【開設1周年記念インタビュー企画vol.SUGI】「ホラー愛がスギる!」の杉浦仁輝とは何者なのか? 原体験から立澤愛との出会い、知られざる番組の背景までを語り尽くす2万字インタビュー
「杉浦仁輝です」「立澤愛です」「恐怖肯定ラジオが」「始まるよ~」
“恐怖肯定ラジオ”を掲げる「ホラー愛がスギる!」が、2025年5月12日の初回配信から1周年を迎えた。
映画監督の杉浦仁輝と俳優の立澤愛というふたりのパーソナリティが、映画だけでなく漫画、アニメ、展覧会といった“ホラー”“恐怖”を軸にした多様なコンテンツを語り合うポッドキャスト……というキャプションじみた説明では、取りこぼすものがあまりにも多すぎる。リスナーたちと異様な距離の近さでコミュニケーションをとり、さらには清水崇や白石晃士といった日本を代表するホラー映画監督たちも巻き込み、「ホラー愛がスギる!」は、わずか1年強でかなりの存在感を放つポッドキャストになっているからだ。
正直に言って、番組の開始時点でふたりの知名度は高かったわけではない。だからこそ、笑いと怒りと涙にまみれながらホラーコンテンツを語り合う彼らの言葉が多くの聴き手たちに届き、イベントも定期的に開催するに至っている現状には驚くほかない。
とはいえ、杉浦仁輝と立澤愛とは何者なのか? 彼らは、なぜふたりでホラーコンテンツを突如語りはじめたのか? ポッドキャストの各回から断片的に伝わってくる部分もあるとはいえ、これまで明かしていなかった過去や背景、姿勢や思想、ふたりの関係性、そしていま考えていること、感じていることをロングインタビューで包み隠さずに語ってもらった。
前編はまず、最近、無理がたたって過労で入院するなど、リスナーたちも大いに心配しているであろう杉浦のインタビューをお届けする。
インタビュー・文:天野龍太郎
――「ホラー愛がスギる!」の軸であるホラーですが、杉浦さんのホラーの原体験や入り口になった出来事は何でしたか?
杉浦:父の同僚の女性がホラー好きで、その方の家にVHSが何百本とあったんですね。その方は実家の近くに住んでいたので、たびたび拉致されてむりやりホラーを見させられた、というのが原体験です。
――むりやりですか(笑)。まるで『チェンソーマン』のマキマさんや『さよなら絵梨』の絵梨のようですね。
杉浦:子どもだったので怖いものは当然触れたくなかったですし、僕は実際めちゃくちゃビビりなので、怖いものをわざわざ見る感覚もわかりませんでした。そのおばさんは『エルム街の悪夢』の6をいきなり見せたり、すごく不親切な見せ方をしてきたんですけど、隣でずっと楽しそうに話していたんですよ。「あっ、見て! 人の頭が吹っ飛んだよ~!」「首チョンパされたよ~!」といった感じで。当時の私は4、5歳でしたが、おばさんが楽しそうにしているのがすごく印象に残っていて。僕にとっては怖いものが、おばさんにとっては楽しいんだと。そうやっておばさんとホラー映画を見ている時間が非常に楽しくて、当時の生活のなかではほかに体験しえない感覚だったんです。両親もホラーを見るような人じゃなかったので。その英才教育によって、だんだんホラーへの抵抗がなくなっていきました。
自らハマったのは『学校の怪談』だと思います。WOWWOWの夏休みスペシャルで2と3がやってて……。
――最強だった頃の前田亜季さんが出ていた2と3。
杉浦:そうです。その2作をVHSテープが擦り切れるほど繰り返し見ていて、おばさんに拉致されたときは『シャイニング』や『悪魔のいけにえ』といった往年の名作やZ級のゲテモノを、まるでルドヴィコ療法のように散々見させられていました。
――ホラーは単に怖いだけじゃなく楽しいものである、というそのおばさんの鑑賞態度は「ホラー愛がスギる!」に通じるものですね。
杉浦:ええ。おばさんが怖いものを怖く紹介したことは一度もありませんでした。怖いものを爆笑しながら、おもしろおかしく紹介してきたことが原体験です。たしかに、いまの活動に繋がっているのかもしれません。
――『学校の怪談』以外で、ホラーに自ら触れるきっかけになった作品はありますか?
杉浦:生まれて初めて見た映画は『ジュラシック・パーク』なんです。
――1作目はかなりホラーですよね。
杉浦:そう思います。私は1993年生まれで、『ジュラシック・パーク』も同じ年に公開されているんです。それを「金曜ロードショー」で初めて見たとき、見ているあいだの2時間ずっと、ジュラシック・パークは実在する、生きている恐竜をカメラで撮っている、と思っていました。映画って概念がなかったんです。で、母親に「ジュラシック・パークに行きたい」と言ったら、「ジュラシック・パークなんてないの。あれは嘘なのよ」と教えられ、すごくショックを受けるのと同時に、「映画ってすごいな」と思ったんですね。2時間のあいだ、偽物や嘘を本物だと信じられていたことが衝撃で。それが、映画に関わりたい、そういうものを浴びるように摂取したい、という気持ちの原体験でした。
ただ、小学生の頃の文集には「漫画家になりたい」と書いていたんですよ。
――そうだったんですね。
杉浦:母が絵を描くのが好きで、自分も自由帳とかに絵を描くのが好きで。とはいえ、それも絵で映画を描いていたんです。ストーリーボードを描いていたというか。
で、中学1年のとき、生まれて初めて自分のお小遣いで買ったDVDが『時計じかけのオレンジ』なんです。それを見たときに「漫画家になってる場合じゃない!」と思って。それまでの映画に対する価値観が転覆して、「やっぱり映画が最強かも」と思ったんですね。一度きりの人生、映画をやったほうがいいんじゃないかって。
その次が、TSUTAYAでレンタルしたブライアン・デ・パルマ監督の『ファントム・オブ・パラダイス』です。あれを見たとき、そのまま寝ないで4回ぐらい繰り返し見たんです。1週間のレンタル期間に毎日見つづけて、何度見ても飽きなくて、しまいには「この映画を返したくない」という気持ちになったので、人生で2枚目に買ったDVDが『ファンパラ』になりました。その経験が、映画を作る側に自分を接続してくれたんです。中学までは映画を作ろうと思っていませんでしたが、既存の価値観やほかの映画とは違うものを提示してくれる、カルト映画と呼ばれるものに触れていくなかで、ホラーに出会っていった流れですね。だから、ホラーの入り口はホラーじゃなかったんです。
同じ時期に、いまはなきYahoo!ブログで映画ブログを始めました。そうしたら、諸先輩方から「次は『ロッキー・ホラー・ショー』を見てください」「ダリオ・アルジェントの『サスペリア』を見てみて」「今度は『サスペリア PART 2』も見ろ」とか、めちゃめちゃおすすめされて。
――コメントやトラックバックで?
杉浦:そうです。おすすめされたものを必死に探して、DVDを借り、片っ端から見ていきました。その繰り返しが青春だったので、学校に青春はなかったですね。中学でも高校でもキラキラした青春に対する鬱屈がすごくあって、そういう思いを消化してくれるのは恋愛映画や人間ドラマではなくホラーしかなかったです。
ブログで「この映画はここがおもしろかった」と書いていると、おばさんが僕にやっていたことと一緒だって、ある日気づいて。なるほど、おばさんはこれが楽しかったんだなと。その頃から外部へ自分の考えを発信することにも抵抗がなくなっていきました。
――オンラインでのコミュニケーションが大きかったんですね。
杉浦:かなり。僕は茨城県出身なんですけど、周りにホラー映画について語れる人がいなくて、逃げ道はネットのなかにしかありませんでした。ネットがなかったら、すごく暗くて、周りに嘘を吐いて、愛想笑いばっかりしている子どもだっただろうなと思います。本当の自分の言葉をちゃんと記録できたのは、ブログがあったからですね。
――やりとりされていたのは、匿名の名も知れない方々ですよね?
杉浦:はい。当時、Yahoo!チャットで音声チャットができたんです。そこでユーザーさんたちに呼ばれて、高校生のときに初めてしゃべったんですね。そうしたら、「めちゃめちゃ話がおもしろいから、今度はひとりでやったほうがいいよ」と言われて、1時間の枠をもらってしゃべったことも楽しかったです。その思春期の経験でいまやっていることは全部形成されていて、逆に言うと、その頃にやりたかったことをいま30代になってやっているんだと思います。
――Yahoo!チャットでいきなりしゃべることができた、というのはすごいですね。
杉浦:子どもの頃からしゃべることは好きで、まったく抵抗がなく、「仁輝は政治家になるんじゃないか」とか言われてましたね(笑)。家族と旅行で温泉宿に行ったとき、多動症だったので勝手に動き回って、ほかの人の席に行って話しかけたり。
――映画雑誌は読んでいましたか?
杉浦:2009年、ドロンジョ(『ヤッターマン』)に扮した深田恭子さんが表紙の「映画秘宝(2009年3月号)」を初めて買いました。「映画秘宝」についてはいろいろな問題がありはしますが、やっぱり初めて読んだときの衝撃は大きくて、多大な影響を受けましたね。「映画秘宝」的なゲテモノホラーやトラッシュ・ゴミ映画も好きになったんですけど、同時にゴダールやタルコスキー、フェリーニとか、いわゆるシネフィルが好きそうな映画も好きになって。「キネ旬(キネマ旬報)」や蓮實重彦の「リュミエール」をブックオフで探して買っていました。
――でも、周りにそれを共有できる人はいなかった?
杉浦:ひとりだけいましたね、オカザキくんという子が。彼はクラスのヒエラルキーのいちばん高い層に属していて、めちゃめちゃハンサムでしたし、女子にもモテてて。野球部だったんですけど、ホモソーシャル的なコミュニティにはあんまりいなかったんです。そんな彼がなぜかまったく別の種類の人間である僕を気に入ってくれて、彼は洋楽ロックが好きだったので、ジミヘン(ジミ・ヘンドリックス)やピンク・フロイドを初めて教えてくれました。一緒にTSUTAYAに行くと、「お前はまずこのCDから聴け」「ビートルズはこれ」「ボブ・ディランはこれ」なんて言ってくるわけですよ。で、僕はそのお返しに「じゃあ、この映画を見てみてよ」とか言って。彼から音楽を教えてもらって、僕は映画を教えて、という等価交換を3年間おこなっていました。
周りの、特に女子からすると「なんでオカザキくんと杉浦は仲いいの!?」「オカザキくんに近寄らないで!」みたいな感じでしたけど、結局、オカザキくんは魂の部分ではボンクラで、「『時計じかけ』最高だよな」「『ファンパラ』めっちゃいいよな」みたいな人だったんです。彼がいなかったら音楽にもちゃんと触れられていなかったと思います。
――ほかに、いまに繋がる部分で中高生時代、思春期に印象的な出来事はありますか?
杉浦:さして輝かしい出来事はないんですが、強いて言うならラジオですね。人生でいちばん聴いていました。学校では心で会話ができたのはオカザキくんぐらいしかいなくて、オカザキくんとしゃべっていない時間は、まあ孤独なわけです。そんなときに祖父がラジオを買ってくれて、それをきっかけにのめり込んで、「こんなにおもしろいものがこの世にあったのか!?」「テレビよりおもしろいな!」と思ったんです。ラジオはいまこの時間、パーソナリティが自分ひとりだけに語りかけてくれているし、同時にこの音声をどこか違う場所で、同じ月の下で聴いてる人たちがいるというのはとっても美しいことだなと。
ちょうどその時期に、RHYMESTER宇多丸さんの「タマフル(ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル)」が始まって、「ザ・シネマハスラー」がほんっとにドンピシャで。それ以前では、映画評論家の町山智浩さんが「(町山智浩の)アメリカ映画特電」という番組をポッドキャストでやっていて、それも原体験なんですよね。ラジオを聴くより先にポッドキャストを聴いてたんです。で、映画そのものよりも映画をおもしろく語ることはひとつの芸だなと思って。それは、幼い頃にVHSで淀川長治さんの映画解説を聴いていたときの感覚とまったく同じでした。
――以前、お会いしたときに「菊地成孔の粋な夜電波」の話をされていましたよね。
杉浦:それは、ほんっと恥ずかしいんですけど……(笑)。TBSラジオの番組をほとんどすべて聴くようになって、そのなかで菊地さんのラジオも聴きはじめて。あえて言いますけど、スノッブっぽい感じがものすごく心地よくて新鮮だったんです。「周りのみんなは誰も聴いていないだろうけど、俺だけはこの洒落てて悪ガキなおじさんの会話を聴いて、『ふふふ』と笑っているぜ」みたいな優越感もありました(笑)。だから、『花束みたいな恋をした』を見たとき、麦くん(菅田将暉)が「この前の『夜電波』聴きましたか?」と言い、絹ちゃん(有村架純)が「聴きました!」とか言っていて、ほんっとに死にたくなりましたね(笑)。あと、菊地さんのラジオを聴いていていちばん大きかったのは、SPANK HAPPYと出会ったことだと思います。
――高校卒業後は桜美林大学映画専修に進学され、監督・脚本・プロデューサー業を学ばれたそうですね。
杉浦:中学生の頃に映画に関わりたいと思ったんですけど、かなり悲観的な子どもだったので。つまり、おもしろい傑作映画をたくさん見まくったせいで、自分に映画を作る才能はまったくないって気づいてしまったんです。映画を好きだという気持ちは人一倍あるけど、映画を作る才能はないなと。それこそオカザキくんに「スギちゃんは映画を作んないの?」と言われたこともありますが、「世のなかにおもしろい映画がたくさんあるから、俺が作る必要ないんだよ」と言ったら、「いや、そんなことはないと思うけどね。俺、お前の評論や感想、好きなんだよ。その解釈とか読解力が大事なんじゃないの? 映画をこれから先も死ぬまで好きでありつづけるんだったら、それが才能じゃん?」って返されて。それで、はっとしたんですよ。それでも自信が持てなかったんですけど、その言葉を受けて映画評論家になろうと思ったんです。でも、映画評論家になるための学校なんてないんですよね。
――たしかに。
杉浦:担任の先生に「どうするの、進路は?」と聞かれたとき、「映画評論家になりたいです」と答えたかったんですが、学校がなかったので「映画監督になりたいです」と言っておいたんです。それで、桜美林を受けたんですね。本当は日芸(日本大学芸術学部)に行きたかったんですけど、オープンキャンパスに行ったとき、他意なく言いますが、当時の学長が死ぬほど偉そうで、「うちに入れるということは、日本映画の最高水準を学べるということだ!」みたいな話が鼻について、絶対にここには行かないって決めて(笑)。
桜美林は当時、フィルムで撮影ができるというのが、ほかの大学と比較しても売りだったんですよ。それもあって入学したんですが、本当は映画評論家になりたいと思っていました。
――映画評論家志望から実作の道に切り替えたタイミングやきっかけは?
杉浦:大学で映画の授業を全般的に受けていくなかで、映画評論を書くことは得意中の得意だったんです。「杉浦の論文はめちゃめちゃいい」と教授からも言われて。ただ、映画を作ることにはそこまで熱はなかったんです。でも、映画のことを何も学んでない段階で、友だちと集まって夏休みに一本作ったんですよね。それがすごく楽しくて。1年生の秋に「制作1」という授業があって、そこで監督プレゼンがあったんですけど、立候補したら受かって監督を務めました。その監督作品がものすごく褒められ、そこで「やっぱり、映画を作る才能もあるんとちゃう?」と錯覚して。じゃあ、映画評論をして、映画監督にもなっちゃえばいいんだ、と勘違いしちゃったんです。
――それこそ、ゴダールや黒沢清のように評論と実作を両立させていた人はいますよね。
杉浦:だから、変なことだとは思っていなかったんです。でも、よくなかったですね、その経験は。狭いコミュニティのなかでいくら評価されたとしても、ライバルはその外側にいくらでもいるので。大学の映画学科にはゴダールとか黒澤明すらまともに見ている人が数人しかいなくて、「スギちゃんがいちばん映画見てるよね~」と言われたりして、その優越感が茨城から東京に出てきた身にとっては経験したことがない気持ちよさで。まあ、一言で言えば舞い上がっちゃったんです。自分は映画というものと正しく接することができている、と勘違いしちゃったんですよ。
――「井の中の蛙大海を知らず」だったと。そこから変わったきっかけは?
杉浦:「スギちゃんは天才だよ」と肯定していた人たちは、結局、誰に対しても建前で言っていたんです。だから、当時、「それは間違ってるよ」「こういう風にしたほうがいいよ」と言ってくれて、厳しく否定や批判をしてくれた人たちとは卒業しても仲よくしていて、いまだに一緒に映画を作ったりしています。
あと、周りの大学の天才たちの映画を散々見て、「やっぱり自分は天才じゃない」とめちゃめちゃ挫かれて、落ち込みましたね。日芸や、筆頭は映画美学校ですが、美学校の学生が作ったホラーを見たとき、「これは絶対にうちの大学のメンバーではできない」と思って。そういう敗北感をひとつずつ認めていくことによって、「努力をしないと」「現状に満足してちゃいけない」と4年かけて気づいた感じです。1、2年生の自分はひどかったので、タイムマシンで戻ることができたらぶん殴ってやりたいですけど。
――近藤亮太さんや金内健樹さんといった同世代のよきライバルたちの成功に対する反応を見ていて、スギさんは負けず嫌いなところがあるなと思うんです。
杉浦:正直に言えば、彼らの成功は心から嬉しいんです。悔しいは悔しいですよ、もちろん。でも、本気で妬んで憎んでいたら、たぶん名前も出していない。私がいくら言っても屁でもない次元に行っている人たちにしか言及してないので。たとえば近藤さんは、彼が日本ホラー映画大賞を受賞したのを目の前で見たとき、もう自分事のように涙が止まらなくて。近藤さんから「スギさんのようなシネフィルが作るホラー映画は気になりますね。僕は一歩先で待ってますよ」みたいなことを言われたとき、「くっそ! じゃあ、やってやるよ!」と感じた気持ちは常に持っていますけど、あまり他人の功績に嫉妬はしていません。
――プロレス的に言っている?
杉浦:別のペルソナとしてプロレス的に言っている感覚は、正直あります。自分が悔しいのは、自分の作品に関わってくれた俳優とかが侮辱されたり軽蔑されたりした瞬間です。そういうのがブチギレるほど悔しいことであって、自分が卑下されるのはまったくどうでもいいですね。
なんでこういう考え方かというと、自分の作品を賞レースに出していてなんですけど、映画なんて勝ち負けだとまったく思っていないんです。
――そうですよね。
杉浦:作品は千差万別なので。ただ、競争心がないときっと残らない、ということももちろんわかっています。フィールドで戦うときはそういう態度をとりますけど、本質的には他人が受賞しようが「おめでとう」「よかったね」と思うぐらいで、嫉妬心とかはないですね。僕は、自分のためにはあまり動けないんですけど、人が関わっていると頑張って動こうと思うタイプなので、本当は無感情なんです。嫉妬していることがもったいないなって気づきました。自分には自分のビジョンがあるから、そちらを優先して自信を持てばいいだけなのかなと。泣きたいぐらいに死ぬほど悔しい気持ちはもちろんありますけど、本当の悔しさは作品に、健全に出していければと思います。
――創作においては「みんな違ってみんないい」的な平和さより、「こいつには負けるもんか」「自分が作るものがいちばんいい」と考えている人のほうが優れたものを作れると思うんです。
杉浦:絶対にそうだと思います。たとえば、自分も作品の感想を書くときは、「誰も言っていないことを誰よりもおもしろく書いてやろう」という気持ちで書いています。映画を作るときもそうですけど、結果に対する評価は受け入れているんです。近藤亮太が作るものは私が逆立ちしても絶対に作れないものなので、ひとりの観客として嬉しいだけですね。同時に負けず嫌いなところはあるので、その思いは自分の作品に落とし込んでやろうと。足を引っ張ってやろう、とはまったく思わない。作品で勝負しなきゃしょうがないので。
――大学卒業から「ホラー愛がスギる!」をスタートさせるまでの期間は、どんな活動をされていたんですか?
杉浦:転々としていたというか……どこにも定まらない感覚がありました。大学で気づいちゃったんですよね、「あっ、俺って天才じゃないかも」って。大学を卒業して、自主映画のプロデューサーに回ったんです。メタ認知や客観視ができていなかったので、逆に他人の作品を客観視する立場を勉強しなきゃいけないと思って。それは、プロデューサーという立場で、自分がなりたい監督という生き物を観察していた期間でもありました。成功も失敗もありましたけど、それがあったおかげでいまがあります。それで、気づいたら10年が経っていた。
……一回、2017年か2018年に監督をやろうとしたことはあったんですけど、ほかと違うものを作ろうとしすぎて失敗して未完に終わったり、「やっぱり映画を作らないほうが幸せだ」と思ったんですね。でも、周りから散々言われるわけですよ、「スギさんも作る立場になってみたら?」って。本音を包み隠さずに言えば、自分に才能がないことに気づくのが怖かったんだと思います。つまり、選手/プレイヤーになりたいのに監督/コーチの立場で見ていたから、そっちのほうが怖くないわけですよ。プレイヤーになってフィールドに飛び込んで泥まみれになる勇気も、当時はなかったんだと思います。
――そういった経緯があり、第3回日本ホラー映画大賞に応募した『絶縁』を監督するに至ると。
杉浦:はい。もともと友人だった近藤亮太が日本ホラー映画大賞(第2回、2023年)で大賞を受賞して、同じただの映画好きだった人が職業映画監督になったのを目の当たりにし、めちゃめちゃ感動しましたし、それが同時に人生でいちばん悔しい経験だったんです。「なんで俺は席に座って、作品をただ見ている側なの?」って。自分の世界線を狭めていたなと思って、このタイミングでプレイヤー側に回って勝負しようと思ったんです。
――心機一転して、ひさしぶりにメガホンを取った。
杉浦:でも、ほとんど初監督作品でした。
――『絶縁』の制作過程で立澤さんと出会うことになるわけですが、それは偶然だったんですよね?
杉浦:まったく面識はなかったですね。撮影決定稿ができていて、撮影も始まっていたぐらいのタイミングでどうしても追加したいキャラクターがいて。ただ、時期的に「絶対に見つからない」と周りのスタッフからは反対されました。「いや、絶対に見つかる。後悔するより募集したほうがいい」と押し切って、キャストの追加募集をTwitter(現X)に投稿したんです。立澤さんは当時、私のことをフォローしていなかったそうですが、たまたま流れてきたポストを見つけて応募してきた。その追加キャラクターの名前が、カタカナで「アイ」だったんですよ。さらに、自分が考えていたビジュアルまんまの人が来て。しかも、立澤さんが書いていたことが挑発的だったんです。
――挑発的?
杉浦:「私はこういうホラーが好きです」「アリ・アスターがインタビューで言っていた言葉を知っていますか? 『この映画を見て、みんなが不安になるといい』と。私もそう思います」とか。おもしろいなと思って、その挑発にまんまと引っかかったわけですが、本当に時間がなかったので、直接会わずに現場で初めて会ったんです。生まれて初めて芝居も見ずにキャスティングしたんですが、「絶対にこの人で大丈夫だ」という確信はありました。なんでしょうね……ちょっと導かれている感じがしたというか。そんな確信があって初めて現場に来てもらった、というのが最初の出会いです。
――現場で撮影してみて、どうでしたか?
杉浦:想定していたよりもよくて、とても真面目にしっかりやっていただいて。映像の現場は初めてだったので右も左もわからない状態だったと思いますけど、読解力がすごく高くて、「こうしてほしい」と言ったら次の瞬間にパッとできる。「そうじゃないです」と言ったら、しっかり訂正できる。俳優としての素質がすごくあるというか、自分の演出に合っている感覚がありました。でも、非常におとなしい人でした。現場ではお互いほとんどしゃべらなかったですね。
――「ホラー愛がスギる!」を始めるきっかけになったのは、『絶縁』の現場が終わったあとの会話だったそうですね。
杉浦:ええ。撮影が終わって、追加撮影をしたあと、「これでクランクアップなので、あまり会話もしてないし、ご飯でも食べますか?」と言って。そのときに立澤さんが好きな映画や漫画の話を過剰に楽しそうにしていて、イメージが変わったんです。でも、ポッドキャストを一緒にやろうとは思っていなかったですね。
その後、「この映画、見ませんか?」みたいな感じで何回か会ったんですが、映画の感想とは関係なく、立澤さんは日常の愚痴が止まらなかったんですよ。それを聞いているのが楽しくて。表に発信しない正直な気持ちやいろいろな感情があって、なおかつ、めちゃめちゃ口も悪かった。本人は真面目に話しているんですが、「芸みたいだ」と思ったんです。そのとき、本当に感覚的に「立澤愛という人がパーソナリティで、僕が相手役をしている」という気分だったんです。立澤さんが猫を被っている印象はあって、「やっぱりこんなにおとなしくて人見知りな人じゃないよな」とは思っていましたけど、こんなにおもしろい人だとも思いませんでした。本人は「立澤さんってきっとこういう子だよね」というレッテルを張られるのも嫌いでしょうが、僕以外の人間からそう思われていることに、僕自身がだんだん納得がいかなくなってきて。世界が立澤愛という逸在に気づいていないことに腹が立ってきたんですね。
――(笑)。
杉浦:自分にとって立澤さんとの会話がポッドキャストをしている気持ちだったので、それをそのままやったらいいんじゃないかな、というのが最初の感覚です。だから、ちゃんとした理由があるわけじゃなくて、そもそも会話しているときにラジオ番組をオンエアしているような感覚が既にあったんです。
――ラジオやポッドキャストをやりたくてパーソナリティーを探していたわけじゃなく、立澤さんとの会話をポッドキャストにしたほうがいい、という経緯だった?
杉浦:立澤さんに関してはそうなんですけど、本当は大学生の頃からポッドキャストをやりたかったんです。映画好きな男友だちと収録したこともあるんですけど、お互いおもしろくなくて。ふたつ理由があってできなかったんです。ひとつは、恥ずかしいですけど、自分が目指すおもしろさと波長が合わなかった。僕は、飲み会とかでもそうなんですけど、誰も疎外したくないから、誰もが楽しめるようにMCみたいなことがしたいし、そのうえで誰よりも楽しいやつになりたかった。でも、相手もそう思って話すと自我の衝突になって、結果的に当事者たち以外はおもしろくないものが出来上がるんですよ。あと、僕は本質的にアゲアゲでアッパーな人間でもない。おもしろくありたいと考えていても、単純にノリがよくてアッパーな人間にはそれだけで負けるので(笑)。ノリはいいけど思想や哲学は全然合わなかったり、哲学は一致するけどノリが合わなかったり。そのズレがあるだけで、ポッドキャストは絶対に続きませんから。
もうひとつは、「自分よりこいつのほうがおもしろい」と思う相手じゃないとパートナーとして納得ができなくて、その相手に出会えていなかったんです。10年間そう考えていて、ネタもずっとあったんですが、生まれて初めて「あっ、俺よりこの人のほうがおもしろい」「この人の話を聞いているのがおもしろい」「この人なら負けてもいい」「この人と発信したい」と思ったのが立澤さんでした。それはいまだにそう思っています。
――なるほど。日常の会話をポッドキャストにしている人も多いですが、ホラーコンテンツを扱うというコンセプトに決めた理由は?
杉浦:立澤さんもホラーが好き、というのはもちろんあるんですけど、正直に言いますと、彼女が俳優として活動していくことを考えたとき、映画監督と俳優の「今日はあれが美味しかったね」とかいう会話は、僕はおもしろいと思わないわけです。だとすると、自分がポッドキャスト好きになったことを振り返ったとき、やっぱり「ザ・シネマハスラー」や「アメリカ映画特電」のような作品の解釈・分析・評論が好きだったので、それをやりたいなと。で、それをやれる自信もあった。でも、立澤さんはどうだろうか? とは思っていました。自分の薀蓄を垂れ流すなんて酷なこともないよなと。
――それだと、ただのマンスプレイニングですもんね。
杉浦:ええ。でも、立澤さんと会話していると、「あの映画は実はこうなんだよ」と言ったとき、「え〜、そうなんですね~! さっすがスギさん!」って反応をしないわけですよ。「うぇ~!?」とか言いながら、「じゃあ、あれってこうこうこうですよね!?」と、こっちが考えていないことを返してくる。こっちはストレートを投げてるのに、剛速球のカーブを投げ返してくる。よく「ジャズセッションみたい」とリスナーさんから言われますけど、そのスリリングさがいいなと思ったので、共通言語であるホラーを軸にしました。
――2人でポッドキャストをやるにあたって、やはりそれぞれの視点の違いだけでなく、ジェンダーや世代の差異も重要だったのではと思います。
杉浦:こっ恥ずかしいですけど、たぶん心根の部分にはすごく共通するものがあるんですよ。でも、「共通している部分が多いよね」「うちらって気が合うよね」という感覚でやると長続きしないなと思って。それは前提として、お互いの異なる部分を肯定して受け入れて発信していくのがいちばん大事だなと。
「立澤さんとポッドキャストをやる」と言ったとき、周りから100%反対されたんです。それは、おっしゃるとおりジェンダーや年齢、肩書きからくる一般的な色眼鏡があって……。
――「権力勾配がある」とか。
杉浦:そうです。始める前に「グルーミングだ」「イエスマンを隣に置きたいだけだろ」「洗脳しているんじゃないか」とも言われましたよ。あと、ピグマリオンコンプレックス的にも見られるわけです。でも、本質的に自分が考えていることはそうじゃないという自信があった。始める前は100%反対されましたが、ポッドキャストを聴いてもらって判断してもらうしかないなって思いました。
――ふたりの関係をグルーミングやピグマリオンコンプレックスだと言う人は、立澤さんが自己を確立した、自立した個人として見ていないわけですよね。なので、その意見はおかしいと思います。
杉浦:立澤さんがやりたいことでもある、という気持ちは完全に無視されていましたね。知りもしないのに立澤さんの人格や思考を決定していることは、私もすごく嫌でした。ただ、なおさら、そう見られやすいのならば、この人のパーソナリティやアイデンティティを発信したいと思ったんですね。自分がどう思われてもいいんです。でも、立澤さんは僕のオマケでも添え物でもないし、アナウンサー的な役割でもない。とにかく杉浦仁輝と立澤愛、2人で二人三脚で並走できていることを提示したかったんです。その対等性こそが僕らの関係性でしょうし、極論を言えば、自分たちだけがわかる関係性でいい。
これを外部に発信することは、同じような立場にある人のためにもなるなと思ったので、僕と立澤さんの意見の差異は意識的に発信していました。たとえば立澤さんが「杉浦さん、私はそう思いません」と発言したときに、普段マンスプレイニングしているようなおじさんは(笑)、気持ちよくないかもしれませんよね。でも、その気持ちよくなさを世界に発信したほうがいい。「女が男に対して気持ちよくないことを言うんじゃねえ!」みたいな意見が多すぎますから。意見交換をして、意見が違ったけど気持ちいい、というのがいちばんグッドバイブスなので、違いを肯定していくという意図は初めからありましたね。同じ部分もあるけど、もちろん違う人間なので、でもどんなに違ってもたぶんそれを受け入れられる、という感覚があったので、立澤さんにお願いしました。
――日本ホラー映画大賞での『絶縁』の評価に対して立澤さんがかなり怒っていたことも大きかった、と言っていましたよね。
杉浦:ええ。授賞式のあと、立澤さんとご飯を食べたんです。私も当然悔しくて落ち込んでいたんですけど、立澤さんが僕の500倍ぐらい怒っていて、ものすごい罵詈雑言を吐いていました。ものすごく怒っている人が目の前にいると、だんだん冷静になってくるんですよね(笑)。「こんなに怒ってくれるんだ」「自分の作品をこんなにいいと思ってくれているんだ」と思ったのと同時に、感情のまましゃべっている立澤さんがめちゃくちゃおもしろかった。表に出ていないその面を表に出す必要はないかもしれないけれども、やっぱり僕は「なんでこんなにおもしろく話している人が知られていないんだろう? めちゃめちゃ悔しいな」と思ったんです。
そのとき、もともと声優志望だったことを初めて聞いて、「だから声がよくて、滑舌もいいんだ」と合点がいって、すべてが繋がったんです。なので、ポッドキャストに誘おうと思ったのが2024年の11月でした。そこからいろいろ準備して、実際に立澤さんに「やりませんか?」とお声がけしたのは2025年の1月25日だった気がします。『E.T』のリバイバル上映を観たあと、終電を逃して明大前の餃子屋で(笑)。
――先日、スギさんとお話ししておもしろかったのは、PIZZICATO FIVEや第二期SPANK HAPPYのような男女コンビも意識したということでした。
杉浦:これは本っ当に言いたくないことなんですけど……構造としては、第二期SPANK HAPPYやPIZZICATO、あと初期の相対性理論やアーバンギャルドとかを意識していました。
もともとミュージシャンへの憧れもめちゃめちゃあって、音楽家やミュージシャンには嫉妬しちゃうんですよね。映画って陰鬱なものを描くと陰鬱な感情しか生じさせないんですけど、音楽はロックであってもアイドルソングであってもヘヴィメタルであっても等しく多幸感がある。果てしなくジョイフルな表現なんですよね。それを生み出せるミュージシャンへの嫉妬があるんです。だからバンドを組みたい意欲がめっちゃあるんですが、楽器はろくにできないし。
そんななか、立澤さんを一目見たとき、これは初めて言うんですけど、「この人、フレンチポップのシンガーだな」と思って。立澤さんがフランス・ギャルの「夢みるシャンソン人形」やシルヴィ・バルタンの曲を歌っている画が、いともたやすく想像できた。実は、自分の音楽の原体験として川瀬智子さんの存在も大きいんですよ。
――えっ、Tommy february6!?
杉浦:はい。Tommy february6は80年代のポップスやフレンチポップを独自に落とし込んでやっていたわけで……。第二期SPANK HAPPYや相対性理論もアーバンギャルドも、みんなボーカリストは舌足らずなウィスパーボイスですよね。実在感が希薄な浮遊感には幼さと同時に崇高さもあって、それが自分の大好きなフレンチポップに通じている。それを言語化できるまでに時間がかかりました。
立澤さんが現場に来たとき、「この人は、この状態のままフレンチポップの歌手になれる」という確信があって、あまり出会ったことがない人だったんです。なので、自分と立澤さんの組み合わせは、ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンスブールのような“おっさんと可愛い女の子”の系譜に連なるなと。あるいは、“ゴダールとアンナ・カリーナ”的なことを思う人もいるかもしれません。第二期SPANK HAPPYなんかその極点で、幼児退行と退廃のアンニュイがあまりにも時代として早すぎちゃったけど、いまになって超新しいパートナーシップとして確立していると思うんですよね。それはピグマリオンコンプレックス的な感覚だったらよろしくないんでしょうけど、前述したようにそういうコンセプトではないので。だから第二期SPANKSを知らない人に「ホラー愛がスギる!」の概念を説明するのは難しかったし、よしんば知っているとしても「それってキモいじゃん!」と言われていたかもしれません。でも「いや、それってもうキモいじゃなくて新しいクール&スタイリッシュなんだよ、いまは!」「この国を救えるのは、異性愛でも同性愛でもなくて、そういうパートナーシップだから!」「愛よりも尊敬と尊重の時代になるんだよこれからは!」と言い返していたと思います(笑)。
で、立澤さんと初めて会った時に直感したのが「うわ! Tommy february6だ!」ということで(笑)。音楽的な魅力がめちゃめちゃあるんですよね。立澤さんの存在自体もそうだし、彼女の声や発する音が非常にミュージシャン的――フレンチポップのミュージシャン的だと思って。でもこの人は、俳優であって80年代のフレンチポップ歌手ではない。そう思ったとき、このニュアンスを最大限に表現するにはポッドキャストなんだろうなと。
――“年上の男性と年下の女性”という組み合わせは、男性が女性をプロデュースしてコントロールしていると見られがちですが、実はそうでもない。第二期SPANK HAPPYでは、菊地さんが岩澤瞳さんにかなり振り回されていたそうですし。
杉浦:それはすごく意識しています。パートナーシップとして年上の男性は権力側で、女性はそれに従う、という構造はまったく同時代的ではない。スパンクスもそうなりましたよね。FINAL SPANK HAPPYでは、菊地さんと同等の立場にある小田朋美さんが曲を作ったり。
「ホラー愛がスギる!」も、そういう前時代的な構造じゃないんだとわかるように運営してきたつもりです。どれだけ私が尻に敷かれているかって……(笑)。リスナーさんに言われましたけど、立澤愛は涼宮ハルヒだと。で、杉浦仁輝はキョンであると。それはおっしゃるとおりで、僕はどうしたってハルヒにはなれないんです。
ともかく、川瀬智子はTommy february6というペルソナを脱いだとき、インタビューではぼやぼやと好き勝手にしゃべっていましたよね。岩澤瞳さんもそうでしたけど、立澤さんもそんな様子でした。そういう感覚の人と出会ったのは初めてで。絶対にこの人を野放しにしておきたくないなと思いました。世界の誰もが立澤さんの存在に気づいていないんだったら、自分が発信しようと。
――とはいえ、結果的に、立澤愛と杉浦仁輝のふたりは『TRICK』の山田奈緒子(仲間由紀恵)と上田次郎(阿部寛)の漫才コンビじみた凸凹コンビになってしまっているんじゃないか、とポッドキャストを聴いていて思います(笑)。
杉浦:それはまったく意識していませんでした。立澤さんが実はめちゃめちゃ『TRICK』が好きだと聞いて、「山田奈緒子みたいな口調になってる瞬間があるよ」と言ったこともありますね。
立澤さんも僕もバディものが好きで、男女の性差や肩書きや年齢といった属性だけを見たときに持たれる印象を超越するのは関係性でしかない。その関係性を紡ぐには会話・対話しかないので、それを発信しているだけなんです。だから、少なくとも僕は、ふたりで音楽を奏でている気持ちがあります。毎エピソードごとに新曲をセッションしているような感覚。僕にとっては精神衛生上、そしてクリエイティブな面においてもとても大切な時間です。
――バンドもそうですよね。自分以外のメンバーと演奏するから、予期せぬ音楽になる。そんな立澤さんですが、スギさんは「思い描いていた道筋をぐちゃぐちゃにする不条理な存在だ」とも話していました(笑)。
杉浦:だんだんそうなってきていると思います(笑)。初期の頃は、ぜんぜんそういうコンセプトではなかった。僕の感覚だと、『近畿地方のある場所について』のときに立澤さんがだいぶ興奮してしゃべっていて、外の音に「うるせえ!」って叫んだり、急に菅野美穂のものまねを始めたりしたあたりからですね。慣れてきたんでしょうし、同時に、心からエキサイティングして楽しんでいただけなんでしょう。立澤さん自身を表に出すことに、だんだん抵抗がなくなってきたのかなと。
出会った頃の立澤さんを知っている立場としては、本当に現状は信じられないですね。たとえば、2時間ひとりでしゃべるラジオを収録するとか。真面目に考えると、ちょっと泣きそうになるぐらいすごいことです。そもそも立澤さんにあった素質ではあるけど、この短期間で人間は変われる、いろんな側面を世界に提示できるんだっていう。私も頑張ろうと思いました。立澤さんが伸び伸びと楽しんでくれているのは自分の想定以上に嬉しいことなので、不条理ではありますけど、でも彼女のなかではすごく条理が通っているのだと思います。
まあ、ハルヒです。本当に、“涼宮ハルヒ”としか言いようがないと思いますね。僕が彼女のご機嫌をとっていないと、このラジオは終了するだろうと思います。
――『涼宮ハルヒの憂鬱』のように世界が終わる(笑)?
杉浦:そう思います。
――その立澤さんの変化も、この1年の大きな聴きどころだと思います。「第55回 幻の未公開音源解禁」でパイロット版が公開され、緊張したふたりの猫かぶり的な会話を聴くことができますが、そこからの変化の過程が各回に刻まれていますよね。
杉浦:そうだと思います。僕がプロデュースしたわけではなく、もともとの彼女の性格が表れていった。立澤さんは発信や言葉にすることが苦手だったわけですが、「杉浦さんの前では出してもいい」とたぶん思ってくださって、どんどん湧き出てきものを出しているだけだと思います。
「ホラー愛がスギる!」が立澤愛のドキュメンタリーにもなる、というのは始める前から考えていました。「うまくしゃべろうとしなくていいし、うまくなろうとしなくてもいい」と始める前から立澤さんに言っていたんです。立澤愛という人間の成長――必ずしも成長する必要はないんですけど、その記録になる確信はあったので、僕から「うまく話してくれ」と押し付けなかったことも、逆に成長に繋がったのかなと思います。
――立澤さんからの影響でスギさんが変わった部分はありますか?
杉浦:だいぶあります。僕は自信もなくて、鬱屈していて、なおかつ周りから否定されると、「どうして否定するの?」って膝を抱えるタイプでした。けど立澤さんは、「いや、そんなのどうでもよくないっすか!?」「他人は変えられないから、自分が変わるしかないんで!」と、いい意味で開き直る人。ふたりともお互いの自己開示のスピードが速かったので、たった数か月しか会話していないけど、「もう5年ぐらい一緒に過ごしている感覚があります」と立澤さんからも言ってもらっていて。自分も短い1年ちょっとの期間で、立澤さんのおかげで考え方は変わりましたね。もっと強くなれたというか、強くなれたと同時に、もっと弱くてもいいんだと思えたというか。
あとは、映画ですね。立澤さんが主演で、プロデューサーも務める映画(『DUELLE』)を作ったんですが、絶大なる信頼があったからできたんです。自分の考えをこんなに理解してくれて、なおかつ批判してくれて、「こういうアイデアもありますよ」と提案してくれる人はいままでいなかった。とにかく仕事のPDCAがめちゃめちゃ早くて、「いい相方を見つけた」「いや、やっと見つかったな」という感覚があるので、自分の創作も変わったと思いますね。立澤さんも楽しんでくれていたみたいですし、彼女の俳優人生にとっても転機となるような作品になっていると思います。
――リスナーも指摘していますが、立澤さんは共感能力がすごく高いですよね。「第38回『adabana 徒花』」しかり、リスナーのはにむさんとのやりとりしかり。
杉浦:ものすごく能力が高いなと思いますね。それはやっぱり、立澤さんが傷ついてきた人だからだと思います。どんな人も傷ついてはいると思いますけど、他人の何倍も傷ついてきた人だから他人に優しいんじゃないかと。でも、もともとの素質が優しい人、他人の傷に寄り添える人、というのが本質だと思います。そういう彼女を見ていると、自分もより一層他人に寄り添える存在になりたいと思いますし。
――そして、リスナーとのコミュニケーションはある意味で過激化していっているように見えますが、リスナーを巻き込んでいくのは狙っていたことですか?
杉浦:狙っていました。「毎週更新」と言っておきながら、生放送ではないし、毎回扱うコンテンツも違う。でも、ラジオなのでお便りを募集したい。そう思って、お便り回を月イチに限定したんです。長期の募集期間があるほうがリスナーは参加しやすい、参入しやすいと思っていました。
――リスナーのtaikingさんもおっしゃっていましたが、ポッドキャストでリスナーと密にやりとりするのは難しいと思うんです。そこを積極的にやっているのが、「ホラー愛がスギる!」のほかにない特徴ですよね。
杉浦:ほかになかったのでやりました。中高生の頃、ラジオやポッドキャストを聴いていて、そういうものがもっとあってほしいと思っていたんです。「僕ひとりだけに語りかけてくれている」という寄り添われ方をしているのに、なぜ距離感がこんなにあるんだろうと。もちろん、リスナーとパーソナリティの一定の距離感は大事です。だとしても、境界線があるなって感覚がずっとあったんですよ。“パーソナリティー様”がいて、その下にリスナーがいる、みたいな対等じゃない感覚があって。「この番組が好きで僕は聴いているんだから、パーソナリティと会話してもいいじゃないか」って。だから、自分がポッドキャストをやるときは、その真逆をやろうと思っていました。境界線をなくしたいっていうことは、始める前から決めていたことです。
――そんななか、ポテ巻さんがふたりの同人小説を書いたり、カグタバアイさんがファンアートを描いたり、さらにハガキ職人化していく貞巻きさん(貞子のビデオ巻き戻す)、果てはうんちママさんといったリスナーも現れたり……。これほどのことは予想していましたか?
杉浦:まったく予想していないです(笑)。あるとしても、5年後、10年後のことだと思っていました。イベントの開催もそうですけど、まったく想定していなかったです。
――予測不能なファンが現れ、相互に巻き込みながら発展している現状にはどう感じていますか?
杉浦:リスナーさんが楽しいなら、それがいちばんいいと思います。ただ、内輪感や部室感は、あまりよろしくないと思っていて。内輪で楽しいだけというより、内輪で楽しんでいる人たちがどんどん新入部員を入れていってください、と思いますね。だから、初回から聴いているヘビー級リスナーの方が非常に気に入ってくださっているのは心から嬉しいんですけど、その人たちだけに持ち上げられていると、私が大学生のときに陥った裸の王様になってしまう。僕は常に不安で、常に悲観的です。「人気番組ですね」と言われても、「何の人気もないですよ」と冷静になっちゃうキョンみたいな思考なんです。だから、ひとりでやっていたら耐えられていなかったかもしれない。あと、僕は常に、裸の王様に向かって「裸だ!」と叫ぶ側でいたいです。
僕はこの番組も、「見つからないでほしい」と思いつつ、でも「見つかってほしい」とも思っています。それは立澤さんに対する感情でもあります。立澤愛なんか誰にも見つかってほしくないし、でも立澤愛が見つかっていないことには納得できないし。常にアンビバレントに考えちゃう。あと、自分が考えて運営してもしょうがないなと、1年やって思いました。考えたとおりにいかなかったことがたくさんあるので。
――狙いどおりにいったこととそうじゃなかったこと、どちらのほうが多いですか?
杉浦:狙いどおりにいっていないことのほうが多いですね、確実に。それは毎配信、毎収録ごとに思います。僕が「こういう既定路線になるだろうな」とある程度思っていたこと、そのとおりにいったことは一回もない。それが楽しいんですけどね。
――「第77回 ホラー愛がスギる!愛がスギるリスナー座談会」を聴けば明らかですが、入り口がたくさんあるというのも特徴です。「ホラー愛がスギる!」はホラーというジャンルの間口を広く捉えていますが、実写映画だけじゃなく漫画、アニメ、イベント、展覧会などを扱うことは最初から決めていたんですか?
杉浦:間口を広く持つことは当初から決めていました。でも、基本はお互い映画が好きなので、話したいホラー映画を50本ずつリスト化して、「この100本を百物語として話せたらいいよね」とは言っていました。「音楽や漫画、小説とかの話もできたらいいね」とも言っていましたけど、そのとおりにはまったくなっていないですね。結局、流動的に活動していくなかで、点と点が繋がっていまがある。
いちばん大きかったのは、『チェンソーマン』をホラーとして語ったことです(第34回、第35回)。あれはだいぶ実験としてやって、でもそれが好評だったので、この路線はいいだろうなと思いました。立澤さんが初めての漫画回(第33回)で『裏バイト』を紹介したときもとても反響が大きくて、その後の『adabana 徒花』回の反響も非常に大きかった。そこから若い方や女性の方も参入してきたので、間口の広さは意識していましたが、「こういう結果になるように」というハンドリングはしていません。偶然の産物です。
――更新ペースが早い「ホラー愛がスギる!」ですが、続けられている理由はありますか? 「ポッドキャストは義務でもないし、趣味でもない」とおっしゃっていましたが。
杉浦:聴いてくれている人がいるから、というだけですね。1時間の回を配信するのに何時間もかけて編集したり……毎回、僕は編集しながら、「もう二度とポッドキャストはやらない!」「編集も運営も広報もやらせる立澤愛、ふざけんな!」と思っています(笑)。でも、実際に聴いてくださった方の感想を聞いたり、立澤さんが自分で聴いて「おもしろかったですね」と言ってくれたり、それがあるから続けられているだけですね。
iPhoneで録音したものを毎回、ノーカットで出してもいいんですけど、僕は作品だと思って編集しているんです。現状、80回ぐらい配信していますけど、すべて自分の監督作品だと思って、愛着を持って配信しています。そこはクリエイターとしての意地というか、未完成のものをそのまま生で出したくないという気持ちがあるんです。
自分にとっても立澤さんにとっても、これが何かほかのことに繋がる、この音源が名刺になることを意識していますし、実際にそうなっています。どこの馬の骨かもわからない自分たちが作品を発表しても、誰も見ないかもしれない。でも一定層、自分たちを認知してくれるファンダムを最初に作っておけば、届く割合が増える。それは始める前から考えていたことです。1年やってみて、その母数が想定以上に増えたので、今後は自分が作ったものをどんどん発信していきたいと思っています。
――今後、「ホラー愛がスギる!」でやりたいことはありますか?
杉浦:2年目は、もっと外部のゲストの方をたくさん呼びたいと思っています。清水崇監督や白石晃士監督にゲストとして出てもらって(第47回、第71回)、「どんなポッドキャストなんだよ!?」と自分でも思いますけど。ファン目線で自分が中学生の頃に清水・白石監督に聞きたいことをただ聞いているだけなんですが、それを聴きたいホラーファンもいるだろうから発信しているんです。根本・本質にあるのは、僕と立澤さんがハブになって、リスナーさんたちが清水・白石監督と会う機会ができるのがいちばん嬉しい。
イベントもありがたいことに何回かやっていて、めちゃめちゃ楽しいんですけど、このペースでやっていると映画が作れないんですよ。だから、そのバランスをもっと考なきゃいけないなって、1年やって思いました。
――『DUELLE』の制作期間は、1か月間更新が止まっていましたね。
杉浦:ええ。それでも配信しないといけないと思っていましたけど、物理的に難しいし、「いいんじゃないですか」と立澤さんも言ってくださったので、バランスを考えて収録・編集・運営をしないとなと思います。ほんと、「趣味でも義務でもない」と言いながら、僕にとってはもう「ホラー愛がスギる!」は趣味であり義務であるのかもしれません(笑)。
――スギさんの表現、ひいては人生の一部になっているということですもんね。
杉浦:そうですね。僕にとって映画以外で言えば、「ホラー愛がスギる!」は最高傑作だと思います。そう言い切らせてくれたのは、立澤さんのおかげです。自分の人生でいままでやれなかったことがたくさんあったなか、最高傑作だって思えるのはこれだけかもしれない。
――今回、現時点での最新回「第80回『サンキュー、チャック』」までをスプレッドシートにしてみたのですが、スギさんが個人的にお気に入りの回はどれですか?
杉浦:ええっ……? いや、めちゃめちゃいっぱいありますけど……すごく難しいことを聞きますね。基準によります。たとえば、めっちゃ爆笑したのは『ROOM237』の回(第5回)で、子どもの頃からの夢が叶ったのは『ノロイ』について話せた回(第7回)。いろいろありますけど……『ひきこ』かな。
――「第59回『都市伝説物語 ひきこ』」。たしかにこれは、リスナーさんとの関係なくしてありえなかった回ですね。
杉浦:はい。ポッドキャストをやっていなかったら、その相手が立澤さんじゃなかったら、僕は『ひきこ』に出会っていなかった。『ひきこ』は作品自体もよかったんですけど……立澤さんの前でいちばん何も気にせずにしゃべっていた回かもしれません。「こういうことを話そう」とか、既定路線がある回もありますけど、このときだけは目の前の立澤さんに向かって何も考えずに心でしゃべっていたというか。立澤さんもそれを受け入れて、応えてくれました。だから、熱を帯びてしゃべっちゃった。あとから客観視したとき、「冷静になれよ」と思いますけど、それを記録できたこと、いろいろな文脈を引き出せたことは、この回だけなのかなって。真似しろって言われても真似できない回ですね。
あと、『ひきこ』という作品が好きな立澤愛は信用できるな、と思いました。『ひきこ』という作品を教えてくれたことに、マジで感謝しています。
――最後に根本的な質問ですが、スギさんはなぜホラーが好きなのでしょうか?
杉浦:う~ん……。つまらない回答かもしれませんが、ホラーは肯定してくれるから、ですね。32年間生きてきて、一回も、一瞬もホラーには否定されたことがない。友人であれ、家族であれ、恋人であれ、何かしら否定された経験はありますし、否定することは人間関係でも大事だとは思いますけど、僕は否定されることに弱いんですよ。でもホラーだけは、「君はそのままの君でいいんだよ」「あなたが頭のなかで思っている最悪なことって、とってもいいことだよね、最高だよね」と同じ眼差しで対話してくれるんですよ。
立澤さんという人もそういう存在だから、こうやって長く一緒にやれているんだと思いますし、これから先もそうだと思います。結局、“否定せずに肯定してくれる存在”というのは、僕にとってはホラーでしたけど、立澤さんのような人はあなたの周りにも絶対にいるよ、と思うんです。
僕は、“恐怖”というものを通して、作品を見た人の傷や不安、絶望を肯定したい。それは、中学生の頃の僕がされたかったことなんです。それを一周回ってやっているだけなんですよ。そこに付き合ってくれているのが立澤さんで、それはありがたいことですね。
【次回、立澤愛2万字インタビューへと続く】
恐怖肯定ラジオ・ホラー愛がスギる!
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