レッツダンスファーストカンファレンス
大注意:60話を含みます、保護者さんは出てきませんがやなやつ描写があります
本誌どうでしたか皆さん大丈夫ですか?わたしはだめです ウー
沢山捏造、☀を贔屓、許してください
原作軸未来時空、やることやってて(今は)デキてるか微妙なよだつか、☀に引き抜きの話が来たよ!(断った)
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「では、第一回、司くん会議をはじめます」
咳ばらいを一つして、高峰瞳は宣言した。
JGPFの成功をきっかけに、結束いのりは大いに世界に知られた。
彼女がスケートを本格的に始めたのは11歳であるという事実はスケートファンを驚かせたし、
その驚きように、それってすごいことなの?とスケートに興味のなかった層も目を向ける。
出遅れてのスタート、
一般家庭の、
短期間で開花、
しかも四回転を跳ぶ!
スケーティングもレベル4!
結束いのりには、語るべき要素が多かった。
うっかりや失言等も含めて「天才」や「奇跡」や「努力」等のタグをベタベタ貼り付けられた。
その視線は彼女のいつも傍らにあったコーチ、明浦路司にも向けられ始めた。
彼のオーバーリアクションがビジョンに大写しになった時の画像が引用されたのがきっかけだ。
それから、いのりはしきりにインタビューで、「司先生」と口にする。
いのりなりに、ここに来られたのは自分の力だけじゃない、司先生があってのこと!という気持ちでだ。
2分のインタビューでなんと6回も「司先生」と言ったことが朝のほのぼのニュースに取り上げられ、
それ以降いのりのインタビューには『司先生カウンター』なるものが表示されるようになった。
結束いのりちゃんって知ってる、天才少女の子でしょ、
『司先生』の子だ!
だが、人の印象というのはコントロールできるものではない。
昨日まで人気者だった人が、一瞬で全ての評判を失うどころか、反転して襲い掛かってくることだってある。
SNSによって加速して、加速しすぎて、一億層コメンテーターになってしまった、これじゃ失業だ!と茶化しながら危惧するコメンテーターも居た。
結束いのりが着目されつつある中、誰もが知るとある海外の元金メダリストスケーターは、いのりを絶賛した。
『幼少期から始めないと勝てないという負の神話を打ち破る、彼女は希望の子』
ここから、彼女は興奮のあまりSNS向けに普段使っている英語ではなく、母国語で続けた。
『彼女のクラブは決して強豪ではなく、むしろアイスダンスが主らしい、環境だけがすべてではないと、彼女は証明した』
『彼女の信頼するコーチは実績がないというが、培った信頼関係はそれを凌駕した、なんて素晴らしい』
とつづった。
SNSの翻訳機能はまだまだ未完成なところがある。
どこか、
『恵まれない環境で彼女はしなくてもよい努力を強いられた』
『経歴のない素人コーチであっても、うまくやって、すばらしい勝利をした』
のような色で受け取られるフシもあった。
多くの人は別に自分に損があるニュースではないので、気軽に受け入れる。
へー、
いのりちゃんのクラブってあんまり強くないだ、
天才少女を育てたコーチ、全然実績ないんだ、へー
二人で一緒に頑張って優勝したんだ、おめでとう~
だが、それが悪くはたらくこともあった。
とある大会で優勝したいのりは、
『現在、結束いのり選手は決して恵まれた環境とは言えませんが、今後も移籍の予定はないのですか?』
と質問された。
例の元金メダリストスケーターのSNS発言からずいぶん経ってからのことだった。
本当にあれが種だったかすらもわからないが、こうして芽となり根も葉もあるように受け取られてしまっている。
いのりも司も、インタビューが弱点だという事はJGPFでよくわかったので色々準備して来ていた。
こういうことを言われるようになるかも、と思ってはいたものの優勝のタイミングで聞かれるとは思ってもみない。
いのりはきょろりと大きな目を動かして、懸命に言葉をひとつひとつ絞り出す。
「えっと、移籍とか、そういうのは、お母さんと、司先生と、色々な人と、相談して、判断を、します」
このインタビューの映像を後から見たヘッドコーチの高峰瞳は『エライ!』といのりを褒めた。
以前のいのりであれば何を言われたのかよくわからないまま怒り出したりしていただろうから。
これは判断の保留ができた、といういのりの大成長である。
「失礼しちゃう!とはいえ、ちゃんとお話ししようね!」
瞳はいのりの手前、怒って見せた。だが、まあ、言われること自体はおかしくはないと冷静なところもある。
もともとルクス東山FSCは強い弱いで言えば、パッとしないクラブだったといってもいい。
元オリンピアンだった高峰匠がヘッドコーチを引き受けず、結果、その娘の高峰瞳がヘッドコーチをしている。
押し付けられたのよ、なんて瞳は笑ってはばからない。
高峰瞳の分け隔てのなさや『楽しさ』を押し出した指導は高評価だが、この評価をありがたく受けつつも、正直に言えば瞳は鵜呑みにしていない。
なぜなら、今も生徒の親の多くは瞳のファンだからだ。
クラブに入る前の面談でだいたいわかる。
瞳が決して口外しない脳内リストに、生徒の親が自分のファンかどうかリストがある。
言うまでもないことだが、自分のファンに対して特別な指導をするためとかではない。
評価されているのは指導方法や成果ではない可能性がある、という一つの指標だ。
幼少期から高峰匠の娘として、そして、アイスダンス界のトップを走り続けた元選手として瞳は評価に慣れている。
高評価に慣れているという意味ではなく、評価というのはたやすく移ろうものであると理解している。
瞳が絶対忘れないからな、と思っている一つに、スケート始めたての時に『親の七光』というような発言をしてきたやつが、数年して、幼少期から瞳さんの才能は突出してましたみたいなことを言っていたなんてのもある。
面談の席で、いのりの母のぞみは激怒していた。
「環境が恵まれていないなんて思っていません!」
「いえ、こういう話ってどうあったって出ちゃいますから!いのりちゃん、あそこで答えを我慢したのほんっっとに偉かったですよね」
「それはもう!」
「いのりちゃんはもう注目選手でもありますし、定期的な見直しは大事ですから。……司くん、聞いてる?」
「あっえっ、ゴメン、」
「その顔、まーた俺に実績がないせいでとか思ってるわね」
「ヴ」
「まったく!トコトン話するわよ!」
「は、はぁい……いのりさんは?」
「まずは大人!」
「第一回、いのりちゃん会議!」※全然第一回ではない
というわけで、移籍について、何度も話し合いをした。
いのりは『固執する』気質がある。なので、ルクスにこだわり過ぎてしまう可能性というのがあった。
司はこう言った。
「いのりさんにはたくさんの選択肢があるんだよ!その選択肢について、俺達は何度も説明する、そして、いのりさんは自分の思う道を選んでいいんだからね」
「――司先生は?」
「これは、いのりさんの道だよ。でも、「俺は大丈夫だから!」って言ってもいのりさんは考えちゃうよね、だから、納得いくまで考えていいし、今すぐ選べって言わないからね」
納得いくまで判断の保留もできる。
司は過去いくつもの選択を間違えて来た自分の経験を活かせるとしたらここだな、と少し苦笑した。
「俺はもう、コーチだよ。いのりさんが手を離しても、コーチでいられる人間になった、いのりさんが俺をコーチにしてくれたから――」
少し鼻にかかった声で、司は笑った。
「俺をコーチにしてくれて、いのりさん、ありがとうね」
「先生……」
瞳も、のぞみも、ぐっと目頭が熱くなった。
のぞみはいのりがどれだけ満たされていなかったかを知っているし、瞳は司がどれだけ拒まれていたかを知っている。
「はい!考えて決めました!移籍しません!私はルクスに居ます!先生といっしょがいいでーす!!」
「じっくりゆっくり考えてねって俺言ったよね!!?」
「考えましたー!」
「いのり!」
なので、結束いのりの移籍についてはヘッドコーチの瞳からこのように回答した。
「いのりちゃんの移籍についてですが、今回のことで彼女がどれだけ皆さんに愛されているかを改めて知る機会をいただけたこと、ありがとうございます。いのりちゃん、結束いのり選手は話し合いの結果、今回は移籍しない判断をいたしました。私達はいのりちゃんや生徒さんに今後もできるかぎり多くの選択肢を用意したいと思っています。たとえそれで移籍だったとしても、将来オリンピックで金メダルを取れる選手になってもらう事の方が大事です。あっ、ルクスへの入会は随時受け付けておりま~す」
軽やかに華やかに元お姫様はひらひらと締めくくる。
「はー疲れた!」
「瞳ーちゃん、今日なんか顔が違くない?」
「勝・負・メ・イ・ク!!洸平くんそういうところほんっっっとにデリカシーないわね!だから『珠那くんのがまだ優しい』とかいってフラれるのよ!」
「えっそんなことあったの洸平くん」
「そ、そこまでいわなくてもいいだろ!」
「悔しかったら左手の薬指に指輪してごらんなさい!」
ともあれ、これで解決、と思いきや。
「瞳先生、電話でーす!いのりちゃんに次シーズンぜひ来てほしいって……スカウトが」
「引き抜きだ!?」
「なんでそうなるのよ!!」
へー、結束いのり、『今季はルクス』で、『次回は未定』で『移籍も視野』で『ルクスもスカウト容認』なんだ。
こういう捉え方をされるのもまた、SNSというやつである。
ちなみに名古屋のクラブからの打診はなかった。
いのりは11歳の時にスケートをやりたいと言い出し、母のぞみに連れられて名古屋じゅうのクラブを巡った過去がある。
そして方々で断られ、ほとんど最後にルクス東山へたどり着いたためだ。
そんな中でスカウトを申し込んできたのは関西の強豪、京都蓮華茶FSCである。実力のある生徒を、実力のあるコーチが、恵まれた環境で育てる。まさしく王道。しかも、名古屋から京都、1.5時間。ギリ通える。
さらに、
「えっ、俺も?」
しかも、『明浦路司も一緒』にだ。
さらにさらに、
『なんなら、司先生だけでもええよ~』
「エ!!??」
電話で連絡してきたのは蛇崩遊大だ。
これはものすごく司も驚いた。蛇崩は、司先生電話でも声デカいなあ、とまろやかに笑う。
蓮華茶FSCはスター選手である鹿本すずをはじめとしてかなりの大所帯で、しかも強い選手が多いためコーチはそちらに手を割きたい。幼稚園生などの初級勢を教える人手はぜんぜん足りないのだという。
亀金谷はいのりだけでもよいと言ったのを、蛇崩がぜったいぜったい司先生も要る!と強弁した。
『いのりちゃんを欲しがったのはうちのオッサンな、でも』
「でも?」
『俺がオッサンに言ったんや、いのりちゃん、俺やうちのコーチが教えてもあんな伸びんのとちゃうかって』
「そんな、いのりさんはどこでも」
『いーや、……これは自慢やけどな、』
やけにつよく、イーと蛇崩は言い切った。
「はい?」
『うちの絵馬な、俺やなかったら無理やったって言ってくれたんや。もちろん生徒のそんな言葉にオトナが甘えたらアカンって思うし、絵馬がどこへ行っても俺じゃなくても最強になれる器やとも思ってる』
ゆるーく、まったり、を信条とする蛇崩にしては熱のこもった口調だった。
どちらかというと彼の本性はこっちなのかもしれない。
『でも、相性っちゅうもんがあるやろ。俺と絵馬のコツコツは相性がよかった、ほんで、司先生の納得するまでトコトンって姿勢と、納得しないと動かへんいのりちゃんは相性がええやん』
「――」
『司先生にはその技術があるし、うちの子ぉはみんな向上心の塊さんばっかりやから司先生の厳しい指導でもイケるやろ、けど、いのりちゃんが納得するまで説明する余裕はうちにはあるとは言えへん』
「……」
強豪蓮華茶はスカウトをしなくても強い選手が毎年入ってくる、足りないのは育て側だ。
蛇崩遊大はなんとなく、司を元気づけてやりたいという気持ちがぼつぼつ育っているのを自覚してもいた。
誰より熱心で、どう伝わるかをいつも考えてて、導くことに喜びを感じている、いまも磨き続ける技術をもったこの男がいつまでも自分なんかをしているの、腹が立って。
お前がドヤってくれないと俺らが立つ瀬ないやんけ!
さっそく休憩室で、司は小さな声で、蓮華茶からスカウトが来たことをいのりに告げる。もちろん事前に瞳やのぞみに共有済みだ。
「蓮華茶FSC!?」
「しーっ、そうだよ、蓮華茶FSC、京都のクラブだね、鹿本すずさんや大和絵馬さん、子出藤三兄弟いの……」
「わーっ!すずちゃんや絵馬ちゃんのクラブだ!」
「しーっ」
なんか有名選手みたい!
正直いのりはちょこっとだけ心動かされた。
いのりは分け隔てのない絵馬が特に大好きだから。しかも司も一緒!
「京都なら名古屋からでも通えるね、新幹線だけど……」
だけど片道新幹線で1.5時間強+もろもろの移動と聞くと、いのりにも現実が見えてくる。
そのぶん氷に乗りたい……という気持ちで、わかっちゃいたけどお断りになった。
「蓮華茶のクラブ、司先生も一緒にって言ってくれたから好きです」
「すっごく忙しいみたいで、俺だけでも下働きに来てくれ~~って感じだったよ」
勿論これは蛇崩の茶化した言いかただったし、司もそれを理解しているが。
「つかさせんせいだけ……?」
「ん?」
「わたしをおいてつかさせんせい」
「アッそういうこと!?行かないよ!!行かない行かない行きません!」
「ほんとうに……?」
「俺は!いのりさんが望む限り、いのりさんのコーチだよ」
「わーい!」
ここでひとつ、いのりはとってもささやかだがよくない学習をした。
皆が欲しがる司先生は、わたしのものなんだぁ……♡
「私のはぜーんぶお断りします、でも、司先生へのスカウトが来たら、教えてくれますか?」
「うん、いいよ!ちゃんと報告するからね」
いやあ、それにしてもダメモト込で色んなクラブからのスカウトがあったな。
北は北海道、南は九州まで。
いのりだけ欲しいというクラブもいるが、いのり+司セットで欲しがるところも多かった。
まだ人数の少ない、設立から歴の浅いクラブが手っ取り早くスター選手と指導者をまとめて獲得したいのだろう。
福岡のパーク福岡FSC布袋野などは、どうせ司先生も月2回指導に来るんだし、という変則技で声をかけて来た。
更には、
「か、海外!?」
「そうよお、すごいわ、タイのクラブよ、例のエビの子がいるクラブ……」
「おお……いのりさん、すごい!」
だがいのりはルクスから移る意志はない。まあしばらくしたら落ち着くだろう。
が、妙なことになって来た。福岡のクラブが司の出張指導を受けていることが知られるようになってきてからだが、
徐々に司単体の移籍勧誘、もしくは出張指導申し込みも増えてきたのだ。
「……なんか、司くんモテ期……?」
「あはは、いのりさんの移籍の話だったのになあ」
「司くんの価値に皆が気づいたって事じゃない?いいことだよ!」
「洸平くんありがとう!まあ、俺は実績がないなら安く使えるだろうって事じゃない?」
「悲観的過ぎる……」
なんてのんきなことを言っていた。瞳も洸平も、司の俺なんか、が抜けてきたらいいななんて。
「司先生!スカウトきましたか!?」
いのりは移籍しないと決めたし、司は自分を置いてどこかへ行くつもりもないって言うし、気楽なものだ。
「ないよ、毎日は来ないよいのりさん」
「絶対絶対、どこにもいかないでくださいね」
「うん、俺はここに居るよ」
「わーい」
瞳も洸平も、司も、そのいのりの笑顔が嬉しかった。
が。
なんか最近、うちのクラブの雰囲気が悪いぞ?瞳は敏感にそれを感じ取った。
贔屓目を差っ引いても、ルクス東山FSCは生徒の仲は良く、保護者の空気も悪くない。
もうずいぶん昔、いのりと司が入った時に少し、贔屓の気配にピリついたのはあったが、それもしばらくして落ち着いたはず。
なんだ。これはどういうことだ。だがここで自分が動くのはかえってよくない、と瞳はわかっている。
そこで瞳がとった手は、
「ナッチン先生~、ちょ~っと『雑談』しません?」
「おっ、『雑談』いっすね~」
雑談である。
侮るなかれ、雑談を。
グラビティ桜通FSCヘッドコーチ、那智鞠緒を瞳はちょっと離れた店に誘った。
司が鴗鳥慎一郎から聞いたといううかり屋という甘味処である。
情報量がわりに黒蜜きなこパフェをおごり、瞳は説明した。
「――という訳なんです、なーんか最近雰囲気悪くって、ナッチン先生、なんか感じたりしません?」
「あ~~~」
ナッチンはスプーンを握ったまま呻いた。
「生徒ひとりきりのウチがいうのはなんなんですけど、ルクスって基本、仲いいですよね」
「なるべくそうしたいって、思ってるのよ」
「外部のアタシから見てもそうだと思います、ウチのミケ太郎も混ぜてくれる時に生徒さんだけじゃなくて親御さんも優しいし」
でも、と鞠緒は一つ区切った。慎重に。
「……んでも、なんか、親御さん、司先生に対して一部当たり厳しい、く、ないですか~~?って思ったり……」
「……」
「ややや、最初は男先生に厳しいのかな~~って思ったんですけど、新しい洸平先生には全然そんな感じないってーか、大歓迎っつーか」
侮るなかれ、雑談を。
グラビティ桜通FSCは名城クラウンから独立したクラブだ。ルクス東山とは同じリンクをホームにしているという間柄である。
名城クラウンとグラビティ桜通が親戚なら、ルクスはご近所さんという感じだろうか。
「……それは、事実、そうなのよ、ナッチン先生」
「や、そうでしょうねえ……アタシにも優しいぐらいなのに、だから、」
明浦路司先生にだけ、厳しい。
瞳はため息を飲み込んだ。ニコッと唇のはじを吊り上げて笑う。
「自慢みたいに聞こえるかもしれないけど、私、全日本で台落ちしたの1回だけでね。それも引退の年……」
「あ」
ナッチンはぎくりとした。
ナッチンはシングルのスケーターだったが、彼女だってアイスダンスで高峰瞳がどれだけ有名だったかは知っている。
明浦路司が最後のパートナーで、結果を残せなかったことも。
「魔性の女なんて呼ばれてて」
「ましょうのおんな」
「パートナーとっかえひっかえで、それでも台乗りする魔性の女……すんごいイメージだわ我ながら」
瞳は自分が頼んだ蜜豆をひとさじ、口に運んだ。
赤えんどう豆は噛み締めると、アルミホイルを噛んだ時みたいにツキンとするから苦手だった。けどなんだかあえて頼んだ。
やはり、ツキンとする。
「引退の年に、最初で最後の台落ち。それがぜーんぶ、司くんのせいってことになっちゃってるというか……」
「……」
二人で一つの作品を作り上げるというのは、鞠緒からは想像もつかない苦労だ。
鞠緒は優秀なスケーターだった、天才と呼ばれもした、でも、誰かと同じことを同じように、そして引き立て合うように滑る事はできる気がしない。
二人で作る掛け算のような奇跡が、その失敗がひとりのせいになってしまうというのは、
「いや、こっっっわ」
「怖いわよ~~!引退して何年経ってると思ってるのよって感じ!司くんはあの通り、俺だけのせいじゃないでーすなんて開き直れるタイプじゃないし」
「あ~~」
つき合いが長くなってきたから鞠緒もわかってきた、陽キャ!なんて最初は思っていた明浦路司は全然自分のためにはどこまでも後ろ向きだということも。
「ナッチン先生、あのね、司くんは本当に……本当に、すごい選手だったのよ」
瞳だって、後悔がある。
メキメキと成長していく司を見て、周囲は全日本優勝もあり得ると口々に言った。
優勝しちゃったらオリンピックになっちゃったり?の言葉に、瞳はそこまで言われちゃ~~退けないわね、と笑って答える。
軽口のつもりだったが、実際にそうなったら責任は取るつもりもあった。
その結果、司は『花形選手である高峰瞳の記念すべき引退年。全日本の結果によっては現役続行や世界大会出場の可能性もあり得たにもかかわらず、それどころか初の台落ちととことん穢して未来をぶち壊した』という取り返しのつかない罪を背負っている。
大事なところだが、瞳はそんな罪を『背負わせていない』、司自身は『背負わされた』と思っていない、『自分の失敗』とは思っている。
深いだけではなく司の過去のいろいろへ根を差し向ける失敗となった。
そして、瞳のファンである人々は司を罪人にしたままだった。
そんな二度と見たくもないような顔が、今になってのこのこと現れる。
許しがたい戦犯は死刑!死刑!死刑!死刑!
だがその戦犯を被害者である我らが高峰瞳は慈悲の心で、とてつもない恩赦を司に与えた。自分の元で働くことを許した。
瞳ちゃんってなんて心が広いんだろう、やっぱり私たちの瞳ちゃんは最高だ!瞳ちゃんが許したなら、まあ大目に見るとするか……。
思ったのもつかの間、彼と結束いのりは楽しく平穏なクラブにギラギラと勝負を持ち込んできた。
子供はやけに勝ち負けを気にするように見えるし、司くんは出遅れの結束いのりにかかりきりで。
司くんの指導は同じことばっかりやらせてて子供もつまんないって言ってる、いのりちゃんは楽しそうなのに!それってつまり贔屓でしょう。
瞳ちゃんはそんなことしなかった!全員平等だった!
やっぱり明浦路司は――
保護者達は悪人ではない、むしろ善人といわれることの多い人たちだった。
我が子への愛情も深い、そうでなければこんなお金のかかる習い事をさせないし、早朝深夜の送り迎えもできない。
「なんとなくわかってきたわ、司くん、他に行くつもりもないからってスカウトが来たこととか隠してないのよ」
「あ!ノリ助(いのり)に、今日スカウト来ましたか~!?って聞かれてるの見た!」
「そうだわ!それ見た保護者さんがピリピリしてる……ありそう、」
「裏切者的な」
「司くんはうちが初めてだし、恩知らず~~もありそう」
「恩知らず!あたしもクラウンの保護者さんに言われたなぁ……、天才と極太スポンサー引き抜いて~って……まあ、スカウト隠してもらったらどうです?」
「うーーん、そうね、なるべく隠してもらおうかしら。でも、隠してたら隠してたで怒る人は怒るのよねえ……」
「イヤーッしんど~~~」
「ナッチン先生も生徒さんが増えたら大変よ~~」
「あーっいまのマウントですかぁ!?この間クラウンから体験回してもらったのにミケ太郎とケンカしてパァ!したばっかりなのに~!」
「おほほ!ごめんなさーい!」
ナッチンがわざと嘆いてみせるので、瞳も乗った。
リンクサイドのベンチに腰を下ろし、タブレットを覗き込んでいる司の姿を見つける。
「ねえ、司くん」
「はーい?」
「スカウトの件、あ、いのりちゃんじゃなくて司くん個人へのスカウトなんだけど……」
「ご、ごめん!クラブの方に電話来るからうるさいし邪魔だよねすぐ切ったよ!」
なるべくスカウトの件は断るにせよ隠して、と言おうとしたところを、食い込むように司が答えるので瞳はつい咎めた。
「すぐ切るって、ちゃんと向こうの話聞いてる?」
「失礼は……してない……はず……」
視線を逸らした。怪しい。瞳は腰に手を当てて顔を覗き込む。現役時代から瞳が司を叱る時は、まず司を座らせていたのを思い出した。
「そうじゃなくて、お給料とか!待遇!」
「聞いてない……だってえっと……断るのに聞いたら、失礼だし……」
隠し事の出来ない子だ、いまも。
「ちょっといい条件だったわけね」
カマをかけてみると、司は頑なに首を振った。
「いかない」
「疑ってるわけじゃないのよ、あのね――」
いつも通り、大きな声で司は言った。
「あは、俺なんかどこにも行けるわけないじゃん、瞳さんだけが俺をコーチにしてくれたんだよ!今更だけどなんか瞳さんにお礼言ってなかったな」
ありがとう
瞳は言葉に詰まった。
その夜、帰宅した瞳はいつもなら無視する電話が鳴ったのだが、つい取ってしまった。
「は~~い」
『おう娘よ、今日も美しくて何よりだな』
「これ音声通話だけどぉ」
電話の向こうはややうるさい、店か?
「ねえお父さん、……ちょっと話があるんだけど、司くんのことで」
『ちょうどいい、いま栄の店入るところだから、来るか?店は『ずんどこ』』
「行く!ごちそうになりまーす!」
「夜鷹純だ」
「おう」
夜鷹純だ。
瞳は既にメイクを落としていた、まだ仕事中の夫に父親と食事を食べてくるとLINEを入れ、眉毛もそこそこに出て来た。どうせ父だし。
指定された店に行って、店員に待ち合わせと伝えたら、お父様は奥ですよと言われて指をさされる。
もともとは蕎麦屋あたりかなと思わせる店の作り。ふたつの4人掛けテーブルと、小上がりにこちらも4席分の座卓が2つ。卓同士の間は衝立。
喫煙目的店特有の匂いがする、瞳は言われた通り小上がりの奥の席、こちらを待っていたらしい匠の顔を見つけて声をかけた。
「お父さんおまたせ~~夜鷹純だ」
「おう」
夜鷹純だ。
匠の向かい側の席、ちょうど衝立に隠れるようにして座っていたのは夜鷹純だった。
思わず呼び捨てにしてしまったが、
「ごめんなさい、驚いて」
「……」
夜鷹はちらりと瞳を見て、気にしていないというようにほんの少し首を振って見せた。
瞳が記憶している夜鷹純はニ十歳の姿だが、目の周りに少し皺が増えたぐらい。
姿だけは若々しいが、まとう雰囲気は重い。
瞳は仕方なく靴を脱いで、匠の隣に座った。靴を脱いで上がる店は事前に言って欲しいもんだわ!
じゃなくて、どういうことよ、と父親を睨むと。
「司のことだってな、」
「ちょっと」
一応匠も部外者だし、夜鷹は完全な部外者だ――瞳が咎めようとしたが、
「純も司のこと話したいって言うから、ちょうどいいだろ」
「高峰先生」
純が初めて声を上げた、それは嫌そうな声だった。おお、肉声、なんて瞳はちょっと感動する――じゃなくて、じゃなくて。
「あ、」
『ちょうどいい』
さっき匠は電話で瞳に、ちょうどいいと言った。あれはちょうど近所にいるからとかそういう意味じゃなかった。
「司のこと話すんだろ、俺は水割り、瞳は」
「び、ビールで」
「純」
「いらない」
「バカ、ショバ代ってやつだ、ウーロン茶」
「カフェインレス」
「いちいちうるせえな、コーン茶」
女性店員が飲み物を復唱した。
「食べ物のほうどうなさいますか、」
「あー、湯葉とそばぼうろ、枝豆、さつま揚げ」
「はーい、やきとんは?」
「欲しい」
「レバとささみありますよ、ハイチュウできます」
「お、いいな」
店員とのやり取りに瞳が割って入る。
「ハイチュウってなに、お父さん」
「ハイチュウって菓子あんだろ、ガムかアメかわからんやつ、あれみたいに、中がナマっぽいやつ」
「ああ!食べたい」
「純もそれでいいな」
「……ささみ、火をただしく通して。味はつけないで」
「……ささみとれば、3本ずつ、1本は良く焼きの味付け無しで」
じろりと純が睨んだが、瞳にもわかった、『レバーは要らない』の顔だ。
「はあ~い」
「好き嫌いばっかりしやがって」
「僕は貴方の生徒じゃない、それに、身体は維持できている」
「たまにはちゃんと日光浴びろって言われてんだろが」
夜鷹は少し驚いたような、ちょっとは人間みのある顔をした。
「……あいつが言ったんじゃねえぞ、俺が聞きだしただけだ」
「……そうですか」
乾杯を待たずして、夜鷹が煙草に火を点けた。
「おい、娘の前だろうが」
「……」
夜鷹がつけたばかりの煙草の火を灰皿にもみ消す。くちびるは不機嫌そうにゆがめられていた。
「構いませんよ。お父さん、私の方が後から来たんだから。煙草吸いたくてこの店にしたんでしょ」
「だとよ、寛大な娘に感謝しろ純」
そこで遠慮したりせず、夜鷹は新しく煙草を取り出して火を点けた。浅く吸い込んで、すぐに煙を吐いた。
「純、あいつは押しに弱いからこう、ガンと行け、な、以上」
「お父さん何の話?」
「んで瞳、司がスカウトだって?あいつ移籍すんの?どこに?カゴさんとこ出んの?」
「高峰先生」
純と瞳、どちらからもきつく睨まれて、ハァーッと面倒くさそうに肩を落とした。
父親のこういうところが瞳は苦手だった。
面倒見が悪いわけでもないし、むしろ頼られたら手を貸そうというつもりもある、だが、興味があるのは解決された後であって、
当人の事情等には興味がない。また解決方法も簡潔なものを選びがちだ。
仕方ない。瞳は自分が仕切ることにした。
「では、第一回、司くん会議をはじめます」
咳ばらいを一つして、高峰瞳は宣言した。
宣言ののち、乾杯。夜鷹も形ばかりグラスを上げて、合わせた。
匠はとりあえず出て来た枝豆の皮を剥きながら、焼酎の水割りを口へ運ぶ。
「では本日の議題、私から先でいいですか?」
夜鷹は軽く頷いた。どうぞ、というように手で促される。
「発端は、うちがシングル選手向けのクラブではない、才能ある結束いのり選手を閉じ込めているという話ね」
匠はふんと面白くなさそうに鼻を鳴らす、匠はいわゆる『うるせえ部外者』が嫌いなのだ。
「いのりちゃんと話し合って、うちへの在籍は決まったけど、彼女がオリンピックにいける環境であればそれがうちじゃなくてもいいというようなことを言ったら、スカウトOK!みたいになってしまって」
今度は夜鷹が、ふっと顔を逸らす。
夜鷹が司へ向けて放った言葉についても瞳は聞いている。何か言うかと思ったが、言わない事を選んだようだった。
「いのりちゃんと司くんをまとめて引き取りたいっていうクラブだけじゃなくて、司くんを欲しがるクラブが出てきた」
「彼は」
「司くんはぜんぜん、うちから動くなんて考えもしてない」
「……そうだろうね」
「そうだろうね?」
ひっかかりを覚えて、瞳が首をかしげる。
「こいつもルクスに電話したんだよ、今日」
「エ!!?」
「高峰先生」
「そんで、ガチャ切り、ふられてやんの」
「ガチャ切り!?」
「されてない、『大変ありがたい申し出ですが、移籍は考えておりません、失礼します』って言われた」
焼き上がったればと、ささみの串焼きが運ばれてきた。
夜鷹が箸を手に取る、串焼きをクシから外すタイプかなと思って見ていれば、上に乗せられたわさびを取り除くためだった。
手元の皿に引き上げて、そのまま口をつけない。猫舌かな。
「あ、今日のあれって夜鷹さんだったんですか」
やけに司が焦っていた理由はこれだったのか。
「でも、夜鷹さんは今、光ちゃん……スターフォックスからも離れているのでは」
「僕はどこにも所属していない」
「なのに司くんを?誰か、教えたい子でも」
「光以外に教えるつもりは無い」
「えーと……」
灰皿の煙草は全然まだまだ長い、だというのに純は新しく煙草を取り出してそっちに火を点けた。
父親も元紙煙草を吸っていたのでわかるが、これは「しゃべりたくない」だ。
「つまりアレだ、司が他に取られるくらいなら自分のところに来させようとしたんだろう」
「教える子供もいないし、クラブ所属でもないのに?」
「そこまで考えてなかったんだよ、こいつはスケートのこと以外、行き当たりばったりだ。ガキなんだよ」
「……でも、なんで?」
「そりゃ、フラれたからだろ」
「高峰先生」
「わかりやすくいうとだなあ、別れてから急に惜しくなって」
「わかれてからきゅうにおしくなって」
「高峰先生」
瞳がおそるおそる、
「あの……すみません、司くんと、夜鷹さんって、えっとつきあって」
「つきあっていない」
「そ、そうですよねえ!!あーびっくりした!」
「騙されるな、瞳、こいつらホモだぞ、ちちくりあってんだ」
「今の全部ダメよお父さん!」
「しかも司のほうがネコ」
「ギャー!……はい!そこまで!」
タァン!と瞳はビールをあおって、空にして、いつもより倍グラスを強く置く。おかわり。
いったん誰と誰がねんごろとかそういうのは忘れよう!
「……彼が誰かのものになるのは不愉快だった、それだけだよ。彼が貴方のところを動くつもりがないのがわかったから、僕の話は終わり」
結局話が混ざってしまった。だというのに匠はさっぱりとした顔で、
「んじゃ解決だな」
「……」
「……いったんこっちに話を戻します。えーと、司くんがスカウトをされているのを、うちの保護者さんは良く思ってません」
「んぁ?だってお前んところの保護者、あいつがお前に甘えてて腹立つって話だったろ」
それは司がルクス東山に来て当初の話だ。瞳は司がアシスタントコーチになってくれたことが嬉しくて父にも報告している。
「保護者が腹を立てる……?」
純が食いついた。
「夜鷹さんは私と司くんが、全日本で4位だったのをご覧になったんでしたね。ルクス東山の生徒の親御さんの多くは、私のファンでもあって……」
孤高のメダリストにこんな話通じるかしら。
「彼は戦犯、罪人――そういうこと」
「は、はい」
通じた。夜鷹は少しだけ頷いた、理解ができたのだろう。この生きる伝説はそうした、人間の感情にも触れてきた人なのだ。
「……」
「お父さんは知ってるでしょうけど、司くんの生徒さんは今もいのりちゃんだけ。いのりちゃんと同じレッスンが受けたいって言う子は結構いるんだけどね」
「えっあいつ生徒一人だけ?」
「司くんのレッスンってお父さん仕込みの、地味ーーで、ふるくさーくて、しんどーくて、基礎ばーーっかなのよねえ」
「……今俺けなされた?」
「はい」
「司くんはそれでも、そのレッスンを楽しめるように色々工夫もしてくれるし、苦しいけど、これが上手になると、ここが伸びてすっごく素敵だよとか、誉め言葉もたくさん用意してくれる、グループや体験レッスンなんかは評判がいいのよ」
「……」
夜鷹純が少し、頬をやわらげた。口元は煙草を支える手で見えなかったが。
「でも、個人レッスンは高額でしょ。そういうのは、…………実績のある、洸平君や私を希望する」
「そこに問題はないよ、彼に実績がないのは彼の問題であって、スポンサーが悪いわけではない、自分の子供の成績を伸ばすために入会させるクラブで指導者を選ぶ、それは――正しい」
わざわざ司の不足と、保護者の行動の正当性を夜鷹は言うが、その声はただしい言葉を並べただけに瞳には聞こえた。
「ええ、司くんもそれは受け止めていて――受け止めすぎるくらい、だから、グループレッスンや雑用、自分ができることをやってくれています。――役に立ちたいって」
役に立ちたい。
司の言葉は瞳には、どこか悲しい。
もちろん仕事だなのだから、利益を上げないといけない。そんなのヘッドコーチの瞳が一番わかっている。
「組織に所属している以上、役目を果たすのは当然のことだ」
またしても正しいお言葉に、つい瞳は言い返した。
「司くんはもう十分やってくれています、いのりちゃんの成績もいいし、体験からグループレッスンへの入会も増えている――」
役を果たすのと役に立つは、違う。
「だから、そんで、――なに?お前のファンは司が嫌いで、だから司の仕事はそんななくて、でも司は受け入れてて――」
「彼がクラブの保護者から嫌われていて、その保護者から仕事を貰っているわけでもない、なら、彼が移籍しても何の問題もないよ、」
男二人そろってわからないと言う。
「スカウトって、来て欲しいからするわけじゃない」
男二人は、何を当たり前のことをという顔をするので瞳はすぐに続けた。
「来て欲しいから、できる限りいい条件を出す――もちろん予算とかあるけど、『今よりこっちがいいですよ、来ませんか』ってことよね」
だから、なに?
「私のおかげでコーチにしてもらっておきながら、いいところに誘われて、恩知らず……ってことみたい」
瞳は、夜鷹の今まで鈍く沈んでいた目の瞳孔がぐわっと開くのを見た、すぐにそれは収縮したが、あれはたしかに怒りだった。
「彼はあなたを」
夜鷹が口を開いた、声は少し小さかった、
「あなたを台落ちをさせた罪を償い終わっていないということ」
「……」
「瞳のファンからしたら司は実力不足の悪人だから目障りで腹立つ、でも移籍してよそで幸せになられるのも腹立つってか」
瞳はビールを喉を鳴らして言葉ごと飲み、うつむいた。
匠が続けて何か言おうとしたが、汚い舌打ちしか出てこなさそうでキープボトルの焼酎をグラスに注いだ。氷も入れないのでほとんどストレートだ。
「腹立たしいな、彼は」
「……」
「無関係な人間からの有罪判決を、内容も量刑も妥当かどうか推し量りもしないで諾諾と無期懲役を受け入れている――それは何も考えていないのと同じだ、愚かで、間抜けで」
厳しい。けれどどこか夜鷹が立てている腹に熱が通っているのを瞳は感じた。
「それで」
「え」
白い指は煙草を灰皿に押し付け、そのまま組んだ。肘を座卓につき、やや前のめりになって高峰瞳に尋ねた。
「あなたはどうしたい」
「――選んでほしいわ、うちを」
「ハハ!」
匠がなぜかのけ反って笑った。瞳はそちらを見もしないで脇腹に肘を入れる。ヴォッと短いうめき声。
眉をすこし夜鷹が動かした、瞳はそこで初めて、この人繊細なつくりなのにパーツがずいぶん男っぽいんだなと気づく。
「そうね、司くんをアシスタントコーチにできたのは世界広しと言ど、私ぐらいだったでしょうね」
「あなただけが」
「まあ、お父さんもできたかもね……でも、お父さんのことだから私を口実にするんじゃない?娘を台落ちさせた責任取れよとか」
「さすがに言わねえって」
ここで瞳と純は目があった、二人ともお互いの考えていることがわかった。『どうだか』『言いそう』
「ルクスだから司くんはアシスタントコーチになれて、ルクスだから司くんは保護者さんに嫌われている。前者は確定だけど、後者は確定じゃない――はず」
冷めてしまったレバーに瞳は気合を入れて齧りついた。力になる味がする。
「司くんの方から、ルクスって最高!って思ってもらいたいし、保護者さんにも司くんに価値があるって思ってもらいたい――」
「実現可能でなければ意味はないよ」
珍しく夜鷹は、ささみをぐっと串から引き抜いて食べた。いつもの低温調理と違って歯ごたえがあり、顎がぐんと弾む。
「…………そうだ!久しぶりにお父さん、あれやってよ」
「ガサ入れか」
「そう!」
「……がさいれ」
生まれて初めて口にした単語らしい。
「そう、現役時代、私達の自主練の時間に抜き打ちでいきなりやってきて、踊れ!って無茶言うやつで」
「……ああ」
もう、30年以上も昔の話だったが夜鷹にもなんとなく覚えがある。
おい純、あれやってみろ、はい。
「ルクス東山の保護者は私の大ファンばっかり、つまり、私のお父さんのことだって尊重してくれるはずよね~~、だから」
「俺が『おいお前らコーチ業でタルんでねえだろうな、ちょっと組んで踊ってみろ』――こういうことか」
「そうそれ!司くんは今でもガンガン踊れるし、私を一番最強にしてくれる、それを手っ取り早くわからせるのよ」
「すごくいい、コーチのなんたるかなんて語るもんじゃねえ、あれこれグダグダ言ったってバカは聞かねえし、見せた方が早いわな。見てわかんねえなら、そいつは――今はだめなんだっけか、まあいいや、すごくいい、お前がまた、氷の上で踊る姿見られるとは……」
匠はひょいと純が座卓に投げ出していた煙草の箱から一本掠め取った。手のひらをひらひらさせて火をねだる。
夜鷹は気を悪くした風もなくライターを差し出しながら、
「ねえ」
と口を開いた。
「それ、いつやるの」
あどけないと言っていい口調に、瞳は微笑んだ。来るんだろうか、絶対秘密にしないと。
「私の方が久しぶりだから、ちょっと準備が……」
瞳の答えになっていない答えに、純は何処を見ているかわからない顔で、ぽつんと言った。
「彼はいまも……悪くないスケートをする」
瞳はピンときた。あらっ、あら、あら~~~ッ!ちょっと司くん、もしかしてほんとに、ほんとにそういうこと?
「……選ばれたい、なあ」
匠は久々の紙煙草をゆっくりじっくり味わいながら、
「何よお父さん、文句ある?」
「いんや、さっき……」
「高峰先生」
「さっき、純も似たような事言ったんだよな」
「え」
「司のほうから選ばせたいんだとよ!」
フンと世界の夜鷹純が鼻を鳴らしてそっぽを向いた。あらっ、あら、あら~~~ッ!ちょっと司くん、もしかしてほんとに、ほんとにそういうこと?
「すみません、いい雰囲気のところ恐縮なんですけど……今回の前に別れたっていうのは、その、」
「別れてない」
「……付き合っても居ないと」
「……」
「司くんのことだから、夜鷹さんのこと憧れすぎて、世界が違いすぎる~とか、俺なんか~~とか言ったんでしょうね……」
「いーんや。寝坊に遅刻、すっぽかし、暴言……それから物投げたりとかで、付き合いきれないって言われたんだとよ」
「…………」
「シンプルに最低」
瞳は店員さんに言った。
「…………すみません!ハイボール、濃いめで!お父さんもうそれボトル無くなりそうじゃない、すみません、ボトル、……コーン茶も!あとタコから揚げとオニスラください!」
「……では、第一回司くん会議を続けます」
咳ばらいを一つして、高峰瞳は宣言した。
会議は踊る、私たちも踊ってやろうじゃない。