第7話

「お、これはまたユニークな事件に目をつけたね」


 視線を落としていると、ガブリエルが反応した。


「これ、大変だったんだよ! もうちゃ苦茶な訴訟でさぁ!」


 落書きに激怒した市庁舎側は、近隣のペンキ屋を犯人と断定して清掃費などの賠償請求を行った。ガブリエルはその弁護を引き受けたが、裁判では一方的に市庁舎の意見が採用され、無実のペンキ屋は営業停止を命じられた。


 ぺらぺら喋ってくれる顧客の個人情報を暗記する。

 スパイとして頭を動かす一方で、胸には寂しさがこみ上げている。


「空虚なの」

「……?」

「何かを築き上げたって、いずれなくなってしまう。この落書きだって、結局関係ない市民が逮捕されただけ。むなしい芸術。自己満足」

「まー、確かにねぇー」

「アートを見る度にかなしくなります」


 ガブリエルは事務机の前に座りながら、首を傾げた。


「けど、キミの学校だって毎年、ミュージカルの発表会があるんだろう? それだってアートじゃないか」

「来週公演」

「お、本当? 見に行こうかな? 観覧無料?」

「ガブリエルさんのお小遣い三か月分」

「その日は仕事入っていたかも」

「どうせ大したものじゃありません。ありもしない友情を演じて、思ってもない愛を語って終わり。矛盾を見て見ないフリする、噓だらけの無価値のアート」


 カトリーヌが切り取った映画のワンシーンがよぎる。


 ──この国で革命をもくむエルナと、体制側の安穏に浸る級友の一時。


 ステージに立った演者のように、与えられた言葉を語っているだけ。クラスメイトとしての励まし、慰め、親しみ、不安。

 傍から見た映画監督は『醜い』と表現し、全てを把握している相棒は『ぐっちゃぐちゃに壊す』と語った。


 どちらも正しく否定する気にもならない。


 胸に残るのは──虚しさのみ。

 そのあまりに滑稽な学校生活は、ある意味でアートと言えなくもない。


「──それ、無価値なのかな?」


 投げかけられた言葉にハッと顔を向ける。

 ガブリエル弁護士は納得いかない顔で首を捻っていた。


「消された落書きも、噓だらけの演劇も、見た人の心に残るじゃない? 軽く捨てていいものじゃないでしょ?」

「けど、そんな不確かなもの──」

「不確かなものに命を懸けたっていいんだ」


 ガブリエル弁護士は微かに頷いた。


「ぼくもね、好きな人たちがいるんだ」

「好きな人たち?」

「今はもうないけど、絶対に忘れられない人たちさ。彼らの生き様はまさにアートだった」


 確かな力の入った声音で主張するガブリエル弁護士。

 彼はまれに強く感情を表出する時がある。ほとんどの場合はへこへこと頭を下げ、困った顔で裁判資料を読み込んでいるのだが、エルナには分からない、何か一貫した感情があるようだ。


 だから彼の言葉はじんわりとエルナの心に広がった。まるで『灯』のボスであるクラウスのように。

 エルナもまた大きく息を吸い込んだ。



 たとえ仮初で欺瞞だろうと、成すべきことがある。



 両手に抱えていた書類を棚に押し込み、エルナは大きく息を吐いた。

 そして、弁護士事務所の片隅にある部屋を見る。ここで寝泊まりすることも多いガブリエル弁護士の希望なのか、小さなシャワー室が備えられている。


「ガブリエルさん、今からシャワーを浴びていい?」

「ん? 突然どうして──」

「四時間くらい浴びる」

「随分と長いね!!」

「裸だから絶対開けちゃダメ。近づいてもダメ。乙女として扱ってほしい。ワタシは朝まで、シャワーを浴び続けた──この事実を疑わないでほしい」


 早口で主張を並べる。

 ガブリエルはほうけたように口を開けたが、やがて頷いた。


「よく分からないけど──」


 小さなえくぼを作る。


「──信じるよ。誰に何を聞かれたって、朝までキミはこの弁護士事務所にいたんだ」


 やがて彼は視線をらすように、窓の方に顔を向ける。

 エルナはシャワー室の扉を閉じ、事務所の外に飛び出した。


   ♢


 その頃、新米映画監督カトリーヌは途方に暮れていた。


 まだ一作も映画を作れないまま、秘密結社に加入している知人の手を借り、今度プロパガンダ映画を放映させてくれるはずになった。メディアの力は絶大だ。これまで政治に関心がなかった層も、王政府の腐敗に憤り革命を志すようになるだろう。


 ──映画で世界を変えるのだ!


 そう意気込んだのだが、肝心のフィルムを奪われては仕方がない。

 これまで撮ってきた膨大なフィルムはあるのだが、ワンシーンが丸々抜け落ちてしまった。どこかで学生のシーンを撮る必要がある。上流階級の子どもを撮る上で、聖カタラーツ高等学校の生徒が適任だったが、もう控えた方が良いだろう。最近のお嬢様はなぜか格闘術を身につけ、スタンガンを所持している。危険すぎる。


 別の学生の手を借り、撮り直すか。それとも脚本を変えてすか。


 どうしたものか、と夜の作業部屋で頭を抱えていた。酒場の二階を貸してもらっているが、使用料も鹿にならない。急いで決めねば。


「はぁ~、映画一つ完成させるだけで、かくも大変な道のりとはね」


 天井をぼんやりと見上げ、ため息を漏らす。


「だが、これも約束を果たすためだ。他でもない恩人たちとの縁だからね」


 そうぼやいた時、一階の方からチャイムが響き渡った。


 はて、と思う。

 今日は酒場の定休日であり、来客はないはずだ。誰が来たというのか。

 時計を見れば、既に夜八時を回っている。普通の訪問客ではない。


 あまり良い予感はしない。フィルムを奪われた例もある。

 応対はしないが相手の顔でも撮影してやろう、とビデオカメラを手に取る。忍び足で階段を下り、出入り口に近づいた。


 ──突如扉が吹っ飛んだ。


 その後、丸太のような太い足が入り口から入ってくる。


「ほえ?」

「カトリーヌ=モレルだな?」


 無人の酒場に入ってきたのは、軍服を纏う二名の男たちだった。がっしりとした体格の男たちが蔑むような視線を、カトリーヌに向けている。

 反射的に後ずさっていた。


「な、何者です……? け、警察を呼びますよ──」

「国王親衛隊だ。首都治安法第三条にのっとり、取り調べを行わせてもらう」

「え? あ──」

「行政の許可なき映画の撮影及び作製は、法律で禁じられている。偏向された映像媒体を用いて王政府の治安を脅かす者は、収容の対象だ」


 聞かされた言葉に、身体が凍りつく感覚に襲われる。

 ライラット王国市民にとって恐怖の象徴──国王親衛隊。


 諜報機関『創世軍』と連携し、あらゆる反政府活動を禁じ、市民を収容所送りにする国王の番犬。歯向かう者には暴力を辞さない、国民を攻撃するためにいるような軍人。

 男たちは壊れた扉を再度蹴り飛ばし、酒場に踏み込んでくる。


「『創世軍』から情報が入り、ここ数日の動きを見張らせてもらった。言い逃れはできん」

「み、見張られていたのか……?」


 全く気がつかなかった。

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