第61話 フィリピンとかにありそう

「アホか! 自分ら、人に向けて危ないもん撃つなって、親に教えられんかったんか!?」


「はい……」

「すみません……」


 俺たちは今、人魚にめちゃくちゃ叱られていた。


 あのあと、人魚は数秒ほどで意識を取り戻した。


 そして開口一番、俺たちへ謝罪を要求したのである。


 当然だった。


「はむ? これがUMAかのう?」


 コアちゃんが、水面から顔を出している人魚を興味深そうに眺める。


「もう正体を確認してるんだから、UMAではないな」


「急に人を指さしてUMA言うんは、なんなん?」


 人魚が眉を吊り上げた。


「ちゅうか、自分ら、なんで池にビリなんか流そうとしてんねん」


「ビリとはなんじゃ?」


「鐘々が、さっきやったやつのことだ」


「電撃魔法ね」


 鐘々が、小さく補足する。


 というか、なんなのだろうか、この空気は。


 俺たちは池のほとりにしゃがみ込み、水面から上半身だけを出した人魚に説教されている。


 どう収拾をつければいいのか、まったく分からない。


 鱗ヶ池のUMAというのは、間違いなく彼女のことだろう。


 それよりも気になるのは、なぜ人間が池で暮らしているのかということだ。


 ホームレスという言葉では片づけられないほど、過酷な環境に見える。


「とりあえず、今どういう状況になっているのか説明するよ」


 まずは、話をすることにした。


     ◇


「なるほどな」


 一通り話を聞き終えた人魚が、難しい顔で腕を組む。


「うちがUMA扱いされて、町内会から賞金まで懸けられそうになっとると……」


「そういうことだ」


「証拠は?」


「ボイスレコーダー、聞く?」


 鐘々が、どこからともなく小型の機械を取り出した。

 ……怖いなあ、こいつ。


 町内会のおじさんたちとの会話を、しっかり録音していたらしい。

 人魚は鐘々からボイスレコーダーを受け取り、再生された音声へ耳を傾ける。


「ふーん……」


 しばらく聞いたあと、鐘々へ機械を返した。


「どっかの研究所が、うちを捕まえるために寄越した連中かとも思うたけど……」


 人魚が、俺たちを順番に見回す。


 着古した服を着た俺。

 電撃を誤射した鐘々。

 魚を捕まえるための網を持ったコアちゃん。


「こんな雑な連中、研究所から来るわけないか」


「否定できないのがつらいな」


「それに、そっちの二人は異形やろ?」


 鐘々とコアちゃんへ視線が向けられる。

 鐘々については、その通りだ。

 コアちゃんは異形ではないのだが、正体を説明すれば、もっとややこしいことになる。


「まあ、そんなところだ」


 異形であることを理由に職を奪われる世の中だ。

 研究機関の人間ではないと信用してもらう材料として役立つのは、なんとも複雑な気分だった。


「俺の名前は、網代駆だ」


「真白鐘々よ」


「妾はコアちゃんでよいぞ」


 俺たちが順番に名乗ると、人魚も少しだけ警戒を緩めた。


「うちは舞倉七築まいくら・ななせや。七築でええよ」


 ひとまず、互いに自己紹介を済ませる。


「しかし……人魚、か」


 改めて、七築の姿を見る。


 冷静に考えてみれば、人魚型の異形を見るのは初めてだった。


 それどころか、国内に実在するという話すら、ほとんど聞いたことがない。


 異形化とは、ダンジョンの発生によって増加した魔力へ、人間の身体が適応するために起こる変容だというのが定説である。


 鐘々のように、耳や肌の色が変わる者。

 暦のように、目の構造が大きく変わる者。


 外見や身体機能に大きな変化が起きたとしても、多くの場合、人間としての基本的な生活能力までは失われない。


 魔力環境へ適応した結果、人間がもともと暮らしていた地上へ適応できなくなる。


 そんな本末転倒ともいえる変容は、極めて珍しかった。


 魚人や人魚に似た異形が存在しないわけではない。


 ただし、それは海外の珍しい異形を紹介する特別番組で、年に一度見かけるかどうかという程度である。


「笑うやろ?」


 七築が、自嘲するように自分の尾を見下ろした。


「これな。仕事で疲れて、風呂ん中で寝落ちしてもうてん。ほんで、目ぇ覚ましたらこうなっとった」


「マジかよ……」


「私も、寝てから目を覚ましたら異形になってたけど……」


 鐘々が、自分の尖った耳へ触れる。

 睡眠中に変容が進むという共通点があるのだろうか。

 教授が聞けば、目を輝かせて食いつきそうな話だった。


 だが――。


「いや、笑えないぞ」


 これは笑い話ではない。


 変わった場所が浴槽だったから、人魚の姿になった。


 そんな単純な話で済むはずがない。


 何より、今の七築が暮らしている場所を見れば、笑えるはずもなかった。


 異形になった人間が、たった一人で池にいる。


 それだけで、何かが起きたことは明らかだった。


「どうして、こんなところにいるんだ?」


「話せば長くなるんやけど……」


 七築が答えかけた、そのときだった。


 少し離れた場所から、草を踏み分ける音が聞こえてくる。

 誰かが、こちらへ近づいてきているらしい。


 七築はすぐに身体を沈め、声を潜めた。


「あんまり人に見られたくないからな。場所、変えてもええかな?」


「ああ」


 俺は頷いた。


     ◇


 七築の案内に従い、池の縁を歩いていく。

 七築自身は、岸に沿うように水中を泳いでいた。

 やがて道らしい道はなくなり、俺たちは藪の中へ足を踏み入れることになった。

 七築が人目を避けて暮らしている以上、仕方がないのだろう。


 枝で顔を叩かれないように気をつけながら、鐘々とコアちゃんにも注意を――。


「ほう。うまいものじゃのう」


「雨避けの応用よ」


 必要はなかった。


 鐘々とコアちゃんの周囲には、薄い風の膜のようなものが生まれていた。

 伸びてきた枝や葉は二人へ触れる直前で押し戻され、飛んできた虫まで風に流されていく。


 何それ。

 便利すぎない?


「あれ? お兄さん、雨避けできないの?」


 鐘々が、不思議そうに振り返った。

 とても傷つきました。


「おで、あまよけ、できない。かけて」


「急にキャラ変えないでよ……。私、自分を含めて二人までしか維持できないんだって」


「おで……おで……」


「そんな顔しても無理なものは無理」


 仕方なく、俺だけ枝と虫を自力で避けながら進む。


 葉が服へ引っかかる。

 細い枝が頬をかすめる。

 靴は湿った土へ沈み込み、見えない虫が足元を飛び回っていた。


 本当に、人間が住むような場所ではない。


 しばらく進むと、藪の向こうに奇妙なものが見えてきた。


「……なんだ、あれ?」


 竹を編んで作られた、小屋のようなものだった。


 いや。

 小屋というより――家か?


 池の浅瀬に太い支柱を立て、その間へ細く割った竹を隙間なく編み込んでいる。

 建物の下半分は水中へ沈み、上半分だけが水面から出ていた。

 屋根には傾斜がつけられ、雨水が池へ流れ落ちるようになっている。

 風を受けやすい面には竹が重ねられ、岸側には流木と石を組み合わせた補強まで施されていた。


 手近な材料だけで作ったにしては、妙にしっかりしている。


 フィリピンとかにありそうな、水辺に建つ竹の家。


 田舎にある屋根付きのバス停より、よほど頑丈そうだ。


「ようこそ、うちへ」


 七築が、水面から顔を出した。


「言うても、入口は水ん中にあるから、自分らは入られへんけどな。ここなら人も来んし、ゆっくり話せるやろ」


「これ……お前が作ったのか?」


「ほかに誰がおんねん」


 七築は当然のように答えた。


「あり合わせの材料しかなかったから、仮設やけどな。水位が多少変わっても使えるようにはしてあるで」


 仮設。


 これが?


 資材も道具も満足にない池の中で、七築は自分が暮らせる建物を作り上げた。


 しかも、水中でなければ呼吸できない自分の身体に合わせて。


 もしかすると――。


 俺たちが探していた人材が、目の前にいるのかもしれない。

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