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この作品「隣立つ人」は「腐術廻戦」「くさひぐ」等のタグがつけられた作品です。
隣立つ人/藤坂のえの小説

隣立つ人

2,335文字4分

任務明け、夏の夜に海へ飛び込んだ日車さんと、一緒に飛び込むことになった日下部さんのお話。別軸の単体で読めるような、シリーズの後日談のような、ふわっとしたお話になりました。何でも許せる方向けです。
過去作含め色々見てくださったりいいねやブクマ、スタンプや、waveboxポチっていただくだけでなくメッセージまで、誠にありがとうございます…!! 本当に、励みになりました。感謝申し上げます。

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 日車寛見は常識人だ。冷静な理性の人であり、真面目で素行にも問題などない。
 だがそこに『基本的には』という但し書きがつくと日下部が知ってからもまた久しくもある。自分を勘定から外しがちであり、思わぬ行動に出ることもままあった。

「以前君にも話しただろう。着衣水泳の授業が好きだった、一度服を着たまま風呂にも入った、と」

 絶えず耳を打つ潮騒の音は鼓膜に馴染んでいて、むしろ日車の声はよく聴こえた。

「あー、言ってたな」

 確かに覚えがある。決戦を控えての修行の中で彼が語った身の上の一つだ。それ自体は事実なので日下部も頷く。

「だからだ」
「いや人巻き込んで海に飛び込んだ理由を訊いたんだよこっちは」

 海水で濡れてしまった髪を雑に後ろへ上げながら、日下部は深くため息をついた。肌に張り付くシャツ越しに、抱え込んだままの日車の体温が普段よりも熱く感じた。
 ざざ、ん、と波が腰辺りに掛かり、また静かに引いていくのが水の感触で伝わる。月明かりが冴えた夜の浜辺に人気がないのは幸いだったと遠くで思う。
 任務明け、宿泊先へ荷を置いてからのささやかな散歩のはずだった。最初はただ静かに歩いていたくせに唐突に海へと踏み込みだし、慌ててその後を追った日下部の腕を引っぱって真夏とはいえ夜の海に飛び込ませた張本人は、どこか満足げに微笑んでいた。

「思っていたより気持ちがいいだろう?」
「真冬じゃなくてよかった、とは思うな」

 スマホや財布はいらないだろう、と部屋を出がけに言ってきた時点でこうなることを予想しておくべきだった。思い返してから、いやどうやって予想すんだよ、と栓のない思考を振り払う。
 本人曰く『グレてしまった』後から続く、やってはいけないと思っていたことへのチャレンジ精神が発動してしまったのかは知らないが、酔っ払いの悪ふざけにしか見えないだろう状況に、日下部は改めて背を抱える腕を強くした。
 日中に熱された海水はまだ生ぬるく、けれど対流する潮には冷ややかさも混じっていて、あまり長居は向かないことを知らしめてきていた。
 満足したなら上がるか。そう声をかけようとしたところで、日車の手が、す、と頬に伸ばされる。視線を落とせば意志の強い瞳が微かに揺れていた。

「――どこまで君は付き合ってくれるのか、と思ったんだ」

 ひどく静かな響きだった。輪郭をなぞる掌が、そのものだけでなく共に海に濡れる今を確かめるように水気を纏って滑る。
 日車寛見は常識人で、冷静な理性の人でもあり、真面目で素行にも基本的には問題はない。自分を勘定から外しがちであり、思わぬ行動に出ることもしばしばだ。
 それが彼だということをとっくにわかった上で隣にいるのに、疑問をもってしまったが最後、答えを知りたくなるのもまた日車という男の性なのだろう。
 だから日下部は、少し強めに額同士をぶつけてやってから、告げる。

「馬鹿野郎。なら一言、『泳ぎたくなった』とか言いなさいよ」
「? 何が、」

 問いと答えが繋がらないのだろう、きょとんとして手を止めた日車の指先を己の手で包んでしまう。自分より元々低い体温が更にひやりと馴染んでいく。ああ、やっぱ少し冷えてきてんな、とそのまま手の内でゆるく揉みながら、続けた。

「服着たままいきなり海に突っ込んでくのは心臓に悪いからやめろっちゅー話。『来い』でも『付き合え』でも何でもいいから声かけろ。元でも言葉のプロだろ」

 実際肝は冷えたのだ。何気ない夜の浜辺を機嫌よく二人して歩いていたところに、ふと相方が足を止めたと思うやおもむろに波の向こうへ突き進まれて焦るなという方が無茶な話だろう。

「それは、すまなかった」
「や、怒っちゃいねぇんですけどね」

 だというのに日車はといえば、今初めて思い当たったとばかりに眉を下げるものだから、どうせ濡れ鼠なんだし、と雫がまだ滴る髪をくしゃりと撫ぜた。
 それからどちらともなく言葉は途切れた。心音にも似た波の音が絶えず響いて、落ちた沈黙を穏やかに埋めていく。雲間に月が隠れた海は、浜辺の向こうの遠い光源を残すのみで、二人きりで世界から切り離されたような錯覚を憶えかけた。
 口火を切ったのは、やはりというか、日車だった。

「言えば、どうする?」

 疑問に思ってしまえば追わずにいられない男の声は、今しばらく雲の向こうに隠れている光を知りながらも尋ねる少年めいて耳を打った。思わず上がった口の端は、日車にどう映ったのか。回転の速すぎる頭が明後日の結論を導く前にと髪を掻き混ぜていた手を止めて、腰を引き寄せ直して向かい合う。
 覗き込んだ瞳の中、自分の影の向こうから光が落ちて、月が再び姿を見せたことを教えていた。

「――今更だろ。馬鹿やるにしても止めるにしても、トコトンお付き合いしてやろうじゃねーの」

 ぱちり、と大きな目が瞬いて、それから目元に朱が上っていくのが月明かりでもよくわかった。
 静寂は数秒もなかった気がするが、多少の気恥ずかしさもあってか、やけに日下部には長く感じた。
 見つめた先、確かめたものに満たされたように目を細めて、日車が、ふ、と笑んだ。

「思っていたより、熱烈だな」
「知らなかったとは意外だな」

 不意に首に回された腕がもう少し下を向けとばかりに引いてくるのに、日下部もまた声を上げて笑う。知らなかったわけじゃない、とばかりに日車が口先を僅かに尖らせるのが、おかしさと別の色合いをもって胸の内をくすぐる。
 そろそろ戻るぞ、と促すべきなのに、どうしてもふと惜しくなって、日下部は濡れて光る唇にそっと掠めるように自分のそれを重ねた。

コメント

  • nanao
    7月29日
  • 小夜双☆スカィWeb
    7月27日
  • 菅流@芋づる式
    7月27日
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