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ラヴ・テステッド・バイ・ストーム・スタンズ・アンシェイカン/眠の小説

ラヴ・テステッド・バイ・ストーム・スタンズ・アンシェイカン

14,319文字28分

☀️がゴシップ誌に載ってしまう話

軸として、🙏も🐺も👓もオリンピック出場してる。🙏は今や日本でも世界でも立派なメダリスト
原作より5,6年~くらい先の未来の話かなというふんわり軸です。細かいところと誤字は許してください。

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「これ、どういうこと」
 
 この日は、珍しく純の方が起床が早かった。
 司は起きて隣に恋人が居ないことが不思議で、まだ寝惚け眼を擦りながらもとりあえずベッドから降りた。向かうリビングには人の気配が感じられるのに、その気配は動くことなく静かで、司が足を踏み入れた瞬間に輪郭を強く持つ。それはオーラを纏っていて、元金メダリストが放つ崇高なものでなく嫌悪や怒りといったもの。
 からの、純の問いであった。突然のこと、そして怒気の混じる声に司の身体は竦み上がりまだ何も発せていない。
 テーブルの上には雑誌が置かれており、純は迷うことなくある頁を開く。細く骨ばった人差し指がトンと叩くその音は軽快でありながら、司を見る眼光はどこか鋭かった。
 その雑誌は芸能スキャンダルをよく扱っていて卑しいネタも多いことで有名だ。そんなゴシップ誌の頁の端は折られておりマークをしていたようだった。起き抜けのまだ頭の働かない中で何のことだろうと司はその誌面を覗くと、そこには司本人と女性。そしてその写真のふたりは抱き合っていた。
 

『金メダリストコーチ、名古屋の真ん中で抱き合う!?夜のコーチもメダル級……?』


 そう大きく書かれた下品極まりないタイトル。見た瞬間に心臓はバクバクと暴れ始め、なのに全身の血は冷えわたっていく感覚。
 なにこれ……なにこれ……!?
 足元から崩れていきそうな司の身体はテーブルに手を付くことで何とか耐えた。
「えっ……これは、なん、でしょう………?」
「僕が訊いてるんだけど。質問に質問で返さないで」
「はいっ……!」
 威圧的な返しに司は思わず背筋が伸びる。大きい男から発せられた小さく短い返事は、上長命令に即座に返事をする部下のようなそれだった。まるで軍隊のよう。
 ほとんどを一言で済ます彼が、続けた二言目の強い反論には純の感情がより篭っていた。怒っている。これはかなり怒っている。
 彼は表情があまり変わる人間ではない。でもフィギュアスケートの世界だけは、感情を乗せては魅せるのが上手い人であったけれど。
 現実ではほとんど感情を顕にしない。………いや怒りは見せてたな。投げたり、蹴ったり、壊したり。しかも破壊行動。
 しかしそんないつもの感情的なものではなく内側からふつふつと沸き上がるような怒りが、いまの純からは明確に滲み出ていた。司はつい圧倒されてしまう。
「ええっと……まず、それは……どこから……」
「……慎一郎くんが教えてくれた」
 深いため息は紫煙を吐き出す仕草に似ている。見えない白の代わりに黒く渦巻いた感情の何かが見えた。
 慎一郎から聞いてコンビニにでも買いに行ったのだろうか。出来れば先に俺に教えて欲しかったと司は思いながら、それは自分勝手だとすぐに反省した。

 金メダルを取ったいのりもいまや有名な選手になり、コーチである司も必然と顔を知られることになった。
 司にはアイスダンスの選手時代があったため、コーチの過去歴として必然的に当時の現役映像も流されるし、場合によってはリフトを失敗した場面も流されることもあった。それを以てもいまや司のコーチングのレベルの高さがメインで取り上げられ、選手時代に欲しかった賞賛はまた違うかたちで得られることとなる。
 それに表情筋が活発な司はよくテレビに取り上げられた。いのりの滑走中や、キスクラで得点を待つ時など。感情がとてもわかりやすいのだ。
 ドキドキ。ソワソワ。ドクンドクン。ゴクリ。
 漫画であればキャラクターの周辺に書かれるオノマトペのすべてが、生身の司に対しても見えるようで。そんな、選手を上回る表情の切り替わりは見ていて面白いものだった。
 そして体全体を使って特に喜びを表現するため、滑走選手以上に汗をかくコーチとしても話題となっていた。それはいのりのインタビューにすら度々話題に上がるほど。それでも嬉々と答えるいのりの言葉にはコーチへの愛が篭っており、同様にそれ程までに全身全霊をかける司のコーチとしての姿は誰の目にも好感でしかなかった。
 そうして、選手以上に泣いて喜ぶ姿も、悔しいと泣く姿も、感動して感極まる姿も、滝のように涙を流す司はメディアの好む図であると共にフィギュアスケート界隈ではすっかり見慣れたものだった。
 そんな司が、だ。
 
 全国区に発行されるゴシップ誌の頁を開いた時に、恋人が載っている気分とは。それも生徒の功績ではなくコーチ側の自分のことで、下品なタイトルと女性との絡みのあるスケートは全く関係のない写真だ。
 純の現役選手時代、司はまだその存在を知らなかった。既に引退をして雲隠れのように存在を消していた夜鷹純だが、選手時代も引退後もこんな下品なタイトルを付けられてましてやゴシップ誌に載ることなど絶対になかっただろう。
 メディアには悪意のあるものもままある。金メダリストである夜鷹純ですら、万人に好かれることなんてありゃしないのだ。そしてあの性格だ。彼の何かしらを悪く書いたものもあったのかもしれないが、基本はすべてがフィギュアスケートの功績のみだったはず。そういう揚げ足取りのような報道は放っておいたらいいし、結局は実力でねじ伏せてしまえるほどの威力が夜鷹純にはあった。
 この世は日本を背負って戦う選手を、持て囃し、期待をさせ、そして失敗すれば、意にそぐわなければ、勝手に失望する。勝手甚だしい。
 そんなものに踊らされるだけ無駄だ………とはいえ、そう思えない人間だっているのは事実だ。
 
 
 純は司から視線を離さない。ただ司から発される理由を待っている。司の動揺や狼狽といったものを見たいわけではなく、ただひとつ、この写真に映る状態の理由のみが知りたいのだ。相手に考える余地は与えない。
 しかし司だって訳のわからないいまの状況を整理したかった。それに理由よりも真っ先に言いたいことがある。
「あの……先に言いますけど……この写真から想定される、浮気とかそういうことは絶対ないです。それだけは絶対」
 しっかりと念を押す。純はやはり黙って司を見つめるだけだった。
 まだ解決していないのだから、純は肯定しない。それでも嘘をつき、隠し、ましてや浮気などという器用なことを彼が出来るとは純も思っていなかった。それでも簡単にわかったと言えるほど、純もまた内心は落ち着けていないのだ。
 いままで他人に関心を持つということが純にはなかったそんな中で、たまたま見たアイスダンスの選手として滑る司のスケートは、純の心にも記憶にも留めた。
 まさかその後も関わることになろうとは思わなかったが、司の人柄や人間性、そこに純のスケートで人生をまるっと変えられたことによる憧憬から向けられた熱は、純の心をゆっくりと溶かしていった。
 司の熱に絆された純が恋人を選択したのは、案外自分にとって心地よく悪くないと思ったからだ。彼による心地良さやあたたかさに触れ、そしてしっかりと頭の先まで浸かってしまった頃。
 恋人に対する余裕とはなんなのだろう。司が不貞を働く人間でないことはわかっていても尚、写真を前に「だから何」とどしんと構えていられない自分がいる。
 関心の先に好きという感情が生まれた。しかしどうやら好きだけでは済まず、その裏にはひっそりとどろどろとした感情が鳴りを潜めていた。それが嫉妬や独占欲で、表裏一体なのだと気づいたのは最近だ。

 開かれたままの頁に視線を落とす。近くで目を凝らして見ようが、遠くではっきりしないままぼんやりと見ようが、司は写真のすべてに見覚えがあった。それはつい先週のことだった。
 その日は久しぶりに瞳、美蜂、洸平と夕食を共にしたのだ。美蜂は常に名古屋にいる訳ではなく、明日には福岡へ元々の所属クラブへと戻る。そのため名古屋駅の近くにホテルを取っていた。司は京都からの帰りだったが早めに名古屋に着くということで、せっかくだからと三人と待ち合わせをし駅から近い焼き鳥屋へと向かった。
 翌日は休みだからと司は酒を嗜みながら、他クラブのコーチ陣から得た知識や見解を共有しては生徒の今後やクラブの方針と共にスケートへの熱い議論を交わしていく。リンクでも皆と顔を合わせるし、いろいろと話せもするが、酒の場の少し気の抜けた席の方が案外腹割って話せるものだ。
 しかしそんな真面目な話しから、愚痴やら、プライベートな話しやら、いつの間にかごちゃ混ぜになるのが常。なにより自分たちの発散も大事な事。
 そうして楽しく飲んだあと、会計を済ませ珍しく二軒目へ行こうと向かう道すがらだった。
 「あのっ!」と声をかけられて司は声の方へと振り向く。そこには、見た目が司と同じか少し下くらいの年齢の女性が立っていた。
 「どうしたの」と前から瞳の声。三人が少し先で首を傾げている。待たせるのも悪いと、二軒目の店を決めていたのもあって先に行ってて欲しいと声をかけた。
 道の真ん中でふたりっきり。女性はセミロングを緩く巻いて、目鼻立ちのはっきりとしたいわゆる美人の部類に入る女性だった。司自身この女性に身に覚えはないが、いまやそれなりの知名度もあるために迂闊な態度は取れない。
 元より司はいい加減や投げやりな態度をとる人間ではないが、クラブ生徒の保護者に向けるような笑みを作り対応する。
「はい。なんでしょう」
「あの、結束いのり選手のコーチですよね……」
「ええ、そうですよ」
「あっ、やっぱり……!さっき私も焼き鳥屋にいたんです」
「ああ!そうなんですね!」
 いのりさんのファンだろうか。そう思うとさっきの作り笑みとは違い自然な笑みもこぼれる。焼き鳥屋はさほど大きくない店舗だった。高身長でそれなりの体躯の司は良くも悪くも目立っただろう。
「それでっ、あのっ……いきなりなんですが、明浦路コーチ、は……彼女とかいらっしゃるんですか……?」
 「へっ」とつい間抜けな声が出てしまった。いのりのファンかと思っていたから、まさか己に用があり、ましてや恋人の有無を問われるとは思ってもいなかったからだ。
「あの、テレビでしか見たことないのであれですけど、実は貴方のこと、見た目も性格も一生懸命なところも、すごく、タイプで……良かったら、私と………」
 差し出された彼女の手に視線を落とすと小さなメモ紙を持っていて、ちらりと見たそこには数字の羅列が見えた。きっと携帯番号だろう。
「えっ、」
 告白のようなそれはいつぶりだろうか。フィギュアスケートを始めてからはもう何十年と浮ついた話はなかった。というより司自身がただスケートに必死で自然と遠ざけていたのだ。
 そんなほとんど学生ぶりの告白に少しドキリとはしたが、司には恋人がいる。相手はそんなフィギュアスケートの世界にどっぷりと浸かることになったきっかけの人だ。
「あー、えーっと……まずはそう言ってくださってありがとうございます。でも俺には恋人がいます。別に隠してるというわけでもないですが、俺には大事な人なので」
 実際、恋人の有無は隠してもよかった。というのも相手は元金メダリスト、夜鷹純だ。何かの拍子でバレた瞬間にメディアに面白がられるくらいなら、コーチ業に専念している為にいないやら要らないやら何なりと言えばよかったわけだ。しかし誰とは言わずとも純と付き合っていることを付き合ってないと言うのは憚られた。
 司が好きで好きで追いかけて恋人になれたのだ。それが馬鹿正直と言われようと嘘はつきたくなかった。
「そう、ですか……いないと聞いていたので……」
 それはどこ情報なんだと思いながらも、公にしていないのだから恋人がいないのは正解ではある。しかし選手でなくたかがコーチだとしても、知名度があると正か否かは抜きにしても情報はどこからか出回るものだと学んだ。わざわざ"どこから"をつついて話す内容でもないのでスルーをするが、迂闊なことは本当に出来ないなと身が引き締まる思いでもあった。
「でも。ありがとうございます。これからも結束いのり選手の応援よろしくお願いします!では」
 司の本業はいのりのコーチだ。誰よりも輝いて欲しい生徒の今後をひとりでも多くの人に見守って貰いたい。
「あのっ……わっ、きゃっ……!」
 去っていこうとする司に何か伝えたかったのか、一歩踏み出そうとした女性が躓き、こちらに向かってきた身体を司が受け止める。華奢な身体は司の体躯を以ては余裕だった。
 「大丈夫ですか!?」と声をかけると彼女からぎゅうと抱きしめられた気がしたが、その腕もすぐに離された。腹に置いた手を上から下へと優しく滑らせ、そのまま自然な動きで乱れた髪を耳にかけながら女性は顔を上げる。恥ずかしくて照れているのか、頬を赤らめながらすみませんと頭を下げられた。
「いえっ……大丈夫ならよかったです」
「ありがとうございます。応援しています」
 彼女は再度ぺこりと頭を下げ、また焼き鳥屋の方へと戻って行く。たった十分ほどの出来事だったが、なんだか酷く疲れてしまった。酔いもすっかり醒めてしまっている。
 駅構内にある金時計付近で待ってくれていた三人には事の顛末を話すには面倒で、女性はいのりさんのファンということにしておいた。口説かれたとなれば瞳と洸平からはまた過去の話と絡め始めてお喋りは止まらなくなるだろう。美蜂からはきっと何かしらの小言があるかもしれない。
 そこまで大したことでもないと、さっきの出来事は忘れ二軒目ではまた楽しく飲み直したあの夜。


「あの時だ……」
 司はその出来事を偽りなくすべて純に伝えた。
 あの日遅く帰ってきたあとシャワーを済ませ先に寝ている純の隣へと入り込んだ。そうしてすっかり忘れていたあの夜の出来事。
 撮られたのは、躓く演技をし、自分の元へと倒れ込んで抱きしめられたその瞬間だ。しかしカメラマンはどこにいたんだろう。大通りを挟んだ向こう側?
ハニートラップ、美人局。色んな言葉が思い浮かぶがもどれも違うし、もはや名前などどうでもいい。ただ嵌められたが一番しっくりとくる。
 しかし何のために?誰に何の得がある?
 いま話題の選手のコーチ、ゴシップ誌からすればただ面白いでしかないのだろう。何度も言うが、誰しも万人に好かれることはない。いのりの功績に納得のいかない人間の犯行……コーチが気に入らない……そんなことも考えたが、わざわざこんなめんどくさいことなどしないだろう。
 
 雑誌をパラパラと捲ると、今回の特集には大きいスキャンダルはなく一頁のみの小さなスキャンダルがいくつも掲載されていた。
 一瞬の爆発力があればいい。こういうものはすぐに風化していくからこそ、旬の見極めが大事だ。ゴシップ誌のスキャンダルとはそういうものなのだろう。
 しかしこちらからすれば小さいもクソもない。おかげで現在とてつもなくピリついた空気が流れているのだ。
「……迂闊だね」
「それは……」
 ………そう、だが。
 恋人がいることもちゃんと伝えて、それによる告白も断ったようなものだ。ほぼ距離のない状態でこちらへと躓いてこられれば受け止めてしまうだろう。特に司のような人間ならば。これは不可抗力だ。
 抱きしめられたことにすぐ違和感を持てなかったのは落ち度かもしれないが、さすがに予知出来ない。すぐに女性を剥がしたとしても抱き止めた瞬間を連写されていれば結局同じだ。
 こうやってスキャンダルは生まれる、というより作られるのだとむしろ今回で学んだところだ。
「君はそれなりに有名になったという自覚はあるの」
「それは……!……まぁ、ハイ……そうですね……ごめんなさい……」
 何を言っても既に発行されたものを取り消すことは出来ないが、せめて純の中にある疑惑はすべてひとつ残らず払拭したい。しかしどうしたらいいのか。しょんぼりと落ち込む司に、純は「つかさ」と名を呼ぶ。
「……どうしたらいいと思う?」
「……何が、ですか……?」
「そうだね。司は僕のものだって世間に知らしめるためには」
「えっ………?」
 純はテーブルに頬杖をつき、じっと司の顔を見た。


 司は浮気などといった器用なことは出来ないとわかってはいたが、純は真相も弁解も直接本人からちゃんと聞きたかった。詰めるような態度になったのは純だって余裕のある人間ではないからだ。
 実際許すというより、嵌められた司は完全なる被害者だった。だからといってそのままでは純の気が済まない。司は誰のものかというのを今後すべての人間にもはっきりとさせておく必要がある。
 只、いまはまだ『明浦路司は夜鷹純の恋人』と宣言する時ではなかった。まだまだ現役のいのりは司をコーチから外すことはないだろう。自分のせいで世間を騒がせていのりのスケートの妨げになるのはきっと司の本望ではない。いまでも迷惑をかけるかもしれないと自責の念に駆られているのだ。
 

 だから、せめて司は既に誰かのものであることを示さなければ。
 

 純のように人を邪険に扱えない司は今後も色々とあるかもしれない。根が優しく、真面目で正直なのだ。メディア向きの男はこれから番組に呼ばれる可能性だってある。出るか出ないかは司本人が決めることだが。
 彼は人当たりがよく、人を惹きつける才能があった。実際彼の周りは人であふれている。だからこそそれにつけ込む人もいるのだ。
 フィギュアスケートが大好きで、フィギュアスケートになると熱くなる男。そして誰よりも生徒をスケートを愛している男だった。人生をかけてここまで来た男をこんなしょうもないデマで傷つけるなんて誰であろうと絶対に許さない。純は静かに憤っていた。
「最後の手段としておいていたけど、もう実行するしかないかな」
 純はスマホを取り出すと突然電話をかけ始めた。司の目を見ながら、「夜鷹だけど」と始まり、「いまから行く」と告げた簡単な電話は、一分もあったかどうかだ。
スマホを切り、「出かけるから準備をして」とだけ告げた純は寝室へと消えていく。
 この話題が解決したような雰囲気のない曖昧なままに準備を急かされた司は、とりあえず歯を磨き、顔を洗い、寝癖で飛んだ髪も整える。
 そして司も寝室へ向かうと、ベッドにはクリーニングから返ってきたままのスーツが置かれていた。それは純がいまや金メダリストのコーチなんだからと贈ってくれた一張羅だ。しかしそんな正装をして、どこに?
 「はやく」と急かされ、理由を訊くこともままならずに着替える。腕を引かれるようにエントランスを出て、マンション前に到着していたハイヤーに乗った。心落ち着かぬまま向かった先はそれは男の司でもわかるほどの有名なジュエリー店だった。
「えっ、あっ、へっ………?」
 田舎者が初めて都会に来た時のように既に入口から煌びやかな店舗を見上げる司の腕を、純が引っ張っていく。オーナーらしきスタッフがご丁寧に出てきてくれて、裏口から個室へと通された。訳の分からぬまま「待ってて」と純に言われた司は突然ひとりぼっちになる。どこか心細くキョロキョロと辺りを見渡してしまった。
 全体的にシャンパンゴールドのような壁色とそれを照らす柔らかい暖色のライト。淡いエメラルドブルーのガラスのテーブルに、濃紺のベルベット生地のチェアー。落ち着いた上品な空間がより司の心を落ち着かせなくした。上等な格好でなければ、もっとソワソワしていたはずだ。場違いな気がして何度もスマホで時間を確認してしまう。なのに純が出ていってからまだ五分しか経っていない。
 でもなんでジュエリー店?……まさか、その、知らしめるって……。
 ガチャリとドアが開く音がして、凭れもせず伸ばしていたままの背筋がよりピシャリと伸びる。振り向いた先にはこの部屋に劣らない、むしろこの背景がデフォルトかというように似合う純がいて、思わず立ち上がってはかっこいい人と小さく零してしながら、頭の先からつま先までを眺めた。
 また視線を戻したその純の手には、ドラマで見るようなネイビーブルーにベルベットの小さい箱を持っていた。連れてこられ、まだこの状況に慣れていない上にムードも何もない状態で、純もまたそれを無遠慮に開けてみせる。中には想像どうりの指輪があった。
 ただその箱の中に"指輪"があるというのが想像通りであっただけで、その指輪が"どういうものでどういう装飾か"はまったく想像通りではないのだが。
「わぁっ……!?これは……?誰の……?」
「司のに決まってるでしょ」
「お、おれの…………」
 正装して、ジュエリー店まで来て、ふたりっきりで。司以外であるはずがないのに頓珍漢なことを言ってしまう。それくらいには混乱していた。だって数時間前まで女性とのスキャンダル写真を見せられて、詰められて、必死で弁解していたのだ。そうして、いま目の前にはプラチナにダイヤがいくつもあしらわれている指輪があった。司に贈られた指輪は眩しいほどの輝きを放っていた。
 司は圧倒され、呆然としている。そんないつまでたっても眺めるだけの彼に痺れを切らした純が司の手を取った。迷うことなく左手の薬指に、いつ測ったんだろうと言うくらいにスムーズに、そしてぴったりとはまっていく指輪。
 もしかして、これ、ぜんぶダイヤなのか………?
「男性ものだと大きいダイヤひとつなんて付けてられないから質素だけど」
「しっそ…………」
 これのどこが質素なんだ。俺自身より遥かに価値があるだろうがと司は胸の内でツッコむしか出来ない。光を受ければどの角度でも煌びやかに輝くダイヤに、突然左指に質量を感じてしまい手は小さく震えてくる。この指輪が齎す価値は恐れ多くて訊けなかった。
 
 彼の愛は、存外重い。
 
「おれ……おれは、純さんにこんなこと出来ない……」
「司は何もしなくていいよ」
「でも、おれ……」
「これは司が僕のものって見せしめるための指輪だから」
 それでもいまはまだ公表するタイミングではないから、純にはこうすることしか出来ない。この世は金ですべて解決できるものばかりではないけれど、いまの純には財源があるのだ。それを最大限利用して恋人は僕のものだと見せしめることは何も浅はかではない。選ばれたものしか出来ないやり方が純にはあった。
「ずっと付けてて」
「は、はい……」
「魔除けだよ」
 これだけでウン百万はしそうな指輪は、この世で一番高い魔除けなんじゃないかと司は慄く。
 一般的でわかりやすい所有というかたち。そんな思考は持ち合わせていないと思っていた恋人が目に見えるかたちで自分を縛りつけようだなんて。
 司は手をゆっくりと左右に動かす。煌びやかな輝きは、現役時代の純の衣装に装飾されたスパンコールを想起させた。テレビの中でも、滑る度にジャンプする度に光を受けたスパンコールがバチバチと煌めいて、身に纏う本人をより美しく輝かせる。それと同じだ。司にとって、煌びやかはいつだって夜鷹純とイコールになるのだ。
 なにより、この指輪は短い現役期間でもずっと孤高としてあり続けた純のスケートによって生まれたようなものだ。
 なんて、贅沢なんだろう。
 夜鷹純のスケートに焦がれ、追いかけてきた人間が───、そんな彼から指輪を贈られているだなんて。
 
 そんな純なりの愛を目の当たりにして、司は胸の奥で抑えようのない熱が込み上げ続けていた。
 そして実感が追いついてくれば、次は嬉しさから子供のように飛び跳ねたくなった。街ゆく人に「純さんから貰ったんだ!あの金メダリストの!」と見せびらかしたい気持ちに駆られる。
 指輪の価値なんて実際なんでもよかった。これが数十万、数万、数千でも、夜鷹純から贈られたことが司にはなにより大事なことなのだ。

「司は、僕のものだよ」

 目の前で告げられる愛の言葉に、司はじわりと目頭が熱くなる。正直、ありふれた言葉であろうとこの指輪よりも彼の言葉の方が価値があった。
 決められた価値とは違う。純が司といて生まれた独占欲は、彼すら知らなかった感情だ。それがどれだけの価値かだなんて、司には計り知れない。
 溢れた涙で視界が揺れても、指輪はいつだってきらりと輝く。
 純は司の薬指を、指輪ごとそっと優しく撫でた。自分の化身が司を守るためにその薬指に宿ればいいと思っていた。
 帰宅する車内でも、マンションに戻ってきても、食事の時も、寝る時も。どんな時でもそこにある指輪を、司はずっと眺めていた。その司を眺める純もまた、愛おしい感情がとめどなく溢れていることに心地良さを感じていた。


◇◇◇
 
 
 福岡に戻っていた美蜂や、瞳や洸平からはすでにゴシップ誌での連絡が来ていて説明は済ましていたが、翌日のクラブで瞳と洸平に会った時には、開口一番「お騒がせしてすみません」とふたりには改めて謝罪をした。
 まさかこんなことになるとは思わずというのもあったが、ふたりからは「なんで黙ってたの!」とあの時に嘘をついたことを叱られた。しかしそれ以上に心配され、同時に慰められ、励まされもした。
 今回メディアの怖さを知り、改めて気をつけていこうと話していた最中に瞳に左手を取られる。
「ね、ねえ、司くんこれって…………!?」
「あっ、その、へへ……」
「結婚した女だからこそわかる……この指輪の凄さ……」
 手を掴み360度指輪を見渡す瞳の目はこれでもかと見張らせている。
「未婚の男だけど、凄いってことだけはわかるよ……」
 まじまじとその薬指を眺める洸平に瞳は耳打ちする。指輪の相場だろうか。洸平の顔が青ざめていく様に、司はわかると心の内で呟いた。贈られた本人すら後に金額を聞いてひっくり返ったのだ。
 夜鷹純と恋人同士ということを知っているふたりは、フィギュアスケートだけでないプライベートでの夜鷹純の凄さというものを改めて知り、慄く。
 
 そうしてふたりの意見は、
「でっち上げ週刊誌より夜鷹純の方が怖い」
 ということで一致した。
 
 今後司がいつ何時も忘れずに指輪をつけているか(あんな高価なものを置き忘れていないか)を確認する作業が、このふたりにはこっそりと追加されていたとかいないとか。

 噂というのはとにかく広まるのが早く、この件を知ってしまった生徒の保護者からも瞳や洸平はこっそりと問われていたが、事実をちゃんと話すと「そうよね。よかった」と信じてくれる方ばかりで、そこは司の日頃の行いの良さや人柄が表れていて瞳は改めて安堵した。
 そうして内容が下品なだけにいのりに直接事情を話すのを躊躇っていたが、自分のいないタイミングで記者や他人から問われるのだけは本気で避けたく、それならばと事の顛末を丁寧に話し、そして謝罪した。
 いのりは話している最中から怒りを顕にしていたが、司が話し終わるのをちゃんと待っていた。そして終わった途端に「司先生が謝ることじゃない!!」「てか私の司先生をいじめるなぁ!!」と叫び、「私が先生を守りますからね!!」と全身から烈火のごとく炎を纏わせ、その日の練習からの気迫は桁違いだった。
 そんないのりとすれ違った瞳は氷が溶けてしまうほどのあまりの気迫さを感じ、何があったのかと驚いていた。
「いのりちゃん、なんだか気合いが入ってるわね」
 そう声をかけると、いのりからは司のゴシップ誌の件を聞いたと言う。司からは隠さずに話すつもりだということを聞いていた。いのりであれば大丈夫だと思いつつも少しの不安はあった、のだが。
 「私の功績が続くことで司先生はそんなことにうつつを抜かす人じゃないことを証明する」
 そう息巻いているいのりを見て、瞳もまた「私も同じ気持ちよ」と、互いに熱く頷く。
 それを司に話せば滝のように涙を流していた。きっと一ヶ月分は泣いただろう。
 司は恋人にも生徒にも愛されている。
 

◇◇◇
 

 この影響は多岐に渡った。
 全日本選手権の際には、純と司の関係を知る光にスっと隣に立たれた。
「狼嵜選手……」
「色々あったんですね。指輪の件も聞きました」
「あぁ、まあね……」
 司はタジタジと頬をかく。いのりとは違い、どこか知られてしまったことに恥ずかしさもあった。光の態度もいのりが金メダルを取ってからはだいぶと緩和されたが、いまでもかけられる言葉はちくりと刺さるものがある。
「………不可抗力、だとは思います。でもコーチのこともいのりちゃんのことももう心配させないでくださいね」
 そしていまでも純のことをコーチと呼ぶ光に、しっかりと釘を刺されてしまった。厳しい口調でありながらもそこには司のことを心配しているのもわかってもいる。実際はとても優しい子なのだ。
「ありがとう。それだけは絶対しないよ」
 その答えを本人から聞けて満足したのか、光はぺこりと小さく頭を下げて去っていった。
 少しの緊張からふと息をつくと、次は慌てた顔の慎一郎が勢いよく向かってきた。ずんずんと音が聞こえるよう。司の前で止まれば直角90度の礼。
「すみません。先に明浦路先生に伝えるべきでした」
 勢いのいい謝罪を受けてしまった。純と喧嘩になっていないかがずっと心配だったようだが、これに関しては俺が迂闊だったんですと下げた頭を上げさせると彼はしょんぼりとした顔つきだった。逆に気を使わせてしまったことに司は申し訳なくなる。そんな慎一郎の影から理凰がひょっこりと顔を出した。
「俺の明浦路先生に……!くそっ……!許さねえ……」
「理凰さん……!」
 険しい顔で爪をギリリと噛みながら怒りを顕にしている。しょんぼりとした慎一郎と、反対に恨みの募らせている理凰。彼もまたいのりや光と同じようにいまでは立派なオリンピアンだ。
「明浦路先生!先生のことは絶対俺が守るので……!」
「ありがとう。理凰さん」
 相変わらず尊敬を超えたもはや崇拝のような親愛は、なんだかんだ心を温かくさせる。味方ばかりが増えていく司には感謝でいっぱいだった。
「あの、明浦路先生、もしかして、それは……」
 指輪に気づいた慎一郎が左手に指をさすと、理凰もすかさずその左手薬指へと視線を向ける。そしてみるみるうちに顔が引きつっていった。司に指輪を送る相手を、理凰はよく知っている。だからこそわかりやすく表情に出ていた。
「あぁ、これは……」
「純くんですね?」
「へへっ……そうです」
 純の親友である慎一郎に気づかれるのは少しだけ気恥しくもあった。
「見るからに……ふふ、純くんらしい」
 昔に比べてうんとわかりやすくなった彼の性格に慎一郎の表情は緩む。煌めくこの豪奢な指輪の意味を、慎一郎は理由を訊かずともすぐに理解しては微笑ましくなったのだ。
 氷上の美しさを競うこの場所でコーチ側を輝かせるのは場違いだが、それでも司の顔を見ていれば純のとった行動が如何に正解かがわかる。というより正解は常に純にあると再確認すると共に、より強固なものになったふたりの愛に不安から一変安堵に包まれた。
 
「雨降って地固まる、ですね」
 慎一郎は再度にこやかに微笑んだ。

「チッ……ジジイに勝つには俺も金メダリストになるしか……」
 めでたしめでたしで終わりかけた中、理凰が吐き捨てるように言う。司の恋人と知っていながらも平気でジジイと呼び、あまつさえまだ俺にも可能性はあると言いたげな物言いはもう聞き慣れたものだ。相変わらずなどころか昔より激しくなっていて、司はつい苦笑いになる。
 成長するにつれ元銀メダリスト鴗鳥慎一郎に近づく選手になった理凰は、まだ世界選手権やオリンピックでの金メダルはまだだが、それももう近いと言われるほどトップとの差は近い。日本では期待の選手となっている。
 恋人に対して口の悪い理凰を司が止めないのは、ジジイ呼びされても気にしない純がいるのと(そもそも純は理凰のことは別に嫌いではない)、そんな純と恋人同士である司をなんだかんだと認めてくれているからだ。純に対して元は尊敬から始まったものだったと理解している。どうも拗れに拗れてしまったが、そこは純の配慮を知らない正直さと言葉の足りなさが悪いところもあった。といっても理凰の態度には過度の心配と、どこか過保護気味な気はしないが。
 それでも司にとっては、理凰のコーチでなくても可愛い生徒のようなものだ。
「俺の司先生を泣かせるやつは許さない……!」
 その"やつ"はゴシップ誌のことなのか、純のことなのかはわからない。いのりが聞いたら「理凰くんのじゃない!」と叫びそうなフレーズだが、そこは素直にありがとうと受け取った。
「俺、いのりに次いで必ず金メダル取るので」
 待っててください。とでも続きそうな真剣な目は、いのりの時とはまた違う気迫のあるオーラを纏わせている。そして理凰は力強く去っていった。
 慎一郎はそれにいつもの如く小さく笑みを残し頭を下げると「ではまた」と理凰の後を追う。
 実際、この後理凰は全日本選手権を銀メダルで終わり、いのりは光と競ってわずか2ポイント差で金メダルの台へと上がる。ふたりとも世界選手権への切符を掴んだ。
 司は相変わらずいのりがジャンプを降りるたびに両手を振りかざして大喜びし、滑走後には泣き、その後は選手側であるいのりに慰めて貰っている。汗なのか涙なのかわからないほどの顔面は大画面にすっぱ抜かれて、いつものように観客を沸かせた。あんなスキャンダルがあっても、司の人生は揺るがない。
 
「メダル取りました!!!!」
 
 いのりと理凰。ふたりは競うようにして叫んでみたけれどぴったりとハモっていた。そうしてメダルを見せてくれるふたりに司はまた涙し、ご所望であるハッピーリフトをいつもより多く回した。
 
 
 そしていままでなかった司の左手薬指の指輪はしっかりと映像にも残り、ネットやSNSでは話題となった。しかし司が急に付け出した指輪、というよりも特定班により発覚したその指輪のブランドとその価格の方でネットは騒然としていた。それも本人の付けているものがよくあるシンプルなものでない辺り、これは贈られたものだということも。それも相手はかなりの富豪で、どこぞの起業家なのか、投資家なのか、不動産開発者なのか………どれも違う憶測が広まっていく。
 しかし誰もが元金メダリスト夜鷹純に辿り着くことはなく、結局は明浦路司の相手は富豪ということで落ち着いた。それに、司もまた沈黙を貫いている。

 相手はどこかの社長や不動産持ちだったりするのか。暫定逆玉の輿の司にゴシップ誌のことなどすぐに霞んでゆき、誰も口にすらしなくなるにはじゅうぶんだった。
それ以上に話題を呼んだ指輪は、"明浦路司は誰かのもの"と世間にしっかりと知らしめる結果となる。
 純は珍しくSNSやらニュースを眺めては、その誰かが自分だと明かすその時をいまかいまかと待ち侘びている。

 

 


 Love tested by storm stands unshaken.
 嵐に試された愛は、揺るがぬものとなる。
 
 
 

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コメント

  • *遼*
    6月16日
  • ゆん
    2月18日
  • みりん
    2月15日
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