ウクライナ、スーダン、レバノン、そしてパレスチナ・ガザ地区。世界各地で医療施設や救急車両などへの攻撃が続き、多くの医療従事者が命を落としている。一方、国連安全保障理事会では10年前、紛争下での医療・人道援助の保護を求める決議第2286号が採択されている。決議や国際人道法が禁じる医療への攻撃は、なぜ繰り返されるのか。

医療人道援助団体・国境なき医師団(MSF)が5月に開いた「人道援助コングレス東京2026」のセッション「国連安保理決議2286号採択から10年──止(や)まない医療への攻撃」で、決議の採択後に何が変わり、何が変わらなかったのか、そして医療はどのように守られるべきなのかが議論された。

国連安保理決議2286号とは

決議2286号は、紛争下で医療施設や医療従事者、患者、人道援助活動を保護するよう求める国連安保理決議だ。決議作成には日本も共同起案5カ国の一つとして参加。2016年5月に全会一致で採択された。

背景には、紛争地などで医療施設や医療従事者などが繰り返し攻撃されてきた現実がある。MSFのマリア・ゲバラ医療主事はセッションで、特に大きな出来事として、2015年10月3日にアフガニスタン北部クンドゥズで起きたMSF外傷センターへの攻撃を挙げた。

この病院は、地域で唯一の本格的な外傷治療施設として100万人以上に医療を提供していた。しかし、米軍機による攻撃で42人が死亡。そのうち14人はMSFスタッフだった。患者は病床で命を奪われた。

2015年10月3日に攻撃を受けた後のMSF外傷センター。外来部門の一室には焼け果てたベッドが残っていた=2015年10月10日、アフガニスタン北部クンドゥーズ、MSF提供、© Andrew Quilty

MSFは病院の正確な位置情報を事前に米軍側に共有しており、攻撃中も何度も米軍側に連絡した。それでも攻撃は約1時間にわたって続いた。米軍側は後に「人為的ミス」や「機器の不具合」を理由に挙げたが、ゲバラ医療主事は「受け入れられない行為に対する、受け入れられない言い訳だった」と振り返る。

MSFは独立した調査を求め、2016年5月に赤十字国際委員会(ICRC)と共に安保理で「医療は命がけの仕事であってはならず、患者は病床で殺害されてはならない」と訴えた。

だが、それから10年たった今も、攻撃は止まっていない。

2020年5月には、アフガニスタンの首都カブールで、MSFの支援を受ける病院の産科病棟が武装勢力に襲撃され、出産を控えた女性や子どもが殺害された。パレスチナ・ガザ地区、ウクライナ、スーダン、ハイチ、レバノンなどでも、病院や救急車、搬送中の患者が攻撃を受けている。

アフガニスタンの首都カブールでMSFが支援していた病院の産科病棟。武装勢力によって母親や子ども、助産師らが殺害され、MSFは活動の終了を余儀なくされた=2020年5月13日、MSF提供、©Frederic Bonnot/MSF

特にガザでは、医療施設が国際人道法上の保護を失ったかのように語られることがある。しかし、ゲバラ医療主事は、そうした主張には厳格な条件が必要だとしたうえで、「ガザの現場ではその条件が満たされていない」と強調した。

「制御不能なほどに拡大」

医療への攻撃は、例外的な出来事ではなくなりつつある。

医療への攻撃を10年にわたって監視してきた国際調査団体「インセキュリティー・インサイト」によると、この期間に確認された攻撃は1万8千件を超えたという。

同団体のクリスティーナ・ウィレ代表は、医療への攻撃が「制御不能なほど拡大している」と警告し、さまざまなデータに基づく実態を紹介した。

まず、被害を受けているのは軍の医療だけではない。市民向けの医療も攻撃の対象となっている。特に、産科医療や母子保健が攻撃の対象となることで、地域の人々が医療を受ける機会そのものが奪われている。ウィレ氏は「医療への攻撃は国際人道法の問題であると同時に、民間人保護の問題でもある」と話す。

オンラインセッションの様子。上段左から、村田慎二郎・MSF日本事務局長、クリスティーナ・ウィレ氏、マリア・ゲバラMSF医療主事。下段左から、越智萌氏、スリム・スラマ氏、榛澤祥子氏=2026年5月、MSF提供、© MSF

さらに、命を落としている医療従事者の多くは、他国から派遣されたスタッフではなく、各国の保健省や地域の医療機関で働く現地の人々だと指摘する。また、非国家主体による攻撃も増えているが、より大きく増加しているのは国家主体による攻撃だとするデータもある。

ウィレ氏はこうしたデータを踏まえ、どの主体が、どのような目的で、どのように医療を攻撃しているのかを理解しなければ、リスクを減らすことも、医療体制を維持することも難しいと主張。「攻撃のパターンを把握することが、有効な対策を考えるうえで重要だ」と訴えた。

サウジアラビア主導の有志連合による空爆を受けた、イエメン北西部ハッジャ県のアブス病院。爆弾は数メートルの範囲内に集中して着弾しており、この攻撃によって19人が死亡し、24人が負傷した。焼け焦げた車の残骸がくすぶっている=2016年8月19日、MSF提供、©Rawan Shaif/MSF

こうした議論を受けて、モデレーターを務めたMSF日本の村田慎二郎・事務局長は「問題は規範がないことではなく、それを実際に守り、行動に移す政治的意思と現実の間に大きな隔たりがあること」と総括。本当に危惧すべきことは、医療への攻撃が続くことだけではなく、それが「当たり前」として社会に受け入れられてしまうことにあると訴えた。

医療が守られない世界に、私たちは慣れてしまっていいのか──。その問いが参加者に投げかけられ、セッションは締めくくられた。

(「病院」はなぜ守られないのか【下】へ続く)