『星野源論』書評(掲載不可原稿の供養)
『星野源論』書評が掲載できませんでした。
某媒体から『星野源論』の書評を依頼され、執筆したのですが、先方との折り合いが合わずに掲載できない運びになりました。
ですので、てけしゅんnoteに掲載いたします。
筆者プロフィール:伏見瞬
批評家・YouTuber。2017~18年「第三期ゲンロン批評再生塾」で東浩紀審査賞を受賞。著書に『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』(2021年、イースト・プレス)。2023年末からはYouTubeチャンネル「てけしゅん音楽情報」を運営(2026年5月時点でチャンネル登録者数約7万人)。2025年に16年勤めた会社を辞め、専業作家に。
『星野源論』は戸部田誠、つやちゃん著、小田部仁編。新潮新書から6月17日に発売されました。芸能史と音楽批評から星野源像に迫る一冊です。
私の書評は批判的な側面も含んでいるのですが、批判部分を修正してほしいという依頼が、提出した後に媒体側からありました。
〈良いものを多くのユーザーに知ってもらう〉ことをコンセプトに掲げている媒体で、伏見の文章は「本を手に取りたい」と思わせないため、ポジティブな文面に修正してほしいとのこと。
しかし、修正依頼のあった箇所が論の根幹に当たる部分だったため、修正はできないと私は判断しました。代わりに、noteで掲載する旨をお伝えし、承諾いただきました。
ご依頼いただいた編集者の方の名誉のためにお伝えしますが、先方からは丁寧なご連絡をいただいております。
元々、先方が伏見にコンセプト等をお伝えしていなかったため、掲載不可でも原稿料は支払う旨の連絡もいただきました(原稿料を頂かないかわりにnoteに掲載させてほしいとお伝えしました)。
あと、星野源氏サイドや出版社から何かリクエストがあったわけでもありません。
掲載できないのは残念ですが、内容的に仕方ない気もしています。
フリーで誰からも見られるのは良くない文章なのかもしれない。
ですので、こちらでも途中から購入していただく方、およびてけしゅんnoteのメンバーシップに加入していただいた方のみの公開とさせてください。
また、星野源の作品については、てけしゅん『J-POP 3.0 DISC GUIDE 2015-2025』でも多くのレビューを書いています。
『星野源論』書評(本文)
例のない二重性
星野源を語る書物を成り立たせる上で、本書は共同制作のかたちをとる。星野のクリエイティブチームに関わる小田部仁と、新潮社の金寿煥が、共同編者となっている(ことがあとがきで明かされている)。戸部田誠が芸能としての星野源論を、つやちゃんが音楽としての星野源論を記す。二人の編者と二人の著者。書籍制作においてあまり例のないこの二重性は、『星野源論』という書物の特徴を見事に表している。
戸部田は、『おげんさんといっしょ』や『星野源のオールナイトニッポン』など、芸能における星野の代表的な仕事ごとに章立てする。テレビとラジオ。歌番組とドラマ。異なるフォルムにおいて、星野源がそれぞれどのような思想を見せるか。「ばらばら」にも思えるその活動領域の中から、「人格横断」する彼の特殊性を終章で示す。伊丹十三章の受賞コメントから始める意外性や、星野源の言葉を複数引用しながら語るコラージュ的なストーリーテリングが光る論だ。
つやちゃんは、「型」や「意味」といったキーワードを軸に、星野源の音楽の質と変化を時間軸で追っていく。演劇と民族舞踊という「役」と「型」の文化を原体験に持ったこと。歌う前にSAKEROCKというインストゥルメンタル・バンドがあったこと。黒人音楽の型やポップスターの役割を少しずつズラしてきたこと。「型」に安住することも「型」を破壊することもない、「意味」を語ることも「意味」から逃れることもない、微妙な存在感を言葉に換えていく。2000年代の「内省を語るロック」とSAKEROCKとの距離感やCreepy Nuts「Bling-Bang-Bang-Born」とアルバム『Gen』との共通点など、時代のリンクをところどころに散りばめているのが巧い。「星野源から見た日本ポピュラー音楽史」とも読める論になっている。
合理と不合理
この本は何故二人の著者によって書かれたのか。
つやちゃんは言う。「星野源という存在は分散し、さまざまな顔を持ったイメージの集合体になっている」ため、他のポップスターのようにはコピーライティングできないと。そう、著者二人体制はさまざまな顔を持った特殊な作家に対応するための戦略だ。芸能の専門家と音楽の専門家で広範囲にカバーする。リーズナブルな選択だといっていい。同時にそれが、本書から緊張感が損なわれている理由でもある。
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