要約すると、何かが起こった時に、自分とは違うと切り捨てるのではなく、自分の延長の出来事と想像力を巡らせることが大事という話と、受け取る側は暴力性を伴う表現にふれることで救われてきたことは結構あるけど、表現者側の負荷を鑑みたことってなかったよなっていう話。
GEZANの件。残念だしあっちゃいけないことだし、発表の仕方も暴力的だと思うけど、暴力性を秘めてる人がつくる音楽だからみんな惹かれるのも事実だよなあ。
そして音楽リスナーって、そういう創作を享受することで、自分の暴力性が表に出ないで済むみたいなことって少なからずあると思うんだよね。