第58話 家を建てまくりたい人、いませんか?

「教授や暦は、もう家を作れないのか?」


「結論から言えば、難しいだろうね」


「理由は?」


「私は、この研究棟が一つあれば満足している。浅葱君も、おそらく同じだろう」


 教授は、猫たちが潜り込んだ茂みを観察しながら答えた。


「つまり、今の私たちには、新たな建物を生成するだけの欲望がないのだよ」


 なるほど。

 暦も教授も、自分のための建物を作ることには成功した。


 だが、結局のところ、それは自分のために欲した建物だ。


 教授は、自由に研究できる場所を欲した。


 暦は、自分が暮らしたい家を欲した。


 その欲望が満たされた今、もう一度同じ濃さで建物を欲するのは難しい。


 何を生み出すにしても、まず欲望ありきなのだ。


 俺がいくら家を建てようとしても、まともに完成させられない理由も、そこにあるのかもしれない。


 俺には、すでに住む家がある。


 必要なのは俺の家ではなく、まだ顔も知らない誰かが住むための家だ。


 資料や模型をどれだけ用意しても、根本的な欲望が足りていない。


 そう考えると、妙に納得できてしまった。


「じゃあ、新しい住人を連れてくればいいんじゃないか?」


「それも、確実とは言えないだろうね」


 教授は、茂みから伸びた枝を指先で曲げ、しなり具合を確かめる。


「家が欲しいと漠然と考えていたとしても、それが建物を完成させられるほど絶対的な欲望とは限らない」


「住む場所に困っていても?」


「人間の欲望は、動物に比べて複雑だからね。家が欲しい。仕事が欲しい。金が欲しい。以前の身体へ戻りたい。誰かに認められたい。そうした数多くの欲が、同時に存在している」


 教授は、猫たちが身を隠している茂みへ目を向けた。


「隠れたい。眠りたい。獲物を狙いたい。動物のように、本能へ直結した欲望であれば、どれほど扱いやすいことか」


 そう言いながら、教授は茂みの葉や枝を観察し続けている。


 観察する前に、まず服を着てほしい。


 だが、教授の言いたいことは分かった。


 ただ家を欲しがっているだけでは足りない。


 家の形を明確に思い描けるほど、建物そのものへ強い欲望を持っている人物が必要なのだ。


 つまり、建築物を建てることが大好きで、放っておけば家を建てまくるような人間。


 ……いるのか?

 そんな人間。


 とりあえず、魚を連れてきたらどうなるのか、教授にも意見を聞いてみた。


 結論から言えば、水源が生まれる可能性は高いとのことだった。


「それじゃあ、魚を買ってくればいいか」


「いや。それなら、野生の魚を捕まえたほうがいい」


「理由は?」


「水槽で飼育されている魚は、その水槽こそが自分の生きる世界だと認識している可能性がある」


 なるほど。

 それは、確かにあり得る。


 水槽で生まれ育った魚が望むのは、広い川や池ではない。


 清潔な水。

 決まった時間に与えられる餌。

 外敵のいない、小さく安全な空間。


 その欲望をコアちゃんが食べても、生まれるのは自然の水源ではなく、巨大な水槽かもしれない。


「それなら、川や池に行って、野生の魚を捕まえるのがよさそうだな」


「そうだね。どのような水域に生息する魚を選ぶかも重要になるだろう」


 川の魚なら、流れのある水。

 池や沼の魚なら、流れの少ない水。

 選ぶ魚によって、コアちゃんの中に生まれる環境も変わるかもしれない。


「おーい、コアちゃん」


「なんじゃ?」


「ちょっと、魚を捕まえに行こうか」


「ふむ?」


 コアちゃんが、不思議そうに首を傾げた。


「妾に、魚の欲を食べてほしいのじゃな?」


「話が早くて助かるよ」


「私は、ここに残ろう」


 教授は、茂みから採取した葉や枝を並べながら言った。


「まだ調査することが多いからね。何かあったら、研究棟まで来てほしい」


「了解」


 とりあえず、変態はここへ置いていこう。


 この格好のまま連れていけば、魚を捕まえるより先に、教授が警察へ捕まるかもしれない。


 コアちゃんの外へ出る。


 猫たちについては、ひとまず問題ないらしい。


 腹を空かせた猫たちの欲望を受けて、コアちゃんが大量のカリカリを生み出していた。


 当面の餌は確保できた。


 とはいえ、水までカリカリで代用するわけにはいかない。


 できるだけ早く、水源を作ってやらないとな。


 倉を抜けて庭へ出ると、ちょうど鐘々が帰ってきたところだった。


 見覚えのない自転車から降り、玄関先へ停めている。


 ……うん。

 いつ買ったんだよ、それ。


 今朝まではなかったぞ。


 まあ、鐘々のことだ。


 徒歩で移動する時間がもったいないとでも考えたのだろう。


 実際、それについては俺も同感だった。


「ちょ、ちょっと、お兄さん! 聞いて、聞いて!」


 鐘々が自転車から飛び降りるようにして、こちらへ駆け寄ってくる。


「落ち着け。どうした?」


「鱗ヶ池に、UMAが出たって!」


 魚を探しに行く予定だった。


 まさか、魚より先に未確認生物の話が飛び込んでくるとは思わなかった。

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