凄いぞトップ10「詩の死体ランキング評価」
室町 礼
atsuchan69さんの『海と、おにぎり』も酷かったが、
本田憲嵩さんの『ドビュッシー:水の反映』も悲惨だ
った。
わたしは詩の死体処理場にいるのかと思った。
こんなものがトップ10にあがるということは、ここ
の投稿者が詩なんてものに対する感性がほぼ0だとい
うことを示している。
いやあ、百歩譲っても、ひどすぎる。
まさかみんなでナンバ花月のような漫才をやっていて、
わたしひとりだけがそのゲームから取り残されている
のかな? まさか、みんなマジじゃないだろうな?
マジでこんな作品たちをトップ10に押し上げている
のだとすれば、ここ、現代詩投稿掲示板じゃなくて現
代の、ことばの死体の陸揚げ場だぜ? まあ、CWS
とかよりはましだとしても、いや、CWSよりひどい
かもしれない。
洗貝新せんせいはなんといっているか。
イイね。
西欧音楽で水といえば必ず噴水がイメージされるけ
ど、
この曲は湖面を撥ねるイメージを浮かべた。
例えば中国でいえば西湖辺り。
小雨に拡がる輪の中で蛙、じゃないや、
水草の中から妖精が戯れる感じ。
イイね。龍神が泳ぐ。
大昔に見た中国アニメの感じ。
さすがアラガイ先生のことだからクスッと笑えるよう
なコメントを残しているところは憎めないが、噴水と
いえば絶対あれだろ小便小僧だろ。日本ではアラガイ
小僧かもしれないが。笑
わたしはクラシック音楽苦手で子供のころ京都会館の
定期演奏会に嫌がるのを無理やり連れて行かれて聞か
されたけど、いつも空調のよく効いた会場の最前席で
深々とした椅子に埋もれるように眠りこけていたもの
です。だからクラシックなんか滅多に聞かないのだけ
ど、ドビッシーのそのなんとかを聴いてみましたよ。
仕方なく。
前奏は退屈で、ああ、まいったなあ、と舌打ちしてい
たのだけど中盤辺りから、おい、待てよ、悪くないぞ
これと思われて、姿勢を正して聴き入ったものです。
この音楽は水とか風とか光とかそんなものじゃなくて
(もちろん、AIならそのようにしか音楽というものを
感受できないからAI的感性を否定するものじゃないが)
中盤ではねている音は、わたしには永遠と瞬間が重な
りあってしかも別れをつげるときの深い哀しみを表現
しているものなんだけどね。それを風とか水とか光と
かいってしまえばあまりに表層的で非詩的なんだよ。
むしろこういうときに現代詩的であろうとするなら、
つまり、風や水や光という媒体をもってこの音楽を語
ろうとするなら、むしろそこから引いていかなきゃ。
そういうものと関係ない場所から風や水や光を感じさ
せるのが詩のことばというものじゃないのかね?
この詩はほんとうにそうだとは断言できないけれども、
「“印象の自動生成”の構造」
で書かれている感じがつきまとう。つまりAIを使って
書かれている感じがする。別にちっともかまわないの
だけどゆえに「心」が決定的に欠落している。
それがトップ10にならぶのだからここ
を言葉の死体処理場だといったのですがそれはatsuch
an69さんの『海と、おにぎり』も同じ。
あれは、だれかさんがドヤ顔でポーズを決めているだ
けでしょ。ひとつ間違うと、滑稽なお笑いになる。
ここを主催している管理人の片野晃司さんもおそらく
トップ10をみていると思うけど、今頃こんなものを
みて布団頭から被って身悶えしてるのじゃないかな。
ふふ。他人を持ち出しちゃいけない。ごめんなさい。
これは反則だ。でも、興味があるんだね。どんなこと
を思っているのか。
なぜかというとこのような"言葉の「死体」"を愛でる
人たちもまた現代詩としては死んでいるからなんだけ
どね。少なくともわたしのなかでは完全に死んでいる。
あ、ちょっとまてよ、ブラームス:間奏曲イ長調Op.1
18-2の気分だね、これは。
ああ絶望だあ、絶望だあ。あひっ。