4年生の時に震災を経験した。あまりにも身近でいとも簡単に人が死に、家財が簡単に無くなった。それを強いられた為に受け入れるしかなく、常に「死」というものがふんわりと近くにいる感覚であった。そういうもんだった。
学校には仮設住宅が建てられ、体育館は避難所であった。近くの中学の体育館は遺体安置所になった。通学路には赤旗(亡くなった人たちが見つかった場所を示している)がたくさん立てられていた。校庭の代わりに使った津波でやられた施設の駐車場では、泥だらけの写真がたくさん流れ着いていた。写真に写っている人達の安否はわからない。あの世とこの世が入り混じった世界だった。
気付くと、給食の代わりに美味しいお弁当が支給されるようになった。知らないうちに街は整っていった。給水車が来てくれて、わざわざ遠くのトイレまで行く必要がなくなった。全て他都道府県・他市町村からの善意からだった。
やがて瓦礫を避けて運動会をする学校がでたり地区の生き残った人達でお祭りを再開させるなど、徐々に活気が戻っていった。
東北の人間として熊本県にできる事はしたいと思ってる。たくさん助けてもらったから。