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<前回までのあらすじ>
中学受験時代に「同点5位」を分け合った同級生「ハカセ」と、その母親「こけし」。ネットバブル期に華々しく頭角を現したハカセだったが、立ち上げた新会社の破綻を経て、母子ともに個人破産に追い込まれる。
その後、母子に頼み込まれ、2人を筆者の物件に入居させることとなった。しかし、ほどなくして家賃滞納。異変を感じ部屋を訪ねると、こけしは天井から首を吊っていた。
駆けつけたハカセは母親の遺体にすがりついて泣き、「お前だけ、幸せになりやがって」と筆者に吐き捨てて救急車に乗り込んでいったのだった。
ハカセから二度目の相談
その後、ハカセは特別背任罪などで起訴され、執行猶予付きの有罪判決を受けました。
判決が出た後、ハカセから連絡がありました。
「責任を取る」
そう言って、ハカセは私の物件から同じ府中市内の別の安アパートに引っ越していきました。滞納していた家賃は、どこかから入金されていました。引っ越しの日、私は立ち会いませんでした。
もう、ハカセの顔を見たくなかったからです。お互いに、いまは、辛い思いをするだろうし。
事故物件となった部屋は、同じ物件の入居者さんに個別訪問し事情を説明し、お留守のところはプリントを郵便受けに入れ、簡単な特殊清掃をしてもらい、リフォームをして、告知事項ありとして募集をかけました。ありがとう大島てる。家賃を相場より下げて、それでもなかなか入居者が決まらず、結局、3カ月以上空室のままです。まあ、仕方がないなと。
お袋に「こけしが、死んだよ」と電話したときは絶句していました。私の目の前で死んでいた、とまでは言いませんでしたが、お袋から「なんとなく、良くないことがあるのではとちょうど往年の受験戦争のころを思い出していたところだった」と告げられ、そういうもんなのかと思いました。
その後、ハカセが新しいアパートに引っ越しをしてから、私はちょうど新しい仕事を始めていて、超忙しくなりました。それもあって、しばらく忘れておったのです。
しかし、1年ほど経ったころ、またハカセから連絡が来ました。
「ワンルームでいいので、部屋を貸してくれないか」
知らんがな。どうやら、引っ越し先のアパートで、また何かトラブルを起こしたようです。詳しくは聞きませんでしたが、近隣住民との諍いか、家賃の滞納か、あるいはその両方か。いずれにせよ、そのアパートにはいられなくなったということでした。
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私は、断りました。
「悪い。もう、お前には貸せない」
「いや、お前には迷惑を掛けない。俺はやり直したいんだ」
「さすがにそれはちょっと」
「そこを頼む」
恥を承知で言うと、ハカセから頼られて、まだ、自分には彼に未練がありました。彼が愛するこけしの遺体を見て、また、彼の醜態も知った。破産に追い込まれ、有罪判決も受け、落ちるところまで落ちた。でも、彼の本当の能力の高さを、私は知っているのです。本物の知性。勉学に向かい合う真面目さ。小学校時代に競い合ったからこそ、彼がこんなところで沈むとは思えなかったのです。
いろいろあったが、彼が立ち直って、何かで成功して、また何かで酒を飲むこともあるかもしれない。
最愛の母親の死もいっときの破綻も有罪判決も、思い返せばそんなこともあったかと笑い飛ばせる日が来たらいいのに。
ただ、直接話し合うと揉めるだろうと思って、詳細は不動産会社に言ってくれ、という対応で済ませました。良い距離感を保たないと駄目なんだろうと。情が入るから。
案の定、ハカセは同じ集合住宅の住民と揉め始めます。起こした問題そのものは些細なものでした。しかし、二度、三度と騒ぎになると、管理会社さんも「さすがにあれは」という顔になる。いえ、私も同じような状況になったら、そのような顔をすると思います。彼らは悪くない。
そして、私にも甘えがありました。私が出ていって、彼と話を直接すれば彼はきっと…。
蒸し暑い夏の日でした。別の物件での修繕立ち会いなどもあり、ハカセの住む物件にも足を向けると、平日の昼間だというのに、彼は物件の前のちょっとした庭と駐輪場の間で赤い顔をして酒を飲んでいました。
私の知っているハカセじゃない。学年5位を取ったハカセ。トップ国立大学に難なく入学したハカセ。時代の最先端を行く事業を立ち上げ百数十億の出資を受けたハカセ。
しかし、目の前にいるのはサンダルで、中年太りの体躯をランニングシャツに包んだ、だらしのない、無精ひげを生やした冴えないおっさんの姿でした。そのころ、私も長男が生まれるなどして幸せを感じ、体重も絶賛増量中だったのでデブに関しては文句の言えない人間でしたが、それでも、暑いとはいえスーツと革靴を履いています。この差は何だ。そう思いました。
ハカセも、そう思ったのかもしれません。物件の敷地内で、声を大きくして私に罵声を飛ばし始めました。
「上手いことやりやがって。底辺がイキがってんじゃねえよ」
おそらく、彼からすれば、私への評価は率直に言えばそういうものなのでしょう。私も闘争心にあふれるタイプの人間なので「このだらしのない人間のクズめ。慎ましく生きろ」という、およそ40代男性同士の対話としてはもっとも品性のない応酬が繰り返されました。
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ハカセはその立派な体格で私につかみかかってきたんです。私は、先に手を出す人間ではありません。私にはもはや、守るものがありますから。
ただ、襲われたのであれば話は別です。それと、実のところ、私はあんまり弱くはないのです。大柄とはいえ、酔っ払ったハカセを難なく転がすと、ハカセは立ち上がることもせず…駐車場の柱にしがみつくようにして大きな声で泣き始めました。「お前だけ、幸せになりやがって」。たぶん、彼は私にずっと、そう思ってきたのでしょう。
誰かが警察を呼んだのか、顔見知りの府中警察署の警察官が飛んできました。顔を見るや、はっきりと「また、この人ですか…山本さんのところのご入居者さん?」という話になり、物件で深夜酒に酔って騒いでは、府中署の世話になっていることを聞きました。
ハカセにつかみかかられたことよりも、これはもう、駄目なんだなという気持ちになったことは、いまでも鮮明に覚えています。クリーニングから降ろしたばかりのスーツとネクタイを掴まれた不快感よりも、彼もまあ、辛いのだろうという気持ちになる。
地べたで大声をあげて泣き、警察官に介抱されているハカセを置いて、私は帰路につきました。
それ以来、ハカセとは連絡を取っていませんでした。電話番号も、メールアドレスも、そのままになっていますが、私から連絡することはありませんでしたし、ハカセからも連絡はなかったんです。
戦争のような毎日に
それから約5年が経ちました。
ハカセのことは、正直、すっかり忘れていました。目の前でこけしのご遺体があるというあの衝撃的な出来事もありつつ、5年も経てば、人間の記憶というのは薄れていくものです。
人生でそれなりの回数、ご遺体を見て修羅場を経験していると麻痺するものがあるのかもしれません。
時々、ふとした瞬間に思い出して嫌な気持ちになることはありましたが、それも年に数回あるかないか。日常の忙しさに紛れて、ハカセ母子のことは記憶の奥底に沈んでいきました。
その間、いろいろなことがありました。東日本大震災があり、大変な事故も起きて、日本中が悲しみに包まれました。
ちょうど次男が生まれたばかりのころで、私自身も、東北に物資を届けるボランティアに参加したり、被災地の復興に関わる仕事を手伝ったりしました。ま、偽善ですがね。
そして、家庭のほうも大きく変わりました。あの超絶スーパーレアな家内との間には、さらに3人目の男の子が生まれました。長男、次男、三男と、にぎやかな家庭になりまして、毎日が戦争のようでしたが、愛する家内と切り盛りしそれはそれで幸せな日々を送っていたのです。
一方、老親の介護も始まりました。親父もお袋も急病を患うなどして体調を崩し、施設に入り、さらに入退院を繰り返すようになってしまいました。年相応、誠実に生きている者としての、当然の順番、と言えます。
あの、こけしと同郷で「仲良くしてね」と言っていたお袋が、だんだんと弱っていく姿を見るのは辛いものがありました。
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私は子育てと介護に挟まれ、常勤の仕事のほうも、徐々にセーブするようになりました。産廃事業は後継者に任せ、投資事業も縮小し、セミリタイアを考え始めていたんです。
そろそろ40代中盤を迎えて、そろそろ人生の第2幕を考えてもいいころだと思っていましたが、それでもコンサル先は増え、なんだかんだずっと慌ただしくしておりました。
クソ忙しかったのでハカセのことを考えている余裕が、頭の中には無かったんです。
しかし、人生というのは、忘れたころに、過去を突きつけてくるものなのかもしれません。それも、もっとも面倒な形で。
何かの間違いであってくれ
警察から電話があったのは、12月に入ってすぐのころでした。
「大家さんですか。山本一郎」
「はい、そうですが」
「近隣住民の方から、異臭がするという通報がありまして」
その瞬間、私の頭の中で、何かがカチッとはまる音がしました。あ、これは、あれだ。この20年で何度も経験してきた、あの電話だ。
「…分かりました。すぐに向かいます」
電話を切り、私は物件に向かいました。車を運転しながら、いったい誰だろうと考えていました。あの物件には、高齢者の入居者が何人かいる。生活保護を受けている人も、精神的に不安定な人もいる。誰が亡くなったのか。困ったね。
しかし、先に着いた不動産管理会社の社長が口にした物件の部屋番号に愕然としました。
ハカセに貸した部屋でした。
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部屋の前に立つと、ものすごい異臭がしました。これは、間違いない。この臭いは、何度嗅いでも慣れることはありません。人間が腐敗していく臭い。死の臭い。
何かの間違いであってくれ、と本気で思いました。
警察官が鍵を開け、私たちは中に入りました。
リビングには、かつてハカセだったものが横たわっていました。
薄黄色いラードのような物質と、骨格と、生前着ていたであろう寝巻のような布。それが、フローリングの上に広がっていました。死後、かなりの時間が経っているようでした。
そして、テーブルの上には、ハカセのトレードマークだったメガネが置かれていました。まるで、ついさっき置いたかのように、綺麗に。
普通、この手の現場では、大量のウジやコバエなどの虫が湧くものです。しかし、この部屋には、まったくと言っていいほど虫がいませんでした。
冬場に入り、寒かったというのもあったでしょうが、部屋を見渡すと、その理由が分かりました。部屋は綺麗に整えられ、清潔に保たれていたのです。ゴミひとつ落ちていない。食べ残しもない。ハカセの生真面目な性格ゆえに、部屋は完璧に片付けられており、それが故人の尊厳を、わずかながら保っていました。外では飲んで暴れていたくせに…。
閉め切っていたカーテンを開け、換気する。ジャンパーを着た中年の警察官ふたりが、ビニールを靴底にはめて作業を始めます。棚には、いくつもの写真立てが丁寧に並べられ、在りし日の父と母、ハカセが。仕事がうまくいっていたころの、得意満面のハカセが。老いたこけしとハカセが。
そして、一度だけ、一緒に飲みに行ったときのハカセと笑う私の写真が、並んでいました。
ふたりで、あの夢のような時間を過ごしたのです。彼にとって、私は…何だったのでしょう。
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異臭のする中、私は立ち尽くしました。
時間が止まったような、そういう感覚になって、すべての物事が遠ざかっていく。
あの、傲慢で、人を見下すような態度をしていたハカセが、最期は誰にも看取られることなく、この狭い部屋でひとり息を引き取っていました。いつ亡くなったのか。何が原因だったのか。それは、検視の結果を待って死体検案書の交付を受けなければ分かりません。
部屋を出ると、若い警察官たちが物件の入り口で嘔吐していました。彼らにとっては、初めての経験だったのかもしれません。この臭い、この光景は、慣れていない人間にはきついものがあります。
私は、その様子を見ながら、考えていました。
目の前で物体となったハカセと、ともに学び、育ち、同じ時代を過ごした私との間に……人として、どれほどの違いがあったのだろうか、と。
一歩間違えば、私があの貧相なワンルームで孤独に死ぬ側だったかもしれない。就職氷河期の中で、会社を辞めて独立して、いろいろな事業に手を出して、もし全部失敗していたら。もし家内と出会っていなかったら。もし親父の破産を乗り越えられなかったら。
逆に、ハカセも、結婚して、子どもを育てながら、こけしと共に幸せな家庭を築いていたかもしれない。起業がうまくいっていたら。母親を自殺で亡くしていなかったら。どうしても、どうしても「紙一重」という単語が頭の中を巡るのです。
同じ時代に生まれ、同じ教室で競い合い、同じように受験戦争を勝ち抜いてきた私たちの人生が、これほどまでに違ってしまった。その差は、才能でも、努力でも、完全には説明できないものがあります。運命というには、あまりにも残酷で、自己責任というには、あまりにも酷い。
大家として、同級生の死亡届を出しにいく
仕事柄、お貸しした部屋で入居者さんが孤独死され、特殊清掃をし、ご親族を自治体担当者の方と探し、身元の引き取り先が無ければ死亡届を家主として出しに行きます。
そして、わずかでも袖触れ合った関係で簡単にお別れの葬儀かなにかに立ち会うこともあります。
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自治体が契約している無縁の墓地に引き取られて、人として、お送りさせていただくことは、この20年で40名以上経験したでしょうか。
最初のころは、毎回、精神的に参っていました。そこまで親しくさせていただいたわけではないが顔を見知った入居者さんの遺体を発見し、警察と対応し、特殊清掃の業者を手配し、遺族を探し、見つからなければ大家として死亡届を出し、葬儀を手配し、遺品を整理し、部屋を原状回復し、次の入居者を募集する。その一連の流れを、何度も何度も繰り返してきました。面倒くさい作業も、回数をこなすうち、やがて慣れていきます。
しかし、ハカセの死は、それらとは違いました。
見知らぬ入居者さんではない。同じ時代を生きた、同級生だったのです。中学受験のころ、毎週のように顔を合わせ、成績を競い合い、母親同士がマウントを取り合っていた、あのハカセなのです。
「お前だけ、幸せになりやがって」
こけしの遺体が搬出されるとき、酔っ払ってつかみ合いになり私にねじ伏せられたとき、ハカセが吐き捨てた言葉が、頭の中でリフレインしていました。んでまあ、いまでもクリスマスの時期に思い出して、嫌な気持ちになります。人様の生き様に、あれこれ言える資格が、本当に私なんかにあるんだろうか。
「お前だけ、幸せになりやがって」
まあねえ…私と彼の間に、どれだけの違いが、あったんだろうねえ。
同じスタートラインに立っていたはずなのに、なぜ自分だけが取り残されてしまったのか。その問いに対する答えを、ハカセは最期まで見つけられなかったのかもしれません。
ハカセの遺体は、結局、引き取り手がいませんでした。こけしはすでに亡く、父親とは離婚していて連絡が取れず、親戚も付き合いがなかったようです。
私は、大家用の費用保険の保険金を受け取りました。あいつが死んだ、迷惑料にしてはあまりにも安い。あまりないことですが、書類を見て、私はしばらく固まっていました。なぜか、このときに実感がわいてきたんです。そんな薄っぺらい人間ではなかったはずなのに。そして…自治体からご遺体の損傷も激しいので墓埋法第9条に基づき火葬しますという通知が届きました。
それを受けて、大家として死亡届を出してきました。ハカセの本名を書いて。あれだけの男が、紙切れ1枚で誰からも惜しまれず人生を終えることになる現実を突き付けられた気すらするのです。
そこに、何の救いも福音もない。
帰り道、駅前で盛大にジングルベルの音楽が鳴る中、私は泣きました。
※おことわり
・本記事掲載にあたり、関係者、ご遺族に了解の得られなかった事実については、件(くだり)ごと割愛しています。厳密に読むと前後の脈絡がおかしい部分がありますが、ご容赦ください。
・すでに物件を特定された方もおられ、ご連絡も頂戴しておりますが、なにぶん故人のことであり、物件や自治体等へのお問い合わせはご遠慮ください。