信長の孫・三法師、清須会議のその後は 波乱の生涯を語り芝居で紹介
小西孝司
織田信長が討たれた本能寺の変(1582年)の後の後継を決める会議で、豊臣秀吉がまだ幼い信長の孫の「三法師」を担ぎ出す。創作物の世界では有名な場面だが、三法師の終焉(しゅうえん)の地はあまり知られていない。その生涯を知って欲しいと、和歌山県橋本市の俳優がオリジナルの語り芝居を制作した。
紀の川にほど近い橋本市向副(むかそい)の寺院跡に、石柱に囲まれた高さ1メートルにも満たない自然石がひっそりとたたずむ。銘文はない。20代半ばで短い生涯を終えた幼名「三法師」こと、織田秀信(1580~1605)の墓だ。明智光秀の謀反による本能寺の変で、信長とともに自害した信長の長男、信忠の長男にあたる。
長じて秀信と改名し、岐阜城主となった。キリスト教に入信したが、寺院も保護した。関ケ原の戦い(1600年)では石田三成に誘われて西軍につき、敗北した。剃髪(ていはつ)して高野山に追放されたが、信長が高野山を攻めたことの影響か、ふもとの向副で暮らしたらしい。
墓のそばに立つ看板は、「紀…