1990年代のTVドラマ『聖者の行進』を持ち出して、昔はもっと過激な放送されていたと主張する意見を見て驚いた。
さすがに本気で言ってるんじゃないよね…?分かった上で、敢えてすっとぼけて論点ずらしをしているんだよね…?
みい山が批判されているのはけして、「過激だから」ではないよ。作品自体が障害があるとみなされる女性を侮辱して嘲笑する事を目的としており、直球の差別でヘイトだからだよ。
ここでは「過激」という言葉は出ておらず、専ら偏見やスティグマの強化を問題視している。他の批判も大体似たようなものだ。
『聖者の行進』にも、確かに問題点はあるよ。知的障害者を「聖者」として神聖化するのは人間扱いしていないという意味で差別なのではないかという批判もあった。
黒人差別問題における『アンクル・トムの小屋』や『グリーンブック』でも、差別される側を過度に神聖化しているとして批判されたりしたし、そういう問題は確かにあるだろう。
また、『聖者の行進』脚本家の野島伸司には、確かに過激な性暴力描写で視聴率を稼ごうという目的はあったかもしれない。でも「過激な表現で注目を集めようとする」のは、けして差別やヘイトと同一視できるものではないよ。
90年代はもっと過激だったとか言われているのを見たが、表現が過激なのと差別やヘイトは別物だ。以前は知的障害者を嘲笑って楽しむような表現は専らアングラな場で行われており、今のように表舞台に出てくる訳ではなかった(そういう意味で、匿名掲示板というアングラな存在を表に引っ張り出してきたひろゆきの存在が許せない訳だが)。
「マイノリティを神聖化している」も、「過激な表現で注目を集めようとする」も、目的があくまで反差別にある事を前提とした、より深い議論の段階だよ。みい山のように作品そのものとして差別やヘイトを志向しているものとは根本的に違うと思う。
これも野島伸司か
作品自体が障害があるとみなされる女性を侮辱して嘲笑する事を目的とし ↑普通に嘘だよね。 以前は知的障害者を嘲笑って楽しむような表現は専らアングラな場で行われており、今...