「社会そのものがデザインでできている」――クリエイター・佐藤可士和の整理し続ける人生
事務所も自宅も整理されている。椅子を使った後は、等間隔を測る定規できっちり間隔を整えるそうだ。 「定規を導入したほうがあっという間にできるので。妻には『完全に奇人だ(笑)』と言われましたけど(笑)」 そんな佐藤家も、子どもが小さい頃には散らかったという。 「子どもの部屋はエントロピーが増大しまくるわけです。僕がおもちゃを片付けたところで、無駄な行為なんですよね。整理できないこともあるんだな、とよく分かりました。だからまあ、なるべくできる範囲で。散らかっているからといって、怒ったりはしないです。整理されている状態が正しくて、そうじゃない状態が間違っているわけではない。僕は整理された状態が好き、というだけなんです」
モノクロの高校生活がビビッドになった瞬間
東京都練馬区に生まれ、建築家の父が設計した家で育った。家には製図板や画集、色鉛筆があり、きょうだいで「建築家ごっこ」をして、架空の家を考えた。専業主婦の母は「スーパーポジティブ」で、自身の性格も影響を受けていると語る。 2、3歳の頃から、絵を描くことが好きだった。 「ノートとか机とか、なんでも描いてしまって。母が『待って待って』と言って紙を用意するので、紙を『マッテ』というものだと思っていました。いたずら好きで、両親からは怒られまくっていましたが、絵を描くことは一回も止められなかった。好きなだけやらせてくれましたね」
幼稚園の時にはすでに才能の萌芽が見られた。 「年長の頃にト音記号を描く課題があって。すぐに描けて、線で分割されているところに色を塗ったりしていたら、先生に『素晴らしい』と褒められたんです」 中学1年の時、近所の絵画教室に通い始める。東京藝術大学の学生が教える教室で、「藝祭に遊びにおいで」と言われ、一人で学園祭へ行った。父の勧めで剣道部にも入ったが、高校時代にやめる。 「高校はつらい時期でしたね。剣道は練習がきつすぎてついていけない。男子校だから女の子もいなくてつまらない。勉強も面白くない。『大学受験どうしようかな』と友達と話していても、どの学部も行きたい感じがしなくて。不思議なことに、あれだけ好きだった絵が進路とは結びつかなかった。それが今でもヒヤヒヤするところで」 たまたま席が隣になった友人に「美大とか受けないの?」と聞かれたことをきっかけに、美大受験予備校の講習へ。 「石膏像のデッサンを初めて描いて、こんなに面白いことがあったんだ!と。3時間が30分くらいに感じられて。モノクロームだった高校生活がビビッドになった。朝9時に家を出て講習に行き、お昼に戻ってきて母親に『俺、美大に行ってクリエイターになるから』と」