ON対決、WBC優勝の裏側 僕はよく言ったんです「勝てたのは川崎のおかげ」って

話の肖像画 元プロ野球巨人軍選手・篠塚和典<28>

第2回WBCに打撃コーチとして参加=平成21年3月

《ミスターは演出家! 平成11年オフ、広島からFA移籍した江藤智(※本塁打王2度、打点王1度など)に33番を譲った長嶋茂雄監督は、12年2月12日に宮崎キャンプで26年ぶりに背番号3をお披露目》

ミスターは本当にファンを大事にする人なんです。常にファンのことを考えている。

〝あの日〟ですね。1週間くらい前から知ってました。僕らが決めたんです。お披露目は江藤にノックする。僕は守備コーチです。所憲佐サブマネジャーに呼ばれて「いつやろうか?」って。監督とも相談して3連休がある土曜日に決めた。キャンプインから10日以上でしょ、そこまで監督は引き延ばしたかったのかな(笑)。世間ではお披露目がいつになるのか、が話題になってたから。

僕はメイン球場でやりましょうと言った。お客さんがたくさん入る。ジャンパーを脱ぐのは前もって告知しない。江藤の特守でやりましょうって。メイン球場では特打がある。で、「もうA球場でいいよ」ってことになった。江藤にも事前に伝え、極秘にしてね(笑)。

まず僕が江藤にノックして途中からミスターが入った。ジャンパーを脱いで栄光の背番号3を見せたとき、お客さんがどよめいたのを覚えてますよ。5万5000人でしょ。それだけファンを喜ばせるということを考え、演出してたんですよ。

《平成12年といえば、日本シリーズの〝ONミレニアム対決〟》

当時、ミスターは5年くらいで監督をやめるんじゃないかといわれていた。でも7年に王貞治さんがダイエー(現ソフトバンク)監督に就任して、王さんと日本一をかけて対決したいと思うようになったんじゃないかな。2000年、20世紀の区切り、盛り上がりますよ。

僕は王さんの下でもやっていたので複雑でしたが、ON対決は全国の野球ファンがすごく喜んでくれた。こんなことは後にも先にもないですよ。誰もが知る野球界のスーパースターだった2人が、監督として敵と味方に分かれて戦うんですよ。そういう喜び、雰囲気が強かった。その場にいてワクワク感がすごかったです。4勝2敗でミスターが勝ったけど、勝敗は二の次でしたね。でもミスターは「これ、1度でいいな」って。王さんも同じ気持ち?でしょうね。

《平成21年、打撃コーチとして参加した第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で世界一…》

13年、長嶋さんが監督を辞めた。気持ちとしては一緒に辞めるつもりだったが、ミスターが推薦してくれたと思う。1歳年下の原辰徳監督には2度の政権で22年まで7年間、打撃コーチなどで務めました。任せてくれましたね。原監督のスタイルはミスターを踏襲している雰囲気はありました。しゃべり方もだんだん似てきた(笑)。

一流選手の集まりだったWBCでは、原監督は選手を信頼していた。イチローが絶不調で第2ラウンド以降、12打席連続無安打が続いていたでしょ。打線から外そうかという意見も出ましたが、「外せない」と一瞬でその話を終わりにしましたよ。あれだけの打者です。状態が上向くのを信じて待ってましたね。

でもイチロー復活には川崎宗則(当時ソフトバンク)の存在が大きかったね。イチローがベンチにいる。不調だから誰も声をかけられない。でも川崎だけは、いつも近寄って話をしているんです。休日でも彼ら2人だけで練習に行っていた。

で、決勝の韓国戦で勝ち越しの2点適時打です。イチローはさすがですよ。大会MVPは松坂大輔(当時レッドソックス)でしたが、僕はよく言ったんです。優勝できたのは川崎のおかげって。イチローをよみがえらせた〝陰のMVP〟ですよ。イチローに憧れて(24年に)メジャーにも追いかけていった。イチローも心を許していた一人だったのでしょう。(聞き手 清水満)

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