日本政府、国家情報局を新設 第2次大戦後初の中央集権的な情報機関
なぜ必要なのか
かつての大日本帝国には強力な治安・情報機関が存在し、1900年代初頭には反対意見を弾圧するために自国民に対してもその権限を行使した。
第2次世界大戦で日本が敗北すると、日本を民主化し、情報機関の力を弱体化させる取り組みが意図的に進められた。しかしその結果、現在の日本には情報戦の面で大きな弱点が残ることとなった。これは、地政学的に極めて重要な役割を果たす先進国としては異例の状況だ。
例えば、日本には独自の対外情報機関がない。英国、オーストラリア、カナダといった米国の主要同盟国と比べても、これは珍しいことだと、英王立防衛安全保障研究所(RUSI)のインド太平洋安全保障担当シニア・リサーチフェロー、フィリップ・シェトラージョーンズ氏は述べている。
また、日本にはスパイ防止法も存在しないため、外国のスパイや国内の協力者は「法律に違反することなく」日本国内で情報収集ができてしまう、と同氏は指摘する。
「これは戦後の状況による特殊な事情だ。日本占領、そしてその後の日米安全保障関係により、日本政府はそうした活動を自ら積極的に行う必要があまりなかった。なぜなら、日本は米国によって守られていたからだ」(シェトラージョーンズ氏)
しかし、こうした弱点は日本の安全保障や国際社会における立場に重大な影響を及ぼしている。「日本は情報漏えいが起きやすい国だと見られている。その場合、他国は情報共有に消極的になる。なぜなら翌日にはその情報が新聞に載っていたり、外国勢力に漏れていたりする可能性があるからだ」。テンプル大学のブラウン氏はそう分析する。
歴代の日本の指導者も改革を試みてきた。最も有名なのは中曽根康弘元首相で、1983年に「日本はスパイ天国」になっていると警鐘を鳴らした。しかし、死刑を含む厳しい罰則を盛り込んだスパイ防止法案は大きな反発を招き、成立には至らなかった。
その失敗の一因は、第2次大戦終結からまだ十分な時間が経っていなかったことにもあるとブラウン氏はみている。当時は大日本帝国時代の人権侵害の記憶がなお人々の間に強く残っており、そのような法律や情報機関の改革を行えば、再び監視や軍国主義、弾圧が行われる社会に逆戻りするのではないかという懸念が広く存在していた。