なぜ「大学生論法」は読む側を疲れさせるのか ストローマンと過度の一般化が思考を止める瞬間
はじめに
SNSやnote、レポートやブログで、
「一見、知的そうなのに、読んでいて妙に疲れる文章」
に出会ったことはないだろうか。
専門用語が多く、文量も多く、参考文献も貼ってある。
それなのに、読み終わったあとに残るのは
「結局、何を議論したかったの?」という違和感。
この違和感の正体は、文章の内容以前に、
ある特定の論法パターンにある。
ここでは便宜的に、それを
**「大学生論法」**と呼ぶことにする。
1. 大学生論法の最大の特徴:仮想敵を作る
大学生論法では、議論の相手がほぼ必ずこう描かれる。
「〇〇派」
「〇〇信者」
「〇〇だと勘違いしている人たち」
しかし注意深く読むと、その相手は
実在の誰かではないことが多い。
条件付きで主張している人
複合要因を挙げている人
中間的な立場の人
こうした存在はすべて削ぎ落とされ、
最も雑で叩きやすい主張だけが残される。
これが典型的な**ストローマン(藁人形)**である。
2. 「反対論は何か?」と聞くと、またストローマンが出てくる
大学生論法が厄介なのは、
批判されても改善されない点にある。
たとえば、
「その主張に対する反対論は?」
「前提が違った場合は?」
と問われると、返ってくるのはだいたい次の形だ。
反対論としては〇〇という誤解があるが、それは間違っている。
ここで提示される「反対論」は、
ほぼ例外なく再生成されたストローマンである。
つまり、
実在する反対論を精緻化する
のではなく、叩きやすい形に作り直して再び殴る
結果、議論は一歩も前に進まない。
3. 「前提が違ったら?」が成立しない
本来、学術的な議論では
前提Aならこうだが、前提Bならどうなるか
という仮定思考が重要になる。
しかし大学生論法では、
前提が違う=理解不足
前提が違う人=現実を見ていない
と処理されがちだ。
これでは、
前提をずらす=敵に回る
という構図になり、議論は閉じる。
4. 研究の「限界」が免罪符になる
教授がよく聞く質問に、
「その研究の限界は?」
がある。
大学生論法では、ここでもお決まりの展開が起きる。
「限界はあるが、主張は正しい」
「一部の例外はあるが、全体としては正しい」
限界が
主張を調整するための情報
ではなく、主張を守るための盾
として使われてしまう。
この瞬間、研究は装飾になる。
5. なぜ文章が異様に長くなるのか
大学生論法の文章は、だいたい長い。
理由は単純で、
結論を先に決める
それを補強する材料を全部載せる
反論を想定して先に殴る
この結果、
同じ主張の言い換え
不要な比喩
感情的な補足
が積み重なり、
論点が増えるのではなく、濁る。
6. なぜ読む側・教える側が疲れるのか
読む側、特に教員や経験者が疲れる理由はこれに尽きる。
問いを投げても、
思考が更新されない。
反対論を聞いても修正しない
前提を変えても自説を弱めない
限界を示しても撤退しない
結果として、
深掘りする意味がない
直す労力に見合わない
と判断され、
適当に評価されて終わる。
おわりに
大学生論法は、
「頭が悪い」から生まれるわけではない。
むしろ、
知的に見せたい
論破したい
正しさを証明したい
という欲求が、
議論より先に来てしまった結果である。
そしてその文章は、
読者を説得する前に、
読者を疲れさせてしまう。
もし自分の文章が
「長いのに、相手が黙る」
「反論されないのに、評価もされない」
そんな状態に陥っているなら、
それは勝利ではなく、対話拒否のサインかもしれない。



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