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この作品「さしあたってはお友達!」は「よだつか」「夜明」等のタグがつけられた作品です。
さしあたってはお友達!/ととたの小説

さしあたってはお友達!

12,351文字24分

単行本6巻をしんいちろうくん側から見た時空のよだつかの話です
大注意:原作軸最新話SP8までの内容を一部含みます
中注意:よだつかについて今一度6巻を読み考え考えしながら書いたため、台詞の引用が多いです
小注意:しんいちろうくんの一人称が僕と私が混ざっているのは一応わざとです
諸諸お許しください

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「あれは私のエゴだったのです」
鴗鳥慎一郎は笑った。


明浦路司先生は、ルクス東山FSCの新人アシスタントコーチである。
ルクス東山FSCヘッドコーチである高峰瞳先生に推薦され、伸び悩んでいた息子理凰の指導を引き受けて下さった。
名港ウィンドのヘッドコーチとして、そして一人の父親としての指導が至らなかったのは悔しく、残念ではある。
けれど、悩み曇った理凰の目が少しでも晴れ、固くこわばった背を少しでも押してくれたら。打開のきっかけになれば。
うまくいったら儲けもんでしょ、輝也くん風に言い方ならそういうことになる。
それがどうだろう。
あの気難しく周りからの評価を気にしてかたくなで攻撃的になっていた理凰が、合宿から戻ってきたら光の戸惑いにも気づかないほどのベタ褒め。
これからも明浦路先生に定期的にスケーティングを習いに行きたいと言い出すほど。
「挑戦は気楽に……ってね、ジャンプの時の軸まで細かく指導してくれて!まあでもスケーティング指導は超厳しいんだけど……」
嬉しいけど父さんだって、その問題点は指摘してきてたんだよ。言いたかったが、口をつぐむことにした。
彼はいったいどんな魔法をかけてくれたのだろう、どんな人なのだろう。
「あ、ねえ父さん、あのさ、……あのジジイの事って俺達の他にも……」
「こら理凰、言葉遣い」
「……うん、いや、なんでもない」
おれたちのほかにも、あの時理凰が口走りかけた言葉を、私はついそのまま失念してしまっていた。



中部ブロック大会、結束いのり選手は誰もが驚くような方法で優勝した。その夜。
とうとう私は明浦路先生とゆっくり話すことに成功した。
初心者といってもいい少女になぜこんな優勝のみを狙う高い難易度の構成を、と尋ねれば、
「狼嵜光選手に挑むために」
あの時の理凰の言葉の答えはここにあった。
「明浦路先生は純くんのことを知っているのですね」
明浦路先生ははッと顔色を変えた。彼が嘘のつけない人だという事がよくわかった。
純くんはあの通り嘘が下手で目立つ人間だから、過去も数人「知ってしまった」人は居た。そのたび手を回して必死に隠してきた。
だが、彼は下世話な好奇心やファン心理などではなく、夜闇の中でも湧き立つように目を輝かせている。
この目を慎一郎も純も知っている、挑戦者の目だ。
「先ほどは黙ってていただきありがとうございました」
純くんと光。二人の努力や栄光を掠め取っているような気持ちをもうずっと抱えている。
どうも純くんと光の事を話すとき、後ろめたく自虐的になりすぎてしまうようだ。
妻のエイヴァから何度も言われたことだった。
「俺は狼嵜選手のコーチである鴗鳥先生を知っています」
明浦路先生は食い下がる、
「誰かに誤解されるようなことがあって欲しくない……」
いい人、彼を一番簡単にあらわそうとすればそう言う事だろう。だがそれ以上を私は明浦路先生に感じた。
『伝説のオリンピック金メダリストで、今は公の場に姿を現さない夜鷹純が天才少女の裏コーチをしている!』
そんなセンセーショナルな情報を手にしておきながら、明浦路先生が真っ先に口にしたのは私への気遣いである。
理凰が心を開いたのは、この人柄にだろうか。


この時、鴗鳥慎一郎は一つ、賭けた。

「家でお茶でもいかがですか。もう少しお話を」
「え、あ……」
嘘は言っていない、だが、純くんと貸し切りで1枠滑ること、リンクへの移動のために家に純くんが来ることをあえて言わなかった。
普段から押しが強いとは言われるが、この時は有無を言わせぬ圧をかけた。
出迎えてくれた妻エイヴァは当然この後純くんが来ることを知っている、にもかかわらず人を連れて来たという事から何か感じ取ったのだろう。
気を遣わず話がしやすいよう庭のテーブルへ案内してくれた。

「信じてくれるのですね、私が純くんの功績を横取りするつもりではないと……」
また、自虐的な言い方になってしまった。明浦路先生は自分までも罪人のように顔を歪める。
「私の意思で彼の存在を隠しています……純くんと光を守るために」
打ち明けて僕は自分の今までにない気持ちにも気づいた、明浦路先生は私に「誰かに誤解されるようなことがあって欲しくない」と言ったが、
いま、僕は彼に誤解されたくないのだと願ったのだ。
誰かに強要されたわけでもなく、お金でも名誉の目当てでもなく、私自身の意思で彼らを支援していると明浦路先生にわかってほしい。
言葉や振る舞いは相手がどう受け取るかどうかだ、指導者としても「どう受け取られるか」は気を付けているほうだ。
根本にある「この人間に誤解されたくない」という欲望が強く揺さぶられた。自分の事だけではない、鴗鳥慎一郎が守りたい狼嵜光と夜鷹純、そしてこの関係性を。
彼に、明浦路先生には正しく受け取って欲しかった。
理凰が心を開いたのは、この欲求からだろうか。


金メダリスト夜鷹純の引退。あの時は故障だの結婚だの転向だの果ては政界への進出だの、少ない言葉からないことないこと無理やり火を点けてメディアは書き立てた。
あるメディアは『飽きた。』などと彼の普段からのぶっきらぼうさを押し出した。
ゼロにいくつかけてもゼロなのだ。怒りを通り越して呆れのため息しかでてこないような記事たち。
慎一郎はその中で『彼は天から我々へ一時的に貸し出されていただけなのだ』と書かれた記事に目を留めた。
『役目を終えて、また天に帰っていく』一見美しい光景で、一定の納得のいく解釈に見える。
だが、夜鷹純は医学的にもまっとうな人間である、人間がこの地上に居場所がないというのは――苦痛だ。
慎一郎自身、怪我や育児のために氷の上から離れるか迷っていた時期の息苦しさは今も忘れられない。
先日純くんは光を伴ってロシアへ行った。海外へ行くことはこれが初めてではないが寒い国へ行く時は、氷への衝動のまま帰ってこなかったら、などと胸をよぎる。
そんな不安の糸をいつも私は「お土産楽しみにしてるよ」の一言に変えていた。

明浦路先生に打ち明けてしまうと、ちょうど彼がやってくるのが見えた。明浦路先生の背後から向かってくるので、気づいていないだろう。
「喋りすぎだよ慎一郎くん。……誰に何を話しているの」
室内よりは暗いだろう庭に、ほんものの夜がやって来た。だまし討たれた格好の明浦路先生は大きな瞳をさらに見開いて、硬直した。
もう少し、彼に賭けてみよう。
鴗鳥慎一郎は決めた。

「一緒に滑りに行きませんか」
一瞬、純くんはこちらへチラリと鋭い視線を向けた。どういうつもりと問いかけてくるその視線を、わざと僕は気づかないフリをした。



リンクについてしまえば、もう彼は夜鷹純でしかありえない。人間のしがらみなど全部忘れたように美しい絶対をブレードで氷へ描いていく。
「これが……夜鷹純」
明浦路先生は当初慣れない靴のために転倒をしたものの、その恥ずかしさや痛みなど、目の前を空気ごと切り裂いていく純くんのスケートにすべてが吹き飛んだようだった。
自分と違って童顔と言っていいだろう横顔は、さらに若く――子供、ほんの子供のように見える。
「私は光だけじゃなく夜鷹純のこのスケートも守りたいんです」
「俺――夜鷹純の大ファンだったのでその話聞けて良かったです」
大ファンだったらしい。自分への接し方、リンクサイドで見る選手やヘッドコーチとのかかわりあい方、それから理凰から聞いていた性格からすればもっと大騒ぎしそうなものなのに。
だというのに彼ははしゃいだり興奮することもなく、どこか純くんを見ながら遠く、
「俺と真逆だな」
とつぶやいた。真逆、その言葉はやけに僕の耳に残る。
だがそこからは、子犬が初めて見た雪原へ飛び出すように、子供がようやく見つけた親に駆け寄るように、彼は氷へ乗った。

明浦路先生がアイスダンスの選手だったということは聞いて知っていた。結果は満足のいくものではなく、選手人生はおどろくほど短かったとも。
だが靴を渡すときにジャンプも跳んでくださいとあえて言った、理凰から1Aだったのにすごくきれいだった、もっと跳べると思うんだけどな…と聞いていたのもある。
彼は果敢にというよりは跳ぶしかないのだというように跳んだ、そして即座に転倒する。若々しい転び方だった、後先を考えずただ跳びたくて跳んだ、慎一郎にも覚えのある懐かしい衝動任せのジャンプ。
そんな明浦路先生のジャンプを見て、純くんはわずかに反応をしめした。視界に入っただけといえばそれまでだけど、彼の視界に入る事の難しさを僕は知っている。
お手本のように純くんは彼が転倒したジャンプを跳んで見せ、明浦路先生はそれをまばたきも忘れて見ていた。
もう2回立て続けに純くんはルッツを跳ぶ。おやと思った。
純くんが同じジャンプばかり跳ぶことは少ない、自分の手持ちの武器を取り出しては磨くように跳ぶ。
時々、自分の中に引っかかりがあれば納得するまで整えるために繰り返すようなことはあるが。
だからこの時の純くんは少し、珍しかった。まるで明浦路先生にそれこそお手本を見せてあげているような。
明浦路先生の目はファンの目ではない、あれが欲しい、そういう食らいつくような目。
ああなりたい、ああなれたらいいのに!何度も願って見つめた夜鷹純のジャンプ。
あの視線は、現役時代に僕もやった。懐かしいまなざしだ。
だが明浦路先生は僕と少し違った、
ああなりたい、ああなれたらいいのに、ああなるには、何が違う?ああなるには、あと何が必要?
純くんのジャンプを見ては後追いで明浦路先生も跳ぶ、もちろん回転数は少ないし、まだまだたどり着いていない。
試しに自分も久しぶりに3Lzを跳んでみた、鈍ったかな、少し着氷が乱れた。
明浦路先生と視線が合った。純くんが受けた視線が、今度は僕に刺さった。
これもほしい、こうなりたい!こうなれたらいいのに、こうなるには――なるには。
――ああ、この視線は、癖になる。
次の明浦路先生のジャンプは目に見えて軌道が変わった、あれは僕の腕の振り上げ方だ。
ここまでくると純くんもはっきりとわかるほど彼から見やすい角度で跳んでいた。
僕もそうした。純くんと明浦路先生は体格が違う、僕の方が近い。それなら、このほうがいい。
指導というつもりはなかった、もちろん試練だとも思わない。
なんだろう、彼がどうなるのかを見たかった。きっと純くんもそうだった。競い合うというよりも奪い合うように跳び続ける。
誰も何もしゃべらない、明浦路先生が2Lzをやや回転不足ながら転倒せずに着氷できるようになるまでそれは続いた。



「慎一郎くん、彼いつまで選手やってたの」
まだジャンプ練習を続ける明浦路先生を置いて、とうとう純くんは僕に尋ねた。久しぶりに息が切れるほどジャンプを続けたせいでかいた汗もあり、ひやりとぞわりの中間のような衝撃が走る。
「高峰瞳先生に聞いた話では24だったかな……」
つとめて声を冷静に保ちながら、僕は興奮していた。
「そもそも本格的に始めたのが20歳だったらしい」
純くんの前髪に隠れた眉がひくりと反応した。20歳とは純くんが氷を降りた年齢で、20歳とは明浦路先生が氷に乗った年齢だ。

明浦路先生はジャンプの助走から見直そうとしているようで、足首の調子を見るためかステップをいくつか踏んでいた。
たった数秒の基本のステップ、理凰は「教科書よりきれい」と言った。正しい。教科書のように正確というには伸びやかすぎる。スポーツでもあるが、これは美に至るための表現芸術。
どれほど積み上げてきたのかという質問は純くんも僕も何度も受けたことがあるが、同じことを彼に聞きたくなる。
気付けば、純くんも彼を見ていた。

ようやく私は気づいた。理凰が心を開いたのは何よりこのスケートにだ。
人でなしのようなことを言ってしまえば、僕等はスケーターとして生きている。理凰などは生まれた瞬間にスケートが常に横にあり苦しい思いをさせてしまった。
元気で明るい笑顔や優しい言葉、ほがらかで誠実な性格、どれももちろん素晴らしいがそれらを差し置いて、美しいスケートという絶対の説得がそこにあった。

認識が改まる、そしてそれは僕の親友も同じだったようだ。

「君、バックフリップできる?」
天から我々へ一時的に貸し出されていただけとまで言われた彼が、地上に視線を向け、声をかけた。
状況がつかめないでいる明浦路先生を純くんにしては気長に3秒は待ち、そして、まず自らが跳んで見せる。
見逃すな、見ているぞ、そんな視線を送りながら。
「見た?」
こともなげにバックフリップを着氷した純くんは手短に言った。
「やって」
昔、僕が3Aに苦戦していた時に、『こうだよ』と純が跳んでくれたことがある。
光の指導というのも言葉で説明をするのではなく、正しい形を見せるだけだと言う。
ではこれは、今度こそは指導で、試練だ。
僕はすっかり興奮して大声を出したかった、だが、むしろ止めるようにした方が彼の気は削がれない。
「いきなりじゃ怪我をしてしまう……」
おとなしくしていた大人の自分がようやっと声をだす。バックフリップは難易度も危険性の高い大技だ。つい最近まで禁止されていた位で、プログラム構成に入れる人もほぼいない。
打ちどころを間違えば大怪我どころでは済まない事もある。
バックフリップを見ただけでやらせようなんて、無茶もいいところだ。
僕のその大人の理屈を聞き流しながら、純くんは僕にスマホを構えさせた。
純くんが誰かの動画を撮りたがるなんて正真正銘初めてだ。
握られた手首には痛いほど力が籠められている。
危ない、止めた方がいい、でも、純くんがそういうって事は。きっと。

彼は跳んだ。
不格好で危うく、けど、ちゃんと跳んだ。
着氷の大きな音が何回も反響する、脳が揺れているのかと錯覚した。

「アイスショーのキャストオーディションもう一度行きなよ」
僕は納得した。純くんは彼を、氷に乗る資格があると認めたのだ。慎一郎くんに頼めば絶対に受かるよ。いや、僕にそんな権限はないけど……。

「ありがとうございます、でも俺はもうその道は辞めたんです」
お人形みたい、以前汐恩は純くんの顔をそういった。父と同い年の30代後半の男性にとうてい言う言葉ではないが、言っている事はわかる。
美しいまま固定されたその顔に、友達の僕じゃなくても誰でもわかるほど不満の色が乗った。
純くんは子供でいることを許されずに大人にされた人間である、だがその歪みは性格の端々に影響した。例えば癇癪なんかもそう。
明浦路先生の反応にムスッとしている、これは『僕の言う事がきけないのか』だ。
氷の上において最強だった自分が才能を認め、道を示したのだから、ありがとうございますと頭を下げてそっちへ行く以外にないだろうと。
なのになんで?僕の言う事がきけないの。
腹を立てた純くんはいつも以上に余計なことを言うし、言葉が足りなくなる、鋭くなる。
現役時代は慎一郎だって何回も泣いたり怒ったりした。スマフォを返してくる手つきもパンと乱暴だ、人の持ち物は丁寧に扱わないとダメだよ。
「可能性をその歳で捨てて裏方の仕事を選んだ君を褒めていない」
ああ、またこんな風に言う。自分は二十歳で引退した時にあれだけ引き留められても振り切ったのに。
言葉は少なくてとげとげしいが、こんなに喋る純くんは本当に本当に珍しいんだよと世界に向けて僕は言いたい。

「覚えてるよ君のこと。去年の名港杯の後、光に勝つとかいう無謀な目標を掲げてた選手のコーチだね」
なるほどそれでか。たしかに明浦路先生も「狼嵜選手に勝つため」とはっきり言っていた。
「君はまだ滑れるはずだ。右も左も分かっていない子供の夢に奉仕する必要はあるのか」
苛立ちのまま険しい口調ではあるもののそれでも、正しい道を教えてやろうとする純くんなりの親切に満ちた言葉だった。
だがその親切を親切と受け取れる人がほとんどいないだろう。
「純くん」
僕だってさすがにそれは難しい、僕だって子供の夢に奉仕するコーチをやっているんだよ。
そう言ったら純くんは困るだろう。きっと困って、「君はいいんだよ」とか言うんだろうな。
だが明浦路先生はひるまなかった、それどころかはっきりと言った。
「今の俺には金メダリストを目指す結束いのり選手に任されている限り、コーチの仕事を全力で務めあげるという夢があります」
こく、と一つ飲み込むと彼は喉を引きつらせながら続けた。誰から見ても彼はわかるほど緊張し、かすかにふるえている。
格上どころではない、大ファンだと言っていたその存在から目をかけられ、導きの言葉をかけられ、それを否定し、その上で自分を立証しようとしている。
怖いどころの話ではないだろう。
それでも明浦路先生は言った。
「これが俺の可能性の使い方なんです」
目を逸らしたことのない純くんが、ふっと顔をうつむけて表情が隠される。
「……君はいいコーチになれるかもしれないね」
顔を上げる、もう、見慣れたいつもの純くんの顔だった。
「でもあの子の夢は叶わない」
はっきり断言されて明浦路先生は物も言えないでいる。それはそうだろう。明浦路先生はさぞ動揺しているだろうが、この場で一番動揺しているのは絶対に僕だった。
『いいコーチになれるかもしれないね』
純くんは今、なんといった、聞き間違いではなかったか。現役時代から一年でコーチもクラブも変えて、必要なものを習得したら捨ててきた彼が言った言葉か?
いいコーチになれるよ、なんて、夜鷹純が言う事の重みを僕は、ずっとそばで見て来た鴗鳥慎一郎は正しく理解しているはずだ。
誰か、誠二くん、梟木先生、誰か。さっきのジャンプ練習よりももっとざわざわ心臓が騒いでいる、自分の管理できる以上の衝撃に脈拍ひとつひとつ痛いぐらい。
僕が誰かに助けを求めている間に話はどんどん進んでいく、
「狼嵜光は生涯全ての大会で必ず金メダリストにする」
純くんの宣言には熱がこもっていた、これは、光の人生の話ではなく、純くんの人生の話でもある。
「僕はスケート人生を賭けて証明した」
眩しさというよりは、いたましさ。その証明のために捧げられていった数々の大切なものたち。
慎一郎はすべてを知っているわけではない、だがいくつかは知っている。真っ先に自分の人生を捧げ、すべてを見て来た純は続けた。
「正真正銘の実力だ」
ほとんど自分に言い聞かせるように純くんの告白は続く。
「僕の選択は最も正しかったから世界一になった……」
長年親友をやっているとわかるが、普段暮らしやものごとに対して投げやりな純くんは『自分の正しさ』に対してかなりつよく執着する。
捧げて来た犠牲が大切で価値のある尊いものだったためだ。
夜鷹純は最も正しかった、つまり支払ってきた犠牲には価値があった。この公式を彼はずっと守り続けている。
『僕は正しかったから金メダリストになった』これは口癖のようなものだ。
以前軽い気持ちで慎一郎が「じゃあ僕は正しくなかったのかな」とつい、本当につい口を滑らせてしまったことがある。
その時どんな顔をしていたのか愚かにも忘れてしまったが、次に会った時にわざわざ、『僕の選択は最も正しかった』とややうろうろとした声で、慎一郎の背中に向かって投げかけた。振り返った時にはもういなかった。
彼はそういうところがあった。

私の感傷は一瞬だった。これはもう何度も取り出しては思い返している。
こうまで言われても、明浦路先生は折れなかった。自分には実績どころか何もないのに、と呟いていた彼は顔を上げる。
守るようにだろうか、それとも勝つためにだろうか。
「わからないですよ、氷の上に絶対はない!」
その言葉はヤケになったわけでも、ビッグマウスでもない。かといって用意されていた言葉でもないだろう。
ただそこに一つ焼けるような信念という骨が通った言葉だった。

「ははっ」
彼が肩を揺らし声を上げて笑うのを、数年ぶりに見たし聞いた。
純くんはお人形さんみたいな見た目をしているけど中身は僕と同じおじさんだ。
だいぶ相当気難しくてぶかっこうなこどもっぽいおじさんだけど、感性が死んでいるわけではないのできれいなものを見れば険しさが遠ざかるし、興味深いものを見れば目を惹かれる。
でもこんな風に、こみ上げてくる笑いに内側から破られる――文字通りの破顔の笑い。
朝日のようなまぶしい啖呵を切ったばかりの明浦路先生はさっそく震え固まった。怖かったに違いない、けど僕はもうそれどころではなかった。


「来月の全日本で証明してね」
「はい!」
純くんの言葉に、明浦路先生は最後まで膝をつかずに受けて立った。
僕はこの時決意した。
なんとしてもなんとしてでも、明浦路先生には純くんを地上に繋ぎ止めるための糸の一本になってもらおうと決めた。
明浦路先生には力がある。彼は純くんの視界に入り、興味を惹いた、氷に乗れとまで言った、これは私だけがわかる偉業のドアノブに手をかけるようなものだ。
『約束をしてくれないか』
あの時、僕は純くんに自分を見ていてと持ち掛けた。
怪我のためにオリンピックの選考から漏れ、子供が生まれ、スケートと父親『どちら』の道を選ぶべきかと僕は迷っていた。
何度もエイヴァと話し合い、答えは見えなかった。どちらも正しそうで、どちらも間違いに思えた、一晩寝起きするだけで昨日の正解を疑った。
そんな中で純くんは今にも途絶えそうな身体で現れ、誰より捧げて選択肢の無かったにも関わらず僕に『どちらも』を選ばせてくれた。
『見守ってよ』
『……うん、いいよ』
あの時から僕は欲張りになった。
今は光や僕、エイヴァに汐恩、嫌がってるけど理凰でより集まっているその中に加わってもらおう。

純くんを天に返したりなんかしないぞ、僕はその時決めた。
僕は欲張りだから、純くんの幸せも願う、全部手に入れる。
「明浦路先生、先日の貸し切りは大変刺激的でした。是非またご一緒させてください」
「明浦路先生、私の靴はあのリンクに預けておきます。名前を出せばいつでも使えるようにしておきました」
「明浦路先生は過去のプログラムには興味はありませんか?先日自宅を整理したら古いものが見つかったのでご覧になりませんか」
「明浦路先生、理凰が後学のためにアイスダンスのプログラムでおすすめを教えて欲しいと言っています」
「明浦路先生、自分もジャンプ指導のために改めて4回転を跳び直しているのですがよかったら……」
「はひぇ」
私が使えるものは使えるだけ使おう、たとえば、優先して予約できる貸し切り枠、たとえば、もう使っていないスケート靴、たとえば、家に整理してある過去の画像や雑誌、たとえば、彼のことが大好きな息子、たとえば、銀メダリストの4回転ジャンプ――
「お、俺なんかでよかったら……」
この『なんか』を取り除くのは至難の業だと後になって気づいた。
でも絶対に僕は諦めない、全部を手に入れる。僕を幼い頃から知っている誠二君なんかは、「お前は最初っからそういうやつだったよ」と笑うかもしれない。

明浦路先生、貴方にはさしあたって、純くんのお友達になっていただきます。


そう、勝手に意気込んでしばらくしてのある日だ。
「……彼に泣かれた」
家に来るなり僕がお茶を淹れるどころか用意に立つよりも早く、煙草に火を点けながらぼそりと純くんが言った。
焦りのためにかいつもよりぎゅっと最初のひと吸い目は強く先端のオレンジを鮮やかに。
彼とは明浦路先生の事である。
その日の前日、私は生徒さんの一人の病院に付き添ったために純くんと明浦路先生は二人きりで氷に乗っていた。
これは初めてではない、たしか四回目だった。純くんが明浦路先生を遠ざける事はほぼないと確信していた、なにしろ彼がわざわざ人に話しかけたり導いたりすることは貴重だ。
純くん自身も人付き合いが得意ではないと自覚している、この数年は光や僕ぐらいとしか接していなかった。
いきなり二人きりにして明浦路先生に逃げられては困る。ただでさえ純くんのファンなのだ。
少しずつ二人の時間を増やそうと画策した。お友達作戦は順調だったはずだ。
一回目は遅刻、二回目は大幅に遅刻、三回目は最後に顔を出すだけ――徐々に徐々に、少しずつ。病院の付き添いはさすがに偶然だったけれど。
「……純くん、正確に。泣かれたのか、泣かせたのかでだいぶ違う」
「些細な話だよ。――僕が何か言って、彼が何かくだらないことを言って、それに僕が何か言って、…………そしたら彼が泣いた、僕が何を言ったかなんていちいち覚えてないよそんなの」
やけに饒舌な時の純くんは、自分でもやや後ろめたい時だ。煙を吐き出す口実でか、顔も目線も背けた。
「それを世の中では『泣かせた』って言うんだよ」
「……」
純くんが黙る。申し訳ないがこの時まで純くんのいつもの『正しさ』の一つだと思っていた。
正しい事は言っても良い事である、そういう信念のある純くんの言葉は、彼が強すぎるがゆえに口数の少なさのわりに人を打ちのめす。
思わず泣いてしまってもまあ仕方のないことだ、少しばかり僕は純くんに慣れ過ぎていたのも事実である。
もう少し優しい言葉をかけてあげたらどうだろう、などと純くん側にどうしても立って言葉を選んでいると、

「……まさかあんな風に泣くなんて……思わなかった」
「じ、」
今なんて言った?思わず用意していた答えがどこかに飛んで行ってしまった。
純くん、マジか。
思わず生徒さんや輝也くんみたいな口調になるところだった。あぶないところだった。
「もしかして、明浦路先生が泣くところを見たの初めて?」
「?うん」
当たり前のように頷かれて二度目の純くんマジかが喉の奥で暴れる。

明浦路先生は大変に感動屋さんである。理凰によれば合宿の目標シートを提出した時は大泣きし、しばらくうっくうっくと子供のように嗚咽が止まらなかったという。
よほど感情が豊かなんだなと思っていたら自分も中部ブロック大会で大泣きする彼を見ていた。
目尻に滲むどころではなく眼球の表面に涙がみるみる膜を張って、ぼろぼろと零れる。見事な泣き方だった。
それを見た高峰瞳先生は「また泣いてる!」と動揺するどころか、「ハンカチ二枚持ちなさいっていつも言ってるでしょ」と手慣れた様子。
元カップルを組んでいたとはいえ、あまりに素っ気ない。
「まーた泣いてる」なんて声もちらほら聞こえる。
注視してみればたしかに頻繁に泣いている、涙がこぼれずにじむにとどまるものは数えるのを諦めてしまったくらいに。
明浦路先生を知る人間からすれば、彼は「しょっちゅう泣いてる人間」という評価になるだろう。そこに私も異論はない。
だが、純くんは違うようだった。
誤解されやすいが彼は優しさを持つ人間なのだ。ちょっと言葉の過不足がありすぎて鋭すぎるだけで……どうも、分の悪い擁護をしてしまう。

純くんの手にした煙草から、ぼろりと白い灰が落ちた。彼はこの家で煙草の灰を落とさないように気を付けている。
よほど驚いたのだろう。
自嘲の笑いすら思いつかないのかぼんやりと、
「考えてみれば僕は彼がどんな風に笑うのかも知らない」
「純くんマジか」
三度目の正直はとうとう、私の口から飛び出した。
明浦路先生は『しょっちゅう泣いてる人間』でもあり、『いっつも笑ってる人間』でもある。
箸が転んでも笑うどころか何がなくてもニコニコと笑っている、お腹の底からあったかくなるような笑顔と教え子の結束選手は言うが納得だ。
何度も会っているのに明浦路先生の笑顔を知らない人間がいるなんて思いもしなかったといいうのが正直なところ。

「慎一郎くんは見たことあるんだね」
見たことあるどころか、見たことないことないだろう!
「う……あ……」
純くんは僕を、まるで救助の浮き輪を求めるように見つめている。こんなに答えの言葉に迷う質問もない。
「……純くんは」

「純くんは明浦路先生の笑った顔が見たい?」
普段ならしない聞き方をした。純くん相手にどうしたいのたずねるのは悪手だったが、どうしても聞く必要があった。
「……別に。でもそうだね、グズグズ泣いてるよりはきっと笑ってる方がマシだろうな、悪くない顔をしてるんだし」
「っ……純くん……」
純くんマジか……。四回目だよ。
泣き顔よりも笑顔のほうがいいのは『ふつう』だ。だが、夜鷹純くんは見たくもないものは眼中にも入らない。
その彼が人の泣き顔を視界に入れ、胸を曇らせ、笑顔が見たいなどと思う。泣かせたのは彼自身なのはこの際目をつむる。
それは、それって。
これは、お友達どころじゃないのでは。
「明浦路先生は、素敵な笑顔の人だよ」
「そう」
「もともと君の大ファンなのだし、緊張しているのかもしれない」
「…………へえ」
手応えがあった、あってしまった。


それはちょっと手におえない話になって来ちゃったな。
どうしよう。
とりあえず、解散後に僕は愛する妻に連絡をした。
「純くんが明浦路先生を泣かせてしまって、泣き顔より笑顔を見たいって言うんだけど……」
我ながらまとめてしまうとひどい筋書きだ。始まるものではなく落ちるものと言うが、それは、でも、こんなに?
『……ねえそれってもしかしてそういうこと?』
「そういうことかもしれない」
『大変、ジュンって口で言って伝わらなかったら手が出るんじゃない』
「……それは困る!」
器物破損にとどまっていた彼の癇癪が暴力になるのも困るが、『それ』はもっともっと困る。

僕は欲張りだけど、ここまで望んだかと言われたら答えはNOだ、NOのはず。
でももう私は決めてしまったので、純くんを応援するしかない。さしあたってはお友達でどうか。どうか。



「ねえ慎一郎くん、彼の事なんて呼んだらいいと思う?」
「呼んでないのかい!……な、名前も呼んでないのにキスなんかしたら絶対にダメだからね純くん」
「…………うん」
「純くん?」
「…………」
「純くん?純くん!純くんマジかい!!?」

コメント

  • ななさい

    本当にいつもタイトルが秀逸で、本文の読了後にタイトルを見てウワ〜〜〜‼となるまでがワンセットです。最高のよだつかをありがとうございます。ととたさんの作品が大好きです。

    6月30日
  • *遼*
    5月5日
  • ginomi
    2025年8月24日
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