『一時』

「クラウス、明日は休暇を与えるわ」

『焔』での任務の最中だった。

 ディン共和国でテロ行為を画策した国際犯罪組織を追い、ライラット王国まで訪れた。王国の諜報機関と連携して構成員を次々と拘束しているが、いかんせん量が多すぎる。ディン共和国の他組織も動員し、連日多忙な日々が続いていた。

 そんな折、ボス――『紅炉』のフェロニカから授けられた休暇。

「せっかくライラット王国の首都を訪れているんだもの。たまには羽を伸ばしなさい」

「羽を伸ばすもなにも、ここはピルカの中心地だ」

 クラウスは首を横に振る。

 街並みが美しい首都ではあるが、異国の地には変わりない。スパイが休めるはずもない。一時的な連携を結んでいるが、王国諜報機関にいつ牙を剥くとも限らない。

 そう言及すると、フェロニカは「大丈夫よ」と頷いた。

「ニケには話をつけておいたわ。指一本、触れさせない」

「アナタたちは、どんな関係なんだ」

「そんなことはいいから、とにかく――」

 彼女はその長い指先で、クラウスの額を突いてきた。

「――グレーテちゃんとデートしてきなさい」


 ◇◇◇


『焔』のサポートとして配属されたのが『灯』――養成学校の卒業生で構成された新米チームであったが、中々に活躍を見せてくれる。

 その中で、クラウスと親しくなったのがグレーテという少女だ。任務中に露出した彼女の素顔を褒めて以来、好意を寄せられている。クラウスもまたその好意には気づきつつも、決して不愉快な相手ではないので、自然と交流を交わすようになっていた。

 二人きりで出かけるのは初めてであったが、ボスの命令には逆らえない。

「い、行きましょうか。クラウスさん……」

「そうだな、グレーテ」

 気合の入ったフレアスカート姿のグレーテは、明らかに緊張していた。

 デートコースは美術館巡り。美術館前で合流した彼女を、クラウスはデートの定石に従い、とりあえず服装を褒めた。悪くない反応ではあったが、頬を赤らめたグレーテは口数が少なくなった。これがデートだと意識させてしまったらしい。

 クラウスもどんな話題を選んでいいのか分からないまま、とりあえず館内に入る。

 館内に入ってしまえば、自然と話題が増えると思ったが、目論見は外れた。アートは見事ではあったが、知識はないので語れることもない。「優雅だな。カルサル雪原の白さを思い出す」などと感覚的な感想を述べ、グレーテに「は、はぁ」と困惑させるのみ。

 気まずい時間が続いた時、クラウスは、背後に人の気配を感じ取った。

 どうやら『灯』のメンバーが不安になってついてきているらしい。ティア、リリィ、ジビア、モニカ、サラ、そして、なぜか『焔』からもルーカスが混ざっている。

 気配を消しているようだが、あまりに大所帯なのでバレバレだった。

「なんなんだ、アイツらは……ルーカス兄さんもなにやってるんだ」

「ほ、『焔』の皆さんには連日、お世話になっております」

 クラウスが苦笑を零すと、グレーテも同じように頬を緩めた。

「ルーカスさんたちが建ててくれた、地下墓地を利用したセーフハウス――アネットさんと、リリィさんがとても気に入り」

「なによりだ。気合を入れていたからな」

「ティアさんは毎日、ジビアさんとモニカさんの腕を掴みながら出入りしていますが」

「暗い場所は僕のボスも苦手なはずだ。案外、似ているんだな」

 足早に尾行を撒くと、そこでようやくまともに会話ができた事実に気が付いた。

「つい、任務や仲間の話ばかりになってしまうな」

「あ、いえ……」

「すまないな、気の利いた会話ができなくて。話題は用意してきたんだが、いざこうやって対面すると途端につまらなく感じてきたんだ」

 初めての経験なので、クラウス自身を困惑していた。

 ――女性のターゲットを誘い出せ。

 それが任務ならば難なく成し遂げられるはずだ。相手が喜ぶ話題を提供し、本心を隠し、屈託のない笑顔でエスコートし続ける。

 しかし、その技術を彼女にぶつけるのは、ひどく失礼に感じられた。

 相手は嵌めるべき敵ではない。自らに好意を寄せてくれる少女なのだから。

(……いや、謝る方が相手に負担か。今日の僕は不適切な言動ばかり――)

「……なら、言葉を交わさなくていいかもしれませんね……」

 美術館の隅で凹んでいると、グレーテが手を握ってきた。

 弱音を漏らしたクラウスに微かに驚いたようだが、すぐに微笑みかけてくる。

「ずっと無言でも……! 一緒に街角を見て、一緒に料理で舌鼓を打って、同じ空間と時間を一緒にいられたら、幸せですので……!」

 一言一言、訴えかけるように言葉をぶつけてくる。

 相当に勇気を振り絞ってくれたらしく、その顔は耳まで真っ赤に染まっていた。

「逆にそこまで言わせてしまうと――」

 クラウスもまた彼女の本音に呆気に取られる。

 が、自然と覚悟が定まった気がした。

「――全力でエスコートしたくなるな」

 割り切っていいかもしれない、という気がした。スパイとして培った全技術を駆使し、任務と同じ熱量で、彼女に幸福を提供する。

 たとえそれが打算的と言われようと、彼女に喜んでほしいのは本心なのだから。



 気づけば夜を迎えていた。

 一時間のようにも、一年のようにも感じられる、不思議な感覚だ。

 早足で美術館の中を進んで、思った感想を好きに言い合った。美術館を出た後はグレーテが好みそうな服屋を巡って、似合う服を提案し、まるで着せ替え人形のように何度も着替える彼女を褒め称え続けた。彼女の足が疲れるタイミングで人力車を捕まえ、街中を案内してもらう。尖塔の下のレストランで、予約していたコースディナーを注文する。

 レストランから出た時、彼女の目には涙が滲んでいた。

「幸せ、すぎて、頭がおかしくなってきました……」

 ピルカの街中には、水路が張り巡らされている。

 その水路のそばにカップルが腰を下ろして、愛の言葉を囁き合っていた。街灯に煌めく夜の水路をそば、彼女と共に歩き続ける。

「どうして、でしょう? もう、涙が止まらなくて……!」

 彼女の目尻には、宝石のような水滴が溜まっていた。

 その潤んだ瞳を見ながら、クラウスは不思議な想いに駆られていた。

 実のところ、クラウスが彼女に恋心を抱いているかは不明だ。元々自分は、対象問わず誰かの恋仲になりたいという欲求は乏しい。だから全力で彼女をエスコートする事実に躊躇いもあったのだ。果てには彼女の心を傷つけるだけかもしれない、と。

 が、自然と今は、悔いはないと胸を張って言える。

 間違っていなかった。この彼女の笑顔が間違いのはずがない。

「……奇跡のように、思えるのです」

 グレーテは熱を帯びた声で口にする。

「もし少しでも運命が違っていたら、まるで、間違い探しの世界に入り込んでしまったように、今と、同じ世界で、同じ時間で、決定的ななにかが違っていたら……」

 身に余る幸せが、思わぬ不安をもたらしたか。

 心底恐ろしいかのように身体を震わせる。

「アナタと離れ離れになる運命がありえるのかもしれない、と……」

 この世界は痛みが満ちている。

 今日のような幸せは奇跡であったし、もし運命が掛け違えば、あっさり崩壊してしまうのかもしれない。それが、どれだけ恐ろしくとも。

「その時は、その時なんじゃないか」

 違う世界のクラウスとグレーテ――想像した時、つい言葉が零れた。

 一瞬苦し気に息を呑んだグレーテの手を、今度はクラウスの方から握った。

「なんとかするだろう。その世界に生きてきる僕とお前が」



コードネーム「紅茶」さんより

グレーテとボスが、等身大の若者として過ごしている。

(お題は一部省略)

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