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この作品「尻をパーンと叩く話」は「よだつか」「夜明」等のタグがつけられた作品です。
尻をパーンと叩く話/ととたの小説

尻をパーンと叩く話

13,677文字27分

原作軸、最新話から少し未来のやることやっててデキてないよだつかです。課題曲:あけうらぴは何でオーディション落ちてたのか
大注意:さまざまに捏造が多いので許してください
中注意:しんいちろうくんが尻を叩かれます

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horizontal

「純くん、あったよ」
「ありがとう」
これは、夜鷹が尻を叩いてやる話だ。


「~~~!」
着氷の直後、司はぷはっと詰めていた息を吐く。司のジャンプではない、画面の中の夜鷹純の話だ。当然などと言ってはいけないのにやはり完璧だった。
選曲や顔立ち、背格好からノービス時代のものらしい。衣装ではなく練習着姿なので練習中を撮影したものだろう。
このころはまだ動画による見直しが不要だと夜鷹が判断していなかったのかもしれない。
公式練習以外の動画は後年になればなるほど残っていないのだ。
完璧と言うのはこの時点での夜鷹純の完璧という意味である。
今画面の中で3Lz+3Lのコンビネーションを降りているが彼は将来4Lzを跳び、押しも押されぬアラフォーの今も跳ぶようになる。
「……!!」
ノービスのころから夜鷹純はちょうかっこいい、司はソファの上で内臓までぎりぎり絞るほど身悶えをする。
うるさくしないなら、という条件付きで夜鷹の家で司は過去のプログラム動画を見させてもらうという幸運にありついていた。
声一つ漏らさずに見るなんて不可能だろと司は叫ぶが、声上げて見られなくなったらどうするんだと殴りつける司の方が強い。
夜鷹が持つ貴重な動画は雑に大容量HDDに保存されていた。クラウドに上がってもいない。
タイトルも01とか002とか①とか041とかジュニアとか、中身の推察ができないものばかりだ。
図書館のいちばん奥にある貸出禁止の本棚みたいなもので、ここで見て学ぶしかない。
だから司は今日も時間が合えば夜鷹の家にこうしてお邪魔しているし、動画視聴中に夜鷹に不埒なちょっかいをかけられたりもする。
夜鷹の中にはある種のタイマーがあるらしく、司があんまり動画に夢中になっていると発動するものだ。
理不尽なことにタイマーといっても5分や10分などと時間が一定に決まっているわけではない。タイマーというより気まぐれな導火線である。
すべては夜鷹の機嫌次第だ、それに文句を言わないにせよ不満そうにしてみせたことがあったが、「僕は悪くない」と見当違いの答えが返って来た。

さて、次は何を見ようかな、司はわくわくとリモコンを操作した。
前述の通り動画はタイトルで整理されていないし、ある時ごそっとHDDに納めたのかファイルの更新日時もすべて同じ。
おそらく、弟子の狼嵜光のために用意されたのだろうと司にも予想がついた。
一度は光のコーチをやめた彼だが、紆余曲折を経て現在は光の側に戻っている。僕はコーチじゃない、と言い張っているそうだが。
コーチじゃないならなんだとは誰もツッコまない、下手にツッコんで機嫌を損ねるのは得策でないためだ。
司は前回再生日が記録されていることにあるとき気がついた、夜鷹が自分の過去を振り返るとはあまり思えないためおそらく光が再生した記録なのだろう。
少なくとも夜鷹が戻って来て以降の再生記録は無い、彼等にしかわからない距離感と言うものがあるのだ。自分といのりの距離感が彼等にはわからないように。
しぜん、司は光が再生したものを追いかけるようにして次に見る動画を選んでいた。

大画面のTVの向かいに設置された、ふたりが腰を下ろしている黒いソファ。大人三人がゆったりと座る事ができるだろう立派なサイズである。
家主のこだわりではなく部屋のグレードに合わせて見繕われたものと思われるそれの、端に司は座るのが常だ。
司はTVのほうつまり前を向いて正しく座る。夜鷹はひじ掛けに上半身を預けて寝転がり、司の太腿に脚をながなが投げ出した。
そのため司は毎回クッションを太腿の上に置いていた、伸びて来た夜鷹の足をうやうやしくその上に乗せるためである。
ずいぶん大事に扱うんだね、などと夜鷹がいつだかきょとんと言うものだから司はドカンと来た。世界で一番の脚なんだよ!!と。
へえ、夜鷹は笑いもしなかった。笑いもしなかったが、司が夜鷹の脚が好きという情報だけはどうやら保存されたらしく足で触れてくることが増えた。
司は夜鷹の脚が好きだった。
身長が10cmも違うというのに司と夜鷹の太腿の太さはさほど違わない。
雰囲気や手首、腰、指の細さから誤解されがちだが夜鷹は決して華奢というわけではないのを、司はよく知っていた。
拝み倒して太腿に(もちろん服の上から!)触らせてもらうと、弾力がありしなやかで、ひとたび力を入れればどんな衝撃にも耐えうるように張り詰める。
だが、司は太腿よりも脹脛の下部分、さらに厳密にいえばスケート靴履き口の擦過痕から爪先にかけてが特別に好きだ。
どこもかしこも白く美しい夜鷹の肌の中でこの部分だけは違う。
トゥジャンプを受け続けた足指の背は関節が負けじと張り出し、皮膚も黒ずんだり分厚く固い。
治療されているものの足裏やカカトにはしっかりとタコもある。小指の爪は整えられていても隠せないほどの変形も見られる。
醜い足だった。
ちゃんと醜い。司と、いやスケーター全員と同じで、誰よりも醜い爪先。
醜いからこそ誇らかに美しい。
夜鷹純が決して魔法使いなんかじゃないとわからせてくれる、この足が司は心から好きだった。

『ウワァ!』
『なに』
『その足でこんなことしないでください!』
『ただの足だよ』
よくないファンサをどうやら、司は夜鷹に教えてしまったようだった。


ンッン、司は下手くそな咳払いでよくない脳内再生を無理に停めた。せっかくの勉強の機会に俺ときたら!バカ!人間だもの。
夜鷹の爪先をいただいているのがクッションの上でよかった。


「次、僕が選ぶ」
「はい、どうぞ」
珍しいなと思いながらリモコンを夜鷹へ手渡しす。かすかに驚いていた。
好きに見ればいいと言うだけの夜鷹が自分から選ぼうとするのは初めてだったからだ。

画面が切り替わる、リンクだ。
さほど古くないもののようで、スマートフォンでの撮影と思われる。あれ、ここ……
手にタブレットを持った眼鏡の男性が、画面から顔を上げる。
『はい、次の人。自己紹介とアピールをお願いします』
一人の長身の男が、眼鏡の男性の前に進み出た。
司の脳が警鐘を鳴らしたが、もう遅かった。
『NO21、明浦路司です。年齢は26歳、身長186センチ……無所属です。シングル経験はありません、スケート歴はアイスダンスを4年……得意なものは一応スケーティングです』
明浦路司。
再生されたのは4年前、司が最後に受けたアイスショーのキャストを決めるオーディションの動画だった。
『はい、では課題曲か自分のプログラムを踊って見せて』
『課題曲でお願いします』
アイスショーのオーディション課題曲が流れ始める。司は一礼し、氷を左足で押して第一歩を踏み出した。
振り付けは今だって思い出せるほど浮つかず叩き込まれていたし、画面の中の自分のスケートはちゃんと十分に美しい。
ひとつひとつのステップに対して真摯だし、オーディションに対して委縮している風も、逆に気負って前のめりになっている風もない。
悪くないじゃないか、そう今の司にも思えるほどには。
だけど。でも。でも。
「悪くないね」
夜鷹の発言は簡潔だった。いつも通りの物言い、彼の発言に裏も含みもない。だが額面通りに受け止めてもいけない。
司の顔から賑やかだった表情はすっかり立ち去っていた。
「十分な実力が君にはあった」
いつもなら司が声も出さずに全身でワーだのギャーだの反応するところ、それがないからか夜鷹は言葉を足す。
このままありがとうございますで終われるとは到底司は思えない、そんな思考ならもっと楽に生きていられた。
「事実だよ」
みっつも夜鷹純に連続で発言させた罰はとうとう下された。
「――けど届かなかった」
耳の奥で薄い氷が割れた音がする、じぶじぶと噴き出すのは汗じゃない。
氷の上でも陸の上でも首の骨ひとつひとつをやわらかく意識して動かすことができるはずなのに、司は夜鷹を振り向けない。
「君は何故落ちた?どうして選ばれなかった?」
「わ、かりません」
ただただ逃れたい一心で司が呻くと、夜鷹の手は容赦なくリモコンを操作してリピート再生をした。
やめろ。やめて。やめて。見たくない。
言えば止めてもらえたかもしれないが、言わなかったのでそれは続く。
『NO21、明浦路司です。年齢は26歳、身長186センチ……無所属です。シングル経験はありません、スケート歴はアイスダンスを4年……得意なものは一応スケーティングです』
いやだ、とめて。見たくない。見ないで。
画面の中でまた、司が滑り出す。美しく、そして選ばれない。
「君は自分が何故落ちたかもわからないの」
夜鷹のその声があんまりふつうだったから、なおさら司は首を絞められた。

なぜって。なぜってそれは。
思い浮かぶ言葉を、司は夜鷹には言えなかった。夜鷹純には言いたくなかった。
うつむいて司はクッションの端をぎゅっと握った。本当なら頭を抱えて小さくなってしまいたかった。
だが司の太腿には夜鷹の爪先がある。司と同じ、歪んだ小指の爪から目をそらせない。

「もうやめてください」
「……」
夜鷹は無言でリモコンを操作した。
動画は、司の地獄は止まったが、終わったわけではない。
「なぜこんなものを」
「慎一郎くんに言ったら見つけてくれた」
「っ、慎一郎先生も見たんですか!」
掠れた悲鳴のような声が出た、
「上手だって言ってたよ」
聞いておいて、聞きたくなかった。気を遣わせてしまったのだ、死ぬほど恥ずかしかった。
「…………貴方に、貴方や慎一郎先生にだけには見られたくなかった」
「ねえ、僕はそんな泣き言を聞きたいんじゃないんだけど」
「……え」
「僕が聞きたいのは君が何故落ちたかだ」
「わかりません」
「そう」
「……」
司がすっかり蒼白になっているのを夜鷹は無感動に見つめてくる。
「……なら、このオーディションで受かったのは誰?君じゃなくて選ばれたのは誰?」
「……わかり、ません……」
アイスショーが開催されたことは知っている。だが司はそのあといのりと出会ったばかりだったから――
「落ちた理由は聞かなかったの」
「聞きませんでした」
落ちた理由を運営に問い合わせるなどということは通常しない、したとしても回答してもらえないだろう。
中には当落についてのお問い合わせにはお答えできかねますとあらかじめ書かれているオーディションもあるぐらいだ。
だが、このオーディションがそうだったのかすら、司は知らない。覚えていないのではなく。
「なるほどね」
夜鷹は黙った。遠く厳しい沈黙だった。
司はぐっと上を向いた、涙が零れないようにするための予備動作だ。
涙腺というのだから涙は目から出てくるものなのに、どうしてだか喉の奥からこみあげてくるようで、口も開けない。

夜鷹の足がすっと司の頬を撫でた、頬は濡れていない。
だが人の顔を足で触るなんていうことは教えるまでもなく良くないことである。
「ちょっと」
さすがに咎めようと司が夜鷹の方を振り向くと、
「もういい」
ちょうど興味を無くしたようにリモコンを夜鷹が床にぼとんと落としたところだった。
夜鷹が起き上がり、司の太腿の上から脚を退かし、今度は手の指で司の首に触れる。
温度としてはヒヤリとしているが、その指にはほのどろめいた熱があった。
「……いやです」
「そう」
「いやですって」
「うん」
さっきは止めてくれたのに。
ソファの座面に背中を引き倒されながら、司はぼんやりと思った。
スケート以外やることなすこと雑な夜鷹だが、司をベッドやこうしたソファに横たえる時はとても丁寧だ。
それこそ司が夜鷹の爪先を丁重にクッションに戴く時のように、大切なものにするみたいに。
「いやだ」
「聞こえてるよ」
シャツをまくり上げられる、まっさきに心臓が狙われた。ルーティンのように夜鷹はまず、司の左胸にその冷たい手のひらを押しあてる。
「いやです」
「うん」
司は嫌だった。
夜鷹は律儀に司の言葉一つ一つに返事をするものの、止める事はない。
いやだといっておきながら、司も抵抗らしい抵抗はしない。くたくたのジーンズを脱がされる時に腰を浮かし夜鷹の動作を助けすらした。
だって抵抗して「もういい」って手放されたら怖いじゃないか。
でも嫌だった。
「やです」
「うん」
せめて司は夜鷹の首へ顔をうずめるみたいに思い切りしがみついた。夜鷹の体温も香りも肌も強く感じられてしまうが、あの鷹の目からだけは逃げられる。
「うん」
司が何も言わないのに夜鷹が頷いた。腰にぐっと押し当てられる夜鷹の欲望は、爪先とは別種の生々しさにすっかり猛っている。
なにもかも必要なさそうな孤高の美しい男が自分という存在に息を荒くして欲望を剥きだしてくるという、司がひそかに抱えていたよろこびは跡形もなく吹き飛んでしまった。
ただただ自分が恥ずかしくちっぽけに見えたので、それならさっさとめちゃくちゃにしてほしい。

『NO21、明浦路司です。年齢は26歳、身長186センチ……無所属です。シングル経験はありません、スケート歴はアイスダンスを4年……得意なものは一応スケーティングです』
俺は選ばれなかった。
いいじゃないか!今俺は、いのりさんのコーチをやっていて、幸せで、過去なんかもう、全部糧にしてしまっているんだ!

『なるほどね』
夜鷹の声がひたすらに怖かった。

「集中して」
「ぅあ!」

司が考えを取りまとめようとするたびに、夜鷹が突き崩してくる。なのに司の理性を失わせないよう、弱火で煮込むような抱き方を。
ちょくちょく自分の欲望を優先させるくせに、よりによって今日がそうじゃないなんて。
――低温調理、ちゃぷちゃぷと浅いところで溺れながら司が掴んだ単語はそれだ。夜鷹が調理する(あれは料理じゃないと司は思う)鶏むね肉を思い出す。
長時間低温調理をすればたんぱく質が固くなることもなく、やわらかく、しっとり、ジューシーで……

終わった後で夜鷹は裸のままラップに包まれた鶏ハムを二つ持ってきて、司にひとつを差し出した。
「鶏肉だよ」
「……」
無言で司が受け取ると、夜鷹はむしむしと鶏ハムを決められた回数があるかのように咀嚼して飲み込んだ。
「あと20分以内に食べて」
「はい」
運動後45分以内に食べると効率がいい。司はラップを剥がしてせめてがぶりと噛みついた。
涙の味っていうけれど、涙より味のしない鶏肉をしっかりと咀嚼して喉に押し込む。せり上がって来ていたはずの涙はもうそこにいない。

「わかってるよね」
「はい」

それからどうやって帰ったのかわからない、なんてことはなかった。シャワーを借りて、部屋を少し片づけて水を飲んで、
「じゃあね」
じゃあねと言われて別れ、司は電車に揺られて加護家へ帰った。あんなになりながら、今日は外泊しますと加護に送信するだけの余裕があった。
さほど空いていない腹に朝食を詰め込んで出勤する。
「いのりさん、こんにちは!」
「司先生!こんにちは~っ!」
無理はしていない。やることはもう、わかっているからだ。結束いのりを導く、それが今の司の仕事なのだ。そこに一つ課題が追加されただけ。
翌日は休みだ。司は加護と羊に少し考え事があるからと部屋に引きこもって一日しっかりと考えた。今までのように、とにかく体を動かして蹴散らす事はもうできない。
考え、そして司はスマートフォンを取り上げた。
メッセージ送信アプリを起動、連絡先に登録された銀色に輝ける5文字の名前を選び出す。

『すみません、二点ご相談とお願いがあり、お時間をいただきたいです』
既読はすぐについた。



あれから、いつも通りといつも以上をこなすこと、二カ月。
慎一郎が貸切った枠は真夜中というよりも明け方に近い時間帯である。
真夜中スケート会、慎一郎は親しみを込めて呼ぶそれ。だいたい月に1度、多くて2度。シーズン中はなかったりもする。
この二カ月の間に一度開催はあったが、司は誘いを断ったりしなかった。
だって勉強になる、知識を蓄えるだけじゃなくて実際に体に叩き込んで再現できるこんな機会は逃せない。
貸切料金は要らないと年長者二人に言われて、ちょっとだけ同好会時代を思い出さないでもないがそんななりふりは出世払いで支払うと決めたのだ。

90分の貸し切り枠、30分ほど経過したところで。
「よし」
パン!と司は頬を手袋の手のひらで打った。水でも被りたいところだがそうもいかない。
「明浦路先生」
近寄って来た慎一郎もどこか、緊張している。司はひそひそと慎一郎に小声で話しかけた。
「では、慎一郎先生、おねがいします……」
「!はい、わかりました」
「ねえ、距離が近いんじゃない」

スピンの練習をしていたはずの夜鷹が見逃さずに咎めた、スピンの最中でもまるで視野が狭まらないのだから本当に怖い。

「純くん、ちょっと」
「なに」
慎一郎が夜鷹をまあまあとなかば背中を押すように促してリンクサイドへと寄る。リンク中央に司が残された。
ゴホン!と威厳ある咳をはらって、鴗鳥慎一郎が大声で言った。
「それでは、自己紹介とアピールをしてください」
司は笑顔でそれを受ける。
「はい!フリー、明浦路司26歳、身長186cmです。アイスダンス選手として高峰瞳選手とカップルを組んで全日本に出場し、4位入賞しました。オリンピアンの高峰匠先生に4年ご指導いただき、スケーティングには自信があります。全日本銀メダリストの鴨川洸平選手と練習で男同士でカップルを組んだ経験もあり、男性のリフトも得意です」
「では、課題曲か自分のプログラムを踊って見せて」
「はい!課題曲をお願いします」
アイスショーの課題曲が慎一郎の手元のポータブルスピーカーから流れ始める。司は一礼し、氷を左足で押して第一歩を踏み出した。
曲も、演技内容もあの動画と同じだ。だが確実に違う。視線送りだ。
きっちりと夜鷹と慎一郎に要所要所で視線を送る。体を回転させる際に頭の回転を意識して最後まで残し続けた。
審査員へアピールすればするほど、体幹とエッジワークに狂いがない事も証明がされる。

「世話が焼けるね」
夜鷹が声と息の中間のような呟きをもらしながら腕を組んだ、その顔にはあるかなしか微笑みが浮かんでいる。
「ありがとうございました!」
華やかなレヴェランス。ここでも抜かりなく二人へ目を配る。
「うれしそうだね純くん」
「下手過ぎて見ていられなかっただけだよ」
「下手?とんでもない、とても上手だ」
「……そうじゃないって、わかってて言ってるよねそれ」
慎一郎がわざと突っ立ったままなので、ハラハラしている司を夜鷹がしぶしぶ自分で手招いた。
「……悪くないね」
「とても上手だと思います」
二人の口から出てきたのはこの間とまったく同じ感想だった。
司はしばらく沈黙してから、踏み切るようにして口を開く。
「……俺は、選ばれますか」
「……僕が受けていたら、君は選ばれてないだろうな」
「!」
司は口を押えてパッと顔を明るくした。これは事実上の合格宣言だった。
「よかったですね」
「はい!」
あの時夜鷹が悪くないと言い、慎一郎が上手だと言ったのは嘘ではない。
今回は視線送りの効果があるとはいえ、以前の司の技術自体に問題は無かった。
では何か、簡単だ、自己紹介とアピールの問題だ。
アイスショーのキャストオーディションは狭き門である、死ぬほど言われてつづけて当たり前になってしまっているが、本当にそうだ。
公演の企画段階で既にキャストはあらかた埋まっているし、〇〇さんのところの彼どう?などと身内だけで回り続けていく世界だ。
空いた席をオーディションで奪い合う訳だが、オーディションと名前がついていても実際には始まる前から内定しているなんてことだってざらだ。
売り出したい人間にハクをつけるためのオーディションというのはスケートに限った話ではない。それを簡単にデキレースだ不正だと切って捨てるのも難しい。
実際オーディションで審査員の目にとまり、そこでは合格できなかったとしても次につながるという事はあるだろう。
芽が出るかどうかはわからない、ほとんど「ない」に近い。だが種を植えて水をやり続けなければ絶対に芽吹く事はない。

事前内定が無かったとして、狭き門であることは変わりない。
まったくのゼロ実績の人間を取るなんてことは、ほぼありえないと言ってもいいだろう。


「見てもらいさえすればわかる、なんて見てもらうための努力を惜しんだ甘えに過ぎない」
夜鷹はオーディションそのものを受けた事はないが、彼がスケートに必要な環境に選ばれるために必要な努力を欠かしたことはない。
現役時代、練習と試合、睡眠以外の時間の多くを夜鷹はそこに費やしたと言ってもいい。
自分の実績を謙遜するほど、夜鷹が賭けて来た人生とかけてきたメダルは軽くないのだ。
だからもしオーディションを受けるとなったら、まず真っ先に夜鷹は自分がオリンピック金メダリストであると言うだろう。

「わかる?」
念を押した夜鷹に司ははっきりと頷いた。
「……はい」
司が美しい花だとしたら。
その美しい花を汚い新聞紙にくるんで輪ゴムで雑に束ね、そこいらに生えていましたといって差し出したようなものだ。
花は美しい花のままなのに。

無所属をフリーに、そして、メダルを逃したのではなく、4位だとマイナスをプラスに言い換えただけ。
そしてわかりやすくアイスダンス界では名前の知られた高峰親子の名前を出し、全日本2位の鴨川洸平との関係も匂わせる。
この人間をとっておいた方が得だ、と思わせる言い方にしただけだ。
それだけ。
それだけ、だがその効果は絶大なのだった。たらればの話を今更するつもりもないが、きっとこれなら司は受かっていた。
受かっていなかったにせよ、遠くないうちに誰かが声をかけていたはずだ。
「金メダル以外は実績にしない、自分の名前だけで勝負したいなんていうのは思い上がりだ」
「……はい、聞いていいですか」
「なに」
「もし!貴方なら、あなたならどうしましたか、金メダルも他人の名前も無い状態で……」
どうしても聞いてみたかった、他でもない夜鷹の言葉で司は納得したかった。
夜鷹の答えはシンプルだった。
「僕の滑りを見ればわかるよ」


「アハ!」
しゃっくりみたいに笑い声が跳び出した。まったくかなわない!
ここまで「どんなにいいものだとしても、前向きに見てもらわなければ始まらない」って話をつくづくと――司に至っては2カ月もの間こねくり回していたのに。
それが結局、「自分の滑りはすべてにも勝る」と言ってのけられてしまったのだ。
なんなら夜鷹が言い出した「見てもらうためにはアピールが大事だよ」って話である。
「アハハ!アハ、っも~~……ほんと、あ~~」
笑いが止まらない。たまらない、これでこそ夜鷹純だよと腹の底から司は笑った。慎一郎も笑っている。
夜鷹純。夜鷹純。貴方は俺が一生を賭けるにふさわしい男だよまったく!惚れ抜いた価値がある。

ぼろんと今更、大粒の涙が司の目尻からこぼれた。司は前を向いたままだったので、涙はそのまま頬の黒子を撫でてリンクに落ち、そのまま氷と一つになる。

「……俺はまた、間違えていたなって」
「何を?」
「いえ」
言い訳がましくってすぐには言えなかった、選手を引退してすぐ受けたオーディションではそういえば、全日本4位だと言ったり高峰父娘や鴨川洸平の名前を出した記憶がある。
貯金も全力も最高のパートナーも何もかもつぎ込んだ全日本4位のことを、そして、ここまで捧げたのだからどんな端役だとしても誰か選んでくれるだろうと司は信じていたのだ。
だが、前述の通りオーディションは狭き門だ。一度や二度の落選で司はどんどん自信を失い、自分の経歴に価値が無いのだから滑りを見てもらうしかないとのめりこんでいく。
「……滑りを見てもらえればわかるって、そう思ってたんですよ」
「君にはコーチが必要だった」
「え」
指先を軽く震わせながら夜鷹は視線を合わせずに言った。煙草で口元を覆わずに言うにはためらわれることを言う時の、ここ最近の夜鷹のクセのようなものだ。
「戦い方を知らない人間に、戦い方を教える人間が必要だったということだよ」
「……」
「高峰先生に相談すれば、すぐに答えが貰えただろうな」
「ぐ」
まったくもってその通りだった。再会した直後、匠に背中をどつかれたのも記憶に新しい。
『お前オーディション受けてるってなんで言わねえんだよ』
『そんな、だって』
逆にこのやりとりを思い出したので、今回の自己アピール更新の突破口になったとも言うのだが。
『弟子の後押しもできねえ男だって俺が思われるだろうが!瞳に!』
ドスを利かせながら冗談めかした言い方に救われる。
どこかで瞳の引退を穢し、また、匠も指導を止めてしまったことに対する罪悪感が司にはあったのだ。これもまた言えない。傲慢であった。

夜鷹は自分にはコーチは必要なかったと今も思っている。だが、コーチが必要な人間も居るのだという事を認めたのだ。
「……はい、俺はだから、正しく導くコーチになりたいと思います。いずれいのりさんも、生徒さんもオーディションを受けることがあるでしょう。オーディションの勝ち方も教えられるようになりたい」
司の宣言に夜鷹は目を細めた。それでも首をタテには振らない。内心で認めたとしても、動作では認めていない素振りをとり続ける。
わかったならいい。夜鷹がわざわざ尻を叩いてやった甲斐があるというものだ。
及第点だが、遅かったから合格とはいえない。まあ今日は一つ二つ、4Sを跳んで見せてあげてもいいかな。

「よぉしッ!」
しかし司は再び、二人に背を向けると元気よくリンク中央に戻った。
なに?夜鷹がいぶかしんでいると、慎一郎が良く通る声を張る。
「自己紹介とアピールをしてください!!」
「ルクス東山FSC所属明浦路司、30歳、身長186センチ。オリンピック女子金メダリストの結束いのり選手のコーチをやっています!得意技は高峰先生仕込みのスケーティングと、金メダリスト夜鷹純直伝、バックフリップです!」
「では課題曲か自分のプログラムを踊って見せて」
「はい!オリンピック銀メダリスト鴗鳥慎一郎が息子鴗鳥理凰さんのために振り付けた『GoForTheGold』です!許可を取ってお借りしました」
ポータブルスピーカーからの割れた音に合わせて、司は自信たっぷりに滑り始める。
べちン、夜鷹は傍らに立つ親友の尻を手のひらで叩く。筋肉が詰まっていていい音がした。
「……どういうこと」
自分の声があまりに低いのを、夜鷹はあえて無視した。
「シッ、」
慎一郎が人差し指を立てる。スマートフォンで動画撮影をしているのだ。
紹介でも言った通り、『GoForTheGold』は鴗鳥理凰のプログラムである。
司は二カ月前、慎一郎と理凰にこのプログラムで夜鷹へ挑戦させてほしいと頼み込んだ。
慎一郎は二つ返事で快諾したが、理凰は「……クソジジイのために俺のプログラムを?ヤダ!」と拒否をした。
プログラムは自分で作曲したもの以外は誰かのものと言うわけではない。
たとえば夜鷹純の代表的なプログラムと言えるLa cage aux oiseauxについて、夜鷹はこの曲は僕以外誰にも踊らせないと言ったが強制力があるわけではなく、誰でも自由に踊る事ができる。
司はそれでも二人に筋を通したかった。理凰は頼まれるうちに、ふと、「あのジジイへの嫌がらせとしていいかも……」などと悪い顔をし、手のひら返して応援することにした。
理凰は司のスケートに力があると信じている。それが司にはくすぐったくもあり、でも嬉しかった。賢い理凰は「動画に撮ってくれるなら」と約束を取り付けることも忘れない。
3年前に司が代演してみせたこのプログラムを、司はきっちりと二カ月をかけて磨き直した。隙間時間を使い、瞳や洸平に頭を下げて見てもらい、アドバイスも受けた。
司の伸びやかな手足を阻むものはもうない、誰かを気にして背中を丸めることもない、ただ前へ向かって。

『I'll go for the gold』
歌詞がここへ至った瞬間、司はぐっと頬を持ち上げて、笑ってみせた。

銀メダリスト鴗鳥慎一郎が息子理凰のためにあえて『金』を目指す曲を選んだのは界隈では有名な話である。
俺は貴方の高みへ至ってみせる。
司にとってはこの瞬間、『金』を夜鷹純に見立てていた。


ジャンプは一回だけ、2Aをなんでもない顔をして静かに降りる。司はジャンプを跳ばないはずのアイスダンスの選手であることは、今更言うまでもない。
3年前の代演ではイチかバチかの1Aだったところが2Aにアップグレードされていることを、慎一郎も夜鷹も知らない。理凰と瞳、そしていのりだけが動画を見て『見たかァ!』ガッツポーズをすることになるだろう。
着氷後の流れを活かしてフライングキャメルスピンへ入る、腹筋に力を入れ、難易度の高い角度に変更。
最後の最後、切り開くようなウィンドミルから、曲の雰囲気を壊さないようにしてのバックフリップ。
着氷の音は静かだった、あの花火みたいな音はもうしない。
司は送るというより放つように視線を慎一郎とそして夜鷹へと向け続ける。
「ははっ」
誰が聞いてもはっきりとわかる、はしゃぐような笑い声が思わず夜鷹の口からせき止めきれずにこぼれた。
きっちりとそれは録画におさまる。夜鷹は慎一郎のように咳払いをしてごまかすことができないので、ただ面白くなさそうに口を結んだ。
司は夜鷹をたまらなく眩しいものとして扱うが、夜鷹だって司から目を離せない。

きっかけは些細なことである。司の滑りを見ていた慎一郎がふと呟いた。
『理凰が言うんだよ、明浦路先生がアイスショーで滑るところを見てみたかったって。私もそう思う、でも、不思議だね』
『何が不思議なの』
『何度もオーディションに落ちたそうなんだ、あれだけの実力があって。何故かな……』
『オーディションでも失敗したんだろう、本番に弱いのかもね』
『そうだろうか、ぶっつけ本番で理凰のプログラムを再現してみせるような人が?』
『ねえ、オーディションの動画とか無いの』
『……探してみようかな』
ほんの興味本位で慎一郎が探し、そして動画が見つかった。

「純くん、あったよ」
「ありがとう」
これは、夜鷹が尻を叩いてやる話だ。


「ありがとうございました、」
静止。レヴェランス。今度こそ司のすべてをそこに置いた。悔いは無い、どころか勝利を確信した司の頬に、じょじょに得意げな血色が頬に花開いていく。
やり終えたのではなくやり切ったという今までにない充実感を噛み締めている。


もの言いたげな夜鷹に向かって、動画撮影を終えた慎一郎はこちらも得意げで――さらには妻直伝のウインクをひとつしてみせた。昔は両目だったのに、今じゃ器用なものである。
「僕は君と違ってエンターテイナーからね、人が喜んだりワクワクするのが好きなんだよ」
「……」
この二カ月、企み続けてきたのはこれか。
司が何かやっているなということぐらい夜鷹は気づいていたし、慎一郎の助力や関与も想像の範囲内だ。
そしてこれはあの時の夜鷹の問いへの答えを用意するためだと確信もしていた。
だって司は夜鷹から与えられた宿題から逃げない。司は夜鷹にとっての未熟なエンターテイナー。
あとはそれがいつになるのかだけだ。だいたい司は何をやらせてもいつも遅い、要領が悪いのだろうと夜鷹は思っている。
「……呆れる」
開始前の自己アピールに『オリンピック金メダリスト結束選手』なんて盛り込んでくるところも抜け目がない。
遅刻常習証明途中の、間抜けな男のくせに。

「生意気だね」
いまいましいと言いたげな夜鷹だが、ひどく嬉しそうに慎一郎には見えた。
「……」
「……それにこういうのって、ふつう、僕のプログラムを踊ってみせるものじゃないの」
夜鷹純のぶつくさに、慎一郎が顔を背けて盛大に噴き出した。伝説が言うに事欠いてふつうを持ち出してくるのだからおかしい。
「……なに」
あの夜、司は泣きそうになるの必死にこらえながらやめて、いやだ、みないで、と夜鷹へ縋り付いてきたあのあわれさをどこに置いてきたのか。ああいうのも悪くなかったけど。
どうにも掻き毟ったり手折りたくなるような衝動を夜鷹にもたらす男が、今はニカ!とふてぶてしく笑って夜鷹が手招きするのを待っている。上手に芸ができた犬みたいに。
「僕と明浦路先生は身長が同じだからね。君のための振り付けよりこっちの方が絶対映えますから!って」
「もういい」
「それに、オーディションで審査員の過去作を踊って見せるっていうのは有効なアピールなんじゃないかな」
「チッ!」
今度こそ、舌打ちが出た。もう一回ぶたれたいのかな、夜鷹は手のひらをかざして見せる。


ひるまない男、鴗鳥慎一郎は挑んだ。
「ふふ!ねえ純くん、理凰が教えてくれたんだけどね、こういう時、エヘン、――『見なよ、オレの司を』って言うんだって」
返事の代わりに、夜鷹はもう一度、高らかに親友の尻を平手で打つ。
パァン!!エコーが二つかかるほどの大きな音。
「ちょっと!?ケンカですか!?」
叩くべき尻が駆けつけてくる。夜鷹は手を振りかぶった。

コメント

  • Lily
    3月27日
  • 猫木乃伊
    1月25日
  • ゴンタ

    自己アピール!先生やらかしてそうです!でもちゃんと突き付けてもらって、練り直して戦える武器に仕上げて、課題曲まで…!履歴書に続いて(違う世界線?)、また先生のスケーターとしての経験値アップですね!遅刻常習犯だけど! 「得意げな血色が頬に花開いていく」の表現が好きです素敵…!

    2025年8月10日
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