世界における法と秩序が崩壊しつつある今、日本でも、国家情報局の設置や国民投票法の改正、国旗損壊罪の制定などが次々と強行された。基本的人権を脅かす恐れや民主主義の形骸化を危惧する声が高まるとともに、3月頃から日本全国で反戦・反政権を趣旨とするデモが急増している。こうした流れの中、渋谷スクランブル交差点で全く新しいスタイルのデモが誕生した。それは、プラカードや幟(のぼり)、旗などを掲げた人々がただ交差点を横断するだけというものだ。誰かがコールをすれば周囲に広がる場合もあるが、参加者はただ黙って渡るだけでもよい。6月下旬に一般市民の発案で始まったこのデモは、渋谷で急速に参加者を増やしただけでなく、同様のデモが全国各地に広がるほど大きなムーブメントとなっている。
このデモを2回(まだ参加者が約60人だった7月12日、一気に500人超へ増えた7月19日)に渡って360度カメラで詳細に撮影・観察した筆者が、以下にその革新性を検証してみた。
1. 警察が規制できない
日本の都市部には数万人が集うことができる公共の広場が圧倒的に少ない。例えば抗議対象が政府の場合、デモの開催場所は必然的に国会前や首相官邸前となるが、(17時半で閉鎖される国会前庭を除くと)付近に広場はないため、特に夜開催では参加者は狭い歩道に並ぶしかない。その上、警察の交通規制(過剰警備)によるデモの妨害は常態化。最近の国会前デモにおいても、警察は数万人の参加者を狭い歩道に押し込めて群集密度を高め、事故防止という名目で過度な交通規制を実施している。そして、ステージ周辺は既に混雑しているという理由で、デモ参加者と確認できた場合に限って、信号が青でもその通行を拒否したり、ステージから遠く離れた場所での参加を強要。参加者は細長い列に分断されるため、参加者の全容や規模感が一目で可視化できる写真や映像の撮影は困難になる。
補足すると、国会正門前の並木道は片側5車線と十分な幅がある上、デモが行われる夜間や休日の交通量は少ない。つまり、車道の一部をデモ参加者に開放すれば問題は一気に解決するのだ。にもかかわらず、警察は決して車道を開放しない。「参加者の安全を守ること」よりも「参加者を少なく見せること」を優先しているからだろう。筆者は国会前デモについても継続的に360度カメラで全体像を撮影・観察しているが、参加者が3万人にまで膨れ上がった4月8日は、そうした姿勢が最も顕著だった。
訴えたい対象が政府というより一般市民の場合、国会周辺ではなく大きな駅(都内であれば池袋駅、新橋駅、有楽町駅など)周辺の広場でデモや街宣が開催されることもあるが、数にも広さにも限りがある。例外的に新宿駅東南口広場は、乗降客数世界トップの駅の目の前という好立地でありながら千人以上が集まれるほど広さも十分なため重宝されてきた。ただ、6月10日に大声や大音量を「迷惑行為」と明記した看板が、行政機関(新宿区、警視庁、国交省)によって設置されている。今後この場所で音楽表現を用いたデモや集会が開催された場合、行政機関がそれらを「迷惑行為」として規制・弾圧しやすくなる可能性がある。現に、筆者は新宿区への開示請求でそうした疑念をさらに深める結果(内部文書、責任者発言)を得ている。
一方、渋谷交差点デモでは参加者は横断歩道を繰り返し横断するだけだ。もともと人通りが多い場所のため一般歩行者との区別が困難になり、国会前のように要所(最寄り地下鉄駅の出口付近、ステージに向かう際に必ず通る横断歩道の手前)に配置された警官がデモ参加者のみを識別して通行止めするという手法が通用しない。
強いて言えば、プラカードなどを掲げて集団で横断する行為を迷惑行為と解釈して取り締まる可能性はゼロではないが、直近のサッカーW杯での対応との整合性が取れない。この場所で無数のサッカー日本代表サポーターが試合後にハイタッチしながら横断する光景は恒例となっていたが、(安全を保つための警備はあったものの)警察の介入はなかった。信号待ちの際は点字ブロックを踏まないように声を掛け合うなど、周囲に配慮したデモ参加者を取り締まることはかなり難しいだろう。
2. 通行人という“メディア”の拡散力
各地で反戦・反政権デモが継続的に開催されるようになってから既に半年近くが経過しているが、国内大手メディアの報道姿勢は極めて消極的だ。たとえ数万人が参加したデモであったとしても、その存在自体を黙殺したり、規模や内容を矮小化する傾向はキー局や全国紙のような大手になるほど顕著なように思う。「公平・公正」「不偏不党」を謳い、公共放送を名乗るNHKに対しては、デモ報道の少なさを憂慮する人々が、渋谷のNHK放送センター前でデモの報道を求める趣旨の応援デモを4月から継続的に開催しているほどだ。
一方、渋谷スクランブル交差点は今や世界的な観光名所であり、外国人観光客を中心に多くの通行人が映像撮影をしながら日々横断している。「No War! No Hate!」や「Free Palestine!」のように日本語話者以外も内容を理解できるコールをする集団に遭遇した際には、カメラを向けて撮影を始める人々も少なくない。つまり、通行人という“メディア”によって、デモの様子や動画が世界中で拡散される可能性があるのだ。
3. ポジティブなムードや連帯感が醸成されやすい
良く言えば秩序を重んじる、悪く言えば周りに迷惑をかけないことにとらわれすぎて、特に目上に対して異を唱える姿勢が好まれない日本社会では、権力との対峙を意味するデモへの否定的感情が根強い。学校教育においてもルールに従うことが優先され、ときに批判的に物事を捉えるための訓練が欠けていることが影響しているかもしれない。結果、たとえ勇気を振り絞ってデモに参加しても周囲からは冷淡な反応が返ってくることも少なくなく、参加のモチベーション維持を難しくしているようにも思う。
しかし、渋谷交差点デモはこの問題にも解決の方向性を示した。外国人観光客と思われる人々を含め、デモに遭遇した通行人たちは、すれ違いざまに『Free Palestine!』とエールを送ってきたり、飛び入り参加をして一緒に交差点を横断するなど、非常に肯定的だったのだ。
全国展開と更なる進化
渋谷の成功を受けて、7月中旬以降に交差点デモは全国各地(大阪、札幌、広島など)へ次々と拡大。日本のデモの歴史を確実に変えるであろう大きなムーブメントとなった。一方、発祥の地である渋谷では7月19日に次の転換点となる出来事があった。日曜日の上に直前まで国会前デモが行われていた関係で、参加者がそれまでの数十人から500人超へ急増。交差点をデモ参加者が埋め尽くす、圧巻の光景となった。
しかし、参加者が突如として桁違いに増えたことで信号が青の間に歩道を渡り切れない参加者が続出。主催者が迅速に対策(人が集中しやすい斜め方向以外への分散を呼び掛け、主な信号前に誘導係を配置して無茶な横断は制止)をとり、個々の参加者も自発的に広場で時折り待機することで横断人数を抑制したため、1時間のデモは事故なく無事終了したが、安全確保が課題となった。
ところが、この出来事を契機にデモは更なる進化を遂げる。主催者が日時を事前告知するのではなく、各自が都合の良いタイミングで横断歩道を渡る。つまり、特定の主催者を持たず、緩やかに常時開催する方式に移行したのだ。この方針変更で以下2つの懸念は解消された。
1点目は、主催者を標的とした不当逮捕。日本に限らず、警察や軍はそれが平和的かつ安全なデモであっても、権力者に不都合であるとみなした場合、主催者を不当に逮捕し、弾圧してきた歴史がある。しかし、特定の主催者はおらず、参加者全員がそのときたまたま集まった個人に過ぎない場合、警察としては逮捕する相手が存在しないため、この手法は通用しなくなる。2点目は、参加人数の過度な集中による安全性の低下だ。緩やかに常時開催するとなれば必然的に参加者は分散するため、7月19日のように500人超が同時に集中してしまう事態は自然と防げる。現に、少なくとも筆者が把握している限りでは、7月19日を除けば青信号の間に歩道を渡り切れないほどの大人数になったという事例はない。
デモに参加する人々は声を上げるために集い、持続的な抗議活動を目指して創意工夫を凝らしている。私たちはその一人になることも、新たに別の運動を作ることもできるのだ。
*本記事はSubstackで先行公開された英語記事の和訳・再編集版です。
Photos & Text:Jun Inukai Editor: Yaka Matsumoto
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