修道者、あるいは祈りへの道
本誌最新話60話に寄せて、司先生をとにかく甘やかそうと思った話。
似たようなお話になってしまったのですが、書きたいテーマが違っていたのでどちらも捨てきれず、貧乏性なので2本とも上げておきます。
タイトルはかの有名な音楽グループのアルバムから拝借しました。『ゴールデン・スランバーズ』からのメドレーをイメソンにしています。2P目は特に※津さんの『馬と鹿』もオマージュしています。
自分が焚き付けた魂がこんなに眩しくて夜鷹さんは幸せでしょう。
でもよだつかはまだお互いが相手の心に火を付けたことを知らないんだよな…お互いが相手の特別なんだと早く気付いてほしいです。そして始まってくれロマンス。
※原作沿いですがいろいろ捏造/夜鷹さん失踪から戻ってきている/本誌ネタバレ※
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【金のまどろみ】
拾いものをした。
雨の夜、近所の陸橋の下に落ちていた。知らぬ顔ではなかったので、夜鷹は声を掛けた。
まるで知らない子のようだったけど、その顔は見間違えない。数年前に遠目から見た演技でも記憶に残っていた存在だ。
「どうしたの」
「…………」
「聞こえてる?」
「……放っておいてください」
「無茶を言う」
声が大きくきびきびした常とは違って、ろくに口も利かず動きが鈍い。無気力な様子だ。
こんな知人を見ないふりして通り過ぎる人間はそういるまい。傘も持たず全身を濡らして、薄暗い歩道の壁にもたれている。
「ここには、誰もいません」
「…………」
「誰もいないんです……」
そう言って項垂れてしまった。
「消えたいの?」
「…………」
沈黙が答えか。
この青年でも、明浦路司でもこんなふうになるのか、という小さな驚きはあった。
虚脱状態そのものは別に慌てることではない。自身にも覚えがある。やり過ごし方も知っている。
夜鷹は彼を連れて帰ることにした。
手を引いても足を動かさず抵抗していたが、繋いだ手を放さずにじっと待っていると、やがて観念してついてきた。
◆
名古屋に戻ってから夜鷹は元いたマンションの同じ部屋に住んでいる。寝起きしているメインルームに連れ込んで、浴槽で湯に浸けてからベッドに転がした。
彼の体格に合う着替えはなかったので、新品の下着を与えた以外は毛布で簀巻きにして布団をかけておく。
「寝な」
眠りぐすりとはよく言ったもので、心身の回復に何よりも効果的なのは睡眠だ。これに勝るものはない。
だから夜鷹は質の良い睡眠を長時間取ることを生活習慣で重視している。食事による回復を最低限にしたいので余計に。
飢餓も精神を不安定にさせる大きな要因の一つなので、満たしてやれるならそうした方が良いが、司は望むだろうか。
この家にある食料と言えば、鶏肉とプロテイン、サプリメント各種。一般的な食事でないことは自覚している。
「それとも何か食べたい?」
「……いらない」
端的な返事。普段の司は夜鷹に対し、基本的に敬語なので新鮮だ。
「欲しいものは」
「……スケート観たい」
それなら夜鷹でも用意してやれる。電池が切れかけているのに水分検知で充電できない彼の端末に代わり、自分のスマホを貸してやる。今はちょうどひび割れていない。
司は毛布の中から手を伸ばして液晶を操作すると、動画配信サイトで過去の夜鷹の演技を流し始めた。横向きに体を丸めて、クッションに立てかけたスマホを見つめている。夜鷹も司の背後から同じ映像を見た。
「……昔の僕の演技が好き?」
「……ずっとこればかり観てたので。今のがあるなら観たいです」
夜鷹が沈黙すると司も黙った。引退後の夜鷹は映像記録を残していない。大体一人で滑るか光のレッスンをしているかで、コーチであることを隠していたので映像を残せば面倒になると思った。光は記憶力も再現能力も高かったのでそれで困らなかった。
しばらく動画を眺めていた司はそのうち寝落ちした。別の選手の演技が流れてきても映像を切り替えないので、上から顔を覗き込んでみると瞼を閉ざしていた。
夜鷹純ループは記憶にも身体にも染み付いていて、どうしても粗探しになってしまうのであまり好かない。そのまま他選手の視聴を続ける。
他人が自分のベッドにいるという状況には慣れていない。しかしやけに温かい熱源が傍らにあるのは、それほど嫌な気分ではなかった。
一夜明けて、夜鷹の寝入り端にもぞもぞと隣で動く気配がした。
寝ぼけ眼をこじあけると、ベッドの上に座り込んで気まずそうな司の姿があった。昨夜よりは表情に生気が戻っていて『まずい』と顔に書いてある。危うかった自分の精神状態を冷静に振り返りできている様子だ。
「えと、ご面倒をおかけしました」
「ん……着ていたランニングウェア一式は浴室の洗濯乾燥機の中」
「何くれとなくありがとうございます……このお詫びは後日改めて」
「詫びね……」
司に詫びてほしいことなど何もなかったが、本人が何かしたいというなら夜鷹には考えがあった。
眠気で気怠い身体を起こして、適当な物入れにしているチェストを探る。そこには記憶通り、光が東京に転居する際に返却されていたカードキーをあった。それを司に差し出す。
「詫びというなら、次は自分からここに来て」
司はギクリと肩を強張らせた。肩から毛布を羽織ったまま、手を伸ばさない。
「次なんて」
「ああなるの、初めてじゃないでしょ」
夜鷹はカードキーを指に挟んだまま、ふらふらとベッドに戻った。ぼふん、と枕に横顔を埋めて司を見上げる。
「自暴自棄になりたい衝動は理解できるつもりだ」
「…………」
「でも君を雨ざらしにして何とも思わないほど、君に情がない訳でもない」
街中でずぶ濡れになっている姿を見咎めて足を止め、声を掛ける。夜鷹がそんなふうに接する人間は、そう多くない。自宅にまで連れ帰るのは、この青年だけかもしれない。
「消えたいなら隠してあげるから……ここにおいで」
司は目の周りを真っ赤にしていた。大きく見張った瞳の表面がゆらゆらしている。
「誰にも見せたくないだろうけど、僕の言いつけを守ってここに来るのが君のつぐない。どうしても嫌なら無視していい。君に会えなければ僕は気付かない」
ここで改めてカードを差し出すと、司はおずおすと受け取った。
「人がいるのが嫌なら部屋はあるから、閉じこもっていてもいいよ」
「あなたの家が避難場所なんて、贅沢だな……」
だいぶぎこちなかったが、司はやっと小さく笑った。昨夜から初めて見せた笑顔だった。
◆
ある晩、見慣れない電話番号からショートメールが届いた。
『現在ご在宅でしょうか』
シンプルで生真面目な文面。いたずらとは思わなかった。勘が働いてすぐに架電した。
数か月前、夜鷹は明浦路司を拾った。彼が帰る前に自宅の鍵を渡して、自分のスマホから彼のそれに着信を入れさせたことを思い出した。夜鷹の方のアドレスには登録しなかったが、発信履歴に唯一残っている番号はこんな並びだった気がする。
『……はい』
呼び出し音が途切れて、夜鷹の予想した通りの人物を模した合成音が応答する。夜の闇に消えてしまいそうな司の声。
「どこにいる?」
『……この前と同じところ』
「一人で来られる?」
『…………』
「迎えに来てほしい?」
『………………はい』
手のかかる子だった。でも放っておく気になれない。
夜鷹の自宅マンションから、司を見つけたガード下までは歩いて五分もかからない。
現れた夜鷹を見て、司は呆然としていた。
「……本当に来た」
「君が呼んだ」
目を丸くしていとけなかった表情がくしゃりと歪む。
「きてくれた……」
涙が溢れる。雨に濡れていたから気付かなかったが、あの夜も本当は泣いていたのかもしれない。
連れ帰って、風呂に押し込んで、タオルにくるんでベットに転がす。
司はずっと泣いている。隣に寝かせてスケートの動画を流していると次第に落ち着いた。
やがて司はぽつりと呟いた。
「……どうしてこんなに優しくしてくれるんですか」
俺はあなたに何もしていない、何の役にも立たないのに、と続いた言葉に夜鷹は眉をひそめた。
「……役立ってほしいなんて望んでない。でも、放っておくと落ち着かないから」
ただここにいてくれればよかった。
「俺はあなたにとって何の価値もない。無意味な人間ですよ」
「それを決めるのは僕だよ」
司はほの暗い目をして夜鷹を見返してきた。こんな顔もできるのか、と夜鷹は少し面白くなった。
「もし俺の脚が潰れても、いのりさんのコーチを続けられなくなっても、同じことができますか」
司は夜鷹の価値観がフィギュアスケートに強く依存していると理解している。だからこんなことを訊いてくる。スケートが出来なくなったら、滑れなくなったら、夜鷹は自分を気に掛けないだろうとそう信じている。
氷の上にいない君には興味がないと夜鷹に答えさせて、それなら気まぐれに甘やかしてくれるなとでも言いたいのだろう。
思わず口元がほころんだ。彼の思い違いがおかしくて。司が想像する通りの夜鷹だったら、最初から自宅に連れ込まない。
「ふうん。そしたらここに閉じ込めてあげようか」
「……そんな冗談言えるんですね」
「君が望むなら本当にできるよ」
タオルドライしただけの湿った前髪を指で梳いて潤んだ瞳を覗き込む。そのまま撫でていると、また泣き出した。
額の髪を後ろに流すとあの日の髪型になる。氷の上の司が夜鷹の脳裏に焼き付いている。
演技で隠し切れなかった必死な瞳。正確に、執拗に、己の存在を氷に刻みつけるようなスケーティング。ここを自分の居場所にしたいと、全身で叫んでいた。
――あの魂の輝きに目を灼かれてしまった。ずっと忘れられない。
その価値を本人が解らなくても、世界が認めなくても。
誰にも理解されないなら、自分で大事にできないなら、夜鷹のものになればいいのに。
それほど器用ではないし、気遣いのできる人間でもないが、本人よりはまともに大事にできる。
泣き疲れて眠った司の隣で一晩を過ごした。
夜が明ける頃、夜鷹が眠ろうとすると司が目覚めた。彼は夜鷹と目を合わせるとはにかんで笑った。
この部屋に朝日は射さないのに、ひかえめなその笑顔が眩しかった。
(誰か連れてって、と泣いていた司先生を夜鷹さんに迎えに来てほしかった。この夜鷹さんは多分一目惚れ。)