもの。
内容は、
①能『オッペンハイマー』の誕生と発展
②中心となる主題
③物語
④能との共同創作
という構成でした。
中でも印象に残ったのは、不動明王が最初から登場人物だったわけではない、という話です。
2005年に『オッペンハイマー』を書き始めた時点では、不動明王は登場していませんでした。
2009年。すでに禅の修行者として独立していたマレット氏。四国遍路の途中で疲れ果てて岩屋寺へたどり着き、不動明王像と向き合ったそうです。
その時、不動明王を「自分の苦しみに寄り添ってくれる存在」と感じたのです。
この体験から、不動明王を『オッペンハイマー』に登場させようと思ったそうです。
不動明王は人々を苦しみから解き放つ慈悲を持っているのです。
その後草稿は発展し、喜多流シテ方・松井彬師、リチャード・エマート師らとの共同制作を経て、2015年にシドニーで初演。
終戦80年となった昨年、日本でも上演されました。
そして今年はいよいよ日本語版。
能マニアとしての見どころは、やはりシテが喜多流、ツレが観世流というところでしょうか。
新作能だからこその試みを楽しみにしています。
ちなみに、日本語版の能本は川口晃平師が執筆されました。
昨年、『巣鴨塚 ハルの便り』で地震が起きたことを先に書きました。
その時、私が思ったのは、戦争が終わって80年という時間は、歴史の尺度で見れば決して長くないということです。
まだ戦争を記憶している人がいる。
その時間は、私たちが思うほど遠い昔ではありません。
だから、きっと私たちのすぐ隣で、オッペンハイマーの魂も、板垣征四郎の魂も、この世界を見続けている。そんな気がしているのです。
世阿弥は『風姿花伝』の中で、
「能は本説を正しく踏まえて作るべき」
と説いています。
アニメを本説にして能を作るのも、それはそれで面白い。
けれど、修羅能の多くも、合戦からある程度の時を経て生まれたように、多くの犠牲者を生んだ戦争もまた、本説としてこの先何百年も語り継がれていくのだと思います。
今年は戦後81年。
歴史として語ることのできる距離が、ようやく生まれたのかもしれません。
だからこそ、今、先の大戦を"能"にする時代が来たのだと思いました。
ではでは。
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