マイ・フェア・ロード
🙏さんが24歳で🥇を取って引退後、☀️先生を幸せにする!と言ってアイスショーをプロデュースする話。
※付き合ってるふたり
※よだつかというよりほぼいのつかです、🙏さんが☀️先生のことかなり好きです、☀️先生も🙏さんのことかなり好きです。
※よだつかと思って読んでもいのつかと思って読んでもがっかりするかもしれません!
※🙏さんがだいぶ強か、とくに🦅に対して
※肉体関係はよだつかのみなので、タグはそちらしか入れていません。直接描写はないです、ていうか書けません。
こんな終わり方ばっかり!
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いのりは、世界はいまこそ我がすばらしきコーチを知るべきだと思った。
最後の現役と決めていた24歳で出場したオリンピックで、いのりは金メダリストになることができた。前回のオリンピックでは自他ともに認めるライバルの光に金メダルをとられ、そこからは全日本や世界選手権で彼女と金メダルを奪ったり奪われたりしてきた。しかし今年、悲願のオリンピックで金メダルを奪い返し、これで悔いなく選手人生を終えることができるな、と安心した。銀メダルを首に宿した光には事前に引退のことを伝えていた。そしてそのあとの予定も。彼女はいのりと勝負が出来なくなることをこころから惜しんでくれたが応援もしてくれた。ほんとうに良い友であり良いライバルを持てたと思う。しかしいのりにとってのスケート人生で手に入れた、いちばんかけがえのないものといえば、やはりコーチの明浦路司である。高校生になって初めて言えたこのむずかしい苗字を持つコーチは、いのりを世界でいちばん幸せなスケート選手にしてくれた、神様のような存在だ。彼と会ったひとの最初の印象は、熱血で良く泣き良く笑うひと、というところだろう。それは間違いではない。しかし、このひとの魅力といえばそんなたった3つの要素だけではないのだ。いのりは、司の踊りを見たときに、自分がどういうスケートをしたいかという方向性が明確に決まった。はじめの名港杯である。ふだんの元気な様子からは想像できない、美しく優雅な踊り。指先ひとつひとつの魅せ方を熟知している。いのりは、これを息が止まりそうなほどきれいなスケートと言葉にした。このスケートを、理想を自分のものにしたくて、現役選手の中ではいちばんステップとターンが美しい、と常に評価されるように頑張った。これだけは光にも負けない自信がいつもあった。そんな静かなゆったりとした踊りをする司は、ふだんが熱血泣き虫元気印の姿とはギャップがありすぎるのだが、いのりはそこもたいへん魅力的だと思っている。また、彼はいつでもいのりをいのりとして見てくれていた。一度もいのりのことを子どもだからと軽んじることはなかった。いつでも味方をしてくれて、いのりが選んだ道筋を隣で歩いて、先を明かりで照らしてくれていた。実直で紳士的で優しくて頼りがいがあって、おまけにムキムキで、そんな彼が常に隣にいたものだから、おかげさまでいのりは彼氏がいても続いたことがなかった。すぐに「こんなとき司先生だったらこうするのなあ」と考えてしまうのだ。24歳になったいまなら割り切っているが、一時期はなんて罪深い男なのだと理不尽があたまに過ぎったこともある。
いのりがスケートで強くなり、注目されればされるほど、コーチの司も注目される。いのりの演技中はいつも汗だくで、速報には全身で大喜び。キスクラではいのりより先におおきなガッツポーズを出して立ち上がり、固定カメラからは上半身が消えてしまう。そしてそのあとの号泣。司のその姿はカメラでよく抜かれ、そして観客の笑いをかっさらう。リプレイでは半分が司コーチが写っているのでは、揶揄されることもあった。そんなおかしな名物コーチが世間で話題にならないわけがなく、彼の日本人離れしたスタイルと愛嬌も相まって、シーズン中はSNSを中心に動画が拡散されるようになった。それと同時に、彼の異色の経歴も話題になる。14歳で独学でスケートを始め、20歳で後にカップルを組む高峰瞳の父、高峰匠に師事する。24歳のときにアイスダンスの全日本選手権で4位、そして引退。そのあと相談にやってきたいのりに才能を感じ、自らコーチとなり、オリンピック金メダリストに導いた。選手としてはイマイチだけど、指導者としては結構優秀なんだなあ。一部の古参アイスダンスファンを除いた、世間のイメージといえばそういう感じである。
いのりは、ここに一石を投じたい。司先生はコーチとしてだけでなく、スケーターとしてもすばらしいのだぞ、と。だから引退会見のときに宣言したのだ。現役を引退後、今後はなにをしたいと思っていますか?の答えとして。
「わたしは、司先生をもっと幸せにしたいです!」
逆プロポーズか?と記者たちには一気に緊張が走った。しかし、いのりは昔からたびたびインタビューのとき、「金メダルをとって、わたしも司先生をもっと幸せになりたい」「わたしが幸せになれば、司先生も幸せなコーチになるんです」「わたしが司先生を最強で最高なコーチにします」と語っていた。なので今回もその延長か……と思われたが、これは引退会見。一瞬、どういうことだと現場はザワついたが、具体的にどういう方法でしょうか?と勇気のある記者が質問をしてくれたおかげで、続きを聞くことができた。
「わたしがプロデュースしたアイスショーで司先生に踊ってもらいます!それがいまのわたしのやるべきことです!」
教え子の引退会見を脇で誇らしげに見守っていた司は、一連の流れを聞いて、泡を吹いた。
「なので司先生、わたしとアイスダンスしてください」
「そういうのって、先に本人に聞くべきだったんじゃないかなあ……?」
いのりは引退会見後、すぐに準備に入った。実はアイスショーのことは前々からまわりに話していて、出演者にも交渉済である。光やミケをはじめとした現役選手にも、いのりより先に引退した鹿本すず、岡崎いるかや烏羽ダリアなどにも声をかけていた。そして今年、いのりと同時期に引退した鴗鳥理凰にも。
「……明浦路先生が踊っているところが見れてうれしいのに、相手がいのりなんて……!」
「仕方ないよね、やっぱりカップルを組むなら〝一番弟子〟であるわたしじゃないとね……」いのりは両手を横に広げ、ふー、やれやれというポーズをする。
「おまえより高峰先生のほうがいいに決まってるだろ!」
「わたしはもう踊れないわよ~、それに比べると司くんは鍛えているからまだまだいけるしいのりちゃんはステップの技術も問題ないものね。楽しみだわ!」
「ねえ、だからそういうのは本人が了承してからじゃない?」
いのりは外堀を埋めまくっていた。オリンピック金メダリストの人脈を舐めないでもらいたい。しかし、世界に見つかって欲しい肝心の本人がなかなか了承しないのである。
「……司先生は、どうしても嫌ですか?」
司はいのりのお願いには昔から弱い。だから今回も押せばいけると思ったのだが、なかなか頷いてくれないのだ。
「……いのりさんのアイスショーという立派な舞台で、ただのコーチの俺が滑るなんてそんなの悪いよ」
これである。コーチングにおいては本人もいのりと信頼関係を築けてオリンピックの舞台に立てたという自覚はあるが、スケーターとしては未だに彼は自信がないのだ。あのスケーティング技術、そして、悔しいことに彼と懇意にしているあのひとのおかげで、ジャンプも現役に引けを取らないのに、それをどこにも証明できたことがないから、自信に繋がってくれないのである。あのひとは一体夜中のリンクでなにをしている!と、いのりはこころの中で憤慨した。
「司先生。わたしは、みんなに司先生の踊りを見て欲しいです。金メダルをとれたのは、こんなきれいに踊るひとのおかげなんだぞ、って言いたい」
「いのりさん……」
「俺もです!明浦路先生。先生が実力のあるひとじゃなかったら、俺はあの日合宿で3回転に挑戦しようって思わなかった、それどころか、スケートを辞めていたかもしれない」
「理凰さん……」
司が黙っていると、瞳が肩をたたく。
「司くん。そんなに重く考えなくていいんじゃない?そりゃあやるのなら徹底的にしばきあげるけれど、アイスショーは楽しむものよ。いのりちゃんと理凰くんは、司くんがいると楽しいって思ったからお誘いしたんじゃないかしら」
「そうです、司先生!」
「俺、明浦路先生とおなじ舞台に立ちたいんです!」
なぜかいつの間にか理凰も全力で味方になってくれたのをいい事に、いのりは司を見つめた。いのりは自信があった。アイスショーで司を幸せにできる自信が。
「……わかったよ。ふたりに恥をかかせないように頑張るね」
誘ってくれてありがとう、と、司は控えめに笑った。いのりは決意した。この控えめな笑顔を、いのりがいい演技をしたときとおなじくらい、とびきりの笑顔にしてやると。
アイスショーでは、司はいのりとアイスダンスを1曲踊る。フリーダンスと同じ長さの4分。
いのりたちは選手たちの練習の合間に瞳と洸平にコーチをしてもらうことになった。いのりにとって、アイスダンスは未知である。曲に合わせる前にまずは基本のステップの練習だ。これがまた厳しいのなんの。はじめに司には『シングルやペアとはまったく別の競技だと思った方がいい』と言われた。いのりはステップとターンには自信があったのだ、現役選手の光よりも。しかしアイスダンスに求められるものはそれだけじゃない。一回転を超えるジャンプは必要ない、頭より上のリフトも禁止、しかしその分ステップの種類がかなり多い。そして試合では決められたそのすべてのステップの技術を正確に、なおかつそこにふたりの同調性を求められる。そしてそれをすべてこなすカップルこそが美しく見えるのだ。その昔、司は実力のあった瞳に追いつくため必死に練習し、一緒に滑らせてもらうまでにだいぶ時間がかかったという。しかし、いまは逆である。司の実力についていけるよう、いのりが練習をしなければならない。ステップも覚え直す必要がある。厳しいが、嫌じゃない、むしろ楽しい。そして改めて思うのだ。わたしの先生たち、こんな難しいことをやっていたなんて、かっこいい……!いのりはもっと3人の自分の元コーチを尊敬した。
しかしさすがに引退したてほやほやのオリンピック金メダリストである。わりとすぐにものにできて、司とステップを踏めることになった。司はとても褒めてくれた。
曲はいのりが選んだ。映画『メイド・イン・マンハッタン』の劇中歌をアレンジして組み合わせたものだ。この映画は、五つ星ホテルで働く客室係のシングルマザーと、上院議員の大統領候補である男性との格差恋愛の話であった。ある日、シングルマザーの客室係は大富豪の娘が滞在している部屋の掃除中に、服を店まで返品するよう依頼される。ともに仕事をしていた同僚に唆され、出来心でその返品する予定の服を着たタイミングで、彼女の息子が上院議員の男性を連れて現れる。議員はきれいな服に身を包んだ彼女に良い印象を抱き、そのまま息子と議員の3人で散歩に出かける。議員は彼女をホテルの客室係ではなく大富豪の娘だと勘違いしたまま、ふたりは惹かれ合う。そしてなんやかんやあり、シングルマザーの彼女はバレてクビになるが、またもや息子の計らいで彼らを引き合わし、最後はマスコミたちのカメラのまえでキスをしてハッピーエンド、というわけだ。
いのりはこの映画に出てくる、ホテルの支配人の言葉に感銘を受けた。
──人生、ひとつのドアが閉じると、別のドアが開く
そのときいのりは、選手を引退すべきがどうかを悩んでいた。オリンピックが終わったら、いのりは選手として満足してしまいそうな気がしてならなかった。それが怖かった。すこしでも氷上にいたいのは変わらないが、プロになるのか、コーチになるのか、スケートは続けたまま企業戦士になるのか──そもそも、選手を辞めて、いのりは今更生きていけるのか。
そんなときにこの言葉を聞き、人生のドアはひとつじゃないということに気付いた。いのりの大好きな司だって、シングルの選手を目指し、アイスダンスの選手になり、そしていのりのコーチになった。いのりが現役選手を引退したら、またきっと別のドアが開く。人生は閉じたままではないのだ。だから思い切って引退し、いちばんやりたかったことを先にやることにした。それが司をもっと幸せにすることだった。
司は選手としてはわずか2年しか活躍していない。引退後はアイスショーのキャストのオーディションを受けては落ちてを繰り返していて、その途中にいのりと出会った。初めての全日本ジュニアのあと、いのりがまだ滑られる司の夢を終わらせてしまったと言ったが、司はそれは違うと否定してくれた。いまは子どもの頃に欲しかった理想のコーチになることが夢だと、いのりのコーチになったのは何かの代わりなんかじゃないと。そしてそのときの宣言通り、司のコーチでいのりは幸せになり、司の夢も叶った。
司はいのりに色んな景色を見せてくれた。だから次はいのりが司に色んな景色を見せてあげたいのだ。全日本でのリフトの失敗を、今度は成功で上書きしてほしい。落ちたオーディションのアイスショーより、もっとすばらしいショーを経験してほしい。恩返しにしては強引過ぎるというのは自覚している。それでも、オリンピックで金メダルをとった自分だからできることで司を笑顔にしたかった。
そして初めに言った通り、その自慢のコーチを世界に見せつけて、技術を証明したかった。だけどどうせ見せつけるのなら完璧な姿で見せたい。いのりは悔しいが、とある人物にも協力をしてもらうことにしたのだ。
司が元・教え子の結束いのりのアイスショーに出るらしい。
夜鷹はその話を司から直接聞いたとき、彼女が引退会見で言っていたことを思い出した。そう、たしか『司先生をもっと幸せにしたいです!』だ。あれを聞いたときは腸が煮えくり返る思いだった。いのりはたびたび、インタビューのときにもプロポーズ紛いのことを言って夜鷹のこころをざわつかせてきたが、司には夜鷹という大人の恋人がいるため、これは重い師弟愛、と自分を納得させていた。しかし引退会見では記者たちと同じように、今度は本気のプロポーズをしたのかと勘違いをし、すぐさま会場に飛び込みそうになったが、司をアイスショーに出したい、という言葉を聞いて腰を下ろした。それからいのりや理凰の説得もあり、司は出演することになったらしい。それに関しては夜鷹も賛成であった。あの才能を、面白熱血コーチの影に隠しておくのはもったいないと常々感じている。
それを見越していたのか、ある日、結束いのりの方から直接夜鷹の元へやってきた。
「……僕の司のことでなにか用事?結束いのり〝元〟選手」
夜鷹はいのりの実力はもう認めてはいたが、いのりが司と仲が良すぎることに関しては心が狭かった。
いのりはムッとした顔をするが、すぐにおおきく長いため息をついて真剣な顔に戻った。6秒。アンガーマネジメントをしているのがあからさまだ。
「夜鷹さんにお願いがあります」
司へのジャンプの指導か、はたまた夜鷹へアイスショー出演の打診か、とかまえていたら、いのりはひとつのブルーレイディスクを夜鷹に渡してきた。映画〝メイド・イン・マンハッタン〟。ホテルの客室係として働くシングルマザーの女性と、大統領候補の男性との格差恋愛を描くラブコメディである。
「わたしは司先生と、この映画の曲でアイスダンスをします」
ここで夜鷹は初めて、いのりと司がアイスダンスをすることを知った。司からはアイスショーに出る、ということしか聞いておらず、てっきりひとりで滑るものだと思っていたのだ。
「夜鷹さんへのお願いは、本番までに、司先生をキラキラのペカペカにして、会場中をメロつかせてほしいんです。わたしは世界に、M・O・Tをしたいんです!」
最近の若者の言葉は難しいな、と夜鷹は一瞬考えることを放棄したが、この子と同い年の光とは普通に会話ができることに気付き、「……なんて?」と一応尋ねてやった。
「つまり、本番までに司先生の荒れ気味のお肌や指先、そして髪の毛を、あなたの財力を使って、きれいにしてあげてください!」
司はいのりをオリンピック金メダリストにするために、昼も夜もない生活を送っていた。トップ選手のコーチとはだいたいそうである。睡眠は最低限、食事は倒れないようになるべく簡単にカロリーを摂れるものを、あとは彼自身の体力気力頼りの生活をしていた。その結果、ちゃんと乾かさずに放置して傷んだ髪の毛はボサボサの伸びっぱなし、肌は乾燥して荒れ気味、クマもでき、手も碌にケアをしないのでささくれやあかぎれがひどい。司は自分にはとんと無頓着である。夜鷹はそんな司も頑張っている証として愛していたが、いのりとしては、もっと輝けるポテンシャルがあるのに磨かないのはもったいないという。ちなみに、M・O・Tとは、『見なよ、オレの司を……』の略らしい。
いのりは映画のディスクを指でさした。
「そのお話の主人公が司先生だとすると、夜鷹さんはそれに出てくる主人公がきれいに変身するためお手伝いする同僚みたいな役をしてください」
「僕もアイスショー出ろって?」
「概念的な話なので出演はして頂かなくて大丈夫です」
シンデレラなら魔法使い、プラダを着た悪魔ならナイジェル、マイフェアレディならヒギンズ教授的なところですね!と、彼女はにこりとした。
つまり夜鷹自身はアイスショーには出ないが、本番までに、司の身だしなみを整えてこいということらしい。なんともいいように使われている気がしたが、たしかにダイヤモンドの原石である恋人を磨くのは楽しいかもしれない。彼はスタイルは抜群だし、自覚していないが顔も悪くない。筋肉はつきすぎているので、ついでにジャンプをするのに邪魔な分はすこし減らしてやろうと考えた。
でもひとつだけ、気になって仕方がないことがある。
「ちょっと待て。それだとこの映画の大統領候補の男や、シンデレラの王子の役はきみってこと?」
いのりはニヤッとした。夜鷹はおおきくて長いため息をついた。6秒。
自称王子のいのりのまえに、ピカピカにした司を差し出すのは腹が立つが、これもまあ概念的な話だ。概念的な王子ってなんだ、ともやもやしつつ、夜鷹はわりと楽しんだ。
夜鷹は司の午前中が休みの日に予約している美容院に連れていった。夜鷹がいつも通っているところだ。司は「いつもの床屋でいいですよ」と遠慮したが、これからはすべてマネジメントさせてもらう。
「この子の髪の毛どうにかして。ショーがあるから切りすぎないように」
「承知しました」
夜鷹の専属スタイリストのひとりである、満足させてくれるだろう。途中、司はヘッドスパで意識を失っていた。
2時間ばかり経つと、すっきりとした姿になっていた。後頭部はしっかりと刈り上がっており、前髪はワックスでかるく遊ばせたその姿は、出会った頃の司よりもすこし余裕がありそうな、言うなれば年相応の色気を残しつつ司自身の元気で活発な雰囲気に似合う髪型だった。彼に見繕ってもらったトリートメントも効果てきめん、一本一本の毛先が生き返っていた。夜鷹はこれをキープするためにヘアケア商品一式を購入し、司と帰宅した。司は「後頭部涼しい~」と感動していた。
財力にものを言わせ、夜鷹は全身のケア用品を購入した。司が風呂から上がった音が聞こえると、バスローブを着て部屋に来るよう伝える。言う通り部屋に来た司を柔らかいマットの上に転がし、直にボディクリームを塗り込んでいった。はじめは抵抗しまくっていたが、夜鷹が止めないのがわかると司は大人しくなった。しかし10分ほど経った頃、様子がおかしいことに気づいた。
「……あの、なんか、これって」
「なに?」
「……いいえ……なんでも……」
今度は反対側、と仰向けで寝かすと、理由がわかった。司のあれが、兆していた。真っ赤な顔を手で覆う。
「すみません……そんなつもりないのはわかってるんですが、生理現象というか……!」
夜鷹も男である。そりゃあ恋人にあんなことをされたらあれがこんなことになるのは当たり前だとわかる。「すぐおさまるんでしばらくほっといてください」と恥ずかしさからか震えていたが、せっかくピカピカでペカペカにしたのだ、調理した本人が頂くのはかまわないだろう。司は風呂で下ごしらえもしてくれているようだし。その日はたいそう盛り上がったが、毎日こうだと司に負担がかかってしまうので、ボディクリームを塗るのは本人に任せることにした。
美は内側から。そんな言葉を聞いた夜鷹は、司が食べるものにも気を使い、自ら料理をするようになった。味見はしたくないので、レシピを1グラムも変えずにしている。だからひとつまみや少々などの曖昧な表現は大嫌いだ。料理はお菓子と違って多少調味料の量が変わっても失敗しにくい、と知っていたので、面倒くさくなって夜鷹のひとつまみと少々は同じにした。しかし薄味の料理に司はおおいによろこび、身体が軽くなったと言っていたので問題はなかった。
「最近お通じが良いです!あといつも身体がポカポカになって睡眠の質も上がった気がします」
「そう」
夜鷹は快感を覚えていた、恋人の中身と見た目を良くすることに。打てば響く、磨けば光る、司の身体はすぐに反応を示してくれたのでやりがいがあった。司に温感クリームを使ったハンドマッサージを施しながら、夜鷹は満足気に頷いた。
司は夜鷹に磨かれることに抵抗をしていたが、「結束いのりの隣に立つのにそんなボロボロの状態でいいの?」と言えば、ハッとした顔をして、よろしくお願いします……と頭を下げてきた。この名前を出しただけですぐに従順になるのは複雑な気分だが、これで存分に司を変身させることを楽しめるというのもあり、我慢した。そうして時間をかけて、じわじわと、内側も外側も輝く、誰が見てもいい男に仕上げていった。
そして夜鷹は当日、キラキラのペカペカにした司をいのり王子に献上した。
いのりは悔しいが、内心でスタンディングオベーションをするしかなかった。
練習でほぼ毎日会っているが、だんだんと、じわじわと、司が確実に磨かれていくのを目の前で実感していた。
カサカサだったお肌はしっとりと艶肌に、たまに血が滲んでいた唇はプルプルに、太眉はかたちが整えられ凛々しくなり、しかしきらきらしたおおきな目はそのまま優しげで、親しみやすさが出ている。身体は、腰から下の細さはそのままに、胸まわりの筋肉だけがすこし減っていた。リフトをするから絶対に筋力は落としたくない、とのことである程度は残っているが、全体的に引き締まっていて、モデル体型というやつになってしまった。いのりは、おおきなムキムキほかほかの司が大好きだったが、これはこれで色気があって……ぐぬぅ……と唸った。睡眠の質が上がったのかクマもなくなり安心もした。練習中に繋ぐ指もささくれがなくなり、手は常に吸い付くようなしっとりした肌になり、密着するあたたかい身体からはいつもあまくて爽やかな、よい匂いがする。練習着に着替える前の私服も、いつのまにかお高そうな黒をベースとしたシンプルな服装になり、アクセサリーのひとつもつけていないのに海外ファッション雑誌から飛び出してきたような装いになった。これには瞳と洸平も、「なんか最近、司くんかっこよくない?」とそわそわしていた。同時に「わたしたちの、おれたちの弟が……遠くに……」とさみしそうな様子でもあった。
いのりは、真剣な様子で自分たちの演技をタブレットで確認している司の横顔を見た。静かにしていると怖いくらいに綺麗だ。見られているのに気付き、顔を上げていのりと目を合わす。やさしい黄色のひとみは、出会ったときからずっと変わらなくて、いのりのこころに安らぎをもたらした。
「いのりさん、ほんとうにステップが綺麗になったね!」
さっきの冷たく怖いくらい綺麗な顔とは一変、さんさんと輝く太陽のような笑顔だ。いのりは「これこれこれ!このギャップを、世界に見てほしいの……!MOT!」とこころの中で叫び、口では「やったー!嬉しいです!」と喜んだ。
それにしても夜鷹純はおそろしい男だ。ここまで司先生の魅力を引き出せるなんて……!嫉妬と感謝でどうにかなりそうだった。
そしてアイスショー当日、前日に髪の毛を整えてきたのであろう献上された司を見て、キラキラペカペカだー!と叫んだ。
今日まで早かったなあ、と司は思う。
教え子がオリンピックで金メダルをとり、引退会見でアイスショーをプロデュースする、そこに司を出すと宣言し、説得され練習が始まり、夜鷹に身だしなみを整えられ、いまから本番。元教え子は成長も外堀を埋めるのも爆速いのりであった。いつ接触したのかわからないが、いのりに頼まれた、と恋人である夜鷹は司の身の回りの世話を焼き始めた。初めは正直居心地が悪く逆に不健康になりそうだったが、本人が楽しそうなのと、思いのほかテクニックがあり(変な意味じゃないマッサージのことだ)、司はすぐに夜鷹に身を預けることになった。あの夜鷹が料理をしたなんて言うから絶対に残すわけにはいかないし、愛情も栄養分もたっぷりで美味しかった。そして気付けばまわりから「最近なんか垢抜けたね」と褒められるようになり、特別席のチケットを渡しに加護家を訪れたときは「いまの司くんは穴の空いた靴下はさすがに似合わないね」と感心された。以前は似合っていたのだろうか。自分ではよくわからないが、夜鷹のおかげで健康的になり見苦しくない見た目にはなったのだろうな、と納得しておいた。
いのりとの練習の日々は楽しかったが、不思議な経験もした。毎日滑っていると、自分が選手に戻った心地になり、ときどき、自分には時間がない、今度こそ証明しなきゃ、まだここにいたい、という焦りが司を追い詰める。しかしいま組んでいる相手は瞳でなく、元教え子のいのりだ。司に焦燥感が襲うたび、ホールドをしている相手を見る。そうしたらいのりが「たのしいですね、司先生」とほほえみかけてくれて、現実に戻る。そうだ、俺はもう選手じゃない。選手じゃないけど、もういちど、この元教え子が引退したあとに俺をここに連れてきてくれたのだ。まるで「好きなだけここにいていいですよ」と伝えるよう、いのりはぐっと司の手を握った。
不思議なことに、いのりとのユニゾンは上手くいった。アイスダンスはまるでひとりで滑っているかのように一体化する。呼吸のタイミングまでそろう。相手がなにを考えているのかわかる。シングルでずっと活躍してきた彼女とはカップルを組んで一年も経っていないのに、時間もかけずにそんな相手になった。まるで10年以上、ともにやってきたかのよう。それを聞いたといのりは、こころから嬉しそうに笑ってくれた。氷上でのリフトは、正直に言うとはじめは怖かった。また失敗してしまったら、大事なパートナーに怪我をさせてしまったら。しかしいのりが、司先生なら大丈夫、と信じてくれたのでタイミングを合わせて持ち上げた。そしていける、と確信してそのままローテーショナルリフトにもっていく。いのりは「楽しい~!」とキャッキャと明るい声を上げている。瞳がリンクサイドで「いまのはレベル取れるわよ~!」とおおきく叫んだ。
「司先生」
走馬灯のように練習風景を思い出していると、となりにいるいのりが声をかけた。本番前だ。いまは、彼女が呼んだ子どもスケーターたちが踊っている。きらきらした照明がこちらにまで漏れていて、この場にいるのが夢のようだった。会場はこのうえなく盛り上がっている。
「いのりさん」
「緊張してますか?」
それはそうだ。せっかく、いのりが用意してくれたとびきりの、すばらしい舞台。こんなチャンスは二度とないかもしれない。試合じゃないからと、失敗してしまったら。顔に出ていたのか、いのりが司のほほを伸ばす。
「いのりひゃん」
「司先生、来年はマイ・フェア・レディがしたいです」
来年?そのとき、ふたりの名前が呼ばれた。いのりに手を引かれ氷上へ。エキシビションみたいな照明と歓声。エキシビションみたい、といったが、もちろん自分は経験したことがない。いのりが滑っているのをいつも眺めていたのだ。いのりは、夜鷹は、上位選手たちは、いつもこんな風景を見ていたのか──。
リンクの中心でポーズをとる。曲がかかる前のわずかな空白に、いのりは「たのしみですね」と目を細めた。それはスケートを始めたばかりの彼女と、おなじ顔だった。
司は、そうだ、楽しもう、とこころが軽くなった。
──フィギュスケート女子シングル オリンピック金メダリスト・結束いのりがアイスショーをプロデュース。名物コーチとアイスダンスで魅せる。
そんな記事を読んだ世間のスケートファンは「いのりちゃんのアイスダンスも見たいなあ」「光ちゃんも出るし!」「理凰くんもいるじゃん」といった具合であった。名物コーチ、の部分には「ああ、アイスダンスの選手だったもんね」といった感想だ。そしてほとんどは「いつもみたいに元気な感じでダンスをするんだろうな、そして終わったら号泣するんだろう」という予想を立てた。
その予想を裏切る演技を、ふたりは見せつけた。リプレイでよく見た両手をぶんぶん振り回す元気印のコーチはどこ?ていうか司コーチめっちゃうまくない?印象違いすぎない?あとなんかキラキラペカペカしてない?
そして古参アイスダンスファンはドヤ顔をした。特に、振付が瞳だと知っているひとつかファンは声高に叫んだ。いのつかもいい!瞳ちゃん、ありがとう!
いのりはいま、自慢のコーチを見せつけていた。映画の冒頭と最後に流れる曲がかかっている。歌詞は「生まれ変わる新しい私を見て!」と訴えている。
もうすぐリフトだ。これの練習のときだけでなく、司はときどき、教え子だった以前のいのりには絶対にしないような、不安で切羽詰まった表情をすることがあった。無意識にいのりをもう自分の生徒じゃなく、ひとりの大人として見ていたのだろうか。もしそうだとしたらよろこばしいことだ。これからはプロのスケーターとしてどんどん頼ってほしい。シングルの生徒の指導にだって役立てる。スポンサーだってたくさんついてくれているから、こういうかたちで、あなたを好きなだけ氷上へ連れてゆける。そのとき、司がいのりの腰を持ち上げた。いのりもタイミングを合わせて身体を上げる。リンクの端から端へと回転しながら移動する。楽しい~!いのりは声を上げそうになったがなんとか我慢した。流れるような動作でいのりを降ろすと、すぐに司がリードを始めた。楽しいのが終わっちゃう、4分ってなんて短いんだろう!
演技が終わると、会場は割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。ふたりは、いのりが金メダルをとったときと同じ、いちばんいい、とびきりの笑顔になった。
関係者席という名の特別席で夜鷹はアイスショーを観覧していた。練習風景は一切見ておらず、リハーサルにも出なかったため、ふたりの演技を見たのはこれが初めてだ。
全日本で見たあのときより、さらに綺麗になったと思った。見た目だけでなくスケートが。終わったあとの歓声を聞いて、司が評価された満足感と、余計なことをしてくれたな、といういのりへの嫉妬。できれば自分がやりたかった、というのが本音だ。しかしいままで彼を表の世界に引きずり出さなかったのは、現役選手の結束いのりが彼の生徒だったからだ。いのりが選手である限り、彼は絶対に表には出ないだろうとわかっていた。それなのに、その本人が引退した瞬間に出し抜かれるとは。こんなことなら待つんじゃなかった。彼を磨き上げて献上したときのいのりの反応は見ものだったけれど。
観客の声が聞こえる。「司先生、あんなにも上手だったんだね」「ていうかイケメンじゃなかった?」「整えたらあんなにも格好いいんだ」「演技の最中の顔と終わったあとの挨拶の笑顔のギャップがよかった」
ふん、そうだろう。夜鷹の気分は上がり、同時に、きみたちの知らない司を僕はもっと知っているけどね、と誰に対してかわからない謎のマウントをとった。
全プログラムが終わり、出演者たちはメディア用にインタビューをされている。司は自分も必要かな、という顔をしているが、夜鷹から見れば今回のインタビューのメインは司だろうな、というのが目に見えてわかった。
「そして、今回はなんといっても司コーチに注目でしたね!」
「えっ!?あ、ありがとうございます!」
急にふられ、めんくらっている。感想を訊かれいつものようにいのりの素晴らしかったところを力強く語り、会場を笑わせていた。
「結束さんはいかがでしたか?」
「わたしはアイスダンスをするのはもちろん初めてだったんですが、瞳先生を初めとした──」
いのりが感想を言って、そこに、司への感謝の言葉を添える。そしてそれに司が泣く。いつも通りの、いのりの演技が終わったあとのインタビューだった。そして、最後にいのりが胸をはった。
「わたしはこれからも、わたしの司先生を世界に自慢し続けたいです!」
「い、いのりさん……」
司は困ったような、恥ずかしそうな顔をして笑っていた。夜鷹はそれを見て、以前いのりとした会話を思い出して舌打ちをした。司をキラキラのペカペカにして欲しい、と言われたときである。
夜鷹は、なぜ司にアイスダンスをさせるのだといのりに確認した、彼がいまは高難易度のジャンプも跳べることを知っているはずなのに。
『アイスダンスの元選手の司先生だったから、わたしがオリンピックに出られたというのを見せたいんです』
そりゃあ、ほんとうは先生が難しいジャンプも跳べるというのも見せたかったですけど……それは来年とかで……でも司先生の指導は誰にしてもらおう……と、いのりは唇を尖らせていた。
夜鷹は、ジャンプも跳ばせられないのに彼は満足するのかな、と呟いた。するといのりは険しい顔で言ったのだ。
『……それなら、あなたが司先生を幸せにしてみせてくださいよ、夜鷹〝元〟選手』
いのりは決意の顔をしていた、オリンピックの金メダリストだからできることで、司を笑顔にしたいと。オリンピックの金メダリストというのはネームバリューがすごい。アイスショーをやるよ、とひと声かければ、出演者もスポンサーも集まってくる。いのりはそれを指していたのだ。そして夜鷹だってそれを経験している。ただ、自分にはそういったものは向いておらず競技以外でひと前で滑るのは嫌だった。夜中にひとり、ひっそりと氷の上にいたかった、それだけだ。いまはそれが二人、たまに慎一郎を入れて三人になったけれど。
夜鷹は有言実行の男である。だから、いまから言うことは絶対にやる。なにか不満があれば、発破をかけにきたとなりの結束いのり元選手にぶつければいい。
穏やかにインタビューを受けているふたりの方向へ足速に近付く。途中で「あれ夜鷹純に似てない?」「まさかあ」という声がしたが振り向かなかった。インタビュアーが「おふたりはアイスダンスで競技復帰の可能性も?」と尋ねる。いのりが「わたしは司先生がいいのならいつでも!」と答えたあたりで、司は近付いてきた夜鷹に気がついた。
たしか、いのりに渡され一応見たあの映画は、記者たちのまえで、大統領候補の男と主人公はキスをするエンディングだった。夜鷹は主人公の同僚Bで終わるつもりはない。
「あれ、夜鷹さ──」
言い終わるまえの司の唇に噛み付いたら、会場の喧騒が止み、時が止まった。そしてそのあとに絶叫。
うるさいな、と目線を動かし彼の頭越しに目が合った光は呆れた顔をしている。これやらかしたかな、まあいいや。唇を離すと司はまだなにが起きたか把握できていないようで、笑顔のまま固まっていた。いのりも司とおなじ顔をしている。この師弟、いやいまはカップルは、反応が似ていてこういうところもまったく気に入らない。
「……いいいいいいま、つか、せ、の、くちびるに、ぷるぷるの、つやつやの、」
「いのりちゃん落ち着いて!ただのいつものイチャイチャの延長だよ」
ようやく声を出せたいのりが光に背中をさすられているのを無視し、変な表情のインタビュアーに顔を向けた。
「明浦路司コーチは来年、夜鷹純プロデュースのアイスショーに出るって書いといて。3……いや、4回転ルッツ跳ばすから」
ああ、カメラもあるんだっけ。と、レンズにも目線をやる。
「なんだったか……見ろよオレの司を、だっけ」
棒読みにもほどがあるな、と自分でも思ったが、これで宣戦布告になっただろうか。
後ろでいのりが「だから!私んだよ!!あと見なよだよ!!」と地団駄を踏んでいる。そしてやっと正気に戻った司が、誰よりもおおきな声で絶叫した。
翌日、「三角関係!?オリンピック金メダリスト二人が名物コーチを奪い合う」という記事が司のスケーティング技術とともに広まってしまい、司は頭をかかえた。
☀先生大好きマンな🙏さんが大好きです!20歳は🐺ちゃんが金メダル、24歳で🙏さんが金メダルという設定が私も大好きなので嬉しかったです。 ☀先生をもっと幸せにしたい。24歳の🙏さんは頼もしさしかなかったです。これからも☀先生をよろしくお願いします…