Pythonから眺める絵画⑧網膜の検閲(フィルター)の解除:既製品(レディメイド)の関数化と、コンセプチュアル・アートの論理回路
〈デュシャンの『泉』は、視覚(網膜)に依存した伝統的アートに対する「脆弱性攻撃(ハッキング)」です。
「出展料を払えば誰でも展示できる」という建前(マクロな規則)に対して、偽名(偽装IP)と便器(不正データ)を投入したとき、システムは自己矛盾を起こしてクラッシュ(出展拒否)しました。
この一連の拒絶と論争のプロセスをPythonの「オブジェクト指向」と「例外処理(検閲の検知)」を用いて記述し、概念(コンセプト)が物質を凌駕するときを見てゆきたいと思います。〉
マルセル・デュシャンは、100年ほど前に、
「クールベ以来、絵画は網膜に向けられたものだと信じられてきました。
誰もがそこで間違っていたのです」
と述べ、さらに、
「以前は、絵画はもっと別の機能を持っていました。
それは宗教的でも、哲学的でも、道徳的でもあり得たのです」
と述べ、私たちがアートは目に見えるものであり、見た目を楽しむものだと思い込んでいることを示唆しました。
マルセル・デュシャンは、「何がアートで何がアートではないのか」という境目のあいまいさについて示した人物といえます。
その例のひとつに、デュシャンが、アンデパンダン展に『泉』という作品に出品したことがあります。
アンデパンダン展とは、Salon des indépendants、建前は、伝統や権威から独立しており出展料さえ払えば「誰でも、どんな立場の作品も受け付け、展示できるという展覧会」でした。
しかし、デュシャンがR.Muttという偽名で、既製品の便器を倒しただけの作品に『泉』というタイトルを付けて提出したところ、出展を拒否されてしまいました。
「誰でも、どんな立場の作品も受け付け、展示できるという展覧会」に拒否されたデュシャンは、この扱いについての批判を新聞に掲載し、そこで『泉』は、マルセル・デュシャンが製作し、考案したものであると発表したのです。
「誰でも、どんな立場の作品も受け付け、展示できるという展覧会」で認められなかったアートは議論を引き起こしました。
しかし、この一連の流れこそがデュシャンの意図するところだったのではないかと私には思われます。
知名度のあるデュシャンがR.Muttとして、「誰でも、どんな立場の作品も受け付け、展示できるという展覧会」で便器を倒し、出展拒否をされたところから議論を巻き起こすことは、皆がアートと思い込んでいるものを否定するメッセージを伝えることに他なりませんでした。
第1次世界大戦のさなかに、デュシャンは、この作品を創りました。
第1次世界大戦は、それまでの戦争とは異なり、兵器、特に化学兵器の発明などにより、ボタンひとつで多くの死傷者を出しました。
理性や知性を持っているはずの人間が、その理性や知性により殺し合い、さらには多くの人間を効率的に殺傷する道具を作り出してしまうことを目にした当時の人々は、このように愚かな人間が作り出した物や考えなどは否定されるべきだ、と考えるようになります。
そのような考え方から、あらゆる否定を試みる「ダダイスム」という芸術運動が生まれました。
デュシャンは、ダダイスムの精神に共感していたため、アートを、アートと皆が思い込んでいるものを否定するメッセージを「R.Muttが倒した便器」という作品を通して発しました。
偽りの作者名は、作者の存在の必要性を否定し、倒した便器は、便器としての機能を否定し、美しいものとはされない便器はアートの美しいイメージを否定しました。
デュシャンの『泉』は、これまでに人間が考えたあらゆるものを否定することにより、人間と人間がもたらした戦争の惨状を否定するメッセージを発することを意図されていたのでしょう。
そのデュシャンのメッセージは、50年ほど前のコンセプチュアル・アートにより、作品の革命的な部分が再認識され、今の私たちに、より強いメッセージとして伝わり続けています。
『泉』の本質は「便器という物体」そのものにはありません。
「誰でも受け付ける」と謳う制度(アンデパンダン展)の偽善をあぶり出し、拒否されること、そしてその後の論争や新聞への告発までを含んだ「一連の動的なプロセス(システムへの介入)」こそが、デュシャンの仕掛けた真のコンセプチュアル・アートでした。
第1次世界大戦という、人間の「理性・知性(マクロな近代システム)」が効率的な大量殺戮へと暴走した時代。
すべてを否定するダダイスムの精神に基づき、デュシャンは「作者」「機能」「美」というアートの三大要件をすべて1ビットずつ反転(否定)させ、近代の欺瞞を示したのですね。
「境界線の曖昧さ」と「システムの自己矛盾のあぶり出し」
class ArtExhibition:
"""アンデパンダン展という『大きな物語(システム)』"""
def __init__(self):
# 建前:出展料さえ払えば、誰でも(True)受け付ける
self.official_rule = "誰でも、どんな立場の作品も受け付け、展示できる"
self.accepted_works = []
def submit_work(self, artist, title, object_type, is_fee_paid):
print(f"\n[申請] 作者:{artist} | タイトル:『{title}』 | 物体:{object_type}")
# 網膜的(伝統的)な『美の検閲システム』の作動
# 既製品(便器など)や、既存の機能が残っているものは、システムの防衛本能で弾かれる
if object_type == "既製品の便器" or artist == "R.Mutt":
# 内部的な検閲(例外の発生)
raise ValueError(
"【出展拒否】これはアートではない。美のイメージを損なうノイズである。"
)
if is_fee_paid:
self.accepted_works.append(title)
return "【受理】展示室に配置されました。"
# --- デュシャンのハッキング(実験開始) ---
independants_exhibition = ArtExhibition()
try:
# デュシャンは本名を隠し、偽名(R.Mutt)で「便器(レディメイド)」を投入する
# これはシステムに「割り切れないノイズ」を注入する行為(1ビットの不一致)
result = independants_exhibition.submit_work(
artist="R.Mutt",
title="泉",
object_type="既製品の便器",
is_fee_paid=True,
)
print(result)
except ValueError as e:
# システムの矛盾(エラー)がここで検知(キャッチ)される
print(f" システムの応答: {e}")
print("\n=== ここからがデュシャンの『真のプログラム(意図)』である ===")
# 4. 偽りの作者名は、作者の絶対性を否定する(Noneに書き換え)
true_artist = None
# 5. 倒した便器は、本来の衛生機能を否定する(Falseに反転)
has_function = False
# 6. 美の否定
is_beautiful = False
print(f" 作者の否定(存在の分散): {true_artist}")
print(f" 機能の否定(便器ではない): {has_function}")
print(f" 美学の否定(網膜の拒絶): {is_beautiful}")
# コンセプチュアル・アートの起動:物体から「概念(メッセージ)」を抽出する
conceptual_message = (
"『泉』とは物質ではなく、この拒絶のプロセスと議論そのものである。"
)
print(f"\n [コンセプチュアル・アートの誕生]: {conceptual_message}")
「クラス(class)」と「例外処理(try-except)」
クラス(class ArtExhibition)
これは「アンデパンダン展の受付システム」という架空のルールブック(マシーン)を作ったものです。「建前(誰でも受け付ける)」が、プログラムの初期設定(self.official_rule)になっています。
例外処理(try-except / raise ValueError)
プログラムにおいて、想定外のデータ(ノイズ)が入ってきたときにシステムが「エラーだ」と止まる仕組みを「例外処理」と呼びます。
デュシャンがR.Muttとして便器を提出した瞬間、展覧会システムは「これはアートじゃない」とエラー(ValueError)を起こして拒絶しました。
普通の人はここで諦めますが、デュシャンは「エラーが起きること(except の中身)」を最初から予期して、そこから論争という第2のプログラムを動かしたのです。
否定のBoolean(真偽値の反転)
「あらゆるものを否定することにより、戦争の惨状を否定する」ということを、コードでは True(真)から False(偽)への反転や、None(無)への書き換えで表現しました。
機能や美を「オフ(False)」にすることで、逆説的に強いメッセージが浮き彫りになります。
「ゲーデルの不完全性定理」や、セキュリティ分野の「異常検知(アノマリ・ディテクション)」の思考
システムの不完全性
どんなに「完璧で、誰でも受け入れる」という一貫したルール(数理システム)を作っても、そのルール自体を逆手に取った「例外(便器)」を持ち込まれると、システムは自分自身の正当性を証明できなくなり、矛盾を起こします。
メタ視点(一段高い視点)の獲得
目に見える絵の具(データ)ではなく、「展覧会というシステムそのもの(メタデータ)」を操作対象にしたデュシャンのアプローチは、現在の情報社会における「プラットフォーム批評」や「システムの脆弱性検証」と同質の知の技法です。
数理的ギミックへ
今回のプログラムに組み込まれた例外処理(try-except)のギミックは、認識論における「パラドックスの構造化」およびサイバネティクスにおける「メタ・ループ(二段階の制御)」に対応しています。
19世紀の「網膜的絵画」は、キャンバスという閉じられた空間の中にすべてのデータ(色彩、構図)が収まる「1階の関数」でした。
しかし、デュシャンがやったことは、関数の中に別の関数を閉じ込め、あえてエラーを起こさせることで、「キャンバスの外側にある社会制度や鑑賞者の脳内」へと演算の場を拡張する(2階のメタ関数化)ことでした。
これは、数学者ゲーデルが「算術を含む論理システムの中に、自分自身を指示する奇妙な数式(ゲーデル数)を入れることで、システムを内側から崩壊させた」手続きと重なりますね。
デュシャンは『泉』という既製品を用いて、美術界におけるゲーデルの不完全性定理を、100年も前に実演してみせたのです。
このプログラムは、デュシャンが仕掛けた「美術界へのハッキング(いたずらと革命)」を再現しています。
Python歴の浅い私の今回の学び
展覧会の「ルール」を作る
まずは、アンデパンダン展という「展覧会の仕組み(システム)」を準備します。
class ArtExhibition:
"""アンデパンダン展という『大きな物語(システム)』"""
class ArtExhibition:
「アンデパンダン展」という名前の、新しいマシーン(設計図)を作ります、という宣言です。
class(クラス)を使うと、独自のルールを持った架空の世界をプログラムの中に生み出すことができます。
def __init__(self):
# 建前:出展料さえ払えば、誰でも(True)受け付ける
self.official_rule = "誰でも、どんな立場の作品も受け付け、展示できる"
self.accepted_works = []
def __init__(self)
マシンが起動した瞬間に、自動的に実行される初期設定の部屋です。
self.official_rule = "..."
マシンの表面に「誰でも受け付けますよ」という看板(公式ルール)を貼り付けています。
self.accepted_works = []
合格した作品を並べるための、最初は空っぽの展示室(リスト [])を用意しています。
作品を受け付ける「審査ボタン」
次に、作品が提出されたときに、自動で中身をチェックする仕組みを作ります。
def submit_work(self, artist, title, object_type, is_fee_paid):
print(f"\n[申請] 作者:{artist} | タイトル:『{title}』 | 物体:{object_type}")
def submit_work(self, artist, title, object_type, is_fee_paid)
「作品を受付に提出する(submit_work)」という具体的な動き(関数)を定義しています。受付には、作者の名前(artist)、作品のタイトル(title)、出されたモノ(object_type)、お金を払ったか(is_fee_paid)という4つのデータが手渡されます。
print(...)
受付に誰が何を持ってきたかを、画面にパッと表示する命令です。
網膜的(伝統的)な「検閲」の発動
「建前」と「本音」の衝突
# 網膜的(伝統的)な『美の検閲システム』の作動
if object_type == "既製品の便器" or artist == "R.Mutt":
# 内部的な検閲(例外の発生)
raise ValueError(
"【出展拒否】これはアートではない。美のイメージを損なうノイズである。"
)
if object_type == "既製品の便器" or artist == "R.Mutt":
「もし、持ってきたモノが『既製品の便器』である、または、作者の名前が『R.Mutt』だった場合は……」という条件分岐(検閲フィルター)です。
raise ValueError("...")
raiseは、プログラムに「あえて大騒ぎ(エラー)を起こして、強制ストップしなさい!」と命令する道具です。「誰でも受け付ける」という建前だったはずなのに、便器を見たシステムがパニックを起こし、「出展拒否だ!」と叫んでシステムをクラッシュさせたことを表現しています。
if is_fee_paid:
self.accepted_works.append(title)
return "【受理】展示室に配置されました。"
if is_fee_paid: / self.accepted_works.append(title)
もしエラー(便器)にならず、無事に出展料が払われていれば、展示室のリストにタイトルを追加(append)します。
デュシャンのハッキング(実験開始)
ここから、実際にデュシャン(R.Mutt)が便器を提出します。
# --- デュシャンのハッキング(実験開始) ---
independants_exhibition = ArtExhibition()
independants_exhibition = ArtExhibition()
先ほど作った設計図から、実際の「アンデパンダン展の受付マシン」を1台と製造して起動させました。
try:
result = independants_exhibition.submit_work(
artist="R.Mutt",
title="泉",
object_type="既製品の便器",
is_fee_paid=True,
)
print(result)
try
「いまから実験(提出)をします。エラーが起きるかもしれないけれど、途中で完全にフリーズせずに、とりあえずやってみて!」という、プログラムに対する特別な身構え(挑戦)の合図です。
result = independants_exhibition.submit_work(...)
デュシャンが本名を隠し、「R.Mutt」という偽名で「既製品の便器」を、参加費を払って(True)提出しました。
当然、先ほどの検閲フィルターに引っかかり、ここで「出展拒否」のエラーになります。
エラーを笑い飛ばし、概念(アート)へ反転させる
ここがデュシャンの真骨頂であり、この一連の流れこそが意図です。
except ValueError as e:
# システムの矛盾(エラー)がここで検知(キャッチ)される
print(f" システムの応答: {e}")
print("\n=== ここからがデュシャンの『真のプログラム(意図)』である ===")
except ValueError as e:
try の中で起きた「出展拒否」というエラーを、ここで捕まえ(キャッチ)ます。普通ならプログラムが異常終了して終わるところを、デュシャンは「よし、狙い通りエラーが起きたぞ。ここからが本番だ」と、論争のフェーズへ移行させたのです。
# 4. 偽りの作者名は、作者の絶対性を否定する(Noneに書き換え)
true_artist = None
# 5. 倒した便器は、本来の衛生機能を否定する(Falseに反転)
has_function = False
# 6. 美の否定
is_beautiful = False
true_artist = None
Noneは、Pythonで「何もない(無)」を表します。「偉い芸術家先生が作ったから価値がある」という神話を、作者を不在にすることで否定(消去)しました。
has_function = False / is_beautiful = False
あらゆる否定、です。便器としての実用性も、網膜的な美しさも、すべて False(偽・オフ)に書き換えてしまいます。
# コンセプチュアル・アートの起動:物体から「概念(メッセージ)」を抽出する
conceptual_message = (
"『泉』とは物質ではなく、この拒絶のプロセスと議論そのものである。"
)
print(f"\n [コンセプチュアル・アートの誕生]: {conceptual_message}")
conceptual_message = "..."
美や機能、作者すらもすべて False(否定)にした結果、最後に残ったもの。それが、物質(便器)の向こう側にある「社会の欺瞞をあぶり出すという概念(メッセージ)」でした。
これが、現代アート(コンセプチュアル・アート)の誕生の瞬間です。
今回は、コードで、デュシャンが「あえてルールをバグらせる(try-except)ことで、目に見えるモノ(True/False)を超えた、一段高い思想(message)を引っ張り出した」ということをみてきました。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
※見出し画像は、フルーリー「ヴァティカンの宗教裁判に引き出されたガリレオ」からでしは😌


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