第5話

 デルミーラを採用してから一週間後――アネットの頬は三倍に膨らんでいた。


 言うまでもなく、不服の表明。

 それは『アカシア・クヴェレ』という『灯』の拠点に、部外者が加わった懸念ではない。儲けなど微々たる飲食店が人件費を増やすことの心配でもない。



「……エルナ先輩……手、冷たい……息で温めて……?」

「の……仕方がないの。これでいいの?」 



 ――妙にエルナやサラと距離が近いのだ。


 彼女は新人として、すっかりエルナに甘えている。洗い物で手が冷たくなった程度、オーブンのそばに立っていればいい話なのだが、エルナに手を向ける。


 エルナの吐息を浴びるたびに、至福の表情を浮かべるデルミーラ。

 フォークでも眼球に刺してやろうか、と考えるアネットの前で、彼女は暴走を続ける。


「……サラ店長、経営方針について、提案がある……」

「ん? なにっすか?」

「……店員のコスプレを提案。客が三倍になること、間違いなし……」

「え、えぇと……? うちは、そういう類の店ではないので――」

「――衣装、用意した。既に」


 今度はサラに対して、動物の付け耳を掲げるデルミーラ。


 恥ずかしがるサラに、彼女はじりじりと近づいていく。壁際まで追いつめる手腕は手慣れているとしか思えない。高身長の彼女が、まるでサラに覆いかぶさるように迫る。


 さすがにアネットがその襟首を捕まえた。


「俺様っ、テメェはいちいち距離が近すぎると思いますっ!」

「……帝国では禁欲生活が長くて……」


 サラから無理やり引きはがされるデルミーラの顔に反省の色はない。


「――ここはハーレム……?」

「エルナちゃんとサラの姉貴をそういう目で見るなああああぁっ!」


 アネットが力いっぱい引っ張り、デルミーラを床に投げ捨てた。

 憤怒を露にするアネットに、デルミーラはこほんと咳ばらいをした。


「……分かっている……迂闊な行動は、同性愛者への偏見を広めかねない……」

「その自覚はあるように見えねぇんですよ、テメェは‼」

「それは、信頼の裏返し……だって、アナタたちなら、分かってくれるはず」


 彼女は澄んだ眼差しでアネットを見つめる。


「ワタシは同性愛どうこうの前に――ただ、スケベなだけっ……!」

「俺様、よおおおおおく分かっていますよおおおぉっ!」


 開き直るデルミーラに、恫喝するアネット。

 それは彼女が雇用されて以来、ずっと繰り返されている光景だ。


 ちなみに、仕事は完璧にこなしている。店の中で寝泊まりする彼女は、清掃や下処理などを手早く済ませ、接客などもそつがない。かつては飲食店に従事していたらしい。

 常連客も、賑やかになった店を受け入れている。


「まさかの新従業員ね。ふふ、店長らしくなっているわ」


 この日訪れていたのは、『夢語』のティア。

 首都で仕事を果たすと、彼女はほぼ必ず立ち寄っていた。高いワインを注文してくれるので、店としてはありがたい。彼女目当ての客さえ現れている。


 サラは「人手不足っすからね」とサービスのミックスナッツを差し出す。


「最優先は任務っすから。店にばかりかまけている余裕はないのが現状っす」

「デルミーラさんは、知っているの? サラたちの正体」

「大方は察しているかと。出会い方が出会い方っすからね」

「なるほど。双方都合のいい契約なのね」


 ティアの言葉に、サラは「そういうことっす」と微笑んだ。


 実は、デルミーラとの邂逅は渡りに船だった。

 国内の防諜任務をこなすサラたちは、店に付きっ切りというわけにはいかない。だが、この店はモニカたちが期待した通り、いずれ自分たちを助ける存在。営業は続けたい。


 サラたちの事情を既に把握しているデルミーラは、まさに理想の従業員。


「お店が安定するまでは、雇いたいところっすね」

「そこはサラ店長の手腕ね。立派な協力者に育てなさい?」


 ティアはそうウィンクを送った上で「で、ここからは報告」と表情を引き締める。


「対外情報室に確認した。少なくとも『門出』という組織は、把握していない。密造銃を持ち運んだ男も、頑なに口を割らないわ。時間はかかりそう」


 仲介を請け負ってくれたティアに、サラは感謝を伝える。


「助かります。デルミーラさんを雇う上で、そのあたりは整理したかったんですが」

「仕方ないわ。ガルガド帝国は、今、魔境だもの」

「まさか対外情報室でも分からないなんて……」

「プラスに捉えましょ? 今、アナタは対外情報室の誰も掴んでいない、陰謀に触れているのかもしれない。『アカシア・クヴェレ』が機能し始めたのよ」


 ティアが祝福するようにワイングラスを持ち上げた。

 確かにそれも大事な視点なので、サラは「それもそうっすね」と胸を張って答える。


 この店は『灯』にとって重大な挑戦。これまでの任務とは異なる、新たな分野。


 ――いずれ国を裏切る『灯』が、外国で新たな拠点を築くために。

 ――いつかスパイを引退する仲間たちが、身を休める場所を作れるように。

 ――そして、それまではサラたちが暗躍する、陰謀の中継点となれるように。


 改めてサラとティアは、希望を込めた目で店内を見る。



「エルナ先輩、包丁で指を切っちゃって――」

「の、のぉ? 舐めればいいの?」

「テメェが迫害されてんのは、果たして嗜好だけが問題ですかねぇ⁉」



 端っこで喚く従業員を見つめ、サラとティアは同時に苦笑を漏らした。


「だとしても、ちょっと賑やかすぎない?」

「それはそうっすけどね……」


 とにかく今のところ、『アカシア・クヴェレ』は順調だった。


 開店ほぼ同時に大恐慌が来てしまったが、元々、一般庶民を相手にする店ではない。人手不足の問題も、デルミーラのおかげで解消しようとしている。


 強いて問題をあげるとすれば――。


「アネット先輩……もしかして、エルナ先輩のことを狙っているんですか……?」

「ふぎゃあああああああああああああああああっ‼」



 ――アネットが終始、ブチ切れているくらいか。

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