九州大学で,理学部数学科の女子学生の数を増やす目的で,2012年度の後期日程の入学試験で「女性枠」を設定しようとした事件がありました。
実は九州大学では当時,学内全体で女性教員の割合が8.7%,数学科の教員が所属する数理学研究院の教員66人中女性は2人(3.0%),数学科の女子学生も254人中26人(10.2%)という状況でした。
その状況を改善するため,「女性研究者増は喫緊の課題。まず入学者を増やすことが必要」として「女性枠」導入を決め,募集人員9人のうち4人を「一般枠」(試験科目は数学のみ),5人を「女性枠」(試験科目は数学と英語)にすることを2010年3月に公表したのです。
しかしながら,この九州大学の公表に対しては,「逆差別に当たる」「法の下の平等に反する」などと苦情のメールや電話が相次いだのです。
さらに,そのような声を受けて大学が相談した弁護士も,そのような「女性枠」は憲法違反の疑いが強い,と助言したため,2011年5月に撤回を余儀なくされたのです。
この問題は,いわゆるアメリカで採られることの多い,アファーマティブ・アクション(積極的是正措置。ポジティブ・アクションともいいます。)にあたります。この「女性枠」事件について,日本におけるアファーマティブ・アクション研究の代表的な存在である憲法学者の辻村みよ子教授は,その著書『ポジティブ・アクション』(岩波新書,2011年)181頁以下において,以下のようにコメントをされているのです。
「性別によって受験資格や入学条件を変えることは,もっとも端的な例では,国立の女子大学や公立高校等での別学制で採用されています。
これについても,憲法違反かどうか,女性にとってのPA(注:positive action(ポジティブ・アクション,積極的是正措置)もしくは教育の多様性を確保するための措置として必要かどうかなど,共学問題に関するたくさんの議論が必要ですが,ここではこの問題に立ち入ることは避けます。
九州大学数学科の「女性枠」問題に限ってみれば,側聞するかぎりでは,やはりこの制度には難点があったと言わざるをえないようです。
すでに本書で,女性の医師を増やしたいからといって,国家試験で女性だけ合格基準点を下げるようなことがあれば,スティグマの問題になるということを指摘してきました。
アメリカの例でも,バッキ事件判決(注:カリフォルニア州立大学医学校における入学定員の人種的マイノリティに属する受験生優先枠を,白人受験生との関係で法の下の平等を保障した憲法に違反する,とされたアメリカ連邦最高裁判決(1978年))やグラッツ事件判決(注:大学学部入試において人種的マイノリティに属する受験生に一律20点を加点する措置を,法の下の平等を保障した憲法に違反する,とされたアメリカ連邦最高裁判決(2003年))などで,人種的マイノリティに自動的に加点するような方法は憲法違反とされたことも指摘したとおりです。」
この九州大学数学科の「女性枠」の問題は,言うまでもなく,同大学における女性教授の数などを増やして,男性と女性の双方の視点から,学問に対してさまざまな光が当てられるように,との措置です。
もちろん,女性の教授や学生の数が増えることで,「数学」という美しい世界に対して,男性だけの場合と比べてより多様な光が当てられることになります。私達「人」は完全ではなく,真理を追い続けるためにはより多様な光が必要であることは言うまでもないことであります。その意味で私は,「数学科にもっと女性学生が増えてほしい」という理念を大学が持つこと自体には賛成の立場です。
ただ,問題は,仮にそうであったとしても,いかなる手段を用いても憲法上許されるのか,ということにあります。入学試験に「女性枠」を設けるということは,女性であること理由として優先される手段を設けるということです。それは逆に,男性側からすれば, 男性であるという理由で(性別によって)不利益を受ける,ということなります。
それは男性の側からすれば「逆差別」とされる措置であり,女性学生を増やしたいという大学の理念そのものに社会的合理性が認められるとしても,その手段としてそのような義務付けを法律で行うことが,個人の尊厳(個人を個人として尊重すること)を最高の理念とし(憲法13条),性別による差別を禁止した(憲法14条)憲法がそのような手段を用いることまで許容しているのか,という問題が生じるのです。
上の辻村先生の著書でも紹介されていますように,大学が相談した弁護士の方が「憲法違反のおそれがある」と言われた,ということは,まさにその手段が憲法に違反している可能性がある,という指摘だったのです。
本来,「人権」や「平等」が保障されるということは,どんなに社会として必要なことであったとしても,それを多数決で強制することができないことがあるのだ,という理念であります。それを保障しているのが,憲法なのです。
その意味でこの「女性枠」の問題については,私自身としては,「憲法違反の可能性がある」と言われた弁護士の方や,辻村先生のお考えにシンパシーを感じています。
元々,「性」とは生命が生きるために編み出した手段です。細胞が単純分裂すると同じDNAしかできず,有害な病原体が生まれた際には生命が絶滅する可能性があるのに対して,異なる性が重なることで新しい命が生まれるようになれば,より複雑なDNAを生み出すことができるのです。
つまり「性」とは,生命が生き延びるための手段であり,それ自体が目的ではないはずです。大切なことは,異なる性が存在することを前提にした上で,その相違点に価値の上下をつけないことではないでしょうか。それが「性差別問題」において,最も大切な視点ではないかと思います。
1
お茶の水女子大、奈良女子大、のようにもともと女子のための教育機関として設立されたなら、その分男性の定員が減ったわけではないので、問題ないと思いますが(ただし、仮に憲法訴訟になった時にどうなるかは保証するところではなく、あくまで、私の見解です)、もともと男女ともに入れたところを定員の一部を女子だけにするというなら、代償措置、例えば、その分全体の定員を増やす、などしないと、問題があると思いますね。
しかし、一方で、ある国立大学で女性だけを対象に教官を募集したらこれまで応募してこなかったような優秀な女性が応募してきた、という話もあり、何らかの形で女性のための道を開くことも必要ではあります。
私も以前はアファーマティブアクション絶対反対だったのですが、その国立大学の話を聞いて、男性の利益を侵害しない範囲では必要だと思うようになりました。
この必要性は教官であれ、学生であれ、同じだと考えます。
そういった意味で、例えば、お茶の水女子大の理数系のように、女子のみの理数系教育機関を作ることは効果的な解決策になるでしょう。九州にもそういう教育機関があれば、九大の女性比率は低くても、女性が理数系を学ぶ機会が保証されます。女子大なら、女性が気後れせずに理数系を受験できるからです。九大の定員は従来のままにすれば、男性の機会が縮小することにもなりません。
欧米でも男女別学の良さが見直されている時代ですから、そういった方向も検討されるべきですね。
たしかに、アメリカなどでは別学についての憲法判断はあるようですが、一方でアメリカでも高校などでは別学の地区もあり、一律に違憲とはされていないようです。少なくとも、欧米でも別学を採用している国は多くあるので、そういった例を参考に、合憲的に女子教育を行なう方法を政府は検討すべきでしょう。
多摩(立川)の弁護士山中靖広
2014-11-16 09:40:38
返信する