0日交際ってそうじゃない
原作軸であけうらじがよだかを好きになって告白してつきあってすぐ別れ話になる話です(おおらかなギャグ)
分単位で進みます、ちゃんとハッピーなのでご安心ください
大注意:何もかもの捏造
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『おたばこはここで』
昨今、喫煙所は正面玄関や人通りの多いところに置かれることが本当に少なくなった。
設備も古くて規模も小さいこのリンクは経費削減のため夜間は正面玄関を使わない。従業員通用口で利用者も出入りする。受付や支払いも守衛室だ。
その守衛室のすぐよこ、わずかなスペースが喫煙所――というか灰皿は置かれている。灰皿と古い空気清浄機が置かれているだけで椅子もない。
「退館手続きをしてくるので、少しここで待っていてください」
「はい!」
「うん」
鴗鳥慎一郎の夜の個人的な夜間貸し切り枠に、明浦路司が参加(最近ようやく『お邪魔します』と言わなくなった)させてもらってから、そろそろ両手両足の指の数で足りなくなってきた。
夜鷹が壁にもたれかかって立ったまま煙草を取り出すといそいそと火を点けるのを見るや、司は口を開いた。
「あの、すみません、」
話しかけられた夜鷹はのろりと顔を上げ、「なに」と表情で答えた。
わずらわしいことなら聞かないと態度が言っている。
「すぐ終わります、……夜鷹純さん、貴方は俺の太陽みたいな人で……」
「!?」
明浦路司は終わるための告白を始めた。
火のつけられたばかりの煙草から、すっと新鮮な煙がのぼっていく。煙は上にしか行けない。
「貴方は俺の太陽みたいな人で……」
明浦路司の告白の前に、まずは夜鷹純の親友である鴗鳥慎一郎について触れておきたい。
鴗鳥慎一郎には苦しみがあった。
夜鷹純本人が望んだこととはいえ慎一郎は狼嵜光の表向きのコーチとして振る舞い、自分のものではない賞賛を浴びること。
そして光が輝けば輝くほど、息子理凰が思い悩んでいくこと。
理凰は賢い、賢かったゆえにヘッドコーチの、そして銀メダリストの息子という立場に対して鈍感でいられなかった。
その苦しみをなんとかしてやりたくて、でも慎一郎が口や手を出せば出すほど心を閉ざしてしまう。
ここから離れたい、ルクス東山には同年代の男子が居るから――と理凰は言った。
同年代の男子が居るからという理由がせつなかった、それは理凰の孤独を意味する。
とうとう了承し、どうか少しでもスケートを楽しんでくれればと思い合宿へも送り出したのだが。
「父さん!うちのアシスタントコーチってお給料いくら?」
「理凰、それは言えない。でもどうして?」
「……明浦路先生が、お給料高かったら名港に来てくれないかなって……」
「はは」
「母さーん!父さんの年収っていくらーー!?」
「コラ!リオウ!」
帰ってきたらこれだ、ひねくれて斜に構えるところは残っているものの、素直さを隠さないようになっている。
鴗鳥家は夫婦揃ってコーチだし光や理凰は言うまでもなく選手で、妹の汐恩もスケートを始めているので食卓にスケートの話題が出ない方が不自然だ。
理凰もそれを理解して当たり障りなく会話に加わっていたのだが、合宿から戻って積極的に話すようになった。
「明浦路先生が理凰のプログラムを?」
「そう!見せてないところまで完璧、俺ももうちょっとスケーティング真面目にやろうかな」
素直にすごいと慎一郎は感じた、この年代の子供たちはどうしてもジャンプに夢中でスケーティング練習をさせるのは大変なのだ。
今度ぜひ、お礼をしなければ。そう思っていたところへ理凰はこうも言った。
「明浦路先生のスケート、あのジジイそっくりだったんだよな……」
いつもならあのジジイ発言を咎めるところだったが。妙にその言葉は胸に残った。
鴗鳥慎一郎には驚きと喜びもあった。
「知っているのですね――」
中部ブロック大会のあと、短い会話だったが、明浦路司は夜鷹純と狼嵜光の関係を知っているとわかった時。
慎一郎はずっと詰めていた息がゆるむ思いだった。
隠し事が得意ではない慎一郎は、親友の栄光を掠め取っているようでずっと辛かったのだ。
だが親友の純が氷に乗り続けるにはこの影のコーチしかない、協力しないわけにいかない。
親友は氷から降りてずっと息苦しかっただろうことを知っているのだから、その苦しみを少しで減らしてやりたかった。
できることがあればなんでもやろうと嘘偽りなく思うから、表のコーチを引き受けている。でも苦しかった。
後ろめたさと誇らしさ。夜鷹純のスケートを秘匿しながら、彼のスケートが生きていると叫びたかった。
「氷の上に、絶対はない!」
「――ははっ」
明浦路司が夜鷹純にそう言い放った時の、純の横顔を慎一郎は一生忘れないだろう。
彼が笑った姿を慎一郎は数回見たことはあるが、こんな風に獰猛に、胸を躍らせるようにして笑う彼は初めてだった。
この人を離してはいけない――
明浦路司、彼には息子を助けてもらった恩義がある。
明浦路司、彼には親友を助けてくれるちからがある。
この人を離してはいけない――
手始めに慎一郎は「今日はとても楽しかったです、ぜひまたやりたい、ぜひ、絶対、連絡先交換しましょう、いま」と腰を低く押しを強く、夜鷹と司の間を繋ぐ一本の綱となった。
鴗鳥慎一郎には根性があった。
結果として光といのり、そして夜鷹と司の勝負の場となった全日本ノービス大会で。光は優勝。結束いのりは表彰台を逃し、夜鷹に司は証明できなかった。
慎一郎の素直な感想としてはまあ当然というよりない。むしろ一瞬であっても光に迫ったと会場を思わせ、表彰台を逃した事によって結束いのりの印象は大きく膨らんだと言える。
だが世間や会場は夜鷹純ではない、名古屋に戻ってきてさっそく慎一郎は夜鷹を貸切の夜釣りにかけた。鉄は熱いうちに善は急げ。
「はぁ……」
この数年、慎一郎はため息がめっきりうまくなった。深く吸って、長く吐く。
「ふぅ……」
「どうしたの」
かかった。善良な友人を罠にかけるのは心が痛むが、彼のためでもあるのだと慎一郎は演技を続ける。
「……ごめん、せっかくの貸切に、何でもないんだ」
「何でもないようには見えないけど」
「……以前、明浦路先生も交えて三人で滑ったことがあったよね」
「……ああ」
「楽しすぎて……もちろん純くんと二人でこうして滑るのは楽しいとも!でも、刺激的だったものだから……」
慎一郎は慎重に続けた、
「残念で」
「残念?」
「この間、明浦路先生は負けたよね?」
「うん」
「だからもう一緒には氷に乗れないんだなって」
来い、来い……。
「……別に」
かかった!鴗鳥慎一郎は最近でかけられていないが趣味が釣りだ。ここで竿を急いであげてはいけない。「あわせ」というタイミングがある。
「……えっ?」
「呼べばいい」
来た!
「でも、」
まだだ。
「彼は賭けに負けた、それだけだ、」
「純くん、いいのかい?」
ここだ!
「間抜けで、口だけで、実力の足りない彼を――君がそんなに呼びたいなら別に構わない」
「ありがとう!わがままを聞いてくれて」
「別にお礼を言われるようなことじゃない」
そして、そうなって、冒頭の告白の話である。
「貴方は俺の太陽みたいな人で……」
こきゅっと一つ喉を鳴らして司は告げ始めた。白を告げると書いて告白。
「14歳の時に、TVで貴方の演技を見たんです。偶然でした。再放送というよりは特集みたいな――そこで俺は貴方の名前を知りました」
一般的に紙煙草を1本吸うのにかけられる時間は4分程度とされる。ちょうどフリースケーティングと同じくらいだ。だが夜鷹が早く切り上げたければもっと早いし、そもそも煙草をもみ消してしまえばそれで終わり。
「録画とは全然違う、ナマで滑る貴方を見て確信したんです。俺は貴方のスケートに憧れてきてよかったって、その時はまあ色々夢中だったけど……」
明浦路司は、シングル選手としても、アイスダンスの選手としても花開かなかった。
それはただの事実である。なのに、ここに立っているのもまた事実である。
「こうして一緒に――いえ、一緒になんておこがましいな、えっと、とにかく貴方を見ているとワクワクだけじゃなくてドキドキして、たまらない気持ちになって」
夜鷹純、性格でググってみる。夜鷹純の性格を調べてみました!マスコミ嫌いで有名ということがわかりました!無口かもしれませんね、いかがでしたか?
司が知る夜鷹純の性格は、いいとはいえない、悪いところもある、面倒くさがり、言葉を惜しむくせにいらんことは言う、顔の良さで差し引けないほどの難物だ。
「俺はやっぱり貴方が好きになりました、ただの好きじゃなくて恋です」
こんな通路の端っこの喫煙所とも言えないところで。
明浦路司の終わるための告白はあっさりと終わった。
司は夜鷹に、画面越しに始めて見たあの日から恋をしていたのだ。そう言っていいのか、司も判断しかねている。
だが恋というならこれが良かった。これが恋であって欲しいと思った。
それぐらい生で見る夜鷹純という存在は強く司を惹きつける。
喫煙し世界を疎むようだったその肉体がスケートによって息を吹き返し躍動し、命を取り戻していく――
40歳も近づいた肉体は衰えなど鼻で笑うようだ。
ああ夜鷹純の事しか考えられなくなっていく。
過去を遡って「ホラ!恋だよ!恋してたんじゃん!」と脳内で喚く声はどんどん大きくなっていく。
そしてこれが恋心だと自覚してから司は早かった、まず迷った。それは『隠すか、告げるか』迷ってすぐに答えは出た。
隠せないと判断したら告げる。つまらない答えだが、選ぶならこれしかない。
王様の耳はロバの耳、あれは事実というのはどんなに隠したって埋めたっていつか意図しないタイミングで表に出てしまうという話だと司は思った。
また人間は未完了タスクを抱え続けるとストレスを抱く生き物でもある。
明浦路司は明浦路司であるが、同時に最優先で結束いのりのコーチでもあった。自分の個人的な感情によって悪影響を出すことは許せない。
いのりにとってスケートはお守りだったと言っていたがそれが司にもよくわかる。辛い時、夜鷹のスケートを思い出して、いつか彼のようになりたいと思うと色々なことが頑張れた。
だから、少しでも感情のバランスが崩れたら告げて完了にしてしまおうとしたのだった。
司は夜鷹に恋をしている。
夜鷹は煙草をまだ一本吸い終わっていなかった。もう少し時間がありそうだったので司は言葉を続ける。
「今日俺、もう少しでトリプルサルコウが降りられそうだったんです。いのりさんはサルコウが得意だから彼女の気持ちを理解したくて、それでサルコウを練習させてもらっていました――」
いのりはすでにクワドサルコウを跳べる。夜鷹純にとってのクワドルッツのように、結束いのりのクワドサルコウはこれからきっと有名になっていく。
クワドでもトリプルでも、サルコウはサルコウだ。司は少しでもいのりの気持ちに近づきたい。
「ここ最近貴方がクワドサルコウだけじゃなくて、トリプルサルコウも跳んでくれていたのでずっと見てたんです。そしたらもう少しのところまで来た、やっぱり俺は貴方のスケートを見ていると力が出ます、貴方のスケートが見られるのが――嬉しい!」
司はぐっと手に力を入れた。夜鷹は相槌を打たない。
「……嬉しすぎちゃって、俺になっちゃいました」
「?」
じろりと夜鷹は視線だけを動かして司の表情を読み取ろうとする。わかりやすいはずの男の顔に浮かんでいるのは、照れ、後ろめたさ、そして?
「今日あの瞬間、いのりさんと気持ちを分かち合いたいっていう目的も全部吹っ飛んじゃって貴方の事と、俺がトリプルサルコウ跳べちゃうのか!?って事しか頭になくて」
アハハ、笑い声はかわいた廊下の低い天井に響いた。
「貴方のスケートを見て、貴方を追いかけていられるのが嬉しい、幸せで――好きです、」
幸せだった。けど今日トリプルサルコウが跳べそうになり、『もう少し!』自分の中で響いた声があまりに幼かった。
貴方を見つめ過ぎて好きになってしまった、いや好きだったのを思い出してしまったのだ。
夜鷹純を見つめる時の自分が、結束いのりのコーチでなくなってしまっている。
『心が満たされる』ではなく『心が占められる』これを恋の定義とするのなら、やはり司は夜鷹に恋をしていて、今恋をしている。
自分の都合だけの身勝手さではあるが、今がベストだと司は判断したのだ。
夜鷹は煙草を急いで吸おうともしなかったし、逆にゆっくり吸う事もしなかった。
「――それで?」
「あっ以上です!俺、貴方が好きです!絶対貴方の邪魔をしないので貸切にできれば今後も参加させてくれるとありがたいです!よろしくお願いします!ご清聴ありがとうございました!」
図々しい告白が終わった。告げはしたが。告白ジャッジのランプは審議色だろう。
フーよかった、これで明日から切り替えられるぞ、言いたい放題を言い終えてほっと胸をなでおろしている司の様子に夜鷹は苛立つ。
夜鷹の脚が灰皿を蹴飛ばす。ガァンと大きな音を立てて倒れかけた灰皿を、司は手が汚れるのも構わず支える。
「純くん!どうしたの!」
慎一郎が駆け戻って来た、この時「どうしたの」ではなく「純くん」と添えているところに長年の付き合いがある。
守衛室の受付窓から中年女性が顔を出してこちらを睨んでいた。
「わァすみません!俺が逆立ちの練習をしようとしてぶつかりましたっ!」
教え子の言い逃れを使ってしまった。女性が甲高い声を出す。
「こんなところで逆立ち!?壊れたら弁償してもらいますよ!」
「すみませんすみませんすみません!」
なんとか夜鷹にまだ残る煙草を消させ、三人もつれ合うようにして裏の駐車場に飛び出した。
寒い夜だった。だが、氷上のあの冷たさとは種類が違う、ただ寒いだけの夜。
「本日はお疲れさまでした、次回、明浦路先生の完成したトリプルサルコウを見るのが楽しみです」
「お、お疲れさまでした!」
まさにそのトリプルサルコウがきっかけで司は夜鷹に告白をしたのだ。
このリンクは交通の便がやや悪いので慎一郎は車で来ている。司はまだ終電もあるし、身体がうずうずしていたら走って帰るつもりだった。
「純くん、タクシーは呼んだ?まだなら送るよ。明浦路先生も良かったら――」
「僕は彼の太陽なんだって、慎一郎くん」
「え?」
「ワァア!」
真っ先に慎一郎は言い間違いかなと思った。この真夜中、この場において最も太陽なのは明浦路司であると誰もが言うだろう。
僕(夜鷹純)は彼(明浦路司)の太陽――?太陽?夜鷹純が?だが司のこの慌てよう、間違いではないようだ。
「純くん?」
「彼は僕が好きなんだって」
「え?」
「恋してるんだって、僕に」
慎一郎の言葉をさえぎって夜鷹が言った。からかいやあざけり困惑もろもろの感情の見えない、ただの報告だった。
対して司は終わったはずの告白が蒸し返されて仰天する、言いやがった……!言いやがった……!
こういうのは陰口でやるもんだろ!デリカシーゼロかよ!
慎一郎が夜鷹と司の二人をゆっくりと見渡してから、
「えっと……うん、そうだね……?」
「そうだね?慎一郎くんは知っていたの」
隠していたのかと、今度ははっきり眉間が咎めだてに皺をタテにきざんでいる。
「え!?知ってたっていうか明浦路先生はもともとが純くんの大ファンだしそれに、」
「それになに」
「……明浦路先生見ていたらわかるというか、……」
「ふうん……」
「そ、そにどりせんせい……」
司はいいタイミングだと思っていたがもしかして全然遅かったのかもしれない。
穴があったら入りたい、無いなら掘りたい。司は顔を手のひらで覆った。
ロバの耳って言う前から芽吹いてしまっていたなんてそんな。
夜鷹は頭を大きく振った。重たい前髪はあまり動かず、白銀の一筋は見えない。
「気づかなかった」
夜鷹純は嘘をつかない。
「君は僕の目に入ってなかったからね……サルコウも結局跳べてなかった、踏み切りに力を入れすぎ」
「ヴ!」
喉の奥を詰まらせて司が固まった。夜鷹の顔に険が走るが司は気づかない。
「純くん、よく見てるね」
ほら明浦路先生、純くんはちゃんと見てますよという慎一郎なりのフォローだったが残念ながら司に届かない。
夜鷹純は嘘をつかない。
だが夜鷹純は本当の事も言わない。
「見てないよ」
見てた。
見ていたとも、明浦路司を。数年前のあの全日本で、派手なリフト失敗と表彰台落ちをしておきながら夜鷹の記憶に食い込んだ男を見ていた。
なぜ彼の滑りがこんなにも『残る』のか。自分に似ているから?果たしてそれだけか?夜鷹は見極めたかった。
彼の気持ち?見ているからわかった、明浦路司がサルコウを跳びたがっていることも。
そしてそれが教え子の――あの子供と語り合うための言葉を探しているからだともわかった。
見ればわかる、そういましがた慎一郎が言った通りだ。
誰かのためなどという言葉は信じない。結果を誰かに捧げるのは勝手だが、誰かのために踊る、誰かのために滑るというのは夜鷹とはほど遠い。
私利私欲ではなく誰かのためのジャンプなどと夜鷹にとっては信じがたいものだが、明浦路司が自分の記憶に居座る理由を探る糸口になるかと思い夜鷹もサルコウを跳んでやった。
見えやすい位置で、かつ、普段しないほど助走を長くとって、司の視線がこちらに来たのを確かめてから跳ぶ。光が怒るかもしれない、コーチ!私の時もそれぐらいゆっくり跳んでください!
サルコウは比較的跳びやすいジャンプだが、トゥジャンプではないので高さを取りづらいところがある、かといって「どっこいしょ」とばかりに跳ぶのは美しくないし、逆に着氷も乱れやすい。
とある国のメダリストは銀河鉄道にたとえた、気づけばふわっと線路が無くなっているような感じで跳んでいる。
「あの、それで……明浦路先生は純くんに告白……?告白をされたのですよね?」
「……はい!させてもらいました!」
「勝手にしたんだよ」
ここで司が実はしてませんとか純が聞いてないとか言い出したらどうしようかと慎一郎は危ぶんでいたがどうやら本当に告白?が行われたのは事実でいいようだった。
そうなると、結果を聞かずに慎一郎は帰れない。跳んだら降りるまでがジャンプだし、滑ったら結果を聞くのがフィギュアスケートだ。
「……はあ」
夜鷹は駐車場の外灯を背負って、わざわざ逆光の中から司を指さした。
「君みたいなのはたくさんいたよ。慎一郎くんは知ってるよね」
「え」
「現役時代――ノービスの頃から居たな、僕に憧れてスケートを始めたなんてうんざりするほど聞いた」
はあ、とわかりやすく夜鷹はため息をつく。
夜鷹は表情演技というよりかは喋るのが煩わしいため、仕草によって代替することが多い。
たとえば眉をひょいと跳ねる、しかめる、フンと鼻をならす、手を軽く振る、顔を背ける――
言葉のない氷の国の住人にとっては、たった一言を惜しむよりジャンプで100を語る方が楽なのだ。
「僕を好きだ、愛してるなんて言うのも珍しくなかったよ」
司と慎一郎が顔を見合わせる。お互いに小さく頷いた。司はさもありなん、慎一郎は事実です、と。
「僕のスケートが好きだっていうのも、僕の顔や体が好きだって言うのも、両方だっていうのも――君は?」
「え」
「君は僕の何が好きだっていうのかな」
「……」
「言って」
尊敬する鴗鳥慎一郎先生の前で俺は何を言わされるんだ。司はひるんだ。
「スケートと、見た目と、それから俺が知った性格の一部分です……」
「全部ってこと?」
「いいえ」
「いいえ?」
いいえってなに、夜鷹の機嫌が斜めに傾く。
「俺は貴方の全部は知らないので。それから性格悪いところは好きじゃないです」
「……僕の性格が悪いって言ってるの」
「……一部」
「慎一郎くん」
「…………誤解をされやすいところはあると思うよ……」
「……」
「…………」
沈黙に温度があるとすればそれは冷たいし、沈黙に軽重があるとすればそれは重たい。
寒さが足の裏から這い上ってくる、司は健康に自信があるとはいえ風邪を引きかねないし、なにより二人のメダリストを立たせっぱなしなのだ。
「はい!手短にまとめさせてもらいますね!」
ぱん!と司は両手のひらを打ち合わせた。人の手拍子にはよどみを退ける力があると信じられている。
「俺は『好きになった人がタイプ』な人間です。また、その人の事で頭がいっぱいになることを『恋』だと思っています。なので中学のころ夜鷹純さんのスケートに恋を……恋!?まあ恋か……その恋をしていました。大人になってこうして何回も会っていたらやっぱりスケートが大好きで、また恋をしてしまいました。色々、一部性格とか除いて」
慎一郎はフムとひとつ頷いた。
夜鷹は夜鷹で表情一つ変えない。何を聞かされているのかな……僕はもう聞いたんだけど、という顔だと慎一郎にはわかる。
「俺は結束いのり選手のコーチです。なのでどんなに美しいジャンプや演技を見たとしても、それをいのりさんへの指導にどう活かすかをまず考えます。いのりさんの得意なサルコウを俺も学んで一つでも多くの共通する言葉を見つけようと思っていたのですが、今日いざ自分がトリプルサルコウを跳べそうになったら個人の俺になってしまって……」
明浦路司コーチの説明は非常にわかりやすいと名港ウィンドにも聞こえてくるレベルであるが、なるほど言語化に長けていると慎一郎は頷いた。
選手からコーチに転身した人間がうまく指導できない理由の一つは、なまじ自分ができるにできないを理解しづらく、また、もっとこうバッとやってザー!ビュン!などと感覚的な説明になる事も多い。
「恋している自分を誤魔化しきれないと思ったので、なので今日、さっきのタイミングで告白しました」
なるほど、慎一郎もそこまでは理解した。しかし問題はそこからだ、起承転結の結がまだだ。
「それで君はどうしたいの」
そこ!純くんそこだよ!慎一郎はふたつ頷いた。だが司は憑き物が落ちたみたいにスッキリきょとんとすがすがしい顔で、
「どうって……終わりです。もしまた氷に乗せてもいいと思ったら声をかけて欲しいです、ご清聴ありがとうございました!」
ありがとうございました、駐車場のコンクリートがその声を弾ませた。
「いいよ」
「ん?」
現役時代にとある選手が言った『記念だと思って』という言葉を夜鷹は思い出した。
返事もしなかったはずだ、だが、記憶に残っている。不愉快という形でだ。
『生きてるだけで素晴らしい』という言葉を聞いた時にはもっと鮮烈な怒りだったが。
記念――、結果を求めないという事、そんなもの夜鷹にはない。あってはならない。
だから言った。
「――付き合おう」
「え?」
「純くん?」
その瞬間、狙いすましたタイミングのように慎一郎のスマートフォンが場違いに高らかな着信音を響かせた。画面を確かめてみれば今出てきたリンクからである。
いまそれどころじゃないのに!と思いながらも司も純も慎一郎を見つめているので電話に出ざるを得ない。
「もしもし、鴗鳥です……え、車の鍵?」
リンクサイドの荷物置き場に、車の鍵が落ちているという連絡だった。上着のポケットを叩いて確認するも見当たらず、時間帯や特徴からも慎一郎のもので間違いない。
「す、すぐ取りに行きます!はい!……二人とも待っていて!」
普段なら先に帰っていてと言うところだがなりふり構っていられない、慎一郎はバタバタと走り出した。
二人きりにされて、司は思い出した。
あれ、俺さっき告白したけど、「いいよ」とか「付き合おう」って聞こえた?
気のせい?
夜鷹は慎一郎の車を風よけにしながら空を見上げている。星一つない夜空だ。さっそく煙草を吸いたいのだろうが駐車場は禁煙。
じろりと前髪の隙間からもの言いたげな金色の眼が覗いて司を見た。何だろうと思っているとしびれを切らしたように、
「おいで」
隣に来いと言われてしまった。十分に声も届くし、普通の距離感だというのに。
「ハイ……」
言われるまま隣に立つ。
夜鷹の視線が外れないので、司もしかたなく視線を向けた。
俗に言わなくても見つめ合う。視線を交わすことを「目合う(めあう)」とし、セックスを意味するまぐわうの語源のひとつで――
「ねえ」
「ハイ!」
現実逃避も許されない。逃げ出したいくらい鋭くて美しい目だ、司はこの目で見る世界が見たかった。
「触っていいか聞いて」
「触っていいか聞いて?」
「聞いて」
「えーと、触っていいですか」
「いいよ」
夜鷹純に触れる許可が下りてしまった。俺が希望したってこと?
「……」
「聞いたんだから触りなよ」
「エ!?えーと……」
どこを?オロオロしていると夜鷹が手袋を脱いで右手を差し出した、触れと!?
司はおそるおそる自分の手のひらを重ねた。金曜ロードショー常連のジブリ映画のラストを脳内が勝手に再生した。
バルスって言ったらはじけ飛ぶのかな俺……
「……」
「うぉあ!」
指が絡まった。バルス!!バルス!!司はまだ人のかたちをしている。
隣り合って、見つめて、お互いに許可を取って、触れて、指を絡めて――
組んだばかりのステップシークエンスのように、単発の動きを並べただけのような拙いもの。
もう一度見つめ合う。いつもこういう時にうるさくなるはずの心臓の音が聞こえない。
死んだ?
見つめ合う。好きな人の顔、40歳手前なんて信じられない、NASAとかに研究されたりするのかな。
心を満たすのではなく占めるのが恋だというならば――
「あの」
「うん」
夜鷹の膝がこつんと司の膝を励ましてくる。ガタガタだが踏み切った。
「……キスしていいですか」
司の声は震えてもいなかった。死んでる?死ぬ気になればなんでもって――そういうこと?
「いいよ、」
目を閉じてから顔を寄せるのか、顔を寄せてから目を閉じるのか。
直前になって司は踏み切りを迷って、まず目をつぶった。
その間に夜鷹がほとんど頭突きみたいに唇を司の唇にぶつけてくる。
「ンぶ」
繋いでいた指がほどけたのに気をとられていたら、下唇を唇で食まれて味わわれる。
ひえっとのけ反ってできた隙間は、すぐに夜鷹の胸が押し付けられてきて埋まる。
夜鷹のひんやりした指が司の側頭部を撫でたかと思えば耳を塞ぐ。
ずちずちずちずち!
「っ~~!?っふ!?」
キスをする。キスをされている。アレ!?
司はキスをするつもりでいたが、頬に軽く触れるだけのものを考えていた。
もしそこで雰囲気が良かったらあわよくば唇も……いやそれはまだちょっと!
単独ジャンプのつもりだったのに突然高難易度のコンビネーションになってしまった!そんなことある?
自分の遊んでいる手をどうしていいかわからない、ただ夜鷹の行動を妨げることもしたくない。
食まれていた下唇が離され、上唇もふにふにと舌でなぞられる。
舌。
「ふぐッうっうっ」
舌が躊躇いもなく司の口内に侵入してきた。早いそれは早い!でも拒みたくない。
耳を塞がれているから音が全部司の頭蓋骨の中で反響して、ゼリーを捏ねまわしているみたい。
個人的になりたくない病気の一つに舌にできる口内炎だ、口の中の粘膜はとても敏感で、舌はその一番。
上顎をくすぐられてヒイッとのけ反った、胸や肩が逃げを打つのに心がぞんぶん受け入れたがっている。
夜鷹の舌が上顎をくすぐるのにビクッと跳ねると、やっと少しはなされた。
「ふああ……」
あくびではなく、これっぱかりしか言えなかった。酸素が足りなくなると脳は鈍くなるというのはこれか?
すぐに角度の変わったキスがやってきた、待って、
隣に立つ。
見つめ合ってない。目を閉じてる。たぶん俺だけ。
触れ合いの宣言は省略。向こうから触ってくるのはいいの?
手を繋ぐ。指を絡める。
そしてキス。
下唇はみはみ。
舌で口の中ごそごそ。
上唇ぺろぺろ。
最後に全部詰め込みすぎじゃないか。ジャンプを後半に全部回すのはダメで――ダメなんだよ。
司の耳を塞ぐ夜鷹の手が怪しくうごいて、耳の裏をくすぐる。そこに神経ってあったのか、自分のからだに詳しいと思っていたのに。
『ねえ』
聞こえるはずもない声が聞こえた、司が目を開けるとそこには一対の目、鷹の目が司を睨んでいた。
『君は何もしないの』
できるか!でも何かしないわけにもいかなくて、自分の耳をおさえる夜鷹の手を自分の手で包み込んだ。
『うん』
ちゅっともう一度キスをされて、いいこだと言われた気がした。
とどめだ。
キスってとどめなんだ、司は知らなかった。司の知るキスは記号みたいなものだった。
こんなにドキドキするとかエロい気持ちになっちゃうんだ。ヤバいだろ!
俺のクチが食われてる。
夜鷹の膝がびんぼうゆすりをするように震えた、苛立っているのかな、司は反射的によしよしと自分の膝頭を膝頭にこすり付けてなだめる。。
はあ、と吐息ではなくため息が漏らされ、司の耳を拘束していた手のひらが離れる。
目を開けていたのに夜鷹純がどんな表情をしてたのか全然思い出せない。魔法にかかっていたようだ。
ぴちぴちと小魚が跳ねるような音のキスが唐突に終わる。
唾液の糸がつながったままという例のアレはない、何故って咄嗟に司がパーカーの袖で夜鷹の唇をゴシゴシ拭いてしまったので。
濡れた夜鷹の唇があまりに性的で、司は後戻りができなくなりそうなのを恐れた。
唇なんていう誰にでもついていて、会話にも食事にも使う器官に性的なものを感じてしまって痛烈に恥ずかしい。
「気持ち良かったの」
「はひっ」
司は自分の口をおさえて激しく頷いた。
「君はどうしたいの」
「わ、別れたいです!」
涙がこぼれるような声が出た。
「…………別れたいです!」
「は?」
夜鷹は自分の声が愉快そうに揺れているのを自分の耳で聞いた。好きだと言われていいよといってやって、そしたら『別れたい』だって?
自分でもわかっていたが夜鷹は全てに飽きている、ワクワクさせられたり、驚かされたかった、掻き立てられていたかった。
だからこんな突拍子もない男を手放せず、忘れられないのだろうのか?――わからない。
「付き合ってみ……付き合ってもらってみてわかりました、俺は本気で貴方が好きです、嘘じゃないです、こんな形じゃなくて、だからもう一度ちゃんと告白したいんです……なので別れたいです」
これが別れ話の言い草だろうか。
「さあ……どうしようかな」
「エ゛!」
「純くん!明浦路先生!お待たせしました!」
まだ遠いうちから慎一郎が走ってくる。
「慎一郎くん、彼が別れたいって言うんだけど」
「エ゛!!??5分も経ってないよ!!どういうことなんだい!」
慎一郎まで似たような声を出すから面白くって、夜鷹は久しぶりに喉を揺らして笑った。
さあ、あと数十メートルの間にどうする?明浦路司、僕の頭のわずかを占める男。