記号や概念に、血肉を通わせること
奥田 それぞれ違うということが原点にある一方で、僕が35年くらいホームレス支援をしてきて思うのは、例えば、〈抱樸〉へ受け入れる人と拘置所でアクリル越しに面会する時、相手は自分が経験していない人生を歩んできているとはいえ、俺の人生であとひとつかふたつブロックが欠けていたら、あっち側に座っていてもおかしくないなという気になるんですよ。
関西弁って面白くて、彼らは自分のことも自分って言うけれど、相手のことも自分って言うでしょう。この感覚が失われてしまうと、相手を“違う”というひと言で全否定できてしまう。最終的には殺せちゃうんだと思うんですよね。よくホームレスの人に大変でしたねと言って、おまえに俺の何がわかるんだと怒られましたけど、共感は難しくても連想することはできる。最終的に戦争を止めるために、このピストルの弾が当たったら痛いよなっていう、当たり前の連想のようなところまで立ち返らない限り、原理原則的に平和とは何かを考えても難しいと思いますね。
マヒト 「Black Lives Matter」にしても、黒人の友だちができると、それに対する感情がまったく違うものになる。人と会うことで、今まで記号や概念でしかなかったものに実像がともなって血肉が通う。木を何本切る、と会議室で話し合われた内容をSNSで見て、それはダメだろと反対するのではなく、わかりやすく言えば、木が切られる痛みを感じる。100年生きてきた木が切られると想像することでさえ、その木に触れればぜんぜん違うものになりますよね。
自分は音楽をやっていて、そもそもヒトラーが自分の声を広く届けるために作ったサウンドシステムやスピーカーのような道具を使ってメッセージを叫んでいる。それ自体、矛盾を孕はらんでいるし、暴力的な可能性も秘めているけど、音楽や表現を通して、記号や概念となっていたものに営みがあることや、血が流れていることを喚起させることができると期待しているところはあるかな。
奥田 すごくわかりますね。日常だけだと埋没してほとんど動かないものが、ライブだったり、礼拝だったりとなるとまた違うものになる。そういうふうに、リアルだけれど非日常みたいな世界が今、足りないんでしょうね。リアルになるとみんな諦めてしまうし。
マヒト 中野サンプラザでの『あのち』の公演も、劇中に一人ひとりのドキュメントを混ぜ込んでいましたが、最後のアンコールだけは客席の電気をつけて、服装もバラバラで好きな色を着て出てライブを、日常に溶かそうというテーマがあった。誰もがみんなファンタジーと現実の間を行き来して揺らいでいて、現実では毎日同じ電車に乗って会社に行き、そこには嫌な人もいるかもしれないし、戦わなければいけない時もある。そんな中でそれぞれが、神様や光や詩となるものを見つけて、自分を守っていたりする。
奥田 ファンタジーと現実を私なりに言い換えると、つながりということと、1人ということの両義性にも通じるものがあるのかなと思います。信仰もライブもある意味みんながつながっている状態で、そこが安心感になって、ぜんぜん知らない人とひとつになれたりする。それは何のためかというと、祭りはいずれ終わるわけで、誰かとつながるということは、もうひとつ、1人になれるということの担保でないといけない。日常と非日常がひとつであるように、1人であることと、ともにいるということは、ひとつなんですよね。
マヒト 自分としては現実を、戦いという言葉でなく、ただ普通に生きていられる暮らしというものに戻すために、音楽の範疇ですべての活動をしていると思っています。よく音楽に戦争反対とか政治を持ち込むなと言う人もいるけど、そこには何の境目もない。だって戦争が起きれば、音楽なんて鳴らせない日常が来る。こんな自分みたいなやつだって居ていいんだよ、と歌ったりする場もなくなる。コロナの最初の頃も明らかにそういう状態だったと思うし。自分自身の表現を守るために「NO WAR」という活動をすることは、もう音楽活動の一貫なんですよね。戦争という問題において、当事者としてそのことから逃れられる人が1人でもいるのかと考えると、戦争や政治を特別な話にするべきではないんですよね。
奥田 私は戦争を可能にする要素は3つあると考えています。ひとつ目は単純に貧しさですよ。食えないから戦場に行く。ふたつ目が寂しさだと思う。自分の居場所や、役に立って褒められる場所、存在を肯定してくれる場所がないから、君こそが日本を救う英雄なんだと言われたら、うかうかとついて行く。3つ目は、今若者たちと出会っていて思うのは、学びのなさですね。学んでいなくて言葉で表現できないという限界を抱えている人たちは、自分に対しても暴力的にならざるを得ない。悲しさや苦しみを、言葉で表現できない、伝えられない、聞いてもらえないから、相手に対しても暴力的になる。僕はせっせとこの3つと戦おうと思っています。
眼の前で貧しい状態で食えないのをなんとかしないといけない。〈抱樸〉で一生懸命ボランティアをしている人たちのように、戦争に行かなくてもヤクザにならなくても、ありがとうとみんなに言ってもらって、今日も生きていてよかったね、となるのが人間なんです。最後の学びの問題は大きくて、自分の悲しみや辛さを表現できる力を持っていないというのは、勉強しているとか大学に行っているとかいう単純なことではなくて、肝心要のことを学べていないからなんですよね。それが学べるのは、ひょっとしたら学校ではなくて、ライブステージや教会のようなところかもしれませんね。
マヒト 独立研究者の森田真生(まさお)さんが、今現状で大きく世の中が変わっていなくても、数%何かが変わったり、気づいたりした人がいれば、それが予兆となって何十年後かに変わる可能性があると話していて。震災でもコロナでも世の中は変わらなかったという挫折感や絶望感へのカウンターとして、そういう思考を取り入れて、自分の心の守り方を成長させるというのも大事で。そのために、知性というのがあるんじゃないかなと。自分の心とどう付き合い、いたわっていけるかという構図は、そのまま外へと開かれていく。家庭や友だち関係や、身近なところにも戦争状態ってたくさんある。それをどう解体して溶かしていくか、その手がかりにもなり得ると思いますね。
PROFILE
奥田知志 Tomoshi Okuda
1963年生まれ。1990年、福岡県北九州市の〈東八幡キリスト教会〉に牧師として赴任。学生時代からホームレス支援に携わり、生活困窮者への伴走型支援を行うNPO法人〈抱樸〉を設立。活動の一環として福祉と共生の拠点を作る「希望のまちプロジェクト」を実施中。絵本の著書に『すべては神様が創られた』がある。
マヒトゥ・ザ・ピーポー
1989年生まれ。2009年、オルタナティブロックバンドGEZANを結成。最新作に23年、自身のレーベル〈十三月〉からリリースした、GEZAN with MillionWish Collectiveでのアルバム『あのち』がある。荒井良二が絵を担当した原作絵本『みんなたいぽ』も発売中。初めて監督・脚本を務めた映画『i ai』が公開予定。
●情報は、FRaU2023年8月号発売時点のものです。
Photo:Tomohide Tani Text & Edit:Asuka Ochi
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