―栄華3 前編―

第1話

 副業に手を出しているスパイは案外多い。


 そもそもスパイという職務自体、他の職に従事しながら行うのが普通なのだ。新聞社で働きながら祖国に機密情報を流す者、軍人として勤めながら他国に情報を流す者、あるいは、スパイという使命を隠しながら他国の官公庁に就職する者。


 安定した収入源は、カモフラージュの肩書を与え、活動資金の足しになる。

『灯』の多くは、これまで留学生や旅行客という肩書を名乗ることが多かった。これは、彼女たちの年齢的都合上。場合によって記者やサラリーマンなどにも扮したが、やはり若すぎることもあり、逆に目立ってしまうことも多々あった。

 しかし成長につれ、いよいよ固定した仕事を始める者も現れる。


「お二人のおかげで夢が叶ったっす」


 そうにこやかに両手を合わせるのは『草原』のサラ。

 柔らかく頭の周りでウェーブを描く癖っ毛の彼女は、もう十八歳。年齢以上の落ち着きを感じさせる微笑みは、もう学生という肩書きを使わずとも違和感はない。


 ゆえに、これから名乗るのは――飲食店経営者。

 首都繁華街の地下にある隠れ家的空間。そこで彼女はにこやかに微笑む。



「――自分のお店『アカシア・クヴェレ』一号店。本日オープンっす」



 サラの宣言の直後に、クラッカーが鳴らされた。

 飲食店を開業させたサラを祝うのは、二人の従業員。


「従業員として、エルナはたっぷり働くのっ!」


 そう拳を高々と掲げるのは、『愚人』のエルナ。やや幸薄そうな小柄な体躯なれど、その瞳に勇ましさを宿した、金髪の少女。


「俺様っ、金貸しを駆け回った甲斐がありましたっ」


 続けて追加の特大クラッカーを鳴らし始めるのは『忘我』のアネット。一瞥しただけで危険人物だと悟らせるほどに、エキセントリックな、灰桃髪の少女だ。


 二人は店の内装を見つめ、歓喜の声をあげる。

 カウンター席が十席ほどの小さな空間は、全員のお気に入りが詰まった空間。サラが購入してきた落ち着きある間接照明、エルナがライラット共和国で購入した高級カトラリー、アネットが自ら改造したシックな雰囲気を纏う、オーブンやレコードプレーヤー。


「ドキドキしてきたの。まさかお店を持てるなんて」

「俺様っ、内装にめっちゃくちゃ力を入れましたよっ!」

「ん。任務の傍ら、よくやってくれたの」

「仕方がねぇです! サラの姉貴の夢なのでっ! 叶えてやります!」

「ん、そういえば、さっき金貸しって……?」

「――俺様、借金塗れになりましたっ!」


 大量の借用書を取り出し、堂々と胸を張るアネット。

 それを素早く確認し、エルナは顔を青ざめさせる。とてもじゃないが返せない金額と、あまりに違法な金利。いわゆる闇金だ。


 思わず怒鳴りそうになるのを、エルナはぐっと堪えた。

 お店のためにここまでしてくれた相棒を、一体どうして怒れようか。


「だ、大丈夫なの。これからお金も稼げるの! それだけの想いが嬉しいの!」


 アネットの手を取り、エルナは笑顔を取り繕った。


「エルナたちはこのお店を繁盛させて、ハッピーを手に入れるのっ!」


 この新たなる店は、三人の引退を見据えての計画だった。

 いずれ過酷なスパイ業務から身を引き、安寧を手に入れたいという希望。サラの思い描いた夢にエルナも賛同した。アネットの要望で多少ダーティな店にはなりそうだが。

 エルナが大繁盛の明るい未来を思い描くと、店に置いたラジオが鳴り出した。


《緊急ニュースです》

 男性アナウンサーの固い声が響いた。



《ディン共和国の株式市場は今日も大暴落。大恐慌がいよいよ、我が国に――》



 それは破綻しかける銀行と、閉鎖していく工場の話。

 当然大打撃を受ける飲食店のニュースを聞き、サラはにこやかに頷いた。


「――閉店が確定したっすね」

「不幸なのおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 開店初日から赤字が確定した店に、エルナの悲鳴が響き渡る。



 ◇◇◇



 王国革命任務の終結から半年が経過した。


 リリィ・モニカ・ジビアが『救国者ちゃん』騒動に巻き込まれ、ティアとグレーテが首脳会談を導いていく中、サラたちの生活にも変化が生まれていた。


 三人の夢の飲食店――『アカシア・クヴェレ』の開店。


 いずれディン共和国を離れるまでの一年間、全員思うがままに過ごす――その『灯』の取り決めに沿うように、サラは夢を果たしたのだ。超特急で店の場所を探し、メニューを開発し、そして、内装を凝らした至高の空間。


 そのコンセプトは――『誰も拒絶しない、スパイさえも招き入れる泉』

 狙いは的中した。狙って噂を流したこともあり、ギャングやスパイ、密売人が集まる、かなりグレーな酒場になる。まるで陰謀の中継点のように。


 この時、ディン共和国には多くのスパイが集まりだしていた。

 ムザイア合衆国から始まった大恐慌が――いよいよ世界を破壊し始めていたからだ。



 ◇◇◇



「いや、『閉店』もなにも最初から期間限定ですよね?」


 開店から一か月が経った頃、冷静にツッコミを入れるのはリリィ。

 開店とほぼ同時に閉店が決まった事実に「不幸なの!」と嘆いていたエルナに苦笑を漏らし、リリィは「大げさな」と指摘しつつ、果実酒を呑んでいる。


 店の手伝いをするエルナは「当時は忘れていたの」と頬を膨らませる。

 酒を作るサラは「はい、もちろん半年後には閉店予定っす」と微笑んだ。


「それでも周囲を欺く都合上、表向きは本気で営業しますよ。儲けはほとんど出ていないので、『今はまだプレオープン』という言い訳はしますが」

「こんな立派な内装なのに、たった半年……少しもったいないような?」

「もちろん全部は無駄にしませんよ。メニューと看板だけは引き継ぎながら、世界中を転々とする予定っすよ。ここは、その一歩目っすね」


 サラは誇らしげに笑ってみせた。

「なるほど」リリィも笑う。「世界中を旅するバーって訳ですか。オシャレー」

 カウンターでサンドウィッチを頬張るジビアも「最高」と同調する。


「肩書だけでも『灯』全員、従業員になっとこうぜ。身分を隠すには、ちょうどいい」


 その隣では、アイスティーを飲むモニカが「悪くないね」と同意する。


「活動資金が尽きたら、サラの店で稼げばいいんだ。いい保険だよ」

「ふふっ、そうしているうちに全員引退しているかもしれないっすね」


 仲間からの励ましに、サラは感謝していた。

 実のところ、それがサラの夢でもある。『灯』全員の引退。


 もちろん、すぐには実現できないことは分かっている。ジビアは「ま、使命を全うできたら考えるよ」と笑顔で返し、リリィは「このリリィちゃんは、世界に求められているのでね!」と胸を張り、モニカは「この馬鹿どもを放って引退できない」と呟いた。


 そんな三人の考え方も、サラは尊重している。

 サラ自身、今すぐの引退は考えていない。


「ま、キミの店で唯一ツッコむとすれば――」

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