『襲来』

「『灯』のみんなー、ニケお姉さんだよー」

 この日、陽炎パレスを訪れた人物に『灯』全員が絶句していた。

 ライラット共和国諜報機関『創世軍』スパイマスター『ニケ』

 つまりは命懸けの革命任務で対立していた、最大の敵。彼女が突如、なんのアポイントメントもなしに陽炎パレスの玄関に現れ、にこやかに手を振っている。まるで親戚の家を訪れたような気安さ。手には、おそらく手土産らしき紙袋まで。

 玄関先にすぐさま駆け付けた者たちは、呆然と固まるしかない。

 ニケは首を傾げた。

「第一声ミスったか?」

「訪問の時点でミスじゃないか?」

 そう冷静に突っ込むのは、部下を守るように前に出たクラウス。

 彼が差し向ける敵対心にも、ニケが相手する様子はない。

「ちょっと、ディン共和国の諜報機関本部に恫喝してきたとこだ」

 そう笑いながら、紙袋をリリィに放り投げる。中身を確認したリリィは「ライラットのスイーツがいっぱい!」と歓声をあげ、他メンバーも目を輝かせた。

 あっさりと少女たちの心を掴んだニケは、クラウスに手を振った。

「オレが次来るまでに、もうちょっとマシなホテル建てとけよ。休む場所もねぇ」

「だからって、なぜ陽炎パレスに……」

「文脈で理解しろ」

「…………泊まる気か⁉」

 驚愕するクラウスに構わず、ニケはずかずかと広間の方に歩き出す。

「こっから『灯』は、『神樹の墓守』の一員として活動してもらうんだ。挨拶だよ」

 クラウスは無理やり制止しようと手を伸ばしたが、躊躇った。彼女の言う通り、革命任務を乗り越え《暁闇計画》の全貌を掴んだ『灯』は、議論の末、ニケと手を組むことに決めた。波風を立てることにメリットはない。

「挨拶だけなら、後日僕たちが伺うんだがな」

「『灯』は、永久ライラット出禁だ。二度と国境を跨ぐな、革命家ども」

 不満にも取り合わず、広間に自身の荷物を置き、ニケは笑った。

「宿泊代くらいは払うさ。オレが直々に訓練をつけてやる」

「「「は?」」」

「――オレを『降参』と言わせてみろ。得意なんだろう?」

 それは普段『灯』がこなしている訓練。彼女はなんらかの方法でその内容を知ったようだ。ガルガド帝国の諜報機関から知りえたのかもしれない。

 向けられるのは殺気に似た威圧と、露骨な挑発。

 冷や汗を流すメンバーも多い中、モニカが「なに言ってんの?」とせせら笑った。

「そもそもボク、アンタに勝ってること忘れた?」

 一度、彼女と直接闘った経験のあるモニカはまるで動じない。

「いいさ。ルミューゼ美術館前の再演だ。確かに訓練にはちょうどいい――」

「モニカ。そう言えば、リリィちゃんが受けた拷問について」

 世間話のように話しかけてきたニケに、モニカが「ん」と声を漏らした。

 それは彼女にとって見過ごせない話題。モニカが知る限り、革命任務途中で捕らえられたリリィはあくまで取り調べを受けただけで痛みを伴う行為はなかったはずだが――と考えた直後、ニケの拳がモニカに突き刺さっていた。

「は――」

 戸惑いの声を漏らし、そのままモニカは床に崩れ落ちる。

 彼女が別のことに意識を奪われた隙に、ニケのボディブローが炸裂したのだ。

「モニカが一発で逝ったああああぁ‼」「瞬殺っす! 弱点が分かりやすすぎて!」「もはや『灯』最弱じゃない! あの子!」

 戦闘開始とほぼ同時に脱落したモニカに、仲間は悲鳴をあげる。

 ニケはまるで容赦することなく、横たわるモニカの背中を踏みつけた。

「追加ルール。オレに屈した者は、命令を一つ聞いてもらう」

 モニカの背中に乗り、ニケは満面の笑みで宣言した。

「――モニカは、とりあえずリリィちゃんと三時間ガチ本音トークで」

「「「コイツ、『灯』の人間関係をぐっちゃぐちゃにする気だぞ⁉」」」

 後だしで付け足された罰ゲームに、『灯』のメンバーは阿鼻叫喚の事態に陥った。

 が、この訓練を何度もこなしてきた彼女たちはすぐに冷静さを取り戻す。素早く最善策を選択――今この場でニケを制圧するのは不可能。

 第一優先は、自らが逃げるまでの時間稼ぎ。

「ジビアちゃんの盾っ!」「サラ、許してね‼」「エルナちゃん、ばいばいですっ!」

 リリィ、ティア、アネットが次々と裏切りを選択し、仲間を突き飛ばした。

 立ち位置が悪く、裏切りの決断が遅れた者たちに逃げ場はなかった。体勢を崩されたジビア、サラ、エルナは直ちにニケに拳を打ち込まれ、床に倒れていく。

 ニケは「ほい、脱落」と倒れた者たちの背中を踏みつけ、笑顔で告げた。

「ジビアちゃん、サラちゃん、エルナは、今から街で逆ナン決行。好みの男性像がクラウスに引っ張られていることを自覚してこい」

「そこ、あんまり触れてほしくないとこおおおおおおおお‼」

「そ、そんなことないっす! 勝手な押し付けっす!」

「エ、エ、エルナはせんせいを? のおおおおおおおおおおおっ⁉」

 デリカシー皆無の謀神に、広間は阿鼻叫喚と化していく。

 その後も他のメンバーは逃げきれず、次々とニケに屈していった。捕まるたびに背中を踏まれ、命令を与えられる。グレーテには「クラウスと実家挨拶」、リリィには「モニカとのデート強要」、アネットには「プライベートビーチ連行」、ティアには「愛人契約」が命じられた。

 開始十分足らずで『灯』は八人があえなく脱落する。

「変態なのに、なんでこんなつえぇんだよ⁉」というジビアの叫びが響く隣で、ニケは、最後に残った人物と向き合った。

「で? 残ったのは、ドラ息子。テメェだけだが――」

「まさか僕も訓練に参加しているとはな」

 つい自身は部外者だと考えていたクラウスは、呆れるように息を吐いた。

 が、指名されれば退く理由はない。

 二人の間に築かれているのは、倒れ伏した部下の山。その前でクラウスとニケは睨み合う。

 一触即発の緊張感がピークに達した時、二人は同時に言葉を放った。


「――アナタが負けを認めるなら、今晩は僕が全力でもてなそう」

「――テメェが負けを認めるなら、全ての命令はなしにしてやる」


 クラウスの口から「降参」という言葉が出かかった。

 ニケの命令は『灯』の人間関係に大きな影響を与えかねず、いかなる結果をもたらすかは想像もつかない。負けを認めて失う物はない以上、言ってしまえばいい。

 しかし、この言葉は容易に吐けない重さがある。特に部下の前では。

 クラウスが唇を結んだ時、ニケが「引き分けにしてやるよ」と先に視線を外した。

「双方とも条件を飲もうぜ。フェロが絶賛していた料理を振る舞え、ドラ息子」

 楽し気な笑みで告げ、彼女はご機嫌そうな鼻歌を歌い出した。

 クラウスは「最初から、それが目的か」と微かな敗北感を抱いていた。



 たった一晩ではあるが、ニケは陽炎パレスを堪能していった。

「そろそろ和解しとっか? むかつくが」とエルナに親し気に話しかけ、サラに励まされたエルナが「の、のぉ……」と恐る恐ると言った様子で、握手を交わした。延々とつまみを作り続けるクラウスの前で、ティアと『焔』との思い出話を繰り広げる。嫌がるリリィを風呂に連れ出そうとし、モニカとジビアが本気で食い止める。グレーテとは恋話で盛り上がり、隣で傾聴しているアネットを「めちゃくちゃ真剣な表情じゃん?」とおかしそうにからかう。

 深夜になってもメンバーとの交流をやめない彼女に、モニカは呆れていた。

「なんなんだ、あの勝手すぎる女。どこまで自由なんだよ」

「本当に不思議な人よね」

 真っ当な不満に、ティアは苦笑を漏らしていた。

「けど案外、相性悪くないのかもしれないのよね。ニケさんと『灯』って」


コードネーム「みっちょ」さんより 

『陽炎パレスに出入り自由になったニケさん』

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