静かに、丁寧に、美しく。
良い習慣を持つ者は、どん底に突き落とされても自分を保つことができる。情報化社会が発達すると、人からよく思われることだけが価値となり、誰も見ていなくても、静かに、丁寧に、美しく生きている人々の価値が、見落とされがちになる。自暴自棄になることなく、誰とも比べないで、自分にできることを、ひとつずつ、粛々とおこなって行く。暮らしの中に瞑想があり、祈りがある。
自分をよく見せるためではなく、自分にとって本当によいことをする時、それは、見栄や体裁とは全然異なるところで、自分を支える土台になる。誰に会う訳ではなくとも、顔を洗う。髭を剃る。髪を整える。化粧をする。清潔な服を着る。派手なことじゃなくていい。派手じゃない方がいい。掃除とか、料理とか、散歩とか、いつもより、少しだけ丁寧にしてみる。何者にもなれなかったことが苦しいのではなく、何者かになろうと思うことが苦しみになる。自分であることに充実する。
悪気のない言葉に傷つき、やる気を失い、すべてを放り出したくなり、自分を責めて、自分の殻に閉じこもる。だらけた生活は、深く傷つくこともない代わりに、自分をゆっくりと傷つけている。あらかじめ失望を予測しておけば、本当に失望をすることはない。だが、人とのつながりを喜ぶ機会も、心の底から楽しいと感じる機会も、同時に失う。誰とも比べることなく、自分をよく見せるためではなく、自分にとって本当によいことをする時、生の喜びを感じる。生の喜びを取り戻す。
自暴自棄にならないで、静かに、丁寧に、自分が思う美しさを生きる。服を畳む。靴を磨く。机の上を掃除する。鞄の中を整理する。不要なものを捨てる。やる前は面倒くさくても、やれば必ず気分が変わる。やればやる気が出る。体が思うように動かないのは、そこに比較があるから。誰かのためではなく、自分のために、綺麗にする。静かに、丁寧に、美しく、生きる。だらけた生活は、楽だけれど、楽しくない。そのことに気づいているのは、心が、格調高さを求めているからだと思う。心が、格調高さを覚えているからだと思う。
常に真面目でなくてもいい。ふざけてもいい。逃げてもいい。ただ、ほんの一ミリでもいいから、自分の中にある美しい部分を守り続けること。その美しさが、どん底に落ちた自分の生活を守る。誰の中にも英雄がいる。その英雄は、私たちを格調高く正直にさせて、誇りを持って生きる力と、誇りを持って人生を終える力を、永遠に注ぎ続ける。遊ぶ時は遊ぶ。休む時は休む。楽しむ時は楽しむ。寝る時は寝る。食べる時は食べる。格調高く生きる時は、格調高く生きるための力を、心の英雄は与えてくれる。良い習慣を持つ者は、どん底に突き落とされても自分を保つことができる。習慣の中に祈りがあり、習慣の中に英雄がいる。
坂爪さん、こんにちは☺️
神戸のライブ、ありがとうございました。
澄んだギターの音色と、お二人の力強い歌声と言葉の数々に、胸の中がグッと掴まれたり、静かでありながらも揺れたりしていました。
それに浸っている内に、むくむくと「聞いてみたい!」という気持ちが湧き、私事ですが兄弟格差についてお聞きしました。
あの時は最後まで丁寧に耳を傾けて下さって、本当にありがとうございます。
坂爪さん自身が20代の頃、精神的に弱って実家に帰られた時、「母が自分の存在を隠さずに居てくれて安心出来た」と話して下さったことを思い出し、「発達障害を持ち、家でずっと過ごしている兄はどうなのだろう?」と思いました。
苦手な外との関係を最小限にすることは出来ていますが、実際には「自由なようでいて自由がない」と感じたし、グラグラな土台の上に成り立っている安心だとも思いました。(→これも私の主観でしかないですが)
そこで「私はどうだろう?」って自分のことを考えた時に、「自分には自由がある」と思いました。
「なんだ、お互いに得たものもあるし、得れなかったものもある。私達には格差なんてなかったんだ」、そんな気持ちになりました。
一人ひとりの生、そんなことが母への執着で見えなくなっていたと気づきました。
今はあんなに欲しかった母からの関心を得ることよりも、自分自身の感情を震わせ生きることに意識が向いています。
坂爪さんが「話を聞いて、私はここまでやったのに…って気持ちがくっついてると感じた」と話された時、正にドンピシャで「家族なんだから…」という思いと、母から私への関心が欲しかったという理由で動いてました。
そこに「やりたいからやる。やりたくないからやらない」がすっぽり抜け落ちていることにも気づき…。
自分があるようでなかった、いわば亡霊になってたと思います。
私があれこれ先のことを考えるのは、家族の関係を壊したくないというエゴと、母や兄の自分で生きる力を信じてなかったからだと思いあたり…。
先回りするのをやめました。
私の今後の目標は「やりたいからやる。やりたくないからやらない。ひとでなしになる練習をする」ことです。
【愛したまま絶縁する。
絶縁するとは、自分の力だけで生きることができなくなった時は、それが寿命であると定めて、家族だからこれくらいのことをしなくちゃとか、義務感で動くことをやめることである】
この考え方を知って、凄く心が軽くなりました。
私はあの日、新たな視点をもらいに行ったのだと思います。
私にとって、新たな視点は希望になりました。
あれから「渡水看花」を何度も脳内で再生してます。
あの優しくあたたかい場所に辿り着くことができて、言葉には出来ないものをたくさん頂きました。
本当にありがとうございました。
暑くなっていますので、お身体に気をつけて。
(追伸) 私にお話をして下さった2人の方、一緒に泣いてハグして下さった方、あの場で話を聞きあたたかい拍手を下さった皆さん、本当にありがとうございました!!
おおまかな予定
8月2日(日)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
いいなと思ったら応援しよう!
ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


コメント