私はフェミニストではない、と思っていた
以前、私は「私はフェミニストではない」と書いた。
今、その一文だけ訂正したい。
あの記事で書いたことまで、撤回するわけではない。
職業を持つ人がいていい。
家庭の仕事を中心に暮らす人がいていい。
結婚しても、しなくてもいい。子どもを持っても、持たなくてもいい。
大切なのは、どの生き方が立派かではなく、自分で選び、必要なら選び直せることだと思っている。
私はそれを、フェミニズムとは別の考えだと思っていた。
むしろフェミニズムとは、女性に「もっと強く、もっと自立して、もっと社会で活躍しなさい」と迫る、新しい理想像のように感じていた。
けれど、歴史を調べてみると、少し違って見えてきた。
フェミニズムには、さまざまな立場がある。全員が同じ意見を持っているわけではない。
それでも共通点を探すなら、性別を理由に人の権利や選択肢が狭められることを問い直し、実際に選べる社会の条件を整えようとしてきた思想と運動、と言えると思う。
明治時代、岸田俊子は各地で演説し、女性の自由や教育を訴えた。
その言葉に影響を受けた福田英子は自由民権運動に参加し、学校を開き、1907年には雑誌『世界婦人』を創刊して女性解放を主張した。国立国会図書館の資料に、その歩みが残されている。
一人の女性が話す。
その言葉を聞いた別の女性が、今度は自分で動き始める。
歴史は、そんなふうにも進むらしい。
ところが1900年に制定された治安警察法第五条は、女性が政治結社に加わることや、政治集会へ参加することを禁じた。
発言の内容ではなく、女性であることが、入口で止められる理由になった。
1911年、平塚らいてうは女性たちによる文芸誌『青鞜』を創刊した。
「元始、女性は太陽であった」
私はこの言葉を、女性が男性より偉いという意味には受け取らない。
誰かの光を借りなければ輝けない存在として扱われてきた女性が、一人の人間として、自分の光を取り戻そうとする言葉だったのだと思う。国立国会図書館の資料でも、『青鞜』創刊から新婦人協会へ続く活動を確認できる。
その後、平塚らいてう、市川房枝、奥むめおらは新婦人協会をつくり、治安警察法第五条の改正を求めた。
運動を経て、1922年、女性が政治集会へ参加することを禁じた規定は削除された。
まず、演説を聞くための扉が開いた。
市川房枝は、その後も女性参政権運動を続けた。国立国会図書館の略歴からも、新婦人協会から参政権運動へ続く歩みを確認できる。
1945年、女性の参政権が認められた。
そして翌年の4月10日、戦後初の衆議院議員総選挙で、約1380万人の女性が初めて投票し、39人の女性国会議員が誕生した。内閣府の記録に残されている数字である。
かつて政治集会で話を聞くことさえできなかった女性たちが、自分の意思で一票を投じた。
もちろん、女性参政権は数人の運動家だけで実現したものではない。敗戦や占領政策、法制度の改正など、複数の要因が重なっている。
それでも、その日が来る前から「女性にも政治に参加する権利がある」と言い続けた人たちがいたことは、忘れたくない。
私がとりわけ親しみを感じたのは、奥むめおだった。
奥は戦後、主婦連合会の会長として消費者運動を進め、商品の品質や価格、安全性を社会の問題として扱った。国立公文書館の資料によれば、参議院議員を18年間務めながら、生活者の立場から活動を続けている。
台所で起きていることも、政治だった。
毎日の買い物や食事は、一つ一つだけを見れば小さく見える。けれど、多くの家庭で同じ困り事が繰り返されれば、それは社会の問題になる。
家の中にあった声を、奥むめおは外へ運んだ。
私は専業主婦である。
この暮らしを、古いから、依存しているから、能力を無駄にしているからと否定されたくない。
同時に、女性だからこの暮らしを選ぶのが当然だとも思わない。
そして、選択肢は名前だけ並んでいればよいわけではない。
学ぶ機会、収入、子育てや介護の支え、安全に暮らせる環境。そうした条件があって初めて、人は現実に道を選びやすくなる。
家庭を中心に暮らす自由と、必要になったときに学び直し、働き、生活を組み替えられる自由は、両方あってほしい。
私が求めていたのは、「自立した女性」という新しい模範ではなく、自分の生活を現実に選べる余白だった。
私は、ネットで目についた一部の強い言葉を、フェミニズム全体だと思いかけていた。
けれど歴史を調べると、そこには演説だけでなく、雑誌、請願、投票、消費者運動という、長く地道な積み重ねがあった。
歴史上のフェミニストたちも完全ではなく、私は彼女たちのすべてに賛成するわけではない。
それでも、私が今日、自分の生き方を選べるところまで道を広げてきた人たちには、素直に感謝したい。
感謝は、何もかも正しかったと認定することではない。
受け取ったものを、きちんと受け取ったと認めることだと思う。
少なくとも、私が歴史から受け取ったフェミニズムは、人生に新しい宿題を増やすものではなかった。
もっと立派な女性になることではなく、選べる道と、それを実際に選べる条件を増やすことだった。
その意味なら、私はフェミニストだ。
そう名乗ったからといって、明日から急に演説台へ上がるわけではない。
前の記事に書いた生き方も変わらない。
変わったのは、その生き方を支えてきた歴史を知ったことだ。
私はフェミニストではない、と思っていた。
けれど、どうやら私は、先に生きた人たちが少しずつ広げてくれた自由の上で、洗濯物を干し、インコにシードを入れ、ずいぶんのびのび暮らしていたらしい。


おはようございます。 大変深いお話を、丁寧に 資料の読み解きや引用を 含めて、ご説明いただき、 どうもありがとうございました。 僕が通った公立高校は変わっていて、多くの先生がA旗を買っていて、日K組の集会の日は、ほぼ全ての授業が自習でした。 その高校の文化祭は、社会問題を調…
許されないなんて、とんでもありません。こちらこそ、専業主婦という立場を、こんなに丁寧に考えてくださってありがとうございます。 「勝った戦い」だけでなく、「攻められても落ちなかった城」に目を向けるというお話が、とても心に残りました。 家庭の営みも、目立つ成果を上げることより、今…