「みいちゃんと山田さん」について、リエゾン原作者としての意見
今回、Xで「みいちゃんと山田さん」について投稿し、多くの閲覧を頂き厳しい批判含め、様々なお声を頂きました
長くなるので、ここに考えを整理させて頂きます。
まず第一に、「みいちゃんと山田さん」について、連載もアニメ化も含め、批判的な立場ではありません
漫画は教材である必要はありませんし、障害者が登場するからと言って、必ずしも希望を含ませたり、教訓や感動話に持っていく必要はないと考えています。
また、創作の影響によって生じたあらゆる負の出来事に対し、現実であれSNSであれ、誰かを傷つけたならその当人が責任を負うべきで、作者がその責任を取るべきというような意見はありません。
抽象的な言い方しか出来ず申し訳ありませんが、作中の人物の呼称や障害の描き方などが現実に与える影響に対して、無自覚でいるか、責任と向き合うかどうか、同じ創作に携わる立場なら、原作者様にもアニメ化に携わる方にも、「責任と向き合う覚悟を持ってほしい」という自分の考えが伝わると信じ、責任という言葉を使わせて頂きました。
表現の自由は守られるべきですが、今声をあげている人の中には、不快だから漫画は存在すべきではないというような、ただ無闇に見たくないものに蓋をする意図ではなく、家族や大切な人が無理解な悪意にさらされてしまうと、恐怖している人たちも大勢います。
その中で、個人的な思いもありました。
もし創作物の影響によって、今、自分の最も身近にいる人が、その障害を誰かから嘲笑されたり攻撃されたならと、想像しただけで、胸が張り裂ける思いで、とても「表現の自由だから仕方ない」と、冷静でいられる自信はありません。
問題は作品を見せられることではなく、その作品をきっかけに現実で偏見や悪意にさらされることです。
嫌なら見るなという言葉で済まない現実があって、SNSで多くの当事者やその周囲の方々が、そうした影響に対して不安の声を上げる中で、「表現の自由」という言葉によって、「たかが創作にムキになるな」「嫌なら見なければいい」と、理解の遠くから諭されているような場面を何度も見ました。
その中には、過去にリエゾンについて投稿して下さっていた方もいたので、自分の立場からなにかそうした人たちの絶望に寄り添えないかと思い、創作に携わる人間全てが「嫌なら見なければいい」というスタンスではないと伝えたく、発言しました。
長くなりましたが、発言の真意をまとめると、
「表現の自由は守られるべきですが、創作者として現実への影響という責任を放棄してほしくない」という思いです。
繰り返しますが、これは何かあったときに成り代わって責任を追及されるという類いの責任ではなく、覚悟としての責任です
同じ媒体で同じ出版社で連載している立場上、利害や人間関係の衝突は避けられませんが、投稿前から決めていた発言の責任として、二度と掲載誌のモーニングやコミックDAYSとは関わるつもりはありません。
(心配して下さっていた方もいらっしゃいましたが、現在進行系の別会社の仕事には影響ありません)
そして、さらに長くなりますが、最後に大切なことなので繰り返します
アニメ化や出版に対して、反対はしていませんので、反対の署名等があることも知っていますが、それらを応援したり、個人的に賛同するということもありません。
竹村優作


概ね賛成ですが、作者が責任から逃げているか判断するのに、来年のアニメ公開まで待つべきではないと思います。やまゆり園事件から10年目の日に告知したのが作者の意図なのかどうか、まずは速やかに表明すべきだからです。
https://note.com/ndde674/n/n081c2fdff03e アニメ化されたら「もっとひどい目に合う人」が出てくる可能性を唱える記事です