超合金の生みの親にして日本のキャラクタービジネスのパイオニア村上克司さんを偲んで
2026年7月20日。工業デザイナーの村上克司さんが亡くなられた。享年83。今年の半ばより体調を崩し、入退院を繰り返していた中での逝去となったという。
私は1996年、村上さんがバンダイに在籍していた頃に初めて取材を行い、それから約30年間にわたって様々なお話をうかがってきた。村上さん唯一の作品集である「オール・アバウト村上克司 特撮・ロボット工業デザインアート集」の構成と執筆も行なっている。
おそらく、ここまで長期に渡って村上さんの取材を行なってきたライターは他に存在しないだろう。それだけにこのたびの訃報をまだ受け止めきれていないのも事実だ。とはいえ、今だからこそ村上さんの功績を記すべきであると思い、気持ちを奮い立たせながら、この稿を記すことにしたい。
村上さんの功績
村上さんは1961年に株式会社バンダイへ入社。一度退社したのちに1972年にテレビキャラクター玩具を専門とする株式会社ポピーの社員となる。村上さんは当時ヒットキャラクターとして頭角を現していた『マジンガーZ』をモチーフに、のちに「超合金」と呼ばれるダイキャスト製ロボット玩具を企画した。そこには当時流行したミニカーのコンセプトをヒントに、村上さんはディテールの効いた精巧感と、ズッシリした重量感を取り入れた斬新なアイディアがあった。
ところが、実際に試作に取り掛かってみると、顔の造形の精度、ロケットパンチの発射ギミックなど、何もかもが試行錯誤に陥ることになる。結局、超合金第1号マジンガーZの開発期間は半年以上を経て、1974年2月に発売された。半年以上かかったのは、テレビと商品に著しいギャップが生まれないように、ギリギリまで村上さんが形状に対して粘ったことも要因だったという。ポピーの誕生以前、テレビはテレビ、玩具は玩具でまったく別個の存在と考えられていた。村上さんはそこにメスを入れたのだ。しかも、村上さんにとってテレビと同じ姿形の商品を作ることは、あくまで前提にすぎない。見た目だけでなく遊びやパッケージデザインも含めた、トータルな製品としての完成を目指したのである。これは村上さんのデザイナー哲学としてポピー商品に浸透し、ポピー、やがては親会社であるバンダイを一大玩具メーカーへと育て上げる原動力となった。
「超合金マジンガーZ」は大成功を収め、村上さんはポピーの商品企画を全面的に任されることになる。そこで村上さんは次なる段階へ挑む。それは番組企画への参加だった。村上さんは『勇者ライディーン』(1975)で初めてプランニングへ加わり、主役メカニックに関する提案を行っている。誤解のないように言えば、村上さんは好んで番組企画に口を挟んでいるわけではない。彼のポジションはテレビと玩具のギャップを生まないことのコーディネートであり、ポピーの企業努力の一環なのである。
この時、村上さんはライディーンの変形システムを考えるため、悩み続けていたという。それは立体を正確に把握しているがゆえの苦悩だった。かつてバンダイのあらゆるパートに関わり、玩具の製造工程を知り尽くした村上さんだからこそ嘘はつけない。整合性がなければ工業デザインとは言えないのだ。前述した超合金マジンガーZの時も然りだが、今の目で見れば単純な玩具であっても、ゼロから生み出すには相当の努力が必要となる。それを乗り越えたことは、村上さんだけでなく、日本のキャラクター玩具の発展にとって偉業と言えるだろう。この壁を村上さんが越えられなかった場合、日本にダイキャスト製ロボット玩具も、ましてや変形ロボット玩具も生まれていなかったかもしれないからだ。
個人的に村上さんの全盛期と考えているのは、1970年代の末期から1980年代の中盤にかけての仕事である。この頃にデザインしたロボットやヒーローをザッと挙げてみよう。
大鉄人17(ワンセブン)、レオパルドン(スパイダーマン 東映テレビシリーズ)、闘将ダイモス、ダルタニアス、バトルフィーバーロボ、ゴーディアン、ダイデンジン、ゴッドシグマ、鉄人28号(太陽の使者)、ゴールドライタン、サンバルカンロボ、ゴライオン、ゴッドマーズ、ゴーグルロボ、ダイラガーXV、ダイナロボ、バイオロボ、そして宇宙刑事ギャバン、シャリバン、シャイダー……と忘れがたき存在ばかりだ。この後にも仮面ライダーBLACKやシャドームーンを手掛けている。
私から見た村上さん
さて、最初に記したように私は村上さんの取材を数えきれないほど行ってきた。中でも何かの折に、コピー機から取り出した用紙へ、迷わず一筆で正円を描いた光景は今も忘れられない。その時は言葉にはできなかったが、村上さんが線を引く様を見ることができたのは、大げさでも何でもなく奇跡的な体験だと思っている。
取材を何度か続けていると、食事をご一緒する機会も少なからずあった。酒席で村上さんは自らトークで場を盛り上げてくれた。例えば村上さんは目の前に集まったメンバーに問いかける――「君たち、黒澤明映画で好きな作品は何だ?」皆それぞれの作品名を口に出す中、最後に村上さんは巨大なオープンセットに圧倒された『蜘蛛巣城』と答えたと記憶している。
また、オカルト話も好んでいて、雑誌「ムー」を買い続けていると語っていた。もっとも、表紙を見られると恥ずかしいので実話系週刊誌と重ねて買っているんだよ……と照れながら語っていた。カラオケも得意で、「星のフラメンコ」がレパートリーだった。同席したバンダイの若手社員が歌う「宇宙刑事ギャバン」を笑顔で聴いていた姿も忘れられない。
もちろん、村上さんは仕事に関しては自他ともに厳しい人物であった。取材と同時に行われた商品の監修の際に、私も村上さんの妥協を許さない一面を見ている。しかし、それだけではない。村上さんは圧倒的に才能のある人物でありながら、人と接することに喜びを感じていた面があった。それは、取材の後に酒席をご一緒したからこその貴重な経験だったのかもしれない。
2020年3月、『スパイダーマン』の取材を行った時、話が終わって席を立つ時に村上さんは胸ポケットから封筒を取り出した。後で封筒を開いてみると、そこには新たに描かれたレオパルドンとマーベラーの姿があったのだ。きっと村上さんは驚く私の顔を想像しながら、目を細めながら笑っていたに違いない。そして、この原稿も天国で目を細めながら笑顔で読んでいてくれていると信じたい――村上さん、長い間ありがとうございました。安らかに!!
(C)ダイナミック企画
(C)石森プロ・東映
(C)光プロ
※書影、デザイン画掲載ページは「オール・アバウト村上克司 特撮・ロボット工業デザインアート集」(パイインターナショナル/刊)から使用させていただきました
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