法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『みいちゃんと山田さん』がアニメ化するという発表に対する、いくつかのアニメ関係者の反応

 最初に、『みいちゃんと山田さん』のアニメについて無責任な消費者としての原則的な心情をいえば、さまざまな過去の差別扇動的な表現と同じく、どのような問題がある表現であったとしても封印はせず、注釈をつけるなどの対応をして公開してほしいとは思っている。
 ただし、登場人物にモデルとなった人物がいるとも語られていることから、フィクションと宣言しているとしても、一般的な歴史小説などと比べても繊細さが求められるとは思う。
 そして一般論として、作品の問題を安易に否認して全面的に擁護するよりも、作品の問題を見いだして批判するほうが、問題が現実に波及することをふせぎ、ひいては作品そのものを守ることにもつながる、とも思う。


 さて、過去にアニメ制作にたずさわっていたという「フモト@SFumoto」氏は、フィクションをとおして現実を描いていると『みいちゃんと山田さん』を評価し、差別への批判者こそ差別しているという古典的な詭弁をつかった。


今「みいちゃんと山田さん」のアニメ化について怒っている方々に、心に刻んでおいてほしいことがあります。
そして、それ以外の方々には、今まさに批判の声を上げている人たちを、ぜひよく観察していただきたいのです。

私が見ている限り、今回「みいちゃんと山田さん」のアニメ化に強く反発している人たちの中には、普段から風俗業で働く女性を差別的・偏見的に見ている人が少なくありません。

少し前にも、風俗業で働く女性が「業界で働く人への差別や偏見をなくしてほしい」と訴えた際「お前たちは憧れられるような職業ではない」と論点をすり替え、当事者を叩いていた人たちが大勢いました。今回声を上げている人たちには、そのような層と重なる人が少なくありません。

多くの人が勘違いされていますが、この作品自体に、意図的に障害者差別を助長するテーマはありません。障害者を含む社会の現実を、フィクションを通して描いているだけです。つまり、この作品から何を受け取るかは人それぞれであり、解釈も一つではないのです。

ここで「差別的だ」と主張する方々にお聞きしたい。

どのシーンが現実には存在しないのでしょうか。
どのシーンが障害者への差別を助長しているのでしょうか。
貴方は感情だけで作品を批判してはいないでしょうか。

私は、この件で最も障害者を差別しているのは、この作品を叩いている側ではないかと感じています。

漫画に描かれている「みいちゃん」はフィクションのキャラクターであり、創作として誇張された部分はあるでしょう。しかし「現実には絶対に存在しない」と言い切れる人物像でもありません。

「本当に救いが必要な弱者は、救いたいと思える形をしていない。」

この有名な言葉があるように、障害者に限らず、社会の中で本当に支援を必要としている人は、必ずしも誠実で、美しく、誰からも好かれる存在であるとは限りません。

「みいちゃんと山田さん」は、そのリアルをフィクションを通して描いた作品です。それは、日本社会が長年目を背けてきたタブーの一つでもあります。

だからこそ、それ以外の方々にはお願いがあります。

今、このアニメに否定的な声を上げている人たちを、改めてよく見てください。そして、その人たちが普段どのような発言をしているのかも観察してみてください。

彼らは普段から障害者への理解を示していたでしょうか。
風俗業で働く人たちを差別的に見ていなかったでしょうか。
障害者差別に怒る一方で、男性差別的な発言を繰り返してはいなかったでしょうか。

私には、彼らがこの漫画を批判することで、本当に障害者を救おうとしているようには見えません。
むしろ、障害者という存在を盾にしながら、風俗業に対する差別的な価値観や、自分たちに都合のよいイデオロギーへと議論を誘導しているように見えるのです。

この漫画は、障害者を差別するために描かれた作品ではありません。そのような内容は、そもそも描かれていません。

あるのは、一部の人にとって受け入れ難いほどリアルな描写だけです。

私たちは、この漫画を読んで障害者や風俗業で働く人を差別するのではなく、現実を正しく認識した上で、どのような支援や共生が必要なのかを考えるべきです。

もちろん、この漫画に描かれていることが現実のすべてではありません。あくまでも現実の一側面を描いた作品です。

しかし、それを「悪意あるデマ」や「差別漫画」と切り捨てられるほど非現実的な話でもありません。現実には、これと似たような出来事や境遇はいくらでも存在します。

現実を知らなければ、助けることも、共に生きることもできません。

現実を描いた作品そのものを攻撃することは、結果として障害者が抱える現実そのものから目を背けることにつながります。

貴方の批判は、一体誰のための批判なのですか?

綺麗ごとをいくら塗り重ねても、現実は変わりません。
私達は辛く苦しい現実を知った上で、それでも共生する社会を目指さなければいけないと思います。

 しかし障碍者に対して蔑視的な表現をつかう「異常@ijou444666」氏に同調して、作品への批判を汚いものへの忌避であるかのようにまとめた。具体的な批判を引くこともなく。


誇張されてる部分は絶対あると思うけど言うほどズレてないよ。
みぃちゃんみたいなやつと実際に関わったことあるか?
本当にあんな感じなんだよ。
ガイジに対して綺麗事や理想論言ってる奴は見ろマジで。
俺は絶対ガイジとは関わりたくない。


知り合いに当事者がいたこともありますし、ドキュメンタリーを見るのが好きで、この分野についてもさまざまな作品や取材映像を見てきましたが、この作品の描写は、少なくとも「現実とかけ離れている」「全く見当違いだ」と言い切れるものではないですよね。

結局のところ、その描写に対して偏見を持ち「汚いもの」「見せるべきではないもの」と受け取るかどうかの違いなのかなと。

むしろ、強く反発し「こんな作品は世に出すべきではない」と封じ込めようとしている人たちの方が、その現実を「汚いもの」と認識しているように、私には思えてならない。


 他方で、キャラクターデザインのような作品の中核的な仕事を現役でおこなっている西位輝実氏は、作品にかかわるスタッフがいれば軽蔑すると表明した。


みい山に携わる人たち、同業者でも私は軽蔑するね。バズと金のために人をやめたんだな。特に企画に携わった人間。お前らは感性の死んだクズだよ。

 西位氏の過去の発言や立場にすべて賛同するわけではないが、性嫌悪的な立場ではないことは、過去の仕事や直近の漫画評価からも明らかだろう。


狂四郎は下ネタ祭りだけど大大名作なんで読んでほしいよ。私はAI時代の始まりにこそ、これをアニメ化してほしいわ。

 しかし過去にアニメのCG制作にかかわったこともあるという「諸葛瑾@sakami_keniti」氏から、少女売春婦がメインキャラクターにいる作品を絶賛したことと矛盾しているかのように評された。


「みい山に携わる人たち、同業者でも私は軽蔑する」

アニメーターの『西位輝実』さん。
擁護しないから筋は通しているんだけど、
少女売春婦が登場する『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』は大絶賛だからな。

 そして仕事を選べない一スタッフの発言として嘲笑もされた。


しかし西位輝実、自分とこでみい山のアニメ手掛けることになったらどうすんだろ???そこは回避できてるからこんな話してんのか???


絶対普通にやると思いますよ。
こいつらはそれがあるから生き延びられる。
口だけ。


そもそもまあ仕事選べる立場じゃないですしね。。wなんかそういうのが見えるからアホらしいんですよね。。。


『法華狼』もまだやってますけど、この人が威張っていられるのも、一般人が漫画家とアニメーターを混同していて、未だにある程度自由に絵が描けると錯覚しているからですよ。
パンチラを勝手に挿入するアニメーターが実在することを安藤正臣監督が証言したことにはじまる、いろいろな暴走アニメーターや描写修正の話題 - 法華狼の日記

 現役でキャラクターデザインをつとめられるレベルのフリーアニメーターであれば仕事を選ぶことは難しくないと思うのだが、やりとりの最後に私に言及されて驚いた。
 しかしリンク先のエントリを見ればわかるはずだが、越権的に性的描写をする暴走アニメーターがいるという話をしているのに、自由に絵が描けるという話と解釈されても困惑するしかない。
 しかも西位氏のようにキャラクターデザインや総作画監督をおこなう立場であれば、作品全体の方向性にもあるていどまで関与するものだし、個々の作業においてはアドリブ的な芝居を入れることも珍しくない。
 たとえば木村貴宏氏の仕事を見ると、性的サービスを売りにする作品においてアドリブ的に芝居を足したことや、作画修正で乳が揺れるようにしたことが公式情報で語られていたりする。もちろんこれは作品の方向性を理解した立場から発揮された創造性であり、それゆえ作品の監督から特筆的に賞賛されたわけだが。
木村貴宏 - 作画@wiki - atwiki(アットウィキ)
 いずれにしても、作品への批判に反発して表現者を守っているかのように自認しながら、表現者が創造性を発揮する余地を否定して嘲笑すらすることが興味深い。