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「日本赤軍」 岡本公三容疑者死亡 空港乱射事件で国際手配

(更新)
レバノン

1972年、イスラエルの空港で銃を乱射し、殺人などの疑いで国際手配されていた「日本赤軍」のメンバー岡本公三容疑者が、亡命先のレバノンで死亡したと過激派組織、PFLP=パレスチナ解放人民戦線が発表しました。78歳でした。

岡本容疑者は鹿児島大学在学中に全共闘運動に参加し、その後、重信房子・元最高幹部らが立ち上げた「日本赤軍」のメンバーとなります。

1972年5月30日、イスラエルのテルアビブ近郊の国際空港で、ほかの2人とともに、自動小銃を乱射するなどし、24人が死亡し、76人が重軽傷を負いました。

この事件でイスラエル当局に逮捕され、終身刑を言い渡され服役していましたが、1985年に行われたパレスチナ武装グループとイスラエル政府の捕虜交換の一環で釈放され、隣国レバノンで亡命生活を送っていました。

「日本赤軍」との共闘などで知られる過激派組織、PFLP=パレスチナ解放人民戦線は、岡本容疑者が亡命先のレバノンの首都ベイルート郊外で23日、死亡したと発表しました。

78歳でした。

「日本赤軍」とは

「日本赤軍」は、1970年代に当時の国内の過激派組織、「赤軍派」の幹部だった重信房子氏(80)らが海外に活動拠点を求めてレバノンに渡り、結成しました。

武装闘争による資本主義体制の転換を掲げ、パレスチナの武装グループなどと連携して海外で数々のテロ事件を起こしました。

このうち、1975年にマレーシアのクアラルンプールでアメリカ大使館を占拠した事件と、1977年にインド上空で日本航空の旅客機を乗っ取った「ダッカ事件」では多くの人質をとり、日本国内で勾留されていた仲間などの釈放や巨額の身代金を要求しました。

政府は「超法規的措置」として仲間などを釈放し、日本赤軍はその後も世界各地で過激な行動を繰り返していました。

こうした中、日本の警察当局は専従の部署を設けて中東やヨーロッパなどに捜査員を派遣し、現地当局の協力も得ながら複数のメンバーを逮捕します。

2000年には、最高幹部だった重信氏が大阪に潜伏していたところを逮捕され、重信氏は2001年に日本赤軍の解散を宣言しました。

しかし、岡本容疑者のほか、坂東國男容疑者(79)、佐々木規夫容疑者(77)、松田久容疑者(77)、奥平純三容疑者(77)、大道寺あや子容疑者(77)、仁平映容疑者(80)のあわせて7人のメンバーがその後も逃亡を続け、国際手配されていました。

今回、死亡が発表された岡本容疑者を除く6人のメンバーは今も国内外に潜伏しているとみられていて、日本の警察当局は専従の捜査チームを維持しながら追跡を続けています。

岡本公三容疑者とは

警察庁などによりますと、岡本公三容疑者は熊本県の出身で、鹿児島大学に在学中、ベトナム反戦運動などに参加していました。

その後、兄の岡本武容疑者が1970年に「よど号ハイジャック事件」に加わって北朝鮮に渡ってから、過激派の赤軍派の活動やパレスチナ問題に関心を持つようになり、1972年2月に日本を出国してレバノンに渡りました。

岡本容疑者はゲリラの訓練センターで軍事訓練を受けた後、1972年5月、ほかのメンバー2人とともにイスラエルのテルアビブ・ロッド空港でロビーの乗客に向けて自動小銃を乱射するなどし、24人が死亡、76人が重軽傷を負う事件を起こしました。

2人のメンバーは事件の際に死亡しましたが、岡本容疑者は現地の警察に逮捕されました。

岡本容疑者はその後、イスラエルの軍事法廷で終身刑の判決を受けましたが、1985年、イスラエルとPLO=パレスチナ解放機構との間の捕虜の交換で釈放され、日本赤軍に合流しました。

1997年になって日本赤軍のほかのメンバーとともにレバノンで身柄を拘束されましたが、岡本容疑者だけが亡命を認められていました。

警視庁は、日本人が外国で犯罪を行った場合でも日本の刑法で処罰できるとする「国外犯規定」を適用し、岡本容疑者について殺人の疑いで逮捕状を取るとともに、ICPO=国際刑事警察機構を通じて国際手配していました。

「テルアビブ・ロッド空港事件」とは

「テルアビブ・ロッド空港事件」は、1972年5月30日、イスラエルのテルアビブ近郊にある国際空港で、自動小銃を乱射するなどしたテロ事件です。

実行犯の岡本公三容疑者ら日本人3人が、空港内で自動小銃を乱射したり手りゅう弾を投げつけたりして、空港内にいた観光客など24人が死亡し、76人が重軽傷を負いました。

実行犯のうち2人はその場で死亡しましたが、岡本容疑者は逮捕されました。

その後、イスラエルで終身刑を言い渡され服役していましたが、1985年、パレスチナ武装グループとイスラエル政府の捕虜交換の一環で釈放され、隣国レバノンで亡命生活を送っていました。

公安当局 現地ルート通じて確認進める

警察庁などの公安当局は、PFLP=パレスチナ解放人民戦線の発表を受けて、現地のルートを通じて確認を進めています。

警察庁は「情報を確認中のため、今後の対応については現段階でコメントできない」としています。

岡本容疑者 日本国内の集会にメッセージ 近況つづる

日本赤軍の元メンバーや関係者らは、1972年にイスラエルのテルアビブ近郊の国際空港で岡本容疑者ら3人が自動小銃を乱射するなどした事件が起きた日に合わせ、毎年5月30日に日本国内で集会を開いています。

レバノンに亡命していた岡本容疑者は例年、この集会にメッセージを寄せていて、ことし都内で開かれた集会でも参加者にメッセージが配られました。

元メンバーや関係者らはこの事件のことを空港の現地の名称にちなんで「リッダ闘争」と呼んでいて、岡本容疑者はメッセージの中で「今年もリッダ闘争54周年記念日を迎えることが出来ました」としています。

そのうえで「レバノンではイスラエルのジェット機とドローンが毎日来て攻撃していますが、私は元気です。54周年記念のアピールを書きたいのですが、爆撃が気になります。腹が立つけれども、空爆のことを書いたら、終わりません。私を訪ねてくる友人たちも、怒りと悲しみで苦しんでいます。ですが、みんないつも笑顔で『大丈夫です、みんな元気でやっています』と言って、一緒にコーヒーを飲んで帰ります」などと近況をつづっていました。


元警察庁長官 國松孝次氏「日本で罪に問えず無念」

警視庁の公安部長などを歴任し、1960年代から赤軍派や日本赤軍の捜査に関わってきた元警察庁長官の國松孝次氏は、NHKの取材に対し「岡本容疑者はアラブ社会の一部からはシンパシーを持って迎えられ、『英雄』と受け止められた人物ではあるが、無差別に大量の人を傷つけた歴史的な事件の当事者だ。日本で罪に問えなかったことは無念であり、到底認めがたい」とコメントしています。

元捜査員「本来であれば日本警察が逮捕して法廷で裁き 残念」

1990年代に警察の専従班の1人として、海外に逃亡している日本赤軍のメンバーの追跡にあたった元捜査員は、NHKの取材に対し「岡本容疑者は日本赤軍の象徴だった。本人の選択や現地の支援組織の存在もありこうした形になったが、本来であれば日本の警察が逮捕したうえで、日本の法廷で裁きを受けさせるべきだった。残念だ」としたうえで、「日本赤軍のメンバーら6人はいまも逃亡中で、国際手配されている。逮捕のハードルは高いが、過去に大事件を起こしたメンバーもいる。粘り強い捜査で必ず全員を逮捕してほしい」と話していました。

重信房子氏 現地に追悼の文書を送ったことを明らかに

日本赤軍の元最高幹部で、4年前の2022年に刑期を終えて出所した重信房子氏はNHKの取材に対し、23日、現地の関係者から岡本容疑者が死亡したことを伝えられ、現地に追悼の文書を送ったことを明らかにしました。

この中では、「岡本公三同志が重篤な病気の末に亡くなられたことを知り、哀しみと悔しさを噛みしめながら追悼します。病弱の彼の傍らに寄り添うことが叶わず権力の妨害に離れ離れに隔てられたまま逝去を知る悔しさに胸が押しつぶされる思いです」としています。

そして岡本容疑者について「初期パレスチナ連帯の日本人ボランティア活動の嚆矢を拓いた戦士の一人」だとしたうえで、「亡命を認めてくれた歴代のレバノン政府にも感謝を伝えます」と記しています。

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